第22話 シルヴィア


「……何だろう、今凄く失礼な事を言われた気がするな」


 唐突に背筋に走った悪寒に、蒼い髪をセミロングに切り揃えた、金色の瞳を持つ女性はそう呟いた。

 場所はクロケットの中心から北西に向かった辺り。そこには街中にあるものとは比べ物にならないほどの、巨大な屋敷が建っている。

 3階建ての屋敷から門までの間には煉瓦道が敷かれ、道の左右に鑑賞用の樹木や様々な色の花を咲かせた花壇などが並んだ、素晴らしい庭が広がっている。

 此処は、帝国において豪傑と謳われるある将軍が居を構える南部領総督府。だが、女性はその人物の縁者でも、ましてや使用人などでもなかった。


「まぁ職業上、人の恨みを買う事は多いし、気にする事じゃないか」

「どうかしましたの、お姉様?」


 長い銀髪をツーサイドアップに束ねた、翡翠色の瞳の少女が尋ねる。

 年齢的に、彼女達は2歳の差しかない。だが、蒼髪の女性の後ろを付いて歩く姿や口調から、銀髪の少女からはまるで従者のような印象が見受けられた。


「何でもない。少し悪寒が走っただけ―――」

「悪寒!? 何て事ですの!? お姉様のご病気にまるで気付かなかったなんて、このサーシャ一生の不覚! 誰か医者を、直ぐに医者の手配を!」


 数秒前までの淑やかさは何処へやら。悪寒という単語が出た直後、目に見えて狼狽える、自らをサーシャと名乗った銀髪の少女。

 自分達と一人のメイド以外誰もいない廊下で、大声で医者を呼ぶ姿は何ともシュール。だが、こういった光景は既に何度も見てきたので、蒼髪の女性の方は表情一つ変えなかった。


「そこまでする必要はない。大方、誰かが私の噂をしているんだろう」

「お医者様ァアアアァァアアアアアアッ!!」

「いや、だから何でもないと言っているだろ。っというか、そんな原始的な呼び方で来る医者はいない」


 窓を開けて叫び出したサーシャを羽交い絞めにし、女性はずるずると彼女を引き摺って窓から遠ざける。やはり何度も見てきてはいるが、頭が痛い事に変わりはない。

 幸いなのは、大勢の人々の前でこのやり取りを見られなかった事か。もっとも、案内役のメイドは苦笑いを浮かべているが。


「失礼。お恥ずかしいところをお見せしました」

「何の事でしょう? 私は何も見ていません」


 そう言って恭しく礼をする姿は、まさに一流のメイド。

 サーシャもこのくらいの落ち着くを持ってほしいと、女性は切に願った。


「全く……いつも言っているのにまだ治らないのか、その心配症は」

「お言葉ですが、私はお姉様の補佐を仰せつかっている身。体調管理は当然の事。スケジュール調整や必要書類の作成、更には夜伽よとぎに至るまで万全にこなさなければ意味がありませんの!」

「気持ちだけ受け取っておこう。特に最後のは断固拒否する」

「あぁん! そんな素気ない態度のお姉様もまた素敵ですの!」


 尚更燃え上がってしまった様子のサーシャに、思わず額の真ん中を人差し指で押さえてしまう。

 自分が何を言ったところで、彼女にとっては火に注がれる油にしかならない。

 だが、何事にも切り札というものはある。性格上あまり使いたくはない手だが、これ以上の痴態を晒す訳にもいかない。


「サーシャ。いい加減にしないと、団長に君を私の補佐官から外すように進言するよ?」

「ッ! そ、それだけはご勘弁を!? お姉様に―――『戦乙女』シルヴィア様にお仕え出来るする事が、このサーシャ・ヴィエルジュにとって至上の喜びなんですの!」


 膝を落として平身低頭し、サーシャは蒼髪の女性―――シルヴィア・ハーヴェストに懇願した。

 2人がその身に纏うのは、紅を基調とした身体にピッタリと張り付くような服。帝国最強を謳う武闘派部隊、『紅翼騎士団ロートリッター』の団服だ。シルヴィアだけ白いマントを付けているのは、副団長という地位に就いている証だ。

