第16話 王者を食らう二匹の獣

 東の空に太陽が昇り、人々もようやく布団から起き上がる時間帯。

 大抵の者はそこから顔を洗い、歯を磨き、食事を取るだろう。そして、同じ生物である為か、環境は違えど獣の行動も似通っている。

 木々が鬱蒼と生い茂る森の中を歩く、白銀の体毛を持つ魔獣―――ホワイトウルフにしても同様だ。


「グルゥ……」


 鼻を引くつかせ、片方だけになった目を動かして、ホワイトウルフは獲物を探す。

 普段なら一食抜いても平気なのだが、昨日は妙な2人組との戦闘で激しく動いた。彼等の所為で夕食にはありつけなかったので、腹が減ってしょうがない。流石に二食続けて抜くのは、勘弁願いたい。

 空腹による苛立ちを覚えながら歩いていると、その鼻がある匂いを嗅ぎ取った。既に嗅ぎ慣れた、何とも香しい―――血の匂いを。

 そうと分かれば行動は早い。躊躇なく、匂いの発生源に足を向ける。


「ハッハッハ……!」


 好物となった肉の味。それだけが発する魅力的な香り。

 それは次第に強くなっていき、口から零れ落ちる涎も気にせず、ホワイトウルフは駆けていく。

 やがて、白銀の狼は匂いの源へと辿り着く。そこにのは、無数のゴブリンの死体だ。

 その肉は生臭く、はっきり言ってホワイトウルフの好みではない。だが、この数ヶ月で森に棲息する魔獣の大半を食い尽くした事もあり、今からもう一度獲物を探しても、まともな食料にありつけるかは疑問だ。

