第19話 その手に掴め、幸福を

「ッ……ん」


 小さな呻き声と共に意識を覚醒させたカイトは、ゆっくりと瞼を開ける。

 その目が最初に捉えたのは、何処か赴きを感じさせる板張りの天井だ。


「知らない天井……でもないか」


 最初は寝起きでぼんやりとしかその目には映らなかったが、数秒経つとはっきり見えてくる。

 見覚えがあって当然、此処は宿屋『恵みの風』の客室の一つだ。

 自分の足で此処まで来た覚えはないので、恐らく意識を失った後、村の人々の手で運ばれたのだろう。僅かに痛む身体を起こし、見回してみると、隅には彼の荷物も置かれていた。


(目が覚めたら鉄格子も有り得ると思ったんだけどな……。どんだけ此処の連中はお人好しなんだよ)


 自分が貴族殺しの、延いては国に仇名す大罪人だという事は、既に彼等も知っているはず。

 余計な面倒事を避けるなら、気絶している間に軍に引き渡した方が得策だっただろうに。こうして匿うとは、お人好しなのか、それとも単に馬鹿なだけなのか。

 信頼関係というものを全否定するカイトからすれば、よく分からない感性だ。


「まぁ、それはそれとして……なぁんでコイツは此処で寝てんだ? しかも、手なんか握ってるし」


 そこでようやく、カイトは起きてからずっと感じていた右手の違和感について触れた。

 違和感とはいったが、その原因は既に分かっている。部屋を見回した時から、チラチラと視界に入ってきた金髪と、その上に乗ったベレー帽。この2つが揃った知り合いは、今のところ一人しかいない。

 フェリス・ルスキニア。ハーフエルフの特徴である長い耳を帽子で隠した少女は、カイトの手を握り、ベッドに突っ伏した状態で眠っていた。


「なんつーか……あんだけの事があったってのに、幸せそうな寝顔だな」


 口角が緩やかな曲線を描いているので、よほど良い夢を見ているのだろう。加えて、口の端から涎を垂らしている姿からはデジャヴを感じた。

 だが、同じように見えて、全く同じではない。あの時と現在とでは、明らかに今の方が幸せそうに見える。


「……ったく、呑気な奴」


 あまりにも無防備なその姿は、これから先の心配など微塵もしていないように思える。不遇な扱いを強いてきた元凶を始末したというだけで、まだ根本的な解決には至っていないという事を、彼女は分かっているのだろうか。 

 絶対に分かっていないなと思うと、つい無防備の寝顔を崩してみたくなった。ニヤリと口角を歪めたカイトは、彼女の額にデコピンを叩き込んだ。


「ほれ、いい加減辛い現実に戻ってこいっての」

「いつッ!? ……って、か、カイトさん!」


 突然額に鈍い痛みが走った事で、目を覚ますフェリス。

 そして今まで眠っていたカイトが起きているのを見ると、彼によって安眠を妨げられた事も忘れ、勢いよく身体を起こした。


「良かった、起きたんですね! 何処か痛むところはありませんか! 肩揉みましょうか! あ、それかお腹空いてませんか! 焼きそばパン買ってきますよ!」

「あー、起きた起きた。ウザいマシンガントークでもうバッチリだよ。っつか、焼きそばパンって……お前、いつから俺のパシリになった?」


 寝起きだというのに、そんな事を微塵も感じさせない言葉の連続。

 これには流石のカイトも辟易した様子で、思わず顔を逸らした。


「まぁ、取り敢えず離れろ。そして直ぐにこの手を離せ」

「手って……わぁああ!? す、すいません!」


 指摘を受けたフェリスが自分の手元を見ると、それはカイトの手を強く握り締めていた。

 それが分かった直後、ボンッ! と顔を真っ赤にして慌てて放した。どうやら、全く無意識の内に握っていたらしい。


「あと涎も拭けよ」

「ちょ!? そ、そっちを先に言ってくださいよ!?」


 そこへ更なる追撃。男の手を握っていただけでも恥ずかしいのに、無防備に涎を垂らしている姿を見られたなど、もはや布団の中に潜り込んでしまいたいほどだ。

 何より、見られた相手はカイト。人を弄る事を生き甲斐にしているのかと思えるほどの人物であると同時、憧れの的だった『黒切』の正体。

 また弄られるネタを与えてしまった事、憧憬どうけいの人物に羞恥の姿を見られてしまった事に、フェリスは頭を抱えるのだった。


「ところで、俺はどのくらい寝てたんだ?」

「ふぁい!? え、え~とですね……! ま、丸一日ですね、今は丁度お昼です!」

「そっか、一日か……。意外と短かったな、今回は」


 挙動不審なフェリスの様子など気にも留めず、カイトは淡泊に返す。

 実は今回のように意識を失った事は、一度や二度ではない。しかも酷い時は、宿屋で5日間眠り続けたほど。従業員も、『もしかして死んでいるのでは』と不安になっていたそうだ。そんな過去の事を考えると、一日というのはかなり短い方だ。

