揺るがぬ意志

第20話 五界王会議


 アルヴァトール帝国、帝都ヴェルカスト。

 高い城壁で周囲を円形に囲まれたこの城塞都市の規模は、帝国最大のもの。北東と南東、北西と南西、南北に1つずつ門が設けられ、そこから中心へと伸びる道によって、商業や工業地区、果てには軍関連の施設を明確に区画されている。

 そして6つの道を進んだ先、都市の中心にそびえ立つのは、この国の重鎮達が住まう場所―――アルヴァトール城。

 道の並び方が並び方故に、誰でも王城の傍まで行く事は出来るが、実際に中に入れる者は限られている。当然の如く、一市民が許可なく王城に入れるはずもなく、城門は常に固く閉ざされていた。

 だが、今日は3ヶ月に一度、その城門が開かられる日。

 帝国を含め、世界連合に加盟した合計5ヶ国の代表による定例会議が行われる、五界王会議ごかいおうかいぎの日だ。






「待たせたな、各王。とは言っても、開始予定時刻の5分前だがな」


 城内に無数に存在する部屋の内、3ヶ月に一度しか開かれない扉。

 それを特に気負いした様子もなく潜り、既に円卓を囲んで座る4人に向け、優雅な仕草で一礼しながら初老の男性が入室する。

 濃い臙脂えんじ色の外套ローブに身を包む彼こそ、アルヴァトール帝国皇帝―――クラウス・イデオン・アルヴァトールだ。


「ふん。例え定刻より前に来ようが、客人を待たせる時点で礼儀を欠いていると思うがの」


 高圧的な物言いで一番最後に姿を現したクラウスを叱責するのは、民族衣装にも見える白と緑のドレスを着た、あらゆる者を虜にするであろう美貌を持つ金髪の女性。

 年上への礼儀を欠いているように思えるが、実はこの場にいる他の3人と同様、クラウスよりも年齢は上だ。信じられないと疑念を抱く者もいるかもしれないが、それは特徴的な彼女の長い耳を見れば直ぐに納得に変わるだろう。

 エルフを筆頭に妖精や小人族が集う国、ラザレア公国。彼女こそがそれを統治する女王、セレスティア・エル・アモルティーナ。


「それはすまんな。だが、この中で一番の若輩とはいえ、私も皇帝。1時間も前から席に着く貴女きじょのように、余裕のある身ではなくてな」

「貴様……遠回しにわらわが暇人だと言っておるのかえ?」


 クラウスの発言に不快感を感じ、ジロリ……と彼を睨むセレスティア。

 下手をすればこの女王は、ほんの些細な事を切っ掛けにこの土地を焦土に変えかねない。普通なら直ぐ様頭を下げるべきなのだろうが、対するクラウスは強気な様子で口元を弧に歪めるだけだった。

 まさに一触即発。次の瞬間にはこの部屋が吹き飛ぶ可能性もある中、勇敢にもそれに割って入る者がいた。


「文句なら後にしな、妖精女王ティターニア。ババァの小言は聞くに堪えねぇ」


 その格好は、一見するとこの場には相応しくない。

 革製のベストに、動き易そうなズボン。それらで隠し切れていない筋骨隆々の身体に、無精髭を生やした強面の顔も相まって、何処かの蛮族のように見える。そんな中で側頭部から生えた獅子の耳は、少々シュールだ。