 選り好みは出来ないと悟った狼は、ゆっくりと牙の並んだ口を死体の山に近付け、


『ったく、遅ぇんだよ』


 肉の一つを口に含んだ時、は聞こえた。

 敵の気配を感じ、何処だと首を巡らせた時には既に遅い。影に潜んでいた狩人の眼光が、その身を射抜く。


「臭過ぎて―――マジで鼻曲るかと思ったじゃねぇかぁッ!!」


 死体の山を内側から吹き飛ばし、は絶叫と共に腕を突き出す。


「ギャゥン!? ウガァァアアアアァァァアアッ!!?」


 全く予想だにしなかった場所からの奇襲。ホワイトウルフは完全に虚を突かれ、その鼻に強烈な掌底を叩き込まれた。

 更に、痛みと共に、妙な異臭が鼻を衝く。血の匂いとは全く違う、吐き気を催すほどの刺激臭だ。幾ら手で払おうと消えないその匂いに、ホワイトウルフは悶え苦しむ。


「いよっし。まずは誘き出すのに成功っと」


 その予想通りの反応を見ると、血生臭い中で一時間近く待った甲斐もあるというもの。

 もっと言えば、早朝からゴブリンの巣一つを壊滅させた甲斐もある。


「鼻も潰せたし、上々上々っと……って。おい、フェリス。何引いてんだよ?」


 上機嫌で、物陰に隠れていたフェリスの方へと振り返る。

 だが、カイトとは対称的に、彼女は顔を顰めて彼から距離を取ろうとしていた。


「すいません近付かないでください。分かっていても無理です」

「あー……なるほどなるほど。流石に女にはキツいか、この臭いは」


 そう言ってカイトは、右の手甲にこびり付いた泥を払い落とす。勿論、それはただの泥ではない。

 人間なら当然の如く不快感を表し、その中でも女性が特に嫌悪するものが含まれている。それは、


「匂い以前の問題ですよ! 誰だって嫌に決まってます! ゴブリンのふ、糞なんて!」

「ハハッ、そっちか! けど、こいつは冒険者や傭兵になりゃ必ず付き合うモンだ。俺も最初は抵抗があったけど、今はもう慣れたよ。ほれ」

「ちょっ!? どさくさに紛れて、その手をこっちに向けないでください!」


 毒草やヘドロ、ゴブリンの糞尿を交ぜてこしらえた毒薬。恐らく、この世で最も簡単に作れる代物だろう。

 交ぜる草の種類にもよるが、酷い組み合わせなら数分後には天国の扉が見られる。加えて糞による腐臭もあって、匂いを嗅ぐだけでも鼻が死に掛けるほどだ。

 特にイヌ科の動物は鼻が優れている為、その影響はとても顕著に表れる。


「ま、今回だけなんだし、そこは気にしない方向で……っとぉ!」


 最後まで言い切る前に、何かの気配を感じたカイトは横に跳躍する。

 それとほぼ同時。先程まで彼が立っていた場所に、巨大な氷柱つららが突き刺さった。現状で、こんな攻撃を仕掛ける存在など、一体しかいない。

 顔を引き攣らせながら発射元を見ると、やはりというべきか。瞳に怒りを滾らせた、片目のホワイトウルフが彼等を睨んでいた。


「さぁ、気を引き締めろ。一瞬たりとも気を緩めるな。ハンティングだからって嘗めてると、こっちが狩られるぜ」

「分かってますよ。そういうカイトさんも、もう少し緊張感を持ったらどうですか?」

「バーカ。俺はいつだって神経張り詰めまくってる……よっと!」


 先手必勝と言わんばかりに、カイトは地面を蹴って勢いよく駆ける。

 それを迎撃せんと、ホワイトウルフは口内から冷気を発し、周囲の空気を凍結させて氷柱を生み出す。

 今度こそ獲物を貫こうと、勇ましい鳴き声と共にそれは放たれ、


「―――《貪狼どんろう》」


 再び、その一撃は躱された。緩急を付けた動きと、残像を残すほどの速度によって。

 連続して氷柱による砲撃を繰り出すが、結果は同じ。全て、虚しく空振りに終わるだけだった。


(凄い……! 種が分かってる分、あれがどれだけ凄いのかよく分かる!)


 昨夜の作戦会議の中で、フェリスはカイトの扱う流派についても聞いていた。

 曰く、無頼覇刀流ぶらいはとうりゅうは剣術の速さと鋭さに、しなやかな動きを実現しながら破壊力のある体術を組み込む事で、身剣一体とする流派。故に剣術だけでなく、拳法や組討術などの剣を用いない近接戦も得意なんだとか。

 そして、《貪狼》や《禄存ろくそん》はフェリスの予想通り、魔力制御によって単純な肉体強化以上の動きを可能としているらしい。だが、世間からすれば高等技術とされるその技術は、この流派においては基礎らしく、例え剣術が出来ても全部で7つあるこれらの技が出来なければ一人前と認められないとの事。


「お、っらぁ!」


 魔力を纏わせ、岩をも砕くほどの威力を持つ剣で斬り掛かるカイト。

 バッ! とホワイトウルフは上空に跳び上がる事でそれを避け、更には木々を足場にして、後を追う彼を撒こうとする。


「―――《風矢ウィンド・アロー》!」


 直ぐ様魔術によるフェリスのフォローが入るが、それよりもホワイトウルフの動きの方が速い。

 加えて、以前のように空気を凍らせる事で即席の足場も作り始め、より軌道が複雑になってきた。物量に頼るべきかと一瞬思ったが、フェリスは直ぐに首を横に振ってその考えを却下した。


(まだ子供とはいえ、ホワイトウルフは間違いなく強敵……! 無駄打ちは控えるように、言われますからね)


 自分で術式を構築した固有魔術は魂に密接に関わる為、消費する魔力は形態化したものに比べて多い。今回は長期戦になると推測されるのに、無駄にそれを乱用して途中退場など洒落にならないだろう。

 事前にカイトからそう指摘を受けており、フェリスは好機が訪れるまで本来の力を抑えておくと決めていた。

 だが、それを逆に優位と取ったのか、ホワイトウルフが攻勢に打って出る。一際大きく上に跳んだ後、そのまま重力に従って落下。地面を沈ませるほどの勢いと共に脚を付け、―――ドッ!! と至る所から氷柱が立ち上がった。


