第17話 真相

 ビリビリ……! と空気が震え、爆撃の後のように粉塵が舞う。

 その余波を受けてフェリスも吹き飛ばされそうになるが、何とか堪えた。こんなところで退場などしていられない。結果を見届けるまでは、何があっても自分の足で立っていなくては。

 やがて、立ち込めていた粉塵が晴れていく。最初に彼女の目が捉えたのは、こちらに背中を向けるの姿。五体満足で無事に立っている姿を見て、フェリスはほっと安堵する。

 次いで見えてきたのは、彼の前に立つ獣の姿。


「……伊達に『北の王者』なんて呼ばれちゃいねぇな」


 ボソッと呟かれた言葉に、目を凝らしてみると、フェリスは自分の目を疑った。

 そこにいたのは、紛れもなくホワイトウルフ。最後の一撃は見事に決まっており、その胴体は更に大型の獣に食われたかのように大きく抉られている。白銀の体毛に覆われた巨体は微動だにせず、ボタボタ……! と傷口から大量の血が流れ落ちている事から、それが致命傷となっている事も分かった。

 にも拘らず、ホワイトウルフは。最後まで逃げず、立ち向かった『王者』の風格を見せ付けるように。


「負けを認めない王族の本能、ってか? 流石に尊敬するよ」


 けど、と相手を称賛しつつ、カイトは仕上げの為に腕を引き、


「悪ぃな。薄汚い傭兵の俺には、敬意なんて高尚なものは持ち合わせちゃいないんだ。だから、こいつで―――王手チェックだ」


 ドス……! と鈍い音と共に、心臓付近に腕を突き入れる。

 そして何かを探すように、まだ生温かい肉の中でしばらく腕を動かしていると、目当てのものを見付けたのか腕を引き抜く。その手に握られていたのは、球状の結晶体―――核だ。

 これが身体から引き剥がされた今、どれだけ時間を掛けようが、ホワイトウルフが起き上がる事は決してない。


「よぉ、終わった―――」

「う……」


 全て終わったと告げようとしたカイトだが、最後まで言い切る事は出来なかった。

 振り返った先。そこには、大粒の涙を零すフェリスの姿があった。


「うぁ、あぁぁあああぁああああああぁぁぁあああ……ッ!!」


 カイトが見ている事も気にせずに泣き喚く少女の姿に、ポカンと彼は間抜け面を晒してしまう。

 こちらが何かしらの軽口を叩けば、いつも激しいツッコミを入れてきた。常人が聞けば暴論と揶揄されるような言葉をぶつければ、強気な態度で突っかかってきた。彼等の為に自分が折れる気はないと言えば、無謀と知りながらも強硬策に打って出た。

 何事にもめげず、常にひたむきに自分の道を進んでいたフェリス。そんな姿ばかり見ていた為か、ここまで泣くとは想像していなかった。


「止ま、らない……。止まらないよぉ……! 嬉しいはずなのに、涙が……止まらないよぉッ……!」

「ったく、30過ぎのいい年した大人がワンワン泣きやがって。ガキかっての」

「そ、そんな事言ったってぇ……!」

「はぁ……。いくら年を重ねても、中身はやっぱりガキだな」


 でもまぁ、と未だ泣き止まないフェリスを見て、カイトは面白そうに笑った。


「そういう純粋な涙見てると、何だか笑えてくるわ」

「笑えてくるって……何ですか。また人の事、馬鹿にして……」

「あぁ、違う違う。そういう意味で言ったんじゃねぇよ」


 彼女が涙を流す事に対し、嘲笑するつもりはない。

 ただ、自分が持ち合わせていないその純粋さが、まだこの世界に残っていた事に喜びを覚える。


「戦いの価値ってのは、勲章や報酬で決まるモンじゃない。何を守ったかで決まる。今のお前はまさに後者。俺みたいな薄汚い傭兵にとっちゃ眩しい存在さ。そんなお前を見てると、この腐った世界もまだまだ捨てたモンじゃないて、自然と笑えてくるんだよ」

「……ふふっ、何言ってるんですか。そういうカイトさんだって、同じじゃないですか」

「あん?」

「戦ってる時だって何度も私を助けてくれたし、今もこうして村の皆を助けてくれました。お金の為だって言うかもしれませんけど、それだけで自分の命も顧みずにここまでしてくれるとは思えません。何だかんだ言っても、カイトさんも皆を守ってくれた、眩しい存在ヒーローですよ」