 ちなみに彼女が着るYシャツの上ボタンは外れ、胸元が若干見えているが、それを咎める者はいない。そこに―――聖痕スティグマが刻まれている為に。


(副団長として……騎士としては、あまり褒められた着こなしじゃないんだけどね)


 聖痕をなぞらなければ神威騎装デウス・マキナは発動出来ない以上、こればかりは仕方がない。

 女性が羨むほどの胸囲がある為、自然と人の視線を集めもするが、それについては気にしない方向でいく。


「どうか……どうかご慈悲をぉおぉぉおおおおッ……!」


 もっとも、自分に対して恋慕に近い感情を抱くこのサーシャだけは、無視という訳にはいかないが。


「分かった分かった、進言はしないよ。だから、いい加減泣き止んで―――」

「はい! 泣き止みましたの!」

「立ち直り速いな」


 涙を拭い、立ち上がるまで10秒と掛かっていない。ここまでくると、もはや尊敬を通り越して呆れてしまう。

 今度からは胃薬を常備するか、などと考えつつ、メイドの案内の下に2人は再び廊下を歩き始めた。


「まぁ、せめてこの屋敷にいる間だけでも大人しくしてくれ。遠征帰りとはいえ、私達は此処に仕事で来ているんだから」

「流石にそのくらいの分別は弁えてしますの」


 しかし……、と今までの騒がしい雰囲気は鳴りを潜め、サーシャを眉をひそめる。


「よりにもよって、相手はあの『黒切』ですか……」

「不安かい?」

「お姉様と一緒にいる以上、そのような事はありません! ……と断言したいところですが、そう楽観視は出来ませんわね」


 サーシャはシルヴィアを信頼こそしているが、絶対視はしていない。

 彼女も人間である以上、得意不得意な事はあると心得ている。そして、それを理解した上で、自分が彼女の弱点を補うと決めているのだ。

 だからこそ、相手の技量を予測して的確な補助を行おうとする彼女の見立ては信頼出来る。


「先月の食糧庫解放事件に次いで、百人切りに神徒イクシード『氷葬』のゾルガの撃破……。今回ばかりは一筋縄ではいきませんわね」

「確かに。『氷葬』とは一度剣を合わせたが、彼を退けられる者が並みの人間であるはずがない。やれやれ、遠征から帰還したと思ったら、トンでもない任務を回されたものだ」


 当時のゾルガは酒に酔っていたとはいえ、決して弱くはなかった。恐らく、『紅翼騎士団』入団の一歩手前といったところか。

 それを退けたとなれば、少なくとも『黒切』は団員クラスの実力はある。加えて、相手は罪人。騎士道を重んじる自分とは全く正反対の戦法を取るだろう。

 そういった不確定要素の積み重ねは、両者の間にある実力差を埋めていく。それどころか、超えていく事もある。油断出来ない相手だ。


「……そういう割に、顔は嬉しそうですが?」


 サーシャの指摘通り、それを理解しながらも、シルヴィアは笑っていた。

 まるで、まだ見ぬ敵の存在を噛み締めるかのように。


「楽しみなのさ。近頃の男ときたら、自分の身を守る事しか考えていない保守的な人間ばかりだからね。それに対し、たった一人で帝国と敵対する男……実に興味深いじゃないか。手合わせ出来るその時が、待ち遠しいよ」


 戦力増強に費やす時間があるのなら、自分の地位を盤石する方が先決。それが近年の貴族達の考えだ。

 確かに、侵略してきた敵を倒せば褒賞が得られた時代とは違い、現在の世界は平和そのもの。そして敵がいなければ当然、褒賞を得られる機会はなくなる。そうなれば自分の地位を盤石にする為の手段は、保身しかなくなるという訳だ。

 平和なのは良い事なので、争いが起きないその考えは間違いではない。だが、保守に走るのとは違う気がする。やはり栄光とは、自分の手でもぎ取ってこそだろう。


(そう考えると、『黒切』には中々好感が持てそうだけどね)