「跳べ!」

「言われなくても!」


 前回の戦闘でも見せた、地下水を利用しての全方向攻撃。

 その既に脅威を知っている2人は、跳躍する事でそれらを躱す。所詮は噴出する水の高さまでしか氷柱は伸びないので、それよりも高く跳んでしまえば回避は容易だ。

 もっとも、このまま落ちれば串刺しになる事は間違いないのだが。


「―――《空槌エア・ハンマー》!」


 それよりも早く、氷で覆われた地面に向け、圧縮された空気が振り下ろされる。

 真上からの不可視の圧力に、天然の剣山となっていた氷柱は、ガラス細工の如くあっさりと砕かれた。


「上出来! ―――《禄存》!」


 無事に着地出来る事を確認したカイトは、空中を蹴って一気に降下する。

 自分と同じように、落下の勢いを利用した攻撃。次の行動をそう読んだホワイトウルフは、後方に跳ぶ事で回避を試みた。


「甘い甘~い!」


 対するカイトは、何とも気の抜けるような返答で相手を嗤う。

 そして、ホワイトウルフの予想に反し、気軽な調子で地面に足を付ける。その、次の瞬間。

 ドッ!! と力強く地面を蹴り、弾丸の如き速度で突撃。相手の鼻に、容赦ない膝蹴りを打ち込む。


「ギャッ……ガァアアアァァアアアアアアッ!?」


 痛みと驚愕が交ざった絶叫を響かせながら、人間の数倍はある巨体が軽々と吹き飛ばされる。

 何本かの木を折りながら飛び、視界から消えていく標的。自分が生み出したその光景に、カイトは満足そうに頷いた。


「おーおー、飛んだ飛んだ。よく食ってた割に、意外と軽いなー」

「いや、貴方の脚力が異常なんだと思いますけど……。まぁ、身体強化の影響が大半でしょうけど」


 それでもあれだけの巨体をあっさり蹴り飛ばしたのは、爽快感を感じると共に驚愕が大きい。

 ホワイトウルフが消えた方向に視線を向けながら、若干顔を引き攣らせるフェリス。

 だが、その顔は直ぐに引き締められる。

 濛々もうもうと立ち込める粉塵の奥。そこに、強い殺意が滲む眼光を見た為に。


「グルルルルゥッ……!!」

「見るからにお怒りって感じだな」

「昨日は片目を潰されてますからね。ここまで一方的にやられたら、そりゃムカつきますよ」

「ハッ! 小せぇ野郎だな。今までこれ以上の痛みを、人間様に与えてきたんだろうに」


 やれやれといった調子で、カイトは肩を竦める。それについては、フェリスも激しく同意だ。

 一方、ホワイトウルフからすればそんな事は知った事ではない。弱肉強食の世界で生きてきた者にとって、これまでの行為は所詮、生きる為の糧を得ただけの事なのだから。


「グゥ……オオォォォオオオオオオォオオオオッ!!!」


 故に、自分が弱者に、食われる側に回る事など、あってはならない。

 『北の王者』と呼ばれる魔獣が咆える。目の前に立つ敵を、王者に楯突く愚か者を、確実に殺すと宣言するように。

 ピキピキ……! と何かが凍る音が聞こえた。一瞬身構えるカイト達だが、これは彼等の動きを封じる為のものではない。氷が覆っていくのは、それを生み出している魔獣自身の身体だ。

 4本の脚が、胴体が、頭が。全てが白に染まる。何者にも汚せぬ神秘性を示すそれは、身体を厚く覆う鎧であると同時、頭部からは馬上槍ランスの如き角を、4本の脚からは短剣の如き刃を生み出し、敵を殲滅せんとする非情な武器となる。


「これは……氷の、鎧!?」

「昨日のが本気じゃないってのは分かってたけど、まさかこんな姿になるなんてな。しっかし、魔獣が身を守り、そして敵を殺す武器を作るか……」


 目の前のホワイトウルフが取った行動に、カイトは怪訝そうに眉をひそめる。

 魔獣などと呼ばれ、特異な能力を持っているとは言え、その根本は獣だ。己の牙と爪を以て獲物を狩るのが普通のはず。

 中には独自の進化を遂げた動物もいるので断言は出来ないが、それでもこれは違うと思う。


(人間臭い……とまでは言わないが、やっぱり普通の魔獣とは違うな)