 だが、これでも彼は立派な国家元首だ。多種多様な獣人達が住まうエリアス連邦の統治者、レグルス・ウィルトゥース。


「貴様、今の発言を撤回せよ。妾はまだ老害と言われる歳ではないわ」

「いや、100歳超えは十分ババァだろ」

「獣と同じってのは癪だが、今回ばかりは同意見だな……」


 僅かに殺気を漏らしながら門答する2人の中に、新たな声が交じる。

 それを発したのは、陰鬱な表情をした黒髪の青年だ。


「それと、時間は有限だ……。無意味に潰されるのは、我慢ならない……」


 椅子の背にもたれかかるようにして座る、スーツの上に水色のオーバーコートを羽織る青年。

 表情とは裏腹に確かな威圧感を感じさせるその姿からは、王族というよりもマフィアのボスという印象を強く受ける。

 彼は獣人と同様、数多の種類がある魚人を抱えるアトランタル共和国の元首、エーノシス・ファスティトロン。


「なぁ、お隣さんもそう思うだろ……?」

「……………………」


 目だけ隣に座る人物に向け、同意を求めるエーノシスだが、黒の礼服に身を包んだ銀髪の男性は答えを返さない。

 先程から目を瞑って我関せずを貫いていた事もあり、実に素気ない男だ。もっとも、彼の種族を考えれば、これは無愛想というよりも見下しているのかもしれない。

 その種族とは、世界最強と言っても過言ではない天竜族。彼はその頂点である、ジブリスタ王国国王、アトゥムス・バイファムートだ。


「……はぁ、何でこんな面倒臭い連中と、3ヶ月に一度とはいえ顔を合わせないとならないんだか……」

「怨み言ならご先祖様に言いな。同盟なんて結んだのは、そいつ等なんだからよ」


 同盟こそ組んではいるが、それはもはや脆き繋がり。いつ崩れ去ってもおかしくはない。

 確かに、500年前は魔族という共通の敵を倒す為、先祖達は手を取り合ったかもしれない。だが、それは逆に言ってしまえば、敵さえいなければ手を組む必要などなかったという事。

 加えて時代が時代だ。脅威に晒されていた頃ならいざ知らず、数百年間平和は守られてきたのだ。同盟という単語が、文字通り名ばかりになるのも当然と言える。

 ならば、もう同盟など破棄すればいいのではと思う者も多いだろうが、そうなれば褒賞などに目が眩んだ者達の手で争いが起こされるる事は必然。これから先も平和を望む者も大勢いる以上、そう簡単に破棄など口にする事は出来ない。


「先祖に愚痴を言ったところで仕方あるまい。さてセレスティア殿、私としてはもう少し貴女と話していても良いのだが、生憎と皆時間に余裕のある身の上ではない。そろそろ会議を始めようではないか」

「よかろう。妾も、このような不愉快な連中と長々と話していたくはないのでな。さっさと不愉快な話を始めよ」


 優美に、それでいて強気に微笑みながら、会議の進行を促すセレスティア。

 それに従う、という訳ではないが、クラウスはようやく今回の議題を取り上げた。


「大方想像はついているだろう。今回の議題は近頃活発化している、―――魔族の動向についてだ」


 魔族。その単語が出た瞬間、一同は眉をひそめる。

 当然だ。彼等は500年前にこの地上界に現れ、侵略行為を重ねた末、滅ぼされた存在。地上界に残った力なき一部の者や、本拠地である魔界にいる者など全滅した訳ではないが、壊滅はさせた。

 彼等の寿命も長いので、恐らく当時の事を記憶している者もいるだろう。先祖が味わったを苦渋と、敵対した者達が持つ力の強大さを。

 それ故にこれほど長い間平穏が保たれてきた訳だが、近頃はその太平の世に影が差し始めていた。


「民はまだあまり認識していないだろうが、近年魔力溜まりを通って此方側に現れる魔獣の数は、間違いなく増加している。加えて我が領土の小国では、魔族を見たという報告までもが多く上がっている」

「つまり、500年経って連中がまた動き出したって言いてぇのか?」

「まぁ、有り得ない話じゃないな……。人間にしても魔族にしても、忘れる生き物……。大昔の敗北を覚えてる奴ならいざ知らず、恐怖を知らない新しい世代なら、一花咲かせようとか思う奴がいても不思議じゃない……」


 混乱という混乱は起こらず、思いの外あっさりとその内容は受け入れられた。

 クラウスの話を信じていない訳ではない。事実であれば、今更騒いだところで仕方がないと思っての冷静さだ。


「じゃが、魔族の行動が活発化しているとは言っても、確証は何一つないのであろう? 魔獣の増加など偶然かもしれぬし、魔族などそこらの路地裏でも覗けば何人もおる。それかもしくは、見間違えかもしれぬぞ? 獣人や魚人も、魔族と見た目はして変わらぬしな」

