第18話 『黒切』


「な……!?」

「何じゃあッ!?」


 爆風が人々の身を叩いた後、遅れる形で丸太造りの門が崩れ落ちていく。

 交通の拠点である場所に、爆発物など置くはずはない。あったとしても、それは冬を乗り切る為の暖房として使うものであり、今の時期にではない。となれば、この爆破は人為的なものとなる。

 突然の事態に誰もが呆然とし、立ち尽くしていると、それを肯定するように黒煙の奥から声が聞こえてきた。


「ったく……。まぁた泣いてんのかよ、お前は」


 生み出された惨状とは裏腹に、何処かな楽しげに思える少年の声。

 それはこの場にいる全員が、特にフェリスにとって聞き覚えのあるものだった。


「さっきあれだけ泣きまくったってのにドバドバと……。その細い身体に、どんだけ水分溜めてんだよ」


 やがて、粉塵の奥から声の主が姿を現す。

 腰に差した片手直剣ロングソードに、手甲ガントレット脛当グリーブなどの装備。

 黒髪に同色の外套ローブ。不健康そうな隈と相反し、獲物を狙う猛獣のように輝く真紅の瞳。

 見間違えるはずがない。それは、何とも小憎たらしい傭兵の姿。


「いっそ、その水売り捌いた方が儲かるんじゃねぇの?」

「か、カイトさん!?」


 先程別れたばかりの少年の登場に、フェリスは驚愕を露にする。


「ど、どうして此処に……?」

「何か鎧着た仰々しい連中がこっちに向かってくのが見えてな。ンで、気になったから追ってみりゃ……なるほど、そういう事だったか」


 状況は既に把握しているらしい。

 ゆっくりと歩み寄った彼はフェリスの横に立った後、その鋭い目をゾルガに向けた。


「野生のホワイトウルフのくせに、武器と防具を作り出したから、何か人間臭いとは思ってたが……。アンタがあれの世話役だったって訳ね」

「その武器とやらは私は見た事はないが、恐らくそうだろう。暴れる奴を取り押さえる為に、我が神威騎装デウス・マキナの力に頼らざるを得なかったからな」

「ハッ! ペットを躾けるのに神の力を使うとか、どんだけ大盤振る舞いしてんだよ」


 ウルドの屋敷に設けられた結界といい、神徒に躾を任せる事といい。呆れを通り越して、一種の尊敬すら覚えてしまう。

 その一方で、ゾルガもまたカイトに対して尊敬のような感情を抱いていた。


「それはそうと驚いたぞ。ただの傭兵と思っていが、まさかホワイトウルフを倒すとは」

「魔術師も追加しろよ。ってか、言うほど驚いてもいないだろ? こいつは……アンタが一番望んでた展開なんだろうし」

「さて、何の事やら?」


 一瞬こちらの思惑を見透かされかと思ったが、平静を崩さずにゾルガはそう嘯く。

 実際は何故知っているのか、何処まで知っているのかと問い質したいところ。だが、一応の主であるウルドの前にいる今、迂闊な事を口走って自分の立場を危うくする事は避けたい。

 そして、運は彼に味方したらしい。互いの腹の内を読もうと睨み合う2人の中に、ウルドが割って入った。


「我のアルベルトを殺した輩が、よくもぬけぬけと姿を見せられたものだ……! 何をしている!? ゾルガ、直ぐにこの小僧を殺せ!」

「……ですからウルド様、少しお待ちください。この男とも、少し話がしたいのです」


 ホワイトウルフに直接手を下したのは、どちらかというとカイトの方だ。となれば、当然ウルドの矛先も彼に向かう。

 だが、ゾルガとしては、カイトもフェリス同様に絶対手元に置いておきたい駒だ。愚かな領主の一時の激情だけで、奪わせる訳にはいかない。

 彼自身の思惑を隠す必要もある。そこでウルドの怒りを収める体を装い、ゾルガはこれ幸いにと話題を変え、フェリスと同様に誘いの言葉を掛ける。


「なぁ、カイト・クラティア。俺の―――」

「やだね♪」


 だが、それは言い切る前にあっさりと断られる。


「……まだ何も言っていないが?」

「大体は分かるさ。それに何を言ったって関係ねぇよ。注文、要求、嘆願、脅迫、etc……全部却下だ。聞き入れたところで、俺へのメリットが何もない」

「メリットならあるぞ? 貴様の腕なら、一気に部隊長の座を手に入れるのも夢ではない。そうすれば、忌み嫌われる傭兵稼業に身を置く必要もなくなる。貴様は直ぐに、富と名声を手に入れるのだ」