 だが、そんな事は露とも知らないフェリス達からすれば、気が気ではなかったらしい。


「でも、良かった……。本当に心配したんですよ。もう二度と起きないんじゃないかって」

「ははッ! 寧ろ、その方が良かったんじゃねぇの? 俺に渡すはずだった報酬が、そっくりそのまま自分達の懐に戻る訳だし。あー、それか俺の身柄を軍に渡しても、懸賞金が貰えたはずだぞ?」

「そんな恩を仇で返すような真似する訳ないじゃないですか!?」

「えー、俺ならするけどなー。罪人のくせに人を信じて厚意に甘えた方が馬鹿なんだし、自業自得じゃん?」

「正論! 正論なんですけど、何か納得出来ない!」


 フェリス、そして村人達としては大恩人を捕えるなんて事はしたくなかった。

 だが、確かに彼の言う通り相手は罪人。見付けたら速攻で通報するのが普通だ。

 それを罪人本人に指摘されるのは何とも妙な気分であり、同時に素直に首を縦に振る気にはなれなかった。


「まぁ、でも流石にまだ牢屋暮らしは御免だからな。こうして匿ってくれた事には、感謝してるぜ」

「……やっぱり、間違いないんですね。カイトさんが、あの『黒切』で」

「そんな風に呼ばれてるなんて、一昨日初めて知ったけどな」


 フェリスの問いに、あっさりと肯定してみせるカイト。自らを罪人と名乗る事もあってか、未だ現実感が沸かない。

 それでも目の前にいる少年が、自分の憧れであり、人々の希望とされる『黒切』だというのは間違いなく事実だ。それを納得するだけの確証を、彼女は見て、聞いていた。

 天地すらも容易く切り裂く、彼の力を。

 この腐った国を滅ぼすという、彼の言葉を。

 そんなカイトに対して抱いた印象は、奈落の如き闇でありながら、淀みなく磨き抜かれた黒。それを見せ付けられて、疑う事など出来るはずもない。


「……おい、何か視線が鬱陶しいんだけど? この間の宣言通り、新しく穴2つ開けてやろうか?」


 もっとも、2本の指を突き出して今にも目潰しをしようとする気怠げな姿を見てしまうと、疑うのも仕方ないが。


「いえ、目潰しは結構です!」

「目じゃねぇよ。微妙な大きさでお悩みのその胸、風穴開けるレベルで潰して完全に希望を奪ってやる」

「死ぬ覚悟は出来ていますか?」

「唐突な形勢逆転!? って、待て! その不吉な人差し指をこっちに向けるな! 直ぐに下せ!?」


 やはり胸の話題は、フェリスにとっては禁句だったらしい。

 シリアスな空気など一瞬霧散した。無表情で指先に魔力を込め、今にも撃ち出そうとする姿からは、恐怖しか感じない。平身低頭して謝る事で何とか事なきを得たが、正直生きた心地がしなかった。

 もっとも、それで弄るのを止めるつもりは毛頭ないが。


「ンで、何で人の顔ジロジロ見てたんだよ。憧れてた人間が、こんな薄汚い傭兵でガッカリしたか?」

「そ、そんな事ないですよ!? 寧ろ、ウルドに啖呵切ってた時とか……ちょっとカッコよかったし……」

「あん?」

「いえ! 何でもないです!」


 慌てて否定の声を上げたが、その所為で思い出してしまった。

 先日のウルドへの、否。この世界に向けた彼の宣戦布告を。


『―――ふざけた天使の羽を捥ぎ取って、天上から引き摺り下ろしてやるんだからよ』


 狂気を孕みながら、それでいて揺るぎない芯を感じさせる力強い言葉。

 だが、フェリスが見てきた彼の言動を思い返すと、何を思ってそのような事をしようとしているのか分からなくなる。


「ガッカリとかじゃなくて、ただちょっと気になったんです。サービス残業はお断りなんて言って、仕事以外に興味がなさそうだったのに、何で……」

「この国を滅ぼうそうとしてるのか?」

「はい……。ホワイトウルフの素材を置いていってくれたり、ただ自分の利益だけを考えてる訳じゃないのは分かります。でも、国盗りなんて、一昨日までのカイトさんの言葉からは全然想像がつかなくて……」