 ヒーロー。まさか自分がそんな呼ばれ方をするとは、夢にも思っていなかった。

 仕事の為、金の為。それはつまり、最終的には自分の為という事であり、無償で大勢の人々を助けてみせる存在とは程遠い。

 だからこそ、やはり自分はそんな風に呼ばれる資格はないと思う。


「……それはねぇよ」

「?」

「所詮、俺は薄汚い傭兵。金目当ての独善的な、俺に、ヒーローなんて似合わねぇよ」

「それって……?」


 何気なく呟かれた言葉に、フェリスは首を傾げる。金目当てと独善的というのは、彼を見ていれば分かる。だが、罪に塗れたとは一体どういう事だろうか。

 一方のカイトは、丁寧に説明するつもりはないらしい。話している内に泣き止んだ彼女を見ると、顔を背けて、近くに置いていた荷物を拾って帰り支度を始めた。


「ほら、出すモン出したならさっさと顔拭け! 今やお前は、村を救った英雄だ。それが涙鼻水で顔グチャグチャしてちゃ、カッコつかねぇぞ?」

「は、はい! ……って、出すモンって変な言い方しないでください!」


 傍から見れば、何とも締まらない絵面だろう。

 だが、そのごく普通のありふれた日常を送れている事に、何とも言えない幸福感がフェリスを満たした。






「この大馬鹿が!」


 パンッ! と乾いた音によって、フェリスの抱いていた幸福感は掻き消された。

 ホワイトウルフの死体を引き摺って戻ってきた彼等を待っていたのは、キツい平手打ちだった。正確には、フェリスにだけだが。

 彼女の前に立つのは、その身体から目に見えるレベルで怒りのオーラを噴き出すジーナ。その怒気を前に父親のハインツさえも怯え、手が出せないでいた。


「突然いなくなったと思ったら、森に入ったって聞いて、どれだけ心配したと思ってるんだい!?」

「ご、ごめんなさい……。でも、どうしても皆を守りたくて……」

「でももヘチマもない! どんな理由があったって、いきなり危ない場所に飛び込んで、命のやり取りしてきた事に変わりはないよ!」

「ひゃい!?」


 先程とは別の意味で涙を流しそうなフェリス。はっきり言って、ホワイトウルフの牙が眼前に迫っていた時よりも怖い。

 助けを求めてカイトに視線を向けるが、流石にこれ関しては自業自得。諦めろと暗に告げるように、彼は目を伏せてそれを無視した。


「でも……」


 5分ほど経った頃、ようやくジーナの口から怒鳴り声が放たれなくなった。

 そして、穏やかな笑顔浮かべると、優しくフェリスを抱き締めた。


「あ……」

「良かった……。無事で本当に良かった……!」


 眉間に皺を寄せ、悲痛な表情を浮かべながらジーナは呟く。

 魔術師として強大な力を持っているとはいえ、彼女自身は1人のか弱い少女。その身に秘めた強さも弱さも、誰よりも理解している母親からすれば、無断で死地に向かった娘が心配で気が気ではなかったはずだ。

 それがこうして無事に帰ってきてくれた。これほど嬉しい事はないだろう。

 血の繋がりなどなくとも、確かな絆で結ばれている親子。それを見ていると、カイトの頬は自然を緩んだ。


「親から子供への無償の愛ってやつか。泣けてくるねぇ」

「おい、兄ちゃん! そんな隅にいないで、俺達と飲もうぜ!」

「うおッ!?」


 感傷に浸っていたカイトだが、その空気をぶち壊すような大声と共に、横から腕を引かれた。

 驚く暇もなく連れてこられた場所では、乱痴気騒ぎが繰り広げられていた。

 昼間にも拘わらず樽を空にする勢いで酒を飲み、挙句の果てには酒の掛け合いまでしている。数ヶ月も眠れぬ夜を過ごす原因となっていた脅威が去って嬉しいのは分かるが、流石にこれは騒ぎ過ぎではないだろうか。


「おいおい、アンタ等。金ない金ないってほざいてるくせに、こんな宴会なんてしてる余裕なるのかよ?」

「固い事言うなって! こんなめでてぇ時に飲まないで、いつ飲むってんだ!?」

「いや、昨日も飲んでたろうが。実は金持ってんだろアンタ」


 半眼で睨み付けられるのも何のその。全く気にした様子は見せず、村人達は酒を煽っていく。

 だが、いくら嬉しいと言っても自分にまで飲ませようとするのは勘弁してほしい。何事にも許容量というものがあるのだ。成人しているとはいえ、無理矢理酒瓶を口に押し込んでのラッパ飲みは流石に堪える。


「ハハッ。賑やかですな」

「そ、村長ー……! コイツ等何とかしてくれ。成人してまだ1年しか経ってねぇってのに、コイツ等完全に俺を酔い潰そうとしてきやがる。何コイツ等、酒が動力の魔導人形なの?」