「ほうほう、そりゃ良いね。そうなりゃ、今みたいにチマチマと小金稼ぐ必要もなくなる訳だ」


 冒険者のように誰かの為ではなく、ただ金の為に働く。それが傭兵というものであり、仕事内容の善悪好悪は問わず、大金を手に入れられるなら汚れ仕事だろうが引き受ける。

 故に、この村を訪れた当初の人々の反応からも分かる通り、傭兵とは忌み嫌われた存在だ。

 だとずれば確かに、ゾルガの勧誘を聞き入れた方が、賢い選択だろう。もう道行く人々に後ろ指を指される事もなくなり、安定した収入も約束されるのだから。


「そうだろう。ならば……」

「―――だが断る」


 それでも、カイトは首を横に振る。

 んべっ! と小馬鹿にするように、ご丁寧に舌まで出して。


「……理由を聞いても?」

「理由は3つ。まず、地位にも名声にも興味がない。2つ、平民から毟り取った金で贅沢しても楽しくない。金ってのは、真っ当に働いた上での正当な報酬じゃねえとな」


 傭兵なんてやってる時点で、真っ当とは言えないかもしれないが、今はそれを置いておこう。


「そして最後の3つ目、アンタの部下になるなんて死んでも御免だから。飼うのだって面倒臭いのに、誰かに飼われるなんてそれこそまっぴらだ」


 だけど……、と一旦言葉を区切る。

 そして、勿体ぶった様子で溜めを作ると、親指を立て―――自分の首を掻っ切る仕草をしてみせる。


「アンタが俺の靴を舐めて、手下になる言うなら話は別だぜ?」

「……下手に出ていれば、いい気になりおって。図に乗るなよ、傭兵風情が」


 不遜としかいえない言動で、遂に限界に達したのか、《司教の氷刃アルマッス》をゾルガは掲げる。

 それが合図だったらしい。ガサ……と枝が揺れたのを皮切りに、森や家、井戸の陰から、続々と全身鎧姿の騎士達が姿を現す。元々ウルドと共にいたのも合わせると、総勢100人といったところだろうか。

 だが、圧倒的な戦力差を前にしても、カイトの口角は吊り上がったままだった。


「フェリスに断られた時の事も考えて、全てを抹消する人員も用意してたって訳か。抜け目ないねぇ」

「この期に及んでまだ軽口を叩けるとは、素直に尊敬するよ。だが、果たしてその余裕、いつまでつかな?」


 1対100。戦力差など、火を見るよりも明らか。

 カイトの言動をハッタリと断じ、寧ろゾルガの方が余裕たっぷりといった様子で肩を竦めた。


「逃げてください、カイトさん! 幾ら貴方でも、この数が相手じゃ……!?」

「無理無理。どいつもこいつも殺す気満々で熱ーい視線送ってくれちゃってるよ。モテる男は辛いねー。ま、男にモテても嬉しくないけど」


 剣や、槍、戦斧などの武器を構える者。魔術師もいるのか、その手を向けて照準を合わせる者もいた。

 誰も彼もが今にも飛び出しそうなほどの殺意を滾らせ、たった一人の獲物カイトを見据えている。


「……カイトさんの、言う通りでした」


 絶望。ボロボロと大粒の涙を流す今のフェリスの心情を表すのに、これほど適した言葉はないだろう。

 折角魔獣という脅威を取り除いたかと思えば、それを切っ掛けとし、国が自分達を殺そうとしている。騎士達が周りを取り囲むこの光景は、さながら自分達の幸福を願う心すらも圧殺しようとしているかのように見える。

 より簡潔にするなら、帝国こそが正義。自分達はただの負け犬といったところだろうか。


「勇気を振り絞って皆を助けようとしたのに、皆を……関係ない貴方まで危険に晒してる……。結局私がした事なんて、独りよがりな正義感を振りかざしただけで、誰も助けられないんだ……!」


 世界には無数の主義主張があり、それによって人々が幸福になるか不幸になるかは決まる。

 だが、この国の場合は違う。全てが帝国を基準とし、その意にそぐわない者は徹底的に排除される。丁度、今の自分達と同じように。


「どう足掻いたって、私達が幸せになるなんて……」

「なぁ、フェリス。その続き、俺が何て言ったか覚えてるか?」


 唐突に、その絶望に染まった声をカイトが遮る。

 ふと顔を上げ、視線を向けた先。そこには、笑顔を浮かべるカイトの顔があった。

 普段のような影のあるものではない。見た者を安心させるような、穏やかなものだ。


「一人がやった善意の行動が、万人にとっての幸福になるとは限らない。良心のままに動いて、最悪な結果に終わるなんて、この世界じゃよくある事だ。なら、どうしたらいいか? 『助けを求めてきた人の手を蹴り飛ばすのか』ってお前は聞いたよな? その答えをまだ言ってなかったな」