「おいコラ、ババァ。喧嘩売ってんなら喜んで買うぜ?」

「合理性には欠けるが、こうも真正面から侮辱されると流石に、なぁ……?」

「売る訳なかろう。戦の事しか頭にない獣や引き篭もるしか能のない魚を相手にしたところで、妾が得られるものなど何もない。毛皮など手に入れても、邪魔になるだけだしの」


 ザワッ……! と。

 直後に空気が変わった。


「……どうやら、今日の昼食はエルフ肉になりそうだな」

「骨張った肉なんて食いにくいだろ? 今、ミンチにしてやる……」


 元々険悪だった空気は、濃密な殺気を孕んだものに。

 立ち上がったレグルスの身体を、獣毛が覆う。更にはその爪と牙も、鋭いものへと変化する。

 エーノシスの方は座したまま。だが、纏うコートは巨大で強大な、肉の鉄槌に変わる。


「どうやら、躾が必要なようじゃな……!」


 美しい見た目とは真逆の、獰猛な笑みをセレスティアは浮かべる。

 細い指に魔力を集め、彼女がエルフの王だと誰もが認める力を以て、目の前の愚者を消滅させんとする。

 そして、会談の場が惨劇の場に変わろうとした、まさにその時、


「不毛」


 新たに聞こえてきた声に、3人の身体がピタッと止まる。

 その声の主は、今まで黙していたアトゥムス。文句の付け様がない絶対的強者を前では、彼等も赤子同然だ。


「同盟とは名ばかり。先祖が交わした古き契りだけで繋がる私達の前では、この円卓もまるで意味を成さんようだ」

「珍しく口を開いたかと思えば……。随分と上から物を言うな、竜の王よ」

「だが、的を射ているな……」


 同意しながらも渋々といった様子で、肉の鉄槌を元のコートに戻すエーノシス。

 それに続く形で、レグルスも人間の姿に戻った。


「アトゥムス殿の意見ももっともだ。それに、長話は好きではないと、自分で言っていただろう? 話を進めようではないか」

「……ふん」


 流石に彼が相手取るとなると、魔術に長けた彼女でも簡単にはいかない。

 この場は大人しく身を引く方が得策と判断し、彼女も椅子に腰を下ろした。


「では、これより各地から挙がってきた魔獣や魔族に関する報告を精査し―――」

「まどろっこしい話はよせよ、爺さん。の『雷帝』殿が、対策や何だのを話し合いたい訳じゃねぇだろ?」


 そう、彼がそんな殊勝な事を思うはずがない。

 二つ名の通り雷の魔術に精通し、若かりし頃はその閃電を以て立ちはだかる敵を焼き尽くした。否、敵だけではない。その縁者までも躊躇いなく、滅ぼしてみせた。

 勿論、そこには策謀がある。自らの守りなど考えず、ただ攻める為の策が。


「ふふっ……。敵わんな、『獣王』には」


 弱肉強食を旨とする国の長だからこそ出来た理解か。

 微笑むクラウスには、今まで事の成り行きをただ傍観していた者の姿は、もはや見受けられない。

 そこにあったのは、あらゆる敵を破壊し、屍の上に国を成り立たせた王の顔だ。


「単刀直入に言えば、私の考えは徹底抗戦……いや、殲滅の一択だ」


 だからこそ、その言葉を聞いても誰も驚きはしない。この男なら、そう言うと思っていた。


「500年前はこの地に、そして彼等の領土に種を残してしまったが、今度はそうはいかない。二度と芽吹かぬよう、全てを根絶やしにする」


 眼前に並ぶ敵だけでなく、その種までも完全に摘み取る事で争いを根本からなくす。

 それが平和に繋がると信じている、この男なら。


「だが、そうは言ったところで、こっちからは手出し出来ねぇだろ……。連中が魔力溜まりを通ってやってくる以上、それがいつ何処で開くのかは分かってるんだろうが、こっちは全く分からない……。相手方だけが好き勝手こっちに来れる状態で、一体どうやってこっちから攻めるつもりだ……?」