「れっきとした人間ですよ。それと、折角喜びを分かち合ってるというのに、止めるなんて無粋な真似は出来ませんよ」


 それに……、と昨日の打ち拉がれた時とは違い、ジュラはにっこりと満面の笑みを浮かべる。

 そして何処からか酒瓶とグラスを取り出し、


「かく言う私も、参加したい口ですからな!」

「おい待て! だから酒持ってにじり寄って来るんじゃねぇ!?」


 そこから始まったのは、ジュラや村民全員が参戦しての、奇妙な追いかけっこ。

 彼等より遥かに身体能力の高いカイトは華麗に彼等の魔の手を掻い潜っていくが、そこは物量に物言わせてカバーしている。

 抱き締める形で捕まえようとする者をバク転で躱したと思えば、後ろから羽交い絞めにされそうになったり。

 それなりに高い木の上に登っても、大勢の人々が肩車をし、人間梯子とも言える状態となって上がってきたり。

 あまりのしつこさに何人か殴り飛ばしもしたが、それでも彼等は笑い続ける。そんな些細な事では、ほんの一時の事であったとしても、彼等の幸せを壊す事は出来なかった。


「しかし、まさか魔獣の正体がホワイトウルフだったとは。本当に驚きました」


 カイト自身が大人しく宴席に着いた事で、追いかけっこは終了。

 未だ周りは酒を飲んでいるが、取り敢えず一段落は付いた。その時を見計らい、ようやくジュラは今回の不可思議な件について問う。


「それにしても、何故北国の魔獣がこんな所にいたのでしょうか?」

「さぁ? 考えられるのは、魔界からの新たな漂流者か、密輸されたかってところだな」

「え? 魔獣の密輸なんてあるんですか?」


 前者の漂流とは、魔力が一ヵ所に集まった、所謂魔力溜まりと呼ばれる場所で見掛けられる現象だ。

 魔力は超常の力とはいえ、自然界に存在するものなので普通なら何ともない。だが、それが集束する事で空間に異常をきたし、魔界と繋がってしまうらしい。

 これについては本で読んだ事があるのでフェリスも知っているが、密輸とはどういう事か。


「綺麗な世界に生きてるお前に聞き慣れない話か? でも、ウチの業界じゃよく聞く話だぜ。普通の肉食獣より珍しいからな、貴族様の間じゃかなりの需要があるんだとよ」


 そもそも本来魔界に住むはずの魔獣が何故この世界にいるのかというと、500年前に戦争を仕掛けてきた魔族が持ち込んだ為だ。普通の獣と同じ凶暴性に加え、魔術とほぼ同等の力が使えるのだ。これほど優れた兵器はないだろう。

 だが、神威騎装デウス・マキナという神の力を得た人間と、エルフや獣人、竜族の連合を前に、魔族の軍は敗北を喫した。そして、敵将の首を取られた事で戦争に参加していた魔族は元いた世界に帰還した訳だが、兵器として放たれた魔獣は見た事のない世界を自由に駆け、そのまま主の下には戻らず住み着いてしまったのだ。この世界に適応出来ない種類もいたが、中には適応する為に独自の進化を遂げる個体もいた。やがてその魔獣は子を成し、更に孫が生まれて……というのを繰り返した結果、現在の魔獣が跋扈ばっこする世界が出来上がったという訳だ。

 そして、人間とは忘れる生き物。常に魔獣の脅威に晒される平民と違い、高台に暮らす貴族達は、嘗て猛威を振るった魔獣の力などとうに忘れている。だからなのか、彼等は味わった事のない刺激を求め、遠方の魔獣を取り寄せ始めたのだ。


「そ、それって危なくないんですか……?」

「危ないに決まってんだろ。けど、頭の中がお花畑になってる貴族様は、そういうスリルをご所望なんだとよ。俺には理解出来ないけどな」

「大丈夫です。私もそんなお気楽な思考、理解出来ませんし、する気もありません」

「お、言うねー」


 躊躇いなく貴族を罵倒する発言をしたフェリスに気を良くし、カイトは彼女にも酒の入ったグラスを渡す。

 こういった自分の意見をしっかり持っている人間は、非常に好感が持てる。


「さてと。その話は置いといて。俺はもうここを出るし、そろそろ報酬について話し合おうぜ」

「あれ、もう行っちゃうんですか? 少しくらいゆっくりしても……」

「生憎と、一つの場所に長々といるのは性に合わないんだよ。風の吹くまま気の向くままにってな」

「そうですか……。もう少し貴方と話すのも良いかなって思ってたんですけどね」

「話題なんて特にないだろ。それか、昨日から焼け焦げて穴が開きっぱなしの、お前のスカートについてでも話すか?」

「もう縫いましたよ!? っていうか思い出させないでください!」


 彼の軽口に対して大声で怒鳴るフェリスだが、この掛け合いも今では楽しく思えてくる。

 過ごした時間は3日ほどだったとはいえ、それでも出会った直後よりは仲良くはなれたはず。依頼が無事完了したので帰るのは分かっていたが、いざ別れるとなると、フェリスは少し寂しさを感じた。