 確かに、この世界は無数の主義主張で溢れている。そして、誰が頂に立つかで幸福の定義は決まる。

 だが、これはあくまで結果。では、頂点に立つ者と立てなかった者、その歩んだ道にある違いは何なのか。

 それは多種多様あるだろうが、必ず共通するものがある。それは、


「我が儘だろうが、独善的だろうが、傲慢だろうが、自分に胸を張れる道を進め」


 しつこさ。根性と言うべきだろうか。

 知識や能力、経験、才能、志といった要素も確かにあるだろう。だが、どれだけ優れていようと、途中で諦めてしまえばそれまで。

 結局は最後まで折れず、自分の選んだ道を進み続けた者が勝者になれる。


「確かに、万人が幸せになれるなんて有り得ない。誰かが得すりゃ、誰かが損するのが当たり前だ。だけどな、だからって最悪をただ受け入れて、最良を諦める理由にはならねぇ。幸か不幸か、そいつは結果次第だ。なら、どれだけゴールまでの道が悲劇に彩られていようが関係ねぇ。そして這い蹲ったままじゃ、当然ハッピーエンドなんて訪れない。失敗したなら、また立ち上がればいい。自分で招いた悲劇なら、自分で落とし前をつければいい。自分の納得がいく幸せ答えを得られるまで、足掻き続ければいい」