「ま、確かにトンでもない厄介事だからな。そう思うのは当然か」


 アルヴァトール帝国は、嘗ての魔族との大戦で勝利した事を期に発展した大国家。だが、年月が経つにつれ身分階級の差が大きく表れ、フェリス達のように王侯貴族達の"強欲の刃"を突き立てられる者は増加していった。

 故に、彼のやろうとしている国盗りは、多くの貴族達の屍の山を築くのと同時、多くの平民を救う事になる。

 だからこそ分からない。信頼という関係を信じず、全ての行動は自分の為と言い張る彼が、何故罪人に身を落としてまでそんな事をしようとするのか。


「別に苦しんでる人々の為とか、大それた理由なんか持っちゃいねぇよ。言っただろ、『俺の味方は俺だけ』だってな。つまり俺が国盗りなんてやってるのも、所詮俺の為でしかない」

「個人的な理由で、国と敵対してるって事ですか? 一体、その理由って……」

「そこまで教えてやる義理はねぇよ」


 確かに、カイトとフェリスの付き合いは、本来なら依頼が完了した時点で終わるはずだったものだ。

 今回は偶然その期間が伸びただけに過ぎず、彼のやろうとしている事を知る必要などない。


「けど、騎士、それも神徒イクシード相手に真正面から挑んだその勇気に敬意を評して教えるなら……。俺にとって国盗りは、俺の目的を叶える為のものだ」

「国盗りが、目的を叶える為のもの……? じゃあ、本当の狙いは別にあるって事ですか?」

「あぁ。それを成し遂げた時、俺の目的は達成される。あの日見た夢を、現実に出来る……!」


 その瞳に宿るのは、彼に抱いた印象と同じ、純黒の輝き。

 禍々しくも美しいその凶暴な光に、思わず気圧されそうになるフェリス。だが、その理由に納得する事は出来ても、快く賛同する事は出来なかった。


「でも、ハッキリ言って無謀です。たった一人で国盗りをやる事もそうですけど、今のやり方も……」

「貴族殺しの事か? たかが皇帝の手足相手に、俺がやられるとでも―――」

「手足を取る前に、自分で自分の首を絞めてたんじゃ意味がないと思いますけど?」


 フェリスの言葉に、流暢に紡がれていたカイトの言葉が止まる。

 だが、直ぐにその口角は自嘲気味に吊り上がった。


「流石に魔術師のお前なら分かるか。俺がぶっ倒れた原因は」

「はい。原因は、魔力欠乏症ですね」


 それは、魔術師を始めとした魔力を扱う者が必ず通る道。

 全ての生物は生まれた時から生命維持の為に一定以上の魔力を有している。だが、魔術などの使用でそれを消費し、一定量を下回ってしまうと生命活動に支障をきたしてしまう。それが魔力欠乏症だ。

 そしてカイトが有する魔力量は、フェリス並みの魔術師を100とすれば、凡そ10程度。本来なら、魔力消費量が最も少ないとされる身体強化を、一時間使うので精一杯の量だ。


「カイトさんの神滅騎装ロンギヌス―――《天叢雲剣あまのむらくも》の魔力の流れを見てたから分かります。あれは、発動させた瞬間から持ち主の魔力を吸い続けてるんですね?」

「ザーッツライト。コイツには、持ち主の主義思想、善悪好悪なんざ関係ない。無差別にこの世の全てをぶった切るからな。そんだけの力を維持するには、トンでもない量の魔力が必要になるのさ」


 神剣を折った伝承においても、水神の8つの尾の内の一本に隠された状態であり、誰も天叢雲剣を握ってはいなかった。

 つまり、この剣に使い手の有無など関係ない。ただ魔力さえ得られれば、この世の万物を斬り伏せる。


「常に魔力を吸われてる上に、身体強化での魔力消費。……それに、ウルドの馬車を斬った時、吸われてる魔力量が大きく跳ね上がりましたよね」

「へぇ、そこまで分かるか。そう、距離を始めとした概念みたいなこの世界と強く結びついてるものだと、そう簡単にズバズバ切れる訳じゃなくてな。その時だけ、大幅に魔力を消費するんだ。ったく、トンだ大飯くらいだよ」