「それで、報酬についてだけど。フェリスコイツにも言ったが、協力してもらったから金は山分けだ」

「有り難いです。ほんの少しのお金でも、今の村には救いです」


 ウルドの課す重税の所為で、キスク村の財政は火の車。カイトへの報酬を払っただけで、破綻しかねない。

 それが半額となるのだ。所詮雀の涙ほどだが、何もない状態よりかは幾分かマシだ。

 少しでも金に余裕が出来た事に、ほっと息を吐くジュラ。そんな彼に向け、カイトは悪戯っ子のように笑うと、


「なら、あのホワイトウルフの死体がありゃ、大助かりだろうぜ」

「「え……?」」


 一瞬、彼が何を言っているのか、フェリスとジュラは理解出来なかった。

 その反応を横目で見ながら、カイトは荷物袋からホワイトウルフの核を取り出して弄び始めた。


「討伐した証としてギルドに提出しないといけないからコイツは持っていくが、毛皮に牙、爪……ちゃんとしたトコに売れば、こりゃ最低でも50万Gゴルドはいくだろうな」

「ご、50万ですか!? そんなに……!?」

「何驚いてんだよ、これでも大人のホワイトウルフに比べりゃ低い方だぞ。貴族様御用達のオークションとかだと、牙一本で倍かそれ以上の金額で取引されてるらしいし」

「倍って……つまり100万、以上……!? 牙一本で!?」


 自分達がこれほど貧困に喘いでいるというのに、この小さな牙一本に村を救えるだけの値段が付き、売買されている。その事実にフェリスは目眩を覚えた。


「一応俺も小遣いほしいし、2、3本くらい爪とか牙持っていくけど、良いよな?」

「ふぇい!? あ、あー、2本ですね!? ど、どどどどうぞ!?」

「どんだけ動揺してんだよ……」

「いえ、この気持ちはよく分かります。私も危うく、心臓が止まるところでしたよ」

「それはアンタの場合、洒落にならねぇよ」


 冗談では済ませられない発言に、カイトだけでなくフェリスも顔を引き攣らせる。

 そうこうしている内に時間は過ぎていき、間もなく昼を迎える時間帯となった。これ以上留まっていると出発をずるずると先延ばしにしてしまいそうなので、いい加減ここを出る事を決めた。

 たった3日の交流だったが、既に村人の間で彼は英雄扱いらしい。宴席を一時中断し、わざわざ見送る為に集まってくれた。人と関わる事を極力避けているカイトだが、これは悪い気はしない。

 門から通るとまた通行税が掛かるので、今回は村人の案内で誰にも見付からず村から出られる森の抜け道を通る事になった。そして、装備や荷物袋の中身を確かめて出発の準備を進めていると、竹を編んで作られた孟竹容器をハインツが手渡してきた。


「ほれ、『恵みの風』特製弁当だ。道すがら食べな」

「? 注文した覚えはないけど」

「フェリスからの餞別だよ。ったく、たった3日でウチの大事な愛娘を落とすたぁ、テメェも罪な男だなぁ」

「ちょッ!? 何言っているの、お父さん!? そんなんじゃないから! ただのお礼よ、お礼!」


 照れるな照れるな! と揶揄うハインツの首に、フェリスの手刀が綺麗に決まった。

 元々アグレッシブな性格だと思っていたが、何やら箍が外れたように思える。膝から崩れ落ちる彼の姿を見て、カイトは『あれ? もしかして俺の所為か?』と勘繰ってしまう。だが、ここで肯定されても困るので、敢えて目を瞑る事にしよう。


「ここの飯は美味かったからな。有り難くもらうよ」

「ふふっ、そう言ってくれると嬉しいです。今後ともご贔屓に」

「そうだな。ここなら……死ぬ前にもう一度くらい来ても良いかもな」


 本人は独り言のつもりだったのだろうが、それは確かに聞こえた。『え……?』とその不吉な発言に、フェリスは思わず彼の顔を見た。

 当のカイトはそれに気付いておらず、何処か遠くに視線を向けている。

 それは、何度か見た事がある。ゾルガとの戦いの後や、自分の夢を語っていた時に見せた顔だ。この時だけ、彼は普段のふざけた姿とは掛け離れた、何とも言えない空気を纏う。

 彼の内側には何が秘められているのか、それはフェリスには分からない。だが、分からないからこそ、ただ純粋に彼の無事を願う。


「……もう! 何ですか、それ。そんな湿っぽいの、カイトさんらしくないですよ」

「ハッ! 何だよ、俺の事は何でも知ってますみたいな台詞。何? お前、マジで俺に惚れたの?」

「それはありません」

「即答かよ」

「昨日のお返しですよ」


 いい性格してやがる……! と昨日自分が言った言葉をそっくりそのまま返され、思わず笑ってしまう。

 普段のような影のある笑みではなく、心の底から楽しんでいるような笑みを。


「……お前はそのままでいろよ」

「? 何か言いました?」

「なーんも。年も年だから、幻聴でも聞いたんじゃねぇの?」

「まだそんな高齢じゃありませんってば!」

「おぉ、怖い怖い。嫌われ者の薄汚い傭兵は、さっさと退散するとしますかね」


 やはり年齢の事は禁句なのか、遂にフェリスは掴み掛ってくる。

 彼女の手をあっさりと躱すと、カイトは集まった人々の方を振り返る。全員が全員笑顔で並んでおり、自分の為に集まってくれたのかと思うと、人は利用し合う存在と豪語するカイトとしても感慨深いものがある。

 そんな彼等に向け、


「そんじゃ、またいつかお会いする日まで、ご機嫌よう」


 恭しく一礼し、森の奥へと消えていくカイトを、全員が手を振って見送る。

 それは彼の姿が次第に小さくなっていき、やがて見えなくなるまでずっと続いた。






「ふぅ……。ここらで少し、休憩するか」


 30分ほど歩いただろうか。すっかりキスク村の門は見えなくなった。

 それでも、やはり街まで10キロはある為、かなりの距離を歩いたはずなのに街並みなどは全く見えてこない。

 その代わりというべきか、美しい自然だけは続いている。カイトの目の前にある、清らかな水の流れる河川敷もその一つだ。


「時間的にも丁度良いな。さっきの弁当、有り難く頂かせてもらうとするかね」


 今日の朝食は保存食として持ち歩いていた干し肉だけ。しかも、半分はフェリスに渡したので、流石に少し足りなかった。

 金もあまりない為、こうして昼食を用意してくれた事は有り難い。

 期待に胸を膨らませながら弁当箱をの蓋を開けると、そこには様々な具が挟まれたサンドイッチが並んでいた。更に、その上には手紙が一枚乗せられている。


「えーと、『肉ばっかりじゃなくて、ちゃんと野菜も食べてくださいね! byフェリス』……って、母親かお前は」


 言動は明らかに子供っぽいのに、時折上から目線になるのは、やはり年上の威厳というものを示したいからなのか。それで年齢の事を口にすれば怒るのだから、女性というのはよく分からない。