 果たしてどんな人物なのかと、もしかすると自分の好敵手になり得るかもしれない存在に思いを馳せるシルヴィア。


「……むぅ~」


 だが、そこで彼女は後ろを歩くサーシャが、不満げに頬を膨らませている事に気が付いた。


「? どうかしたのかい?」

「いえ、何でもありませんわ~。ただ随分とその『黒切』というに執着しているな~と思いまして」

「今の会話でそこを気にするのかい……?」


 好感が持てるとは思ったが、あくまで好敵手としてのもので、別に恋愛感情はない。

 第一、仮に好いたとしても相手は罪人。身分の差以前の問題があり、結ばれるはずがない。


(まぁ、出会いがなくて男に飢えているなんて噂もあるみたいだけどね……)


 それでも流石に罪人に娶ってもらうつもりはない。いや、そもそも男に飢えてもいないが。

 そもそも男の噂がないのは、自分ではなく周りの所為だろう。


「別に男だから気になる訳じゃないさ。それに別に私に男の噂がないのは、体力しか取り柄がない私に好意を持つ男がいないからだよ。この間の宴の席でも、私が近くにいくと皆避けていたしね」

「お姉様はもっとご自分の容姿を理解してくださいな! それはお姉様が高嶺の花過ぎて近寄れないだけですの!」

「いや、皆私を見ると目を背けていたし、そういうのじゃないと思うけど……」

「それも美し過ぎて直視出来ないだけですの!」


 いつも思っている事だが、シルヴィアは戦以外の事は無頓着過ぎる。

 決して戦闘狂という訳ではない。ただ男の世継ぎがいない中、貴族の家に長女として生まれた事から幼い頃は親族達から迫害を受けていたらしく、自分を認めてもらう為に当時は修行に明け暮れていたのだとか。

 その目的は叶ったものの、全ての時間を修行に費やした所為もあり、現在に至る訳である。


「まぁ、それならそれで構わないさ。高嶺の花というだけで手を伸ばそうともしない人間なんて、こちらから御免被るよ」

「その凛々しいお姿に痺れ、憧れますの……!」


 もっとも、サーシャとしてはシルヴィアに悪い虫が寄り付かないので、有り難い事なのだが。

 そうこうしている内に、目的地に着いたらしく、メイドはある部屋の前で立ち止まった。


「さて、そろそろ気を引き締めようか。今から会うのは、そういう軟弱な男とは真逆の人物だからね」

「了解ですの」

「では、失礼します」


 確認を取った後、メイドは部屋の扉をノックする。

 すると、中から壮年の男性の声が聞こえてきた。


『誰だ』

「ミスティです。『紅翼騎士団』副団長シルヴィア様と、補佐官のサーシャ様をお連れしました」

『入れ』


 短い返答があった事を確認すると、メイドは扉を開ける。

 彼女の後に付いて扉を潜ると、その先に待っていたのは豪華絢爛でありながら、決して人を見下すような雰囲気を感じさせない部屋。白を基調とした内壁に、所々に施された繊細かつ大胆な装飾。それでいて、己の権力を主張する様なものは全くない執務室だ。

 その中に、はめ殺し窓の前に置かれた、執務机の椅子に腰掛ける男の影が見えた。


「失礼した。こちらから向かおうと思っていたのだが、仕事が忙しくてな」


 そう言って立ち上がった男が2人の下に歩み寄ると、次第にその姿が明確になってくる。

 服の上からでも分かるほどに鍛えられた肉体を持つ、褐色肌の男だ。口元に生えた無精髭や、好き放題に伸ばされた濃茶の髪の所為で品格は皆無だが、不思議と嫌悪感は抱かない。寧ろ、それら全てが武人としての威圧感を与えてくる。