 距離や重力といったものは、この世界を維持するのに必要不可欠な概念だ。故に、いくら万物切断の力とはいえ、それらを簡単に斬る事は出来ない。下手をすればこの世界の根底を破壊してしまうようなものを斬るとなると、やはり膨大な魔力が必要になるのだ。

 だが、カイトの魔力量は身体強化だけで潰えてしまうほど微々たるもの。であれば、《天叢雲剣》を使えば魔力欠乏症になるのも必然だ。


「……カイトさん自身が持つ力である以上、私は何も言えません。でも、出来るなら、これ以上それを使ってほしくはないです」

「ふーん、そりゃまた何で?」

「貴方みたいに魔力操作に長けてる人が、知らないはずないでしょう? 魔力欠乏症なんて、魔術を扱う人間なら誰でも通る道だから軽く見られがち……。でも、短い期間で繰り返しこれが起これば、死に至る事もあるって!」


 そこでカイトは気付いた。目の前の少女が、涙を流している事に。

 人間は魔力を消費しても、少し休息を取りさえすれば回復し、魔力欠乏症も治る。だが、これには筋肉痛が起こった際の超回復のようなメリットはない。

 では仮に、生命維持に支障をきたすレベルの魔力増減が、1日に1回のレベルで起こればどうなるか。急激な変化に肉体機能は付いていけず、いずれを迎えるのは目に見えている。

 確かに、彼自身もその可能性については理解している。それを覚悟した上で、《天叢雲剣》を使っているのだから、反対しようが無視を決め込めばいいと考えていた。だが、まさか会って間もない人間が自分の為に泣くとは思わなかった。


「カイトさんが何を抱えていて、どんな思いで帝国と敵対してるのかは知りません。でも、こんな自分の命を捨てるようなやり方……」

「死なねぇよ、俺は」


 涙を流すフェリスに対して、何とも軽い調子でカイトは返す。

 その表情には、あらゆる理不尽を嘲笑い、同時に自身に満ちたものだった。


「俺の前にあるのはふざけた帝国天使、後ろにあるのは骸の山……。俺が見るこの世界は、いつだって地獄と変わらねぇ。そんな世界で生きていくのに、プライドなんて邪魔なだけだ」


 弱肉強食の中で、驕り昂ぶり、人を見下す事で何か得られるものはあるか。答えはノー。より強大な者に捕食されるだけだ。

 ならば、プライドなど必要ない。過大評価も過小評価もせず、ただ現実と向き合い、戦えばいい。


「このクソッタレの現実を理解して、夢想家で終わるつもりはない。誰に蔑まれようが醜く足掻いて、立ち塞がる奴は全部斬り伏せて、生きてやるよ。―――あの夢を現実にする為に」