 だから……、と傭兵は力強く拳を握り、


「俺は俺の道を行く。世界の全てに非難されようが、俺自身が納得するまで、それを邪魔する奴は一切合切ぶった斬ってな」


 眼前に並ぶ騎士達に向けて宣言する。

 だが、その言葉は全く、彼等の心には届かなかった。


「……話は終わったか? いい加減、こちらも待つのは飽きた」

「律儀に待っててくれたのかよ」

「遺言くらいは聞いてやるさ。それに年を取ると、どうにも忘れっぽくなってな。殺した奴を忘れぬよう、相手の話を聞くのも悪くないと思えてくる」

「えぇい! もう良いだろう、ゾルガ! コイツは話を聞くつもりはない! ならば、これ以上生かす理由もない! さっさと殺せ!」


 どちらも既に、我慢の限界らしい。特にウルドに至っては、自分の愛しいものを殺した人間が、これ以上口を開いているのが耐えられないといった様子だ。

 そして、カイトの宣言などなかったかのように、彼等は改めて武器を構え直す。


「そういう事だ。恨むのなら、正義帝国の意に背いた貴様自身と、そこの小娘を恨むんだな」

「正義、ねぇ……。そんな個人の価値観で簡単に歪んじまうものを振りかざす奴の気が知れねぇな」


 信じられないといった様子で、カイトは溜め息を吐く。

 同時に、何故か左手に付けている手甲に指を掛ける。


「正義なんて知った事か。どんな意志を貫くのにも、必要なのは正義じゃねぇ。―――力だ」


 それと……、と一度言葉を区切り、視線を外すとフェリスを見据える。


「悪ぃな、フェリス。そんな訳だから、

「え……?」


 どういう事かとフェリスが問い掛ける前に、彼は手甲を外す。

 露になったのは、当然ながら人間らしい肌色の手。だが、そこには一つだけ違う色がある。

 痣ではない。一見するとは聖痕にも見えるが、違う。

 神聖さを表しながら、逆さにする事で真逆の邪悪を示すは―――五芒星ペンタグラム


「ッ! 馬鹿な、それはッ―――!?」


 それを見た瞬間、ゾルガは目を見開いて驚愕する。否、彼だけではない。取り囲んでいた騎士達は一様に、怯えた様子を見せる。

 一方で、カイトは彼等の反応など気にも留めず、刻まれた五芒星を指でなぞる。


「―――《天叢雲剣あまのむらくも》」


 直後に、突き出した彼の手元に光の粒子が集束していく。それらは一本の棒状に纏まっていき、やがて明確に形を成す。

 顕れたのは、白い鞘に収まった刀。

 誰もが唖然として言葉を発せない中、カイトは躊躇いなく鞘から刀身を引き抜く。

 そこにあったのは、白とは相反する色―――黒。

 希望も、絶望も、全てを等しく塗り潰すかのような漆黒だった。


「黒い、刀……。まさか……?」


 間近でそれを見たフェリスは、呆然とした様子で呟く。

 同時に、その禍々しくも美しい黒を前に、誰もが見惚れていた。


「………………」


 その神々しい威光を放つ黒に、誰もが言葉を発せなかった。


「………………」


 その美しく輝く純然たる黒に、誰もが魅入られた。


「………………」


 その破滅を呼ぶ暴力的な黒に、誰もが圧倒され畏怖の念を抱いた。


「有り、得ん……有り得ん!」


 最初に我に返ったのはゾルガ。

 彼は、目の前にある現実が信じられず、大声で否定する。


「その手の甲に浮かぶ五芒星ペンタグラム……! まさかその刀、神滅騎装ロンギヌスなのか!?」

「ろ、神滅騎装ロンギヌスじゃと!? あんな傭兵風情が、何故そんなものを……!?」

「ロン、ギヌス……?」


 彼等が何を言っているのか理解出来ず、フェリスは首を傾げる。

 そんな彼女の無知を、ゾルガは羨ましく思う。


「人の力及ばぬ魔を滅する為、神がお与えになられた、超常の力を有した武具……それが神威騎装。だが、その中でも異質。神が授けたものでありながら、神をも殺す力を秘めた、この世界に13種存在するとされる武具……それが―――神滅騎装」


 本来なら教える謂れなどない。だが、この脅威を知るのが自分達だけという状況には耐えられなかった。

 そしてこの行為は、脅威を再認識すると共に、彼に冷静さを取り戻させた。

 確かに神滅騎装と聞けば誰もが恐れ戦くものだが、その力は結局扱っている者に左右される。では、今その力を握っているのは誰か。


「そうだ……。例え神滅騎装の使い手だろうが、所詮相手は一人、それも子供だ! さっさと始末しろ!」


 ゾルガの指示に従い、前方、そして左右から、合計5人の騎士達が剣を振り上げて突撃する。

 神滅騎装という事で狼狽えはしたが、所詮は刀。

 達人の一太刀なら、鋼鉄にも傷を付ける事は可能だろう。だが、例え鎧に傷を付けられたとしても、それが守る命を殺すまでには至りはしない。

 そして、後方を除いた全方位からの、5人の一斉攻撃が迫り、


 ―――トス……! と。

 何とも気の抜けた音と共に、5人の胴は断たれた。


「え……?」


 何が起きたのか分からず、ただ疑問符を浮かべる騎士。その腰から上が傾き、地面に落ちる。

 固い地面に身体が打ち付けられ、次第に意識が薄れゆく。体温が低くなっていくのを感じながら、彼等はようやく理解した。

 自分達の命が、たった一振りで―――狩り取られた事を。


「な、んだと……!?」


 それを見ていた騎士達は、理解は出来ても納得は出来なかった。

 カイトが《天叢雲剣》を振るい、相手を両断した。

 言葉にすればそれだけ。そして軟鋼ならば、まだ分かる。だが、彼等が纏っているのは、戦場で身を守る為の防具。何度も焼入れを繰り返して硬度を上げ、木剣や太刀で切り付けても弾き返される事も実証されている。

 それが、砕けるのでもなく、中身の肉体ごと斬られた。何の抵抗もなく、まるでバターでも切るかのように。


「さて、サービス残業といきますか」


 気怠げな言葉が聞こえた直後、騎士達は現実に引き戻される。

 だが、それでは遅い。既にカイトは背後へと回り込み、刀を振り上げていた。


「ぐああぁぁぁあああああッ!?」

「貴様ァッ!」


 新たに騎士の一人が絶命したが、これは逆に好機。

 攻撃を終えた直後、切り返すまでの僅かな隙を突き、再び数の差を以て襲い掛かる。


「ったく……学習能力がないのかよ」


 呆れたように呟きながら、胴体に向けて振るわれた刃を身を低くして躱し、手近な騎士に足払いを掛ける。

 前のめりに倒れてきた相手の首元を掴み、立ち上がると同時に力づくで放り投げた。全員が一人の標的の下へと群がっていた事もあり、その砲弾人間は多くの騎士達を巻き込み、薙ぎ倒していく。