「それについての策はある。直ぐに実行出来る訳ではないが……如何に荘厳な曲でも、引き手が揃わなければただの雑音だ。策が整うまでは、こちらの手駒を揃える期間としよう」


 その策が一体何なのかは気になるが、形だけの同盟相手に素直に教えるはずもない。仕方なく、エーノシスはこれ以上の追及は控えた。

 他の者も同じなのか、尋ねる者はいない。そして、誰も口を開かない事を確認すると、クラウスは言葉を続ける。


「そこで貴公等には、我が軍と共に―――」

「「「「断る」」」」


 全てを言い切る前に、4人の王達は一斉にその言葉を遮る。

 気怠げだったり無関心だったりと様々だったが、今の彼等は皆一様に怒りを抱いていた。


「図に乗るなよ、人間風情が。妾達から散々搾取してきた分際で、何故今更我等が手を貸さねばならん」

「楽しい戦になるなら参加してやるけどよ、テメェ等とは楽しめそうにねぇな」

「そもそもウチに被害さえなければ、魔族に興味はない……」

「同意。現状、被害は貴公等の領土に留まっている。ならばそれは、人間と魔族間の小競り合いだ。私が手を貸す謂れはない」


 彼等は知っている。人間が持つとされる七つの罪、その悍ましさを。

 憤怒、怠惰、強欲、暴食、嫉妬、色欲、傲慢。これらを持つ人間は、何の躊躇もなく秘術に手を出し、簡単に手に入らなければ奪い、いずれは自分こそが真の所有者だと謳う。

 大戦が終わってから、人間は技術交換という名目で、他種族の技術の略奪を繰り返してきた。こればかりは過去の事とはいえ、見過ごす訳にはいかない。


「やれやれ、仮に我が国が敗れれば、次は自分の番。ならば、今の内に総力を以て殲滅せんとは思わないのか?」

「ぬかせ、小僧。そのような怯弱きょうじゃくな思い、微塵も持ち合わせていないであろう? 何せ、神徒イクシードどころか、神滅騎装ロンギヌスの使い手……神滅徒アトゥア・イクシードまで囲っているのだからな」


 苦渋を飲まされてきたのなら、仮初めでも4ヶ国の力を結集させればいい。そう思っても出来ないのは、ひとえに神徒の存在だ。

 あれは、魔術とはまた別種の力。この世界に満ちる各属性の力を振るう魔術とは違い、神威騎装デウス・マキナの力はこの世界の根本に関わる力だ。

 例えば《司教の氷刃アルマッス》。あれは敵対者の生命の源である魔力を喰らい、持ち主を生かす。その力の前では、大抵の魔術師は無力に散る事になる。

 そこに神滅騎装が最低一つでも加わりもすれば、例え帝国を除いた各国が挑もうと、返り討ちに遭うのは目に見えている。だが、それは逆に言えば、一つでも手元にあれば国を滅ぼすのに事足りるという事だ。