 やれやれと肩を竦めつつ、箱に入っていたサンドイッチの内の一つ、卵サンドを口に含む。直後、その美味しさにカイトは口元を綻ばせた。


「やっぱ美味いな、あの店の飯は。あそこに住んでたらマジで通い詰めるな。金がないのに通ってる連中の気持ちがわかるわ」


 美味しいのは当然だが、何よりもこの料理には温かみがある。

 単純な温度などの話ではない。作った人の、食べさせる人への想いが伝わってくる。


「……クソ師匠の所にいた時以来か。こんな温かい飯食ったの」


 傭兵として活動する前、まだ10歳にも満たなかった頃。思い出すのは、いつも涼しげな笑みを浮かべる師の顔だ。

 と言っても決してクールなどではなく、妙に馴れ馴れしい上にふざけた態度を取る事が多く、はっきり言えばウザい。だが、人間という存在を快く思っていないカイトでも、何故か嫌いにはなれなかった。

 そして、今食した弁当からは、彼が作った食事と同じ温かみが感じられた。


「ハッ! すっかり胃袋掴まれちまったってか? 馬鹿馬鹿しい」


 決して口に出しはしないが、あの師はカイトが唯一心を許せる人物だ。それが、たかが弁当一つで変わるようでは、どれだけ単純なんだという話。

 満腹になり、太陽の暖かさもあって眠気を覚える。カイトはそれを丁度良いと思い、そのまま横になった。

 所詮フェリスも、あの村の人間も、今日で関わりはなくなるのだ。感じた温かみなど、ただの気の迷いだと結論付けてしまえばそれで終わる。胸の内に立ち込めたこの複雑な心境を断ち切る為、早々に眠ろうと彼は目を閉じた。

 だが、1分も経たない内に、それは断念する事となった。地面を揺らす複数の足音と、耳障りな金属音が彼の耳を刺激した為に。


「また随分と、耳障りな音が聞こえてきたな」


 昨日にも同じ音を聞いたばかりだ。間違えるはずがない。

 無視して眠ろうかとも思ったが、この騒音ではとてもそんな気にはなれない。苛立ち交じりに目を開けてみると、予想通りの集団が丁度頭上を通過していった。

 だが、何やら様子がおかしい。僅かに見えた顔からは、焦燥と不安の色が見て取れた。


「……嫌な予感がするな」






 時間は少し巻き戻り、カイトがまだ森の中を歩いている頃。

 キスク村ではまだ宴会が行われており、賑やかな声が響き渡っている。そんな中で、少々困った事態にフェリスは眉をひそめていた。


「さて、この死体はどうしましょうか」


 彼女の前にあるのは、討伐したばかりのホワイトウルフの死体。

 助言通り、これを取引業者に売ればいい訳だが、近くの街までは10キロもの距離がある。それを全長5メートル近くあるこの魔獣を担いでいくというのは厳しい。 

 カイトの場合は身体能力を上げていたので一人で軽々と抱えていたが、魔術を扱えない村人達では例え全員で挑んでも無理だろう。


「流石に、このままじゃ大き過ぎますもんね」

「やはり解体するしかないの。っという訳でハインツ、任せた」

「いやいやいや! 確かに毎日肉捌いちゃいるが、こんな大物は初めてだよ。それに下手やって爪や牙に傷でも付けたら、一気に値打ちが下がっちまうだろ」


 カイトの見立て通りなら、この死体の値打ちは50万。しばらくの間、村の危機を脱するには十分な額だ。

 だが、それは状態が良ければの話。この値段は、カイトが盛大に腹部を抉ってしまった事も含めてのものだ。これ以上下げる事は、出来れば避けたい。


「ふむ、それもそうじゃの。となると、街まで行って専門業者を呼ぶしか……―――?」


 ジュラがそう提案した直後の事だった。唐突に、彼の言葉が途切れる。

 何だろう? とその様子を訝しみ、村人達は首を傾げる。それと同時、彼等は気付いた。

 こちらに向かって、無数の足音が近付いてきているのを。

 そしてそれは、彼等にとってはもはや聞き覚えのあるものだ。


「う、ウルドの一団だ!」

「嘘だろ!? 昨日来たばっかだぞ! 一体何しに来たんだ!?」


 門の向こう側に見えるのは、鎧を纏った騎士の一団と、それらに囲まれる一台の馬車。

 見間違えるはずもなく、それは村人達にとって恐怖の対象であるウルド達だ。

 だが、昨日訪れたばかりで、またここに来る理由が分からない。まさか、昨日の今日でまた税を引き上げるとでも言うつもりなのだろうか。

 一抹の不安を覚える彼等の前で、一団は停止する。そして、御者が開けるよりも早く、扉を蹴破るようにしてウルドが飛び出してきた。


「こ、これはこれはウルド様。本日はお日柄も良く……」

「えぇい、邪魔じゃ! そこを退け!」


 いつものように、相手の機嫌を損ねないように恭しく礼をしようとするジュラ。

 だが、彼の事など全く視界に入れず、ウルドはそのまま横を通り過ぎる。その光景に、誰もが呆然とする。人々を虫ケラ同然に見て、息をするように人の心を傷付けていくこの男が、まるで周りなど眼中にないといった行動を取ったのだから当然である。