 これは紛れもなく、一団を統べる者の貫禄。だが、シルヴィアとサーシャはそれに気圧される事なく、堂々とした態度で名乗る。


「アルヴァトール帝国直属親衛隊『紅翼騎士団』副団長、シルヴィア・ハーヴェストです」

「同じく『紅翼騎士団』所属、副団長補佐を務めています、サーシャ・ヴィエルジュですの」

「帝国第5陸軍軍団長、そしてこの南部領の総督を務めるゴルティア・ダモクレスだ。遠路遥々よくお越しくださった」


 互いに差し出された手を掴み、固く握手を交わす。

 そこから伝わってくる力強さと熱に、やはり噂通りの人間だと両者共に思った。


「貴方が『鉄血』のゴルティア……。武功の噂は、兼ねがね聞いております」

「よしてくれ。帝国一の女と評される貴女きじょに煽てられると、鼻の下が伸びる」


 どちらも国の歴史に名を残すであろう傑物。そんな人物とこうして顔を合わせる事が出来た事には、運命というものに感謝するしかない。

 もっとも、武人として手合わせしてみたいという気持ちもあるにはあるが。


「私はそんな大層な人間ではありませんよ。ところで……」


 軽く挨拶を済ませた後、シルヴィアの視線が別の場所に向けられる。

 その視線の先にあったのは、ガラスケースが鎮座する台座。より正確には、その中に厳重に収められている、鈍く輝く銀色の籠手だ。

 彼女が何を見ているのか察したゴルティアは、それを称賛し大声で笑い出す。


「ふははッ! あれに気が付くとは流石は『戦乙女』、お目が高い!」

「あれが、ダモクレス家の人間に代々受け継がれるという……」

「左様、家宝にして我が武器。矮人ドワーフの手で鍛えられしミスリル製の籠手、《覇者の闘拳アトレート・セスタス》だ」


 ミスリル。それは『銅のように打ち延ばせ、ガラスのように磨ける。銀のような美しさだが、黒ずみ曇る事がない』とされる、銀の輝きと鋼を凌ぐ強さを有する貴重な金属だ。

 その硬度は竜の一撃を以てしても傷付ける事は不可能とされ、それでいてこれで両手大剣グレートソードを作れば片手で扱えるほどになる軽量さを併せ持っている。 

 当然その産出地は少なく、加えて製鉄方法はドワーフしか知らない事から、値段も鉄の数十倍。例え帝国の人間であっても、そうそうお目に掛かれない代物だ。


「美しい……! そして美しさを残しながら、鋼よりも堅牢なその力強さ……! 何て素晴らしいんだ!」

「そうだろうそうだろう! 分かってくれて何よりだ! だから……取り敢えずその手を退かしてくれんか……?」

「お姉様!? 早くその手を退けないと、ガラスが壊れてしまいますの!?」


 この先見る機会がないかもしれない名品を前に、シルヴィアはまるで子供のようにガラスケースに手を付ける。

 だが、彼女は2本の大剣を軽々と操る人物。あまりの興奮ぶりにたがが外れてしまったのか、手を置いた部分からビキビキ……! とガラスに罅が入り始めていた。


「む、すまない。つい見惚れてしまった。これは必ず弁償しましょう」

「いや、お気になさらず……。それより立ち話はなんだ。さぁ、掛けてくれ」


 若干を顔を引き攣らせつつも、2人に椅子にソファに腰掛けるよう促すゴルティア。

 それに従って彼女達が座った事を確認すると、彼は本題を切り出した。


「さて、この街での滞在期間は一週間と聞いている。その間、基本的に自由に動いてもらって構わない。用向きがあれば、屋敷内の者に言ってくれればいい。どうか、遠征の疲れを癒してくれ」

「ゴルティア卿。お気持ちは嬉しいのですが、そうはいきません。私達が此処を訪れたのは、あくまで仕事の為ですから」

「勿論、忘れてはおらん。貴族殺しの大罪人、『黒切』の件だな」


 目下、帝国最大の脅威と成り得る大罪人『黒切』。

 彼の手で行われた貴族殺しは既に数十件にまで上っており、早急に捕えなければ帝国の威信に関わる。だが、手元にある情報では『黒い刀を持った男』としか分からず、全くその足取りが掴めていないのが現状だ。

 そんな時に舞い降りてきた、彼の目撃情報。いつ切れるか分からない蜘蛛の糸のような情報だが、これを逃す訳にはいかない。


「最後に姿が確認された村から、考えられる『黒切』の逃走経路は2つ。ですが、一つはラザレア公国に向かう道である為、自然と却下。それで皇帝陛下は、もう一つの逃走経路であろるこの地に我々を派遣した訳ですが……我々が到着するまでに、何か動きは見られましたか?」