「大戦に終幕を下ろした存在、神滅徒……。その殆どが手の内にあるのだ。恐れるものなど何もなかろう?」

「いやいや、大層な肩書きを得ても、元は人間。何が起こるかは分からんよ」

「白々しい事をぬかしおる」


 確かに使い手次第ではあるのだろうが、足りない技量を埋めるだけの力を、神滅騎装は有している。

 それで敵を撃破出来ないとなれば、よほどの馬鹿としか言い様がない。


「じゃが、その神殺しの力……内一つは大戦以降姿を消し、もう一つは罪人が持っておるそうではないか」


 ピタリ……と一瞬だが、確実にクラウスの身体が膠着する。

 とても老人とは思えない鋭い目で、静かに睨み付けてくるが、それをセレスティアは微笑で返した。


「あん? 何の話だ、セレスティア」

「相変わらず戦の事ばかりで、獣は世事に疎いな……。そのくらい、海の中に住む俺でも知ってるぞ……」

「簡単に言えば、何十年も前に消失したはずの神滅騎装に適合した者がおるという話だ。しかも、そやつはこの国を相手に喧嘩を売っているらしい」

「そいつって事は……まさか一人でか!? 面白ぇ! そんな熱い奴が、このご時世にいるとは思わなかったぜ!」


 神滅徒にとって、国一つを滅ぼすなど容易い事。だが、それは並みの国家の話。

 相手取るは、世界の約半分を収める大国。それも、同じ神滅徒を複数抱えているのだ。無謀と思わない方がおかしい。

 だが、件の人物はその無謀をやってのけようとしている。獣人の中でも特に好戦的な事で有名な獅子族であるレグルスにとってそれは、何にも勝るご馳走だろう。

 一方で、興奮する獅子とは逆に、クラウスとセレスティアの睨み合いは続いていた。


「……耳が早いな」

「その者の武功の数々は、妾の耳にも届いておる。確か、『黒切』だったか? いやはや、いくら神滅騎装の使い手とはいえ、たった一人の人間が国に挑むとは……。中々面白いではないか」


 そこまで言ったセレスティアは、何かを察したように『あぁ』と声を上げ、


「もしや妾達に助力を願うのは、そういう事かえ? 『黒切』によって、有する戦力を削られたから。お笑いじゃの、神の力を信奉する者が、神を滅ぼす力の前に屈するなど」

「ふん。卑しい鼠がいくら叫んだところで、天上に住まう我等には届かんさ」

「ならば、早々に捕まえてみせるがいい。このままでは、貴様の大好きな帝国の威信に関わるぞ?」


 小馬鹿にしたように笑うセレスティアに対し、クラウスは何も返さない。

 それを好機と見たのか、更に彼女は言葉を紡いだ。


「じゃが、そうなると妙じゃのう。自身の手の内にあり、同時に敵対しているが故、神滅騎装の力は其方がよく知っているはずであろう。であれば、何故今更妾達に助力を願う?」