 大罪に塗れた傭兵が抱く、揺るぎない反逆の意志。

 それを告げた後、今までの暗い雰囲気を消し、カイトは再びベッドに身を沈めた。


「それより。もう少し横になりたいから、いい加減出てくれよ。

「へ? 外の連中って……」


 何の事を言っているのか分からず、首を傾げるフェリス。

 その反応を見たカイトは面倒臭そうにベッドから起き上がり、扉の前まで移動する。そして、何の前触れもなく、バンッ! といきなり扉を開け放った。


「わぁああぁぁぁああああッ!?」


 直後、大勢の人間が室内になだれ込んでくる。どれもこれも見覚えのある顔。

 それも当然。野次馬根性丸出しで2人の会話に聞き耳を立てていたのは、キスク村の住人達だ。

 てっきり時間的に全員仕事に出ていると思っていたので、彼等が此処にいる事にフェリスは驚いた。


「み、皆!? 何やってるの!?」

「いやー、若い男女が個室で二人っきりって聞いたから、つい気になってさぁ」

「くそ、だから押すなって言ったろうが! 折角美女と罪人の禁断の愛が見れると思ったのに!」

「やーね、これだから男は。人の恋路を覗こうなんて、本当デリカシーってものがないんだから」

「おい、此処にいる時点で全然説得力ねぇぞ!?」


 最初こそそれは喧騒だったが、次第に笑い声の交じる乱痴気騒ぎへと変わっていく。

 誰かが酒を持ち込んだからか、誰かが裸踊りを始めたからか。何が切っ掛けとなったのかは、もはや分からない。見舞いや野次を飛ばしにきた事も忘れ、彼等はただ騒ぎ続けた。


「ったく、騒がしい連中だ」

「あはは……確かに」


 病人の前だという事も忘れて騒ぐ人々に、カイトはやれやれと肩を竦める。

 こればかりは言い返す事は出来ず、フェリスも苦笑いを浮かべた。


「でも、私はこうして笑い合ってる皆を見てるのが好きです。だから、この光景をまた見せてくれたカイトさんには、感謝してもしきれません」

「いや……だからそれは、俺のエゴでしかないって」

「エゴでも何でも、改めて言わせてください。本当にありがとうございました」

「や、止めろよ。ほら、頭上げろって」


 真正面から感謝の言葉を告げられたカイトは、気恥ずかしそうに顔を背ける。

 以前フェリスが挙げた『黒切』の武勇伝は、如何にも彼を救国の戦士のように取り扱っているが、その場にいた人々の反応はとても彼を讃えるようなものではなかった。其処にあったのは、人智を超えた力と、罪人である彼に対する恐怖のみ。

 それが普通だと思ってきたカイトには、この反応は何とも新鮮で、同時に歯痒いものだった。


「あれヤバい。何か蕁麻疹出てきたかも……」

「何で!? ……コホン。それはそれとして、一つ約束してください」

「約束……?」

「はい。カイトさんの目的が叶った後、必ず生きてまた此処に来るって」

「あ? 何だそりゃ?」

「カイトさん、言ってましたよね? 『死ぬ前にもう一度くらい来ても良いかも』って。だったら来てください。私だけじゃなくて、皆だってまだまだカイトさんにお礼を言い足りないんですから」


 だから、とフェリスは一度言葉を区切り、


「―――絶対に死なないでください。貴方の夢が実現した、その後も」


 思わず頷いてしまうほどの力強さを感じさせながら、そう願った。

 そういう強い想いを持つ者を相手にすると、流石のカイトも真っ向から拒否する事は出来ない。


「……ま、考えといてやるよ」


 そのままでいてくれと願った、その純粋な瞳。

 地獄のような世界で輝く小さな希望に、カイトは小さく笑みを零した。






 翌日。

 カイトとしては目が覚めたその日の内に村を出るつもりだったのだが、村人達の厚意というか、強引な宴会への誘いによって留まる羽目になった。

 そして今は、二日酔いで痛む頭を抱えながら、自分が破壊した門の前に来ている訳だが。


「何だ何だ、今日は祭りか何かだったか?」


 本気で分からないといった様子のカイトの前には、キスク村に住む人間ほぼ全員が集まっていた。

 ポカンと間抜け面を晒していると、フェリスが彼の前にやってきた。


「違いますよ。皆カイトさんを見送る為に集まったんです」

「はぁ? たった一人の為にこんなに集まるとか、揃いも揃って暇人ばっかかよ」

「もう貴方って人は……。素直に喜べないんですか?」

「いやいや、もう十分素直だっての」


 よもや、消えた方が世の為になるはずの罪人相手に、ここまでするとは思わなかった。

 軽口を叩いていると、彼等を代表したジュラが前に出てきた。


「傭兵様、今回は本当にお世話になりました」

「おいおい、こんな薄汚い傭兵、いや……大罪人相手に頭なんて下げるなよ。アンタの頭はそんなに安くねぇだろ?」

「何を仰いますか! 罪人であっても、貴方はこの村を救ってくれた英雄です。寧ろ、こうして頭を下げる事でしか感謝の気持ちを表せないのが申し訳ないくらいです」

「感謝してるってなら、尚の事止めてくれ。むず痒くてしょうがねぇ」


 昨日のフェリスの時もそうだが、やはりこういうのは慣れない。

 彼等の為ではないと公言している分、余計に気恥ずかしくなってしまう。


「っつか、何度も言うけど、俺は村を救ったつもりはこれっぽっちもねぇよ。俺が助けたのは、あくまでアンタ等だ。今はトップが死んで、スタートラインに立っただけ。これからの村の未来は、アンタ等次第だ」