「いや、門番から不審な人物が通ったという報告はない。もっとも、見逃した可能性は高いがな」

「手掛かりが『金髪の女性を連れた黒い刀を持った男』だけでは、それも当然ですわね」

「あぁ。既にこの街の中に入ったと考えた方がいいだろう」


 容姿に関する手掛かりが少ない事もそうだが、『黒切』は幾度も帝国側の索敵を掻い潜ってきた。真正面からでなくとも、別のルートを通っている可能性もある。

 であれば、門番からの報告など当てに出来ない。最悪の事態を想定して行動するべきだ。


「では、明日から街の各所を私服姿の団員に巡回させます。手掛かりが少ないのでそれくらいの事しか出来ませんが、何もしないよりはマシでしょう」

「こちらも、警邏けいらの人員を増やそう。貴族達の殺されるだけでなく、民の一人まで攫われているからな。早期解決の為、人員は多い方がいいだろう」

「……誘拐か」


 その単語を聞いた瞬間、シルヴィアは怪訝そうに眉をひそめた。


「何だ?」

「いえ。これまで『黒切』は質の悪い貴族ばかりを狙い、民衆からは英傑扱いされてきました。それが何故急に人攫いなどしたのか、少々気になりまして」

「確かに。これまでの『黒切』の行動としては、いささか不自然ですわね」


 民衆が抱く『黒切』への印象を一言で表すなら、義賊が当て嵌まるだろう。

 市民には決して犠牲を出さず、敵対する貴族や騎士だけを仕留めていく。その在り方は、『弱きを助け強きを挫く』という言葉そのもの。やり方は間違っているものの、弱者の味方になろうとするその姿勢だけはシルヴィアも認めていた。

 だからこそ、何故急に人攫いなど始めたのかが気になった。だが、そんな彼女の疑問をゴルティアは鼻で笑う。


「深く考えるほどの事ではあるまい。大方その少女をどこかの遊郭にでも売って、金に換えるつもりだろう。義賊だなんだと言われていても、所詮は浅ましい罪人でしかなかったという事だ」

「人身売買ですか……。ですが、仮にそれが事実だとしても、やはり急にそんな事を始めた理由が気になります」

「ふむ……。では、急な事ではないかもしれない、と言ったらどうだ?」

「? それは、どういう事でしょうか?」


 唐突なゴルティアからの言葉に、後ろで聞いていたサーシャは首を傾げる。

 そして告げられたのは、些か信じ難いものだった。


「実はな、この街でも誘拐事件は起こっているのだ。既に何件もな」

「何……?」


 複数の誘拐事件。それも、南部領総督を務めるゴルティアのお膝元で。

 とても信じられない話だが、同時にそれが未だ解決してない事が気になった。


「無論、放置などしていない。だが、どれだけ手を尽くしても、犯人像どころかアジトまでも全く掴めん。これはもう街の中ではなく、外から訪れる者の犯行と考えるのが当然だろう」

「貴方はそれが、『黒切』の仕業だと……?」

「そうとしか考えられん。これまでの動きから見て、『黒切』は各地を転々としている。そこで攫った者達を売り、また人攫いを繰り返していると考えるのが妥当だ」

「なるほど……」


 アジトが見付からないのであれば、余程兵の索敵能力が低くなければ、そもそもアジトがないと考えるべきだろう。

 では、大規模な人身売買を行っている者がアジトを持たない理由は何か。理由の一つとして思い浮かぶのは、街で一人攫っては別の街で売るという作業を繰り返している為、特定の居場所を必要としないという事か。

 それが事実であれば、誘拐事件に『黒切』が関与している可能性は高くなる。

 ふむ……、とシルヴィアが顎に手を当て考え込んでいると、ゴルティアは椅子から立ち上がる。そして、先程まで背を向けて座っていた窓の前まで向かった。


「シルヴィア殿、貴女はこの街を見てどう思った?」

「まだ馬車で通ったばかりなので、何とも言えませんが……。強いて言うなら、騒がしい街でしょうか」

「ふふっ、確かにな。だが、私はその騒がしさが好きだ」


 確かに、この街の騒がしさは、決して喧しいものではない。人情味に溢れた、心温まるものだ。

 帝都も人通りは多い事には多いが、そこには貴族達の飽くなき欲望も混じっている。シルヴィアも同じ貴族ではあるものの、そこで心休まるかと問われれば答えはノーだ。

 故に、まだ訪れてから数刻しか経っていないものの、シルヴィアは既にこの街が気に入っていた。 


「民は騎士のように武功を上げられんが、その働きによって我等の生活は成り立つ。故に、彼等はなくてはならない存在だ」

「それは同感ですね」

「だろう? だが、『黒切』はそんな彼等の帝国安住の地を脅かし、あまつさえその身にまで危害を加えようとしている。これは許し難い事だ。それに、このクロケットは帝都に通ずる大動脈の始まりの地。此処から賊が出すという事が何を意味するか……分かるか、シルヴィア殿」