 そんな周囲の反応なども気にせず、というか気付きもせず、ウルドはある場所へと一直線に向かった。

 カイトがここまで持ってきた、ホワイトウルフの亡骸の下へと。


「あ、ぁああぁぁぁああああああッ!! ォォオオオォオオオオオオッ!!? 何と惨い姿にぃぃいいいぃいいいいいいいッ!!」


 腹部を盛大に抉り取られ、誰が見ても絶命していると分かるその姿を見た瞬間、ウルドはその場で泣き崩れる。

 そして次の瞬間、ボロボロと大粒の涙を零しながら、背後にやって来たゾルガに憤怒の形相を向ける。


「ゾルガ、お前の責任じゃぞ! お前がもっとちゃんと世話をしていれば! もっと早く見つけていれば! こんな事にはぁああぁぁぁあああああッ!!」

「はっ。弁明のしようもありません」


 彼としては別に自分の命以外どうでもいいので、その返答は実に簡素なものだった。それが一層、ウルドの内側で燃える怒りの炎へと、油を注いでいく。


「あるべ、ると……? 何で、そいつを……名前で呼んで……」


 そんな彼等の下らないやり取りなど、フェリスの耳には届いていなかった。

 唯一、ウルドが口にした、『アルベルト』という名前だけを除いては。


「全く。貴様等は本当にトンでもない事をしてくれたな」

「ぞ、ゾルガ様? これは一体……?」


 辟易とした様子で呟くゾルガに、同じく状況を理解出来ていないジュラが尋ねる。

 そして、彼の口から語られた言葉は、とても信じ難いものだった。


「このホワイトウルフ、アルベルトはウルド様が飼われている動物の内の一頭だ」

「なッ……!?」

「何十頭もいる動物達の中でも特にお気に入りだったのに、それを殺すなど……貴様等、この罰は鞭打ちだけでは済まんぞ」


 本来なら、不当な処罰を前に青褪めているところなのだろう。だが、その前に語られた事実の方が衝撃的過ぎてで、人々はその言葉を聞いていなかった。

 当然の反応だろう。今まで自分達の命を脅かしていたホワイトウルフの正体が、自分達を貧困に陥れていた領主の所有物など。心中穏やかでいられるはずがない。

 特に、誰よりもこの魔獣を憎み、無謀と言われようが戦う道を選んだ、フェリスに一番その怒りを露にしていた。


「ウルドが、飼ってる動物……? お気に入り……? じゃあ……じゃあ! そんなペットの所為で、オルガは死んだって言うんですか!」

「オルガ? 誰じゃそれは! そんな家畜なんぞの命より、アルベルトの命の方が何倍も重いわ!」

「か、ちく……!?」


 ウルドの言葉に、信じられないといった調子でフェリスは鸚鵡返しに呟く。


「何じゃ、もう忘れたのか? 我が昨日、貴様等を何と呼んだのかを」


 そう指摘を受けたフェリスの脳裏に浮かんだのは、昨日彼がここを訪れた直後に発した言葉。

 『可愛い可愛い子羊達』という言葉を。


「民とは所詮、国の食い物に過ぎん! ただ食われる為だけに育てられる畜生の分際で、喧しく喚きおって! 挙句、我の大切な家族にまで手を出す始末! 何たる不遜! 分というものを弁えよ!!」