 本来の棲息地北国以外の場所で育った影響にしても、少々違和感がある。

 この件には何か裏がありそうだが、一先ずそれは置いておくとしよう。


「まぁ、何にせよやる事は変わらねぇよ」

「その続きは、何となく分かる気がしますね」

「お。なら、一緒に言ってみるか?」


 片や真剣な眼差しと共に、片やニヒルな笑みと共に。

 それぞれの表情こそ違うが、目的は同じだった。それは至ってシンプルに、


「「御大層な鎧を砕いて、叩きのめすだけ!」」


 改めてそれを宣言し、彼等は二手に分かれて駆け出す。

 ホワイトウルフの速度なら容易に追い付くが、それでも最初にどちらを狙うべきかを逡巡し、足を止める。

 その一瞬の隙を見逃さず、フェリスは相手を射抜くように人差し指を向けた。


「―――《貫穿の雀ピアッシング・スパロー》!」


 嘴に風邪が渦巻く事で、高い貫通力を得た雀。それが3羽ほど放たれ、僅かに動きの止まったホワイトウルフに襲い掛かる。

 湾曲した軌道を描かない為、それらは最短最速で標的の下に向かう。そして、ズガガッ! と刺突音が連続すると共に、一直線に飛んだ鳥達が氷の鎧を穿つ。

 だが、


「ッ……! やっぱり、分厚いですね……!」

「防具なんだから当たり前だ」


 傷こそ付いたが、それは表面だけ。肝心の内部にまでは通っていない。

 一瞬その顔に焦燥が浮かぶが、隣からの声に気を持ち直した。そして、入れ替わるようにカイトがホワイトウルフへと接近する。

 今まで通りでは、あの身体に傷一つ付ける事は叶わない。それを認識すると、刃に流していた魔力の量を増やし、強度を高めた。

 対するホワイトウルフの方も、もう油断はしない。迫り来るカイトに、避けるのではなく、逆に突進を仕掛けた。


「重ッ! それに冷てぇ!?」


 間一髪で頭部から伸びた角に串刺しにされるのは避けたが、それとは別の痛みが彼の身体を襲う。

 どうやらホワイトウルフを覆う鎧は、極めて低い温度らしい。身体強化で魔力を身に纏っていなければ、即座に凍傷を起こしていた事だろう。

 魔力制御に改めて意識を向けつつ、カイトは態勢を立て直して着地。衝撃の勢いで地面を滑るが、剣を使ってブレーキを掛けると、再度地面を蹴ってホワイトウルフへと接近する。

 ほぼノータイムで切り替えしてから、無防備な口を狙って斬り上げる。だが、相手はその軌道に沿って跳躍し、難を逃れた。


「避けたか! けど……!」

「―――《一群の椋鳥ベヴィ・スターリング》!」


 退避したホワイトウルフの頭上。無数の影が舞い、それに気付いた相手は顔を向ける。

 それとほぼ同時、無数の影―――風のムクドリが頭部を襲う。完全にカイトに集中していたので回避が間に合わず、直撃。ダメージが小さいだろうが、衝撃で白い巨体は地面へと突き落とされた。


「まだまだ!」


 2人は攻撃の手を緩めない。地面に倒れるホワイトウルフに向け、第二波のムクドリが襲来。

 更に標的の真上にまで跳び上がり、剣を振り上げたカイトもその後に続く。

 だが、二種類の攻撃が届く寸前、ホワイトウルフは素早く起き上がる。そしてカイトを視界に捉えると口から冷気を発し、そこから巨大な氷柱を発生させて放った。

 重力を無視して上空に向かったそれは、あっさりと小鳥の群れを蹴散らし、そのままカイトへと迫った。


「チィッ……!」


 空中では回避も出来ない。魔力制御によって身体の一部に防御を集中させる手もあるが、下手を打って重傷を負う可能性もある。

 そう判断して直ぐ、カイトは左腕を振るう。その腕に装着した手甲から飛び出したのは、小さな黒い球体。

 放たれたそれ―――火薬が氷柱に着弾した直後、キュガッ! と閃光と共に爆発。それを使ったカイト自身を衝撃が襲う。

 だが、それこそが狙い。かなり至近距離にまで攻撃が迫っていた事もあって、爆発の衝撃を受けたカイトの身体が少し動き、攻撃の軌道から外れた。


「ッ……!」


 《禄存》で数回空中を蹴り、勢いを殺す。そして何とか着地すると、カイトは一旦距離を取った。

 追撃しようとホワイトウルフは走り出すが、その身をフェリスが生み出した雀が再び襲う。

 相手が僅かに怯んだ隙を突き、彼女は両側に指を向ける。そこから放たれるのは、風の汎用魔術風矢。当然あらぬ方向に飛んでいくが、それは違う。彼女は確実にあるものを狙っていた。