 そして態勢を崩した集団へとカイトは突貫し、無造作に剣を振るい、まるで羽虫でも払うかのように敵を沈める。


「何をやっている!? 接近戦が駄目なら、距離を取って叩き潰せ!」


 《天叢雲剣》の能力は分からないが、接近戦では分が悪いと判断出来ないほど馬鹿ではなかったらしい。

 呆然としていた魔術師達が、ゾルガの指示で一斉に我に返る。直ぐ様手を突き出すと、この惨劇の元凶を滅ぼさんと詠唱を始めた。


「―――焼き尽くせ、《火球ファイヤー・ボール》!」

「―――打ち貫け、《石槍ストーン・スピア》!」


 放たれるのはその術式の名の通り、球形の火炎と槍状の石。

 前者は触れた者の身を焼き、後者は強固な壁すらも貫く。どちらも直撃すれば、致命傷は免れない。

 、カイトの顔に浮かぶのは焦燥ではなく狂笑。迫り来る脅威を前に狂った訳ではない。


「はぁ……。これならフェリスの風の方が凶悪だっつの」


 この程度の事、脅威にもならない。

 ただ一度、漆黒の刀を横薙ぎに振るっただけ。

 それだけで《火球》は虚空に溶けていき、《石槍》は紙のように両断された。


「な、何だあの剣は!?」

「《石槍》はまだしも、炎を……魔術を斬っただと!?」

「どういう事だ! 一体、何が―――!?」


 四方から飛来する魔術攻撃を掻い潜り、眼前に迫り来る剣や斧などの近接武装を躱し、確実に相手の下に近付いていく。

 そして訪れるのは、回避不可能の死。数の差も、超常の力も、全てを何もないかのように等しく斬り捨てられる。その所業は、まるで人の魂を狩り取る死神のそれだ。

 理解不能の力を前にし、騎士達に動揺が生まれた。言い知れぬ恐怖は彼等の間を瞬く間に伝播していき、動きを鈍らせる。

 だが、彼等に逃亡など許されるはずはない。そして彼等自身も、このまま良い様にやられて引き下がれる訳がない。


「う、狼狽えるな! 数はまだこちらの方が勝っている! 刀を振り終えた瞬間の間隙を突け!」

「はっ!」


 カイトを取り囲み、一斉に襲い掛かる騎士達。

 先程までのように返り討ちに遭うのを避ける為、ゾルガの命令通り時間差で仕掛けていく。

 そして、また一人が死の海に沈んだ直後、今度こそ始末せんと突撃する。


「ぎゃ、がぁあああぁぁあああッ!?」


 だが次の瞬間には、剣を振り終えたところを狙った男の顔面に、投剣ダガーが突き刺さる。

 否、彼の武器はそれだけではない。隙を突いたかと思えば、ダガーに仕込みナイフ、火薬……何処に仕舞っていたかと思えるほどの暗器までも駆使し、命を奪っていく。


「馬鹿な……!」


 自ら騎士の群れの中へと飛び込み、剣閃が舞う度に、軍勢の数は減っていく。その余りにも一方的な展開を前に、騎士達の間に再び動揺が走る。

 それも当然の事だろう。

 カイトが振るう《天叢雲剣》の前では、剣は受けた端から両断される。鎧は紙切れ同然に切り捨てられる。民家の陰に隠れようと、遮蔽物ごと断ち切られる。

 回避を選択したとしても無意味。彼自身の速度、及び剣速が早過ぎ、避けようと身体を動かした時には既に終わっている。


「立ち塞がるもの全てを、たった一本の黒い刀で切り捨てる……! まさか、お前が……!」


 信じられないといった様子で、ゾルガは呟く。

 フェリスにとっても、目の前で繰り広げられる光景は信じられないものだった。騎士達が一方的に蹂躙されている事が、ではない。

 ただ夢見るだけで終わる思っていた、この腐った世界を切り捨てられる光景を見られた事がだ。


「―――『黒切くろきり』……!」


 繰り出された槍の穂先を跳躍して躱し、狙いすましたかのように放たれた火球ごと敵を斬り捨てる。その光景に怯んだ魔術師に向け、刀を投擲。まさか武器を投げるとは思わず、反応が遅れた男は串刺しとなる。それに周りの者が動揺したところへカイトは跳び、回収すると共に円を描くような軌道で刀を振るい、鮮血の花を開かせる。

 腰に抱き着かれ、首を羽交い絞めにされて動きを封じられたところへ、猛然と2人の騎士が襲い掛かる。それが届く前に首に手を回していた男の顔面を鷲掴みにし、鈍器代わりにして迫る2人を迎撃。次いで腰の男の手を引き剥がし、唖然とする男を袈裟切りにする。

 切り掛かれば、近くにいる者から順に両断され、絶命していく。この光景を表すには、もはや圧倒的という言葉すらも生温い。

 人々の為に立ち上がり、腐敗した貴族と騎士達を一人で相手取るなど、まるで安っぽい演劇のようだ。だが、これは間違いなく現実。

 100人はいたはずの騎士達は、たった一人の少年傭兵を前に、瞬く間に半分以下にまで減らされた。


「おいおい、栄えある帝国騎士共がこの程度か? 折角主義じゃねぇサービス残業に精を出してんだ。もっとやる気出してくれよ!」


 嘲りと共に声を発し、更にカイトは死体の山を築いていく。

 最初からあってないようなものではあったが、これで完全に数の有利はなくなった。


(コイツが、あの貴族殺しの大罪人『黒切』……! 部下にするなどトンでもない! 厄介な貧乏クジを引いてしまった!)