 そう、子羊。ただ人々を馬鹿にした発言というだけではない。彼は本当に、人間をその程度にしか見ていなかったのだ。


「お前が……」


 人とは自分が生きる為の糧。所詮は食材でしかなく、少しなくなったとしても、補充すればいいだけ。

 いたって真面目に、本気でそう言い切れる。言い切ってしまう。


「お前がァッ―――!!」


 復讐の業火が、再び燃え上がる。

 殺人は罪? そんな事など知った事ではない。目の前のこの男だけは、絶対に殺さなければならない。

 その憎悪は暴風となり、世界に顕現する。フェリスの怒号と共にそれは吹き荒れ、確実にウルドを葬らんと迫る。


「そうはさせんよ! ―――《司教の氷刃アルマッス》!」


 だが、即座にゾルガが反応し、右の掌に浮かぶ聖痕をなぞる。

 直後に聖痕を基点として粒子が集束。次の瞬間には白銀の刺突剣レイピアが、その手に握られる。

 それを、まるで指揮棒のように真上に向けて振るう。すると彼の動きに連動するように氷の盾が出現し、ウルドの命を散らそうとした暴風は阻まれた。

 もっとも、風が止むのと同時に、その盾も砕け散ったが。


「ふはッ! 何て威力だ。即席でそれほど厚さはなかったとはいえ、神威騎装の力で生み出した氷を壊すとはな」

「……そこを、退いてください」

「退くと思うか?」

「なら、力づくで押し通ります! ―――《貫穿の雀ピアッシング・スパロー》!」」


 ホワイトウルフと戦うのを決めた時と同様に、神徒に挑むのも無謀だという事は分かっている。

 だが、止まらない。魔力の大幅消費など知った事か。

 掛け替えのない友人を奪い、それでいて罪悪感を微塵も感じていないあの男さえ仕留められれば、それで良い。


「―――《氷乱半月ディスターバンス・ラディウス》」


 柄の部分をくるくると回し、まるで弄ぶかのように《司教の氷刃》を振るうゾルガ。

 剣の軌道に沿って、空気は氷結。半月上の刃を無数に形成していく。

 それらは瞬く間に彼の周囲を覆っていき、飛来する雀達の進行を阻む。あっさりと攻撃が打ち消されるその様は、フェリスのの怒りを掻き消しているようにも見える。


「ッ……!」

「どうした? まさか、あの程度で俺がれるとでも思ったか?」


 苦々しげに顔を歪める少女に、ゾルガは嘲笑で応える。

 そして直ぐ様大きく剣を振るうと、生み出されたのは、先程の氷刃とは比べものにならないほど巨大な刃。形こそ違うが、それは生物の命を狩り取る死神の刃だ。


「―――《氷刃弦月ブレイド・クレッセント》」

「―――《風盾ウィンド・シールド》!」


 自分の命を狩り取る為に放たれた氷刃に対し、フェリスは風を集束させる事で対抗する。

 だが、そんなものは神の力の前に無意味。言外にそう告げるように、飛来した氷刃は、盾に食い込む。それどころか、止まる様子を全く見せずに進行していく。


(食い破られる!? 何で……!)

「そこまで不思議か? 自慢の魔術がまるで通用しない事が」


 まるで自分にとって何でもない事のように、ゾルガは言ってのける。


「可笑しな事ではあるまい。この剣は神威騎装。その能力ちからが、ただ氷を作り出すだけだと思うか?」

「……確かに、それだけなら魔術師でも出来ますから……ね!」


 相手が話している隙を突き、盾を僅かに傾ける事でフェリスは氷刃の軌道を逸らす。

 今まで碌にこの男が戦う姿を見た事などなかったが、やはり曲がりなりにも神徒。一筋縄で行くはずがなかった。

 であれば、もはや出し惜しみなどしていられない。自分に残るありったけの魔力を注ぎ込み、


「―――《暴嵐の隼テンペスト・ファルコン》!」


 暴挙を打ち破る、勇敢なる隼を召喚する。

 自分の全てを込めただけの事はあり、その威力は絶大。その余波だけで、葉や枝、人までもが飛ばされていく。

 宙を舞う葉を巻き込み、一瞬にして粉微塵にするそれは、もはや削岩機同然。その暴風は、水平に渦を巻き、巨悪を吹き飛ばさんと突き進む。

 だが、


「昨日、俺の氷を砕いた技か……。何度見ても凄まじいものだ」


 では……、とその脅威に晒されているはずのゾルガは、尚も笑ってみせる。


「まずはその心を折るところから始めるとしよう」


 再び、ゾルガは手の中で剣を弄ぶ。だが、それは指揮をする動きではない。

 その手元に向け、空気が、水分が集っていく。やがてそれは巨大化していき、荒ぶる大自然の猛威を再現し、敵を飲み込む大渦と化す。


「―――《氷瀑望月カスケード・ムーン》」


 ゴッ!! と。フェリスの竜巻と相対するように、吹雪が直進する。

 ぶつかり合う、隼と氷。前者は自身に残る全てをつぎ込み、後者は精々総量の3分の一程度。

 どちらが勝つかなど分かり切っている。多少事前に消費していたとはいえ、それでも全身全霊を込めた暴風が、氷の渦を噛み砕く。

 


「なッ……!」


 だが、噛み砕かれていくのは、隼の方だった。

 比喩などではない。こちらへと向かう氷の渦は、暴風すらも凍らせ、砕き、徐々にフェリスの下へと迫ってくる。

 それはまさに、滝という自然の脅威すらも凍て付かせる氷瀑の名を冠するに相応しい。


「そ、んな! 何で……!?」

「《司教の氷刃》は密集する大軍に分け入り、千回以上も敵を討ったとされる剣。だが、持ち主はその時既に身体を4本の矛に貫かれ、瀕死の状態だったという。思うのだが、果たしてそんな状態で奇跡を起こせるだろうか」


 フェリスの疑問には答えず、歌うようにゾルガは告げる。


「出来るとすれば、それはこの世に命は繋ぎ止めるほどの何かがあったから。家族か? 恋人か? 答えは否。そんな曖昧なもので死力を尽くして戦えるなら、この世から戦死者の数は激減するだろう」


 確かに、家族の為、恋人の為と、誰かの為に戦う者は多くいるだろう。だが、死に直面した時、人は結局自分の為に戦い、生きようとする。

 名誉や誇りなどかなぐり捨て、不様だと嘲笑われようが、必死になって生に執着する。


「結論を言おうか。この《司教の氷刃》は、刃、そして生み出した氷が触れたものから魔力を奪い取る能力を持つ。貴様がどれだけの魔術攻撃を仕掛けようが、この氷に触れた瞬間に吸収され、私の糧となるのだ」