「更なる被害が、帝国の中心にまで及ぶという事ですか」

「その通りだ。恐らく、『黒切』がこの街に入ったと人々が聞けば、誰もが恐怖するだろう。であれば当然、その恐怖を国全体にまで及ぼしていいはずがない!!」


 どれだけの民に指示されようと、『黒切』が罪人である事に変わりはない。そして、受け入れる者の数だけ逆の考えを持つ者がいる。

 そんな後者の人々にとって、罪人が外に出て存在するだけで、自分の身をいつ不幸が襲い来るのかという恐怖で夜も眠れなくなる。

 そしてシルヴィアは、そんな弱者を身を挺して守る為に力を付けてきた。


「一刻も早く民に安息をもたらす必要がある。手を貸してくれるな、『戦乙女』よ」

「無論です。共に、『黒切』を討ちましょう」


 『黒切』が本当に人身売買に手を染めている確証はない。だが、僅かにでも疑念があるのであれば、彼女が取るべき答えは決まっていた。

 そして再び2人は握手を交わした後、長旅で疲れているだろうとゴルティアが気を利かせ、取り敢えず今日のところはお開きとなった。


「長々と話し込んですまなかった。明日からまた動いてもらう分、今日はゆっくり休んでくれ」

「お心遣い、感謝します。では行こうか、サーシャ」

「はい。それでは、失礼します」

「部屋まではミスティに送らせよう。頼んだぞ」

「畏まりました」


 主人に頭を下げた後、ミスティを先頭にしてシルヴィア達も部屋を出る。

 本来ならこのまま客室に案内してもらうところだが、現状を鑑みるとそう悠長な事も言っていられない。


「ミスティ、でいいかな? これから団員と明日の予定について話さないといけないから、部屋の案内は後でいいよ。君は仕事に戻ってくれ」

「分かりました。それでは、何かあれば気軽にお声掛けください」


 そう言って一礼した後、フレメアは廊下から姿を消す。

 途端にサーシャが声を上げる。上官同士の会話なので黙していた分、一気に爆発したような感じだ。


「あぁ、またもお姉様と私の2人切りに……! これは遂にお姉様を押し倒し、愛を育む絶好のチャンス!?」

「それはない。絶対にない。あと、そんな事した日には鉄拳が飛ぶからそのつもりでいてくれ」


 ゴキ……! と分かりやすく握り拳を作ってみせると、サーシャは額から冷や汗を流しながら身を引いた。

 一度彼女の拳骨を貰った事があるが、正直あれは二度と受けたくないというのがサーシャの感想だ。


「それにしても、思っていた以上に深刻な問題だったね。これは早急に動かないと」

「……確かに。まさか『黒切』が、人身売買にまで手を染めていたとは」

「腐敗した貴族を始末してくれるだけなら、こちらとしても有り難かったんだけどね。少しオイタが過ぎたようだ」


 ウルドを始めとした貴族達は、この国に膿とも呼べる存在だ。そして民の平和の為にも、膿は排除しなければならない。

 彼女自身も時にそういった貴族を容赦なく捕えている為、『黒切』の行動には共感が持てた。だが、彼女の琴線に触れてしまった以上、野放しには出来ない。


「では、お姉様」

「あぁ」


 バッ! とマントを翻しながらサーシャの方を振り返り、シルヴィアは指示を出す。


「『紅翼騎士団』総員に通達。明朝までに装備を万全に整え、2日以内に『黒切』を探し出せ。此処で確実に押さえるぞ」

「仰せのままにですわ」


 そう返答した後、直ぐにこの指示を伝える為、サーシャは一人先に行く。

 後に残ったシルヴィアは、胸元に刻まれた聖痕にそっと指を添え、


「さぁ、『黒切』よ。罪深きその魂、私が無事天に送り届けてみせよう」

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