「分かってます。近い内に新しい領主が来ると思いますけど、またウルドみたいな人でも、私達はもう屈しません。皆の力を合わせて、抗ってみせます」

「ハッ! そいつが口先だけにならない事を、精々祈っててやるよ」


 こうして毅然きぜんとした態度で断言出来る以上、もう心配はいらないだろう。

 ここから先に、罪人の出番はない。例え、悪い方向に傾いても、彼女達自身で何とか出来るはずだ。


「んじゃ、俺はそろそろ……」

「おぉい! ちょっと待ってくれ!」


 これ以上留まる理由もないので、早々に出発しようとした矢先。遠くから聞こえてきた声で、その歩みは止められる。

 音源を見ると、集まっていなかった村人の一人が、慌てた様子で向かってくるところだった。どうやら、少し先の方まで様子を見に行っていた者らしい。


「はぁ、はぁ……。良かった、間に合ったか」

「どうしたのだ、そんなに息を荒げて」

「それが……かなりマズい事になった。どうやら『黒切』が出たって話を聞いた騎士達が、あちこちで検問を敷いてるらしい」

「えッ……!?」


 目の前にいる少年を捕まえる為に包囲網が張られたという事実に、フェリスは驚きの声を上げる。

 だが、標的となっているカイト当人からずれば、その程度は驚くほどの事ではない。元々予想はしていたし、ウルドを殺害してから1日経過しているので、寧ろ遅過ぎるくらいだ。


「何でも、一人で行動してる賊を徹底的にチェックして、少しでも不審に思ったら片っ端にしょっ引いてるそうだ」

「下手な鉄砲、数打ちゃ当たるってトコか。まぁ、俺って基本的に単独一人で動いてるし、効率的って言えば効率的だけどな」


 盗賊などは、直接的な行動を担当する班と周囲を警戒する班、いざという時の囮など、複数人で行動するのが基本だ。

 であれば、確かに単独で行動する不審者はかなり目立つ。不利な証拠が一つでも出れば、即座に捕まるだろう。


「でも、困りましたね。森の中を抜けるっていう手もありますけど、見つかったらアウトですし……」

「なぁに、そんな悩む事じゃねぇだろ。要は一人じゃなければ、疑いの目は多少逸らせる訳だ」


 そう言ったカイトはフェリスの背後に回り、むんずと彼女の襟首を掴むと、


「ってな訳で、コイツ貰うわ」

「へ……?」

『え……?』


 誰もがその言葉の意味を理解出来ず、思わず固まってしまう。

 その間にも、カイトは足下に魔力を集中。次の瞬間には、空気を蹴り、大空を駆け始めた。


「―――《禄存ろくそん》」

「え、ちょ、えぇぇえええぇぇぇぇええええええええええッ!!?」


 ぐん! といきなり空へと連れ出され、ただ絶叫を上げる事しか出来ないフェリス。

 眼下では突然彼女を誘拐したカイトへ、疑問や罵詈雑言を浴びせている光景が目に入るが、当の本人は完全にそれらを無視。更に速度を上げ、あっという間に彼等は視界から消えていった。


「……行っちまったか」

「結局、止められなかったねぇ」


 そんな中で、落ち着いている者が2人だけいた。

 フェリスの両親、ジーナとハインツである。そして彼等の脳裏に、昨晩のカイトとの会話が蘇ってきた。


 ………

 ……

 …


「明日、フェリスを誘うわ」


 宴会が終わり、人々が寝静まった頃。

 話があると呼び出されたジーナとハインツに告げられた、カイトの第一声はそれだった。


「悪いな、どうも最近耳が遠くなったみたいだ」

「もう一回言ってくれるかい……?」

「わ、分かった……。ちゃんと説明するから……! し、締まるぅ……!」


 当然、娘を誘拐すると言われて穏やかでいられるはずがない。彼の胸倉を掴んで持ち上げ、ドスの効いた声でその真意を尋ねる。

 100人もの騎士を殲滅してみせたカイトだが、そんなものは今の彼等の前では何の自慢にもならない。

 息も絶え絶えになりながら説得して、何とか解放してもらえたが、この時ばかりは本気で死を予感してしまった。


「それでだ。アンタ等さ、どいつもこいつも馬鹿みたいに喜んじゃいるが、これがずっと続けられると思ってんの?」

「? どういう事だ?」

「簡単な話。俺が領主を始末したって結果だけじゃなく、過程も見られたら不味いってこった」


 本気で分かっていなかったのか……、と彼等の危機意識の薄さに、カイトは溜め息を吐く。


「確かに始末したのは俺だ。けど、ホワイトウルフ貴族の持ち物に手を出した連中は誰だ? 俺以外で、貴族に襲い掛かった不届き者は誰だ? こうして大罪人を匿ってるのは誰だ?」