 先程のような言い訳はもう通用しない。

 内に抱えるものと、外にあるもの。特に後者によって、帝国は神滅騎装の力を身を以て知っているはず。

 ならばやはり、態々余所の勢力の手を借りる必要はないだろう。


「もう一度問う。其方、何を企んでおる?」


 瞳を鋭く光らせ、恐ろしく冷たい声音で尋ねるセレスティア。

 だが、対するクラウスは今までの冷たい表情を急に消し去り、年相応の穏やかな顔になると、


「確実な勝利と徹底的な殲滅、それしか考えておらんが?」

「……今はそういう事にしておくかのう。それに、仮に其方等が何を企んでいようと、やる事は決まっておる。完膚無きまでに潰せば良いだけだ」


 これ以上追求したところで、この狸親父は何も語らないだろう。寧ろ、下手に勿体ぶった後に、嘘の情報を吐かれても面倒だ。

 もっとも、彼女はクラウスが真意を語るのを素直に待つつもりは毛頭ない。人間彼等がしてきたように、力づくでその真意を暴けばいいだけ。

 それに、仮に最後まで分からず仕舞いでも、その最後の時に返り討ちにしてしまえば済む事だ。


「結構。この話題は終いだ。次の議題に移るぞ」

「つっても、それぞれの領土の問題とその解決方法なんていう、毎度代わり映えしない内容だけどな……」


 アトゥムスとエーノシスの仲裁で、一応この場は収束する。

 その後は当たり障りのない議題が続き、何事もなく……とは言い難いが、今回の五界王会議は終結した。






 各王達が帰路に就いた夕暮れ。

 窓から差し込む月明かりによって照らされた長い廊下を、クラウスは護衛も付けず一人で歩いていた。

 例え侵入者に襲われようと返り討ちにするだけの力を彼は有している。だが、今はただ考えたい事があり、護衛を下げていた。

 そんな物思いに耽る皇帝に、横から気軽に声を掛ける者がいた。


「父上」

「……おぉ、ヴィンセント。来ていたのか」


 クラウスが着ているローブより明るい、紅を基調とした礼服に包んだ、紫色の瞳を持つ二十歳ほどの金髪の青年。

 見る者を魅了する涼やかな笑みと、優雅な立ち振る舞いは、物語に出てくる王子のよう。だが、彼に対して態々『物語に出てくる』などと付ける必要はない。

 彼―――ヴィンセント・ジュリウス・アルヴァトールは皇帝クラウスの嫡男、つまりは正真正銘の皇子なのだから。


「今回の五界王会議はどうでしたか」

「望み通りとはいかなかったが、予想通りといったところだ」


 いきなり国政の話題とは、とても親子の会話とは思えないが、彼等にとってはこれが普通だ。

 別に、ヴィンセントを政治の道具としか見ていない訳ではない。寧ろ、その逆だ。

 まだ若輩ながらも彼は世界の現状を理解し、時には父に助言さえもする。それに助けられた事は一度や二度ではない。つまりこれは、信頼しているが故の会話である。


「やはり、協力は得られませんでしたか」

「外で暴れているやつの所為で、最高戦力である神滅徒の力を一旦とは知られているのが仇となったな。それで助力を乞えば、当然怪しまれる」

「加えて、まだ魔族の活発化を証明するには弱過ぎる……。まだ先は長そうですね」

「問題ない。どれだけ時間が掛かろうと、最良の結果さえ得られれば全て帳消しになる」

「東洋で言うところの、『終わり良ければ総て良し』ですか」


 けんもほろろに提案を却下されたクラウスだが、その顔に焦燥の色はない。自分を含めたあの5人の人間関係は十分に分かっている為、断られる事は最初から分かっていたのだ。

 それでも敢えて議題に挙げたのは、陽動の意味合いが強い。魔族という存在と、強国であるにも拘わらず手助けを求めるという不自然さを与える事で、から注意を逸らす。

 セレスティアを始め、全員があの提案には裏があると踏んでいたが、それすらも間違い。確かに裏があるにはあるが、それは目下最優先すべき目的とはまた別のものだ。


「ところで、今仰った外で暴れている者というのは、もしや……」

「あぁ、『黒切』の事だ」

「やはりそうですか」


 その返答は、ヴィンセントも予想していたものだ。

 自国のあちこちで騒動を起こすその者の噂は、彼の耳にも確かに届いている。ならば、各国の王が知っているのも当然だろう。


「そちらも、厄介な悩みの種ですね」

「貴族殺しの程度なら問題はない。そんなもの、直ぐに首を挿げ替えればいいだけだ。問題なのは―――」

「父上、誰が聞いているかも分かりませんので」

「む、すまない。だが、口にしないとどうにも苛立ちが収まらなくてな」


 息子に指摘され、口を閉じるクラウス。いくら自分の城であっても、何処で間者が聞き耳を立てているか分かったものではない。

 己が掲げる目的、そしてその鍵となるものは、まだヴィンセント以外に知られる訳にはいかないのだ。


「それで、これだけ話題に上がっているのだ。また奴が暴れたのだろ?」

「はい。ここから南東の地、ウルド・ベストリス様が治める土地であるキスク村に現れたそうです」

「あの動物狂いか……。それで被害は?」

「ウルド様に『氷葬』のゾルガ様、そして兵士約100名が死亡。そして、村に住む少女が一人攫われたとの事です」

「誘拐だと? これまで奴は一度も民を攫った事はないはずだが……何故そのような事を?」


 こればかりは本人のみが知る事なので、ヴィンセントは『さぁ』と答えるしかない。

 クラウスもしばらく思案したが、答えは出せなかった。


「それは置いておくとして……ヴィンセント。いや、『再来の軍神』よ。お前ならこれからどう動く?」

「その名はお止めください、父上。私如きが『軍神』を名乗るなど、おこがましいです」


 『軍神』。それは、アルヴァトール帝国初代皇帝に付けられた異名だ。

 当時は魔族が世界中に蔓延はびこる戦乱の時代。彼は世界で最初の神滅徒であり、その力は絶大。類まれなる戦闘力と至高の神滅騎装を以て魔族を蹴散らし、文字通り一騎当千の力を発揮していたそうだ。