 彼が成してきた偉業の数々は、ゾルガの耳にも届いている。

 そして、どの事件においても彼を始末しようとした貴族は皆、悲惨な末路を遂げている。自分もその中に名を連ねるなど、まっぴら御免だ。

 だが……、と同時に彼は思う。


(俺がコイツを倒せば、最高の栄誉が手に入る……!)


 大勢の貴族を葬ったという事は、それだけ彼は帝国の恨みを買っている。

 であれば、その大罪人を葬ったとなれば、再び元の地位に戻れるのは必然。もしかしたら、それ以上のものを得るのも夢ではない。


「―――《氷絶天鎧アブソリュート・ゼロ》!」


 そう判断すれば、後の行動は早い。

 ゾルガの周囲に冷気が溢れ、触れた大地を氷で覆っていく。

 否、覆われるのは地面だけではない。何処か既視感を覚える光景と共に、彼の身体の全てが白に染まった。


「ハッ! 何だよ、鎧なんて着ちゃってさ。部下が必死こいて戦ってるってのに、一人だけしっかり防具を着込むとか恥ずかしいなぁオイ」

「ふん、これはただの鎧ではない」


 ズズズ……! と直後に、大地が震動するのを感じ取る。地震ではない。

 彼の神威騎装司教の氷刃の氷結能力を考えれば、直ぐに原因は分かる。鎧の温度がマイナス50度に達し、足に触れた地中の水分までもが凍り、氷振動が起こったのだ。

 恐らく、これだけでは終わらない。その名前が確かなら、マイナス273.15度、絶対零度アブソリュート・ゼロにまで達するはずだ。


「攻撃は最大の防御ならぬ、防御は最大の攻撃ってか?」

「上手い事を言うな。その通りだ、この《氷絶天鎧》は自身に触れたものを瞬時に凍て付かせる。水も、大地も、空気も、人もな!」


 その言葉と共に両腕を広げると、彼の手の中に氷の剣が出現した。

 感心する暇もなく、それは真っ直ぐにカイトの顔面に向かって突き出す。咄嗟に顔を逸らす事で躱したが、僅かに掠ったらしい。血液すらも凍り付き、刃が触れたと思われる部分が氷結する。


「加えて、《司教の氷刃》が持つ魔力吸収能力! 貴様の神滅騎装がどんな能力ちからを持っているかは知らんが、この力の前に全ての魔力は奪われ、氷結する! 貴様に勝ち目はない!!」