「それってつまり……下手すりゃ私達にも貴族殺しの事や、アンタを匿った事で罪に問われるって事かい?」

「あぁ。何もかも俺がやったって事に出来れば良かったけど、フェリスがあの豚に襲い掛かるところを見られてるからな。流石に無関係って言い張るのは無理だ」

「そんな横暴な……」

「横暴だろうがやる奴はやるさ。そういう連中を、アンタ等は見てきただろ?」


 理屈など彼等には通用しない。自分の思った通りに物事を進めようとし、叶わないのなら力づくで叶えようとする。どれだけの屍の山を築く事になろうと、彼等は笑って済ませる。

 実際に、ウルドという権威を振りかざす貴族の典型的な例を、2人は見てきた。その為、カイトのいう未来が容易に想像出来てしまい、押し黙るしかなかった。


「……でも、それが何でフェリスを誘拐する話に繋がるんだい?」

「同情を引く為だよ。要はフェリスやアンタ等が、自分から関わったって思われなきゃ良いからな。まぁ、今簡単に考えたシナリオだと……ある日、突然やってきた罪人の存在で村は恐怖のどん底。追い出そうにも、大事な大事な愛娘を人質に取られて手も足も出せない。そいつの気紛れで森を徘徊してたホワイトウルフを駆除してくれたのは有り難かったが、それは貴族の持ち物であり、怒り狂った領主は俺を殺そうとするが物の見事に返り討ち。娘も連れ去られ、村人達は悲しみに打ち拉がれる……ってところかね」


 細かいトコはこれから詰めていくけど、と付け足しながら、これが最善の手だろうとカイトは思う。

 一昨日の戦いの際、恐怖に慄いて逃げ出す騎士も何人かいた。彼等の上官にまでこの話が届けば、村人達の言い訳より、かなりの高確率でそちらを信じるだろう。

 ならば、その言い訳の中に真実を交ぜてしまえばいい。例え純度100%の嘘であっても、そこに真実という異物が混ざるだけで、他も全て嘘なのかと惑わす事くらいは出来る。そして迷う分だけ時間は経過し、その間に確たる証拠も消えていく。そうなってしまえば、本当の真実に辿り着くのは困難になる。


「……話は分かったけど、賛成は出来ないね」


 そこまで説明はしてみたが、ジーナ達が出した答えは反対だった。

 もっとも、こうなる事はカイトも分かってはいたが。


「まぁ、言うと思った。そりゃそうだよな。よく知りもしない男に、それも国に仇名す大罪人に娘を預けるなんて―――」

「そっちじゃない。アンタに罪を擦り付ける事にだよ」


 だが、彼等が反対した理由は、カイトが予想していたものとは全く違った。

 まさかの自分を心配する発言に、彼の目が点になる。


「……意味が分からねぇな。俺は罪に塗れて、見た目と同じく真っ黒け。そんな奴の罪が今更一つ二つ増えたって、アンタ等には関係ねぇだろ?」

「あぁ、確かに関係ない。でもな、だかこそだよ! そんな無関係の人間に罪を着せて、自分達だけ『良かった良かった』って笑える訳ないじゃねぇか!」


 それは、当たり前と言えば当たり前の事。だが、カイトには何故ハインツが自分の心配をしているのか、本気で分からなかった。

 自分が罪人であるのは、良い方をすれば自分の選んだ道、悪い言い方をすれば自業自得だ。そもそも罪とは犯罪を犯した者が背負うのだから、自分が認めている以上、それこそ他人には関係ないと思っていた。