 また、彼は武力だけでなく策謀にも長けていた。例え絶体絶命の状況であろうと、必ず穴を見付け、多くの戦士の命を救うばかりか逆転劇みせたらしい。1万もの大軍相手取る事になった際、此方は圧倒的に少ない千人の軍勢であったにも拘らず、策を弄して敵を翻弄し、本陣を強襲する事で見事勝利を収めた『フィンヴェルト平原の戦い』は今でも語り継がれている。恐らく彼がいなければ、今の帝国は存在しなかっただろう。

 そして、ヴィンセントにもその才覚はある。病を患った事で前線からは身を引いているが、叡智だけは今も冴え渡り、小国との小競り合いが起こった際は、彼の策によって圧倒的な勝利を帝国にもたらしている。


「謙遜するな。お前は、初代に恥じぬだけの力を持っている。この『雷帝』が保証しよう」


 呵々と笑いながら息子の肩を叩き、クラウスは称賛する。

 この時ばかりは皇帝と皇子ではなく、親子としての姿がそこにはあった。


「まぁ、今後の事はまた後で話すとして、お前の用件は何だ? まさか、ただ私を迎えに来た訳ではないだろう」

「私にも父親を気遣う気持ちはあるのですが?」


 珍しい父の軽口に苦笑を漏らしつつ、ヴィンセントは言葉を続けた。


「お伝えする事は2つ。まず1つ目は、エリアス連邦内の小国ぺネムを外交で訪れていたミリアーナが、間もなく戻ります」

「ほう、ようやくか。やれやれ、あののお転婆ぶりにも困ったものだ」


 やれやれ、と頭を横に振るクラウスの表情は、およそ娘に対して向けるものではない。

 まるで目の前を蠅が飛んでいるかのように、鬱陶しくてしょうがないという苦々しい表情だ。


「あれはお転婆というより、この国を思っての事だと思いますが……」

「分かっている。だが、所詮は理想。現実を前に脆く崩れ去るのが目に見えている。もういい歳だというのに……夢見がちな子供には困ったものだよ」

「その割には、好きにさせているようですが」

「社会勉強だよ。いざ国政に関わるとなって、世界情勢を何も知らないままでは困るからな」


 愛情がない訳ではないが、世界を知らなさ過ぎる。理想だけでは何も変えられない。

 それを知らずに動き回る様は、家族としては問題ないが、政治家として邪魔者でしかない。

 再び苛立ちが募り始め、クラウスは早々に話題転換を求めた。


「それで、2つ目は何だ」

「はい。マローナ地方を根城にしていた革命軍レジスタンス討伐の為、遠征に出ていた『紅翼騎士団ロートリッター』も間もなく帰還するとの報告がありました。そして調べたところその帰路が、2つ考えられる『黒切』の逃走ルートの一つと重なっていました」


 『紅翼騎士団』。その名を聞いたクラウスの動きが、ピタリと止まる。


「……重なる地点は?」

「件の村より北西に10キロ、帝国第5陸軍軍団長ゴルティア様が治める街、クロケットです。ちなみにもう一つのルートは南の方角ですが、其方ですとラザレア公国に向かう事になります」


 セレスティアを見れば分かる通り、エルフは選民思想が強く、人間も獣の一種としか思っていない。

 勿論、そんな因習に捕らわれたエルフばかりという訳ではない。だが、自らを絶対と信じて疑わないセレスティアがいる以上、あの国に人間が入国するのは簡単な事ではない。

 であれば、必然的に逃走ルートは一つに絞られる。


「遠征部隊という事は、その中には」

「はい。がいます」

「……直ぐに通信用の魔石で、遠征部隊に通信を繋げろ」

「畏まりました」


 皇帝の命を受け、恭しく礼をした後ヴィンセントはその場を去る。

 後に残されたのはクラウスのみ。彼は窓の方を向き、そこから見える月を眺めながら、ある名前とこの先の未来に思いを馳せた。


「『戦乙女』。戦士の御霊みたまを運ぶ天女は、死神の魂も運べるか」

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