 自分が生き残る為には、敵を殺せばいい。そして生み出された血肉の上に勝者は立ち、そこから未来への道が出来ていく。

 《司教の氷刃》の力はそれと同じ。自分が更なる未来を、栄光を得る為に、敗者の血肉を喰らう。


「ッ……!? きゃああぁあああああぁぁぁああああああッ!!?」


 遂に氷の渦によて暴風は食い破られ、その衝撃にフェリスの身体が宙を舞う。

 受け身を取る余裕もなかった。背中から地面に強く叩き付けられ、苦痛に顔を歪める。

 おまけに、攻撃の余波を受けて、彼女の腕や足にまで僅かに氷が覆っていた。そこから絶え間なく魔力が奪われ、身体から力が抜けていく。

 その反応を楽しむように笑いながら、ゾルガは《司教の氷刃》を彼女の首元に当てた。


「力の差を分かってもらえたかな? 出来れば、大人しく降伏してもらえると、面倒事が増えなくて済むのだが?」

「……どっちにしても、皆を殺すつもりでしょ? そんな事、絶対に……!」

「ならば、ウルド様に掛け合い、処罰を考え直すように取り計らってやると言えばどうかな?」

「ッ!?」


 突然の申し出に、フェリスの顔に驚愕と期待の色が浮かぶ。だが、それは直ぐに消え去った。

 美味い話ほど、何かしらの裏があるという。散々自分達を苦しめてきた彼等が、今更希望など与えるだろうか。

 彼女が抱く警戒心を肯定するように、ゾルガは言葉を続けた。


「勿論、タダでとは言えん。お前がある条件を呑めばの話だ」

「条件……?」

「そう。―――俺の部下となれ、フェリス・ルスキニア」

「なッ……!?」

「お前は中々使える奴だ。その類まれなる才能、ここで終わらせるのは惜しい。俺の部下となり、その力を振るえ。そうすれば、この場での彼等の命、更にはこれからの生活も保障しよう」


 選べる道は2つに一つ。昨晩のカイトとのやり取りを思い出させる。

 確かに、プライドを取るか、大切な人々の命を取るかというのは、全く同じ。だが、どちらを選んでも、そこに自分の希望などない。ただ兵器として、言い様に使い潰される未来しか浮かばない。


(それでも……!)


 何に変えても、家族を、大切な村人達を守りたい。その為に、フェリスはホワイトウルフに挑んだはずだ。

 ならば、やはり取れる選択肢は一つしかない。

 自分の未来を捨てれば、皆を、そしてこれからの彼等の未来を守る事が出来る。ならば、躊躇いなく自分を捨てよう。

 結論を出したフェリスは、その答えを告げようと口を開き、


「―――ふざけるんじゃないよ!」


 寸前、怒りに満ちたジーナの声がそれを遮った。


「要は私等が助かる為に、その子を差し出せって言ってんだろ!? アンタ等みたいに人を犠牲食い物にして自分の立場を守るような連中の真似、出来ると思ってんのかい!」

「……言葉は選んだ方が身の為だぞ、夫人。短絡的な物言いと思考は、自らの破滅を招く」

「お生憎様、よーく理解した上で言ってるよ。だけどね、私達が助かる為にその子を犠牲にするくらいなら、私は喜んで死んでやるよ!」


 今にも飛び掛からんとする勢いで、怒声が轟かせるジーナ。

 それに触発され、更には村人達も続々と声を上げ始めた。


「そ、そうだ! 俺達の大切な娘を、奪われてたまるか!」

「俺達が家畜だと!? お山のてっぺんでふんぞり返って、寝てるだけのテメェ等に言われたくねぇ!」

「神徒だからって調子乗ってんじゃねぇよ、ガリガリ野郎!」

「フェリスお姉ちゃんを泣かせるなぁ!」


 大人だけでなく子供までもが、口々にゾルガに反抗する声を上げる。

 ただ虐げられるだけだった者達が、たった一人の少女の為に、服従ではなく抵抗の道を選んだ。それも、何の血の繋がりもなく、普通なら忌み嫌われる存在に対してだ。

 そこに、種族の垣根など存在しない。ただ大切な我が子の事を想う、とても言葉では表し切れない愛があった。


「皆……!」


 共に過ごしてきた人々の想いを知り、フェリスの胸に熱いものが込み上げてくる。

 その言葉を聞けただけで、人々を―――家族を守れて良かったと、心の底から思える。


「人々の絆、人徳というやつか。くくくっ、中々美しいものだな」

「ッ……!」


 だが、そんな美しい光景も、ゾルガの胸を打つには至らない。

 戦慄するフェリスなど全く意に介さず、彼は剣を構え、


「確かに美しいが、力なき者が無意味に喚き散らすその姿は同時に……見苦しい!!」

「ッ!? 皆―――!」


 懇願するフェリスの声など、当然聞き入れる訳がない。

 一人ではなく、邪魔する者全ての首を刎ねんとする。

 そして躊躇いなく、まるで虫でも払うかのように、横一閃に振るい、


 ゴッッッ!!! と。

 寸前、彼等が通ってきた門が、轟音と共に吹き飛んだ。

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