 だからこそ、ここまで自分に踏み込んでくる相手に、カイトは思わず怯んでしまった。


「まぁ、取り敢えず、このままじゃ私達にも火の粉が降りかかるって事は分かったよ。だけど、それについては私達自身で何とかする。アンタが深く考える事はないよ」


 ジーナがそう締め括ると、彼等を部屋を後にする。

 残されたカイトは、何と言われようが論破してみせると意気込んでいた分、この結果に呆然とするしかなかった。


「……こんな薄汚い傭兵の事まで心配するとか、どんだけお人好しなんだか」


 信頼という曖昧なものを否定し、利用し合う関係だけを信じるカイト。前者が裏切りなどで脆く崩れ去ってしまう分、後者は利害が一致しての事なのでまだ信じられる。

 だからこそと思う。純粋に人の絆というものを信じ、希望を捨てない彼等を、


「傷付ける訳には、いかねぇよな」


 …

 ……

 ………


「そういう理由と、検問を無事に通る為に、お前を連れてきたって訳だ」


 時間は戻り、場所はキスク村から少し離れた森の中。

 流石にずっと《禄存》を使っていては騎士達に見付かる可能性もあり、ここからは歩いて移動する事になる。

 その前に何故このような真似をしたのか説明した訳だが、当のフェリスは空中歩行の恐怖から立ち直ったばかりで、それどころではなかった。


「そ、それならそうと事は最初に言ってください! あー、びっくりした!」

「バーカ、敵を騙すにはまず味方からって言うだろ? 下手に演技させるより、リアルな反応が欲しかったんだよ」

「確かに一理ありますけど……。まぁ、何を言っても無駄ですよね」


 短い期間でカイトの性格を多少理解したフェリスは、これ以上の論議は無駄だと悟った。

 そうなると、過去の事をいつまでも引き摺らず、未来に目を向けるべきだろう。


「それで、何日くらい私は誘拐されてればいいんですか?」

「誘拐されてればいいって、初めて聞いたな……。そうだな、長くて五ヶ月、短くても三ヶ月ってトコか」

「三ヶ月ですか……。結構長いですね」

「そうか? 案外短いモンだぜ。ベッドに横になって、だらだら過ごしてたらあっという間だ。何なら、気付いた時には雲の上で寝られるかもしれないぞ?」

「それ永眠してますよね!?」


 ツッコミを入れるフェリスに、それにケラケラを笑って返すカイト。

 最初は失礼な人間だと思っていたが、今ではこのやり取りは楽しいし、またこうして彼と笑える事を嬉しく思う。


「まぁ兎に角だ。お前はほとぼりが冷めるまで、次の街でしばらく暮らした方がいい」

「次の街で、ですか? 村からはそれなりに距離はありますけど、それだと直ぐに見つかっちゃうんじゃ……」

「そこは灯台下暗しってな。まさか誘拐された奴が、そんな近くにいるなんて誰も思わねぇよ。それにもし見つかっても、『隙を見て逃げてきました』とでも言って誤魔化せばいい」


 確かに、犯罪を犯した者がいつまでも現場に留まっている訳がない。一刻も早くその場から立ち去ろうとするのが普通だ。

 それと同じで、誘拐犯が標的を確保したまま、近場をうろついているなど誰が思うだろうか。


「さて。大体の説明は終わったし、そろそろ行くか」


 取り敢えずは次の街クロケットに向かう事が先決なので、2人は早々に移動を始める。

 すると、数分もしない内に、心底意外だといった調子でカイトが口を開いた。


「しっかし、まさかお前とこうして歩く事にあるとは思わなかったな。妙な縁もあったモンだ」

「ふふっ。そういう縁が、人の強い繋がりに……絆になっていくんですよ」

「またそれかよ。偶然で繋がった如き、何でそこまで信じられるのかねー」

「信じるに決まってるじゃないですか。カイトさんにとっては気紛れでも、あの依頼を受けてくれたから今私は此処にいる。偶然が紡いでくれたこの繋がりには、本当に感謝してるんですからね」

「ハッ! 感謝するのは早いんじゃねぇの? 俺以外にもあの依頼を受ける奴はいたかもしれないし、何よりお前は大罪人に会っちまった。それが果たして、吉と出るか凶と出るか」

「そんなの誰にも分かりませんよ」


 だって……、と彼女はカイトの前に立ち、満面の笑みを浮かべて、 


「どれだけ大変でも、諦めずに、幸福は自分の手で掴み取るもの……ですよね?」

「ハハッ! こりゃ一本取られたぜ!」


 フェリスの笑みに釣られて、カイトも大声で笑う。

 そして、大罪を背負う傭兵と純真な魔術師という奇妙なコンビは、次の街へと向かう。

 どんな逆境にも立ち向かう、力強さを感じさせる足取りで。

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