 剣の先端が触れた瞬間には、相手の全てが氷結する。

 絶大な威力を誇る魔術攻撃を用いようが、内包する魔力は吸収され、無に帰す。

 故に、今までこれを使用した戦では、傷一つ受けた事がない。


「死ね! 無駄な正義を振りかざす愚かな英雄がッ!」


 その絶対の盾にして最強の矛を以て、カイトを迎え撃たんとする。


「俺は正義なんて掲げちゃいない。それに英雄ってのは、いつだって誰かの為に戦う存在だ」


 対するカイトは、歩を緩める事はなく、最短最速でゾルガの懐へと飛び込む。

 その足取りに、躊躇いといったものは微塵も感じられない。ただ、自分の進む道だけを信じる力強さだけが、そこにはあった。


「俺はただ身勝手な、罪に塗れた薄汚い傭兵さ」


 ダンッ! と力強く地面を蹴り、宙を舞う。

 ただ前に跳ぶだけではない。地面からの衝撃だけでなく、更に威力を底上げする為に上体だけを沈める。

 それらの勢いを乗せた彼の身体は回転し、


「無頼覇刀流・八の型―――空風からかぜ


 ザ、グンッ!! と。

 絶対零度の鎧を、それを纏う者を、歪んだ正義ごと容易く裁断する。


「が、ばぁああああぁぁぁああああああぁぁああああああッ!!?」


 頭部から股下に掛け、文字通りの一刀両断。

 同時に、最強と信じてきた《司教の氷刃》までもが砕け散り、その破片は風に乗って散っていく。

 後に残ったのは、傷口からおびただしい量の血を噴き出し、吐血して悶絶するゾルガのみ。


「ば、馬鹿なぁッ!? 俺の《氷絶天鎧》が、正義が……! 何故……!?」

「お勉強が足りねぇな」


 己の正義を、それを象徴する力までも失ったゾルガ。

 そんな半死半生の重傷を負った彼に向け、カイトは《天叢雲剣》の切先を向ける。


「《天叢雲剣》は、8つの頭を持つ水神を殺した神剣すらも折った剣。また、野火の難にあったとき、この剣で草を薙いだ事で難を逃れたとも言われてる。

だけど、コイツが薙いだのは、本当に草の方だったのか? そして、単純な強度だけで神剣を折る事が出来るか? そう考えりゃ、コイツの能力ちからも分かってくるだろ」


 ただの剣で、炎を切れるはずがない。だからこそ、伝承には火が点いた草を薙いだと記されているのだ。

 どれほどの強度があろうと、神の力が宿る剣を折れるはずがない。強度の面で負けていようと、内側に宿る神聖さが、何ものも寄せ付けない。

 だが、それが出来るとすればどうか。硬度も、火炎も、神聖な力も、全てを無視出来るのだとすれば。


「ま、さか……!?」

「―――万物切断、それがこの《天叢雲剣》の能力ちからだ。物体は勿論の事、熱や大きさなんかの概念だろうと、コイツは斬り滅ぼす」


 本人の意思さえも関係なく、その刃が触れさえすれば、森羅万象は断ち切られる。

 文字通り神を殺す刀によって、最強と信じてきた正義ごと斬られたゾルガは、最後に乾いた笑みを漏らした。


「それだけの、力を持ちながら……傭兵に身を落とし、数え切れんほどの罪を、背負ってまで……何を成す気だ……?」

「……たったの一つの、下らねぇ夢を叶えるだけだよ」


 スト……、と何とも軽い音だけが聞こえた。

 それを最後に、立ち込めていた冷気は霧散し、氷の猛威は完全に消え去る。

 だが、まだ終わりではない。カイトの目は、直ぐに別のものを捉えた。


「あ、ぁぁあああッ……!」


 自身が持つ全ての手駒を失い、丸裸となった男を。

 猛獣に睨み付けられた小動物のように震える、愚かな領主を。

 脆い砂山の上に居座る、お山の大将ウルドを。


「こ、こんな事をして……! 貴族に手を出すなど、これは重罪じゃぞ!?」

「生憎、もう何人も手を出して、そして葬ってきたんでね。元々俺は大罪人だ。今更罪の一つや二つ、知った事じゃねぇよ」


 それにな……、と彼は一度言葉を区切り、


「アンタみたいなぶくぶく肥え太った貴族様見てると、こう無性に―――殺したくなる」

「ひッ……!?」


 真正面から並々ならぬ殺気を浴びせられ、どっとウルドの全身から冷や汗が流れる。

 殺される。そう直感した彼は、もう形振り構ってなどいられなかった。


「ひ、ひぁああぁぁあああッ……! く、来るな……! 来るでない!!」


 山より高いはずの貴族のプライドなど早々に捨て去り、不様と罵られる事も気にせず駆け出す。

 少しでもあの死神から離れた所へ行きたい。もはやウルドの頭の中には、そんな考えしか浮かばない。馬車に飛び乗ると直ぐに馬に指示を出し、一目散に逃げ出した。


「部下を見捨ててトンズラかよ。教科書に載せられるレベルのクズっぷりだな」

「って、言ってる場合じゃないですよ!? ウルドが向かってるのは、多分一番近くにある街クロケット……。そこで増援なんて呼ばれたら……!」

「増援なんて呼ばせねぇよ」


 焦るフェリスなど気にも留めず、カイトは刀を掲げる。


「言っただろ? 《天叢雲剣この刀》は物体だろうが概念だろうが問答無用でぶった切る。つまり……」


 すっ……と。まるで一本の棒でも描くように、何の気なしに腕を振り下ろす。

 彼の動きは、ただそれだけだった。にも拘らず、


「―――例え天まで逃げようが、必ず斬り伏せる」


 ドッ!!! と。

 次の瞬間には、


 ウルドの乗る馬車も、その上に広がる雲も、彼等が立つ大地も。

 この世の全てが、一刀の下に斬り伏せられた。


「ヤベ……。これ、俺の視界に入ったもの全部斬っちまうけど……よし、今回は特に余計なものは壊れてないな」


 目の前で起きた現実に頭が追い付かず、誰もが呆然とする中、カイトだけが何とも軽い調子で呟く。大空や大地を切ったというのに、それを起こした本人は平然としたものだった。

 そして、自らが生み出した破壊の軌跡を眺めながら、彼は縦に両断された馬車へと近付いた。


「あ、ぁあが、が……!」

「おーおー、運が良いこって。隅の方で縮こまってたお蔭で斬線から逃れるなんてな」


 斬ったのは、丁度馬車の中心。恐怖に震え、限界まで身体を隅に押し込めていた事で、死の一刀からは逃れたらしい。

 だが、その強運も遂に底を突いた。目の前に死神が立つ以上、逃げられるはずがない。


「や、止めろ! 傭兵風情が貴族に楯突くなど……! ただでは済まんぞ!?」

「そりゃ結構。寧ろただで済んでもらっちゃ、こっちが困る」


 ウルドの怒鳴り声になど聞く耳を持たず、カイトは何かを探すように視線を巡らせる。

 そして、は手近にあったので直ぐに見付かった。


「いずれ、騎士や王侯貴族共の首……いや」


 彼の視線の先にあったのは、馬車の扉の残骸。

 より正確には、アルヴァトール帝国の象徴―――紅と白の翼を広げた天使が描かれた扉だ。

 それに向け、ドズ……! と深々と黒い刀身を突き刺す。


「―――ふざけた使の羽を捥ぎ取って、天上から引き摺り下ろしてやるんだからよ」


 天使。引き摺り下ろす。

 その2つの言葉だけで、ウルドはこの少年が何を目論んでいるのか悟った。

 たった一人で行うには無謀過ぎる、狂っているとしか思えない目的を。


「ば、馬鹿な……! 貴様一人で、国を相手に……戦争を起こすとでも言うのかッ!?」

「そう大袈裟に取るなよ。こんなの、ただのクソガキの喧嘩さ」


 平然とした声音で、本当に何でもない事のように告げる。

 そして、扉の残骸から引き抜いた刀を、背中の方にまで持っていく。


「俺がぶっ壊す。この腐った国を、それを形作る全てを……。その為にもまずは、皇帝の手足である貴族アンタ等からだ」


 だから……、と酷薄な笑みを浮かべ、


「地獄で見てろ。―――天使の首が落ちる、その時を」


 ザン……! と。

 神殺しの刃は振り下ろされ、鮮血が舞った。


 最初、全て余りにも唐突過ぎて、人々はそれが何を示しているのか理解出来なかった。

 カイトが死体を隠す為に馬車の残骸を無造作に放り、バタン! と音がした事で、ようやく彼等は現実に引き戻された。


「終わった、のか……?」

「そうだよ……! ウルドは死んだ……。今までの悪夢みたいな毎日から、解放されたんだ!」


 わぁあああぁぁああああああッ!! と、村のあちこちから歓声が上がる。

 まるで夢を見ているような気分だが、夢ではない。これは紛れもない現実。終わらないと思っていた悪夢が、今日ようやく覚めたのだ。

 そんな歓喜に沸き立つ人々を、カイトは冷めた目で見据える。そこへ、身体に走る痛みに顔をしかめるフェリスが、足下をふらつかせながらも歩み寄ってきた。


「カイトさん……」

「感謝の言葉なんていらねぇよ」


 その後に続く言葉を予想し、言い切る前に遮る。


「俺は俺の信念に従ったまでだ。お前等が最後まで食われる為に育てられた家畜で終わるなら、この豚がやる前に俺が殺してたよ」


 彼女からすれば村を救ってくれた英雄なんだろうが、先程彼自身が言っていた通り、そんな高尚な存在ではない。

 自分の手で悲劇を変えようとしない者を助けたところで、また同じ事を繰り返すだけ。今回は、たった一人の少女の為に、彼等が抗う姿勢を見せ、変わろうとしたから手を貸したに過ぎない。

 だから……、と彼はフェリスの背後を見据えて顎でしゃくる。


「礼を言うなら、お前のに言え」

「あ……」


 いつの間にか、人々の目は一様に2人に向けられていた。

 そこに浮かべられているのは笑顔だが、歓喜とはまた違う。

 自分達の為に立ち上がってくれた者達を、変わる勇気を与えてくれた者達を、賞賛するものだ。


「―――ありがとう、皆」


 瞳に涙を滲ませながら告げられた少女の言葉に、人々は照れ臭そうに笑う。

 そんな彼等の反応を嬉しそうに眺めつつ、フェリスは改めてカイトの方に身体を向けた。やはり本人が筋違いだと言おうが、この気持ちを言葉にしなくては気が済まない。


「カイトさん。貴方がどんな思いで戦っていたにせよ、助けてもらった事に変わりありません。だから、ありが―――」


 とう、とまで言い切ろうとしたが、それは出来なかった。

 彼女の目の前で唐突に、ふっとカイトの身体が傾いた為に。


「ちょ!? 大丈夫ですか、カイトさん!?」

「くそ……! ペース配分、間違えたか……」


 最後に呟かれたのは、何を意味しているのか分からない言葉。

 やがて、焦った様子のフェリスの顔を見つつ、カイトはゆっくりと意識を手放した。

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