 それが穿ったのは、生え並ぶ木々の根元に仕込まれた火薬。外部からの刺激を受けたそれらは一斉に起爆し、根元を破壊された木は、ホワイトウルフを囲むように倒れる。


「グゥオオォォォオオオオオオッ!!」


 大したダメージにこそならないが、人間なら確実に潰れるほどの大きさがあるのだ。それが何本も倒れ込んでくれば、足止めくらいにはなる。


「頂き!」


 魔力を纏わせた剣をを突き出し、カイトは即席の丸太に動きを封じられたホワイトウルフを顔を貫こうとする。

 だが、そんな軽い攻撃を、簡単に通してくれるはずもない。

 相手が口を開いた直後、ホワイトウルフを守るように発声した冷気の爆風が、一帯に荒れ狂う。


「うおッ……!」

「きゃあッ!?」


 今までとは違うタイプの全方向攻撃で完全に不意を突かれ、吹き飛ばされた2人は強かに地面に打ち付けられる。

 もっとも、一応受け身には成功したのでダメージは低く、直ぐに立ち上がり反撃に出た。

 お返しと言わんばかりに、移動の要となる足に向けてカイトは剣を横薙ぎに振るう。

 それを、氷の刃が飛び出た足を以て、ホワイトウルフも迎え撃つ。ガキンッ! と鋭い音を立てて交錯する2つの刃。相手を何としても排除せんと、無理矢理押し込もうと両者は力を込めていく。


「私も、忘れないでほしいですね!」


 2人が鍔迫り合いを演じている間に、フェリスが即座に接近し、ホワイトウルフの背後に立つ。

 素早く右手を前に構え、魔力の消費が少なく、最短で発動出来る《風矢》を発動。ホワイトウルフの後ろ脚を撃ち抜く。


「ぐおッ……!?」


 直後、ホワイトウルフは一端足を引いてカイトの態勢を崩した後、再び足を振るって彼を蹴り飛ばす。そして、その姿が視界から完全に消えるのも待たず、ぐるりと身体を回転させた。

 標的を目の前でうろちょろしていたカイトから、フェリスに移したのだ。獲物を正面に捉え、鋭い牙の並んだ口を開き、彼女を噛み砕こうとする。

 飛行を可能とする術式もあるが、それよりも相手の方が速い。


「―――《浮遊レビテーション》!」


 故に、発動させたのは飛行ではなく浮遊。単に立っている場所から上に浮かぶだけの基礎魔術だが、今はそれで十分だ。

 牙が届く寸でのところで浮かび上がり、フェリスは獣の脅威から逃れた。


「おいおい……! 散々人を誘っといて、飽きたら他の女に即鞍替えとか……トンだ尻軽だなァ!」


 自分に背を向けるホワイトウルフに向け、再度カイトは攻撃を仕掛ける。

 死角からの奇襲。だが、気配を察知したのか、ホワイトウルフは後ろに跳んで回避した。


「おらおら、どうしたァ!? こっちはようやく身体が温まってきたトコだぞ!」


 その様子を嘲笑い、挑発の言葉を並べていくカイト。同時に《貪狼》を発動し、目で追う事が難しい程の速度で標的に正面から突っ込む。

 自身とほぼ同等の速度を前に、流石のホワイトウルフも反応が遅れ、回避のタイミングを逃す。そのまま真正面から、強烈な肘打ちが叩き込まれた。

 直後に、まるで列車が衝突したかのような衝撃が発生。空気の振動と共にホワイトウルフの身体は吹き飛ばされ、凄まじい地響きを鳴らしながら倒れ込んだ。

 だが、2人の攻撃の手は止まらない。カイトは再び地を蹴って距離を詰め、フェリスは腕を前に突き出して魔力を練る。

 このまま連撃を食らうのはマズい―――! そう判断したのか、ホワイトウルフは彼が自分の下に辿り着く前に、無数の氷柱を生成。それらを迫り来る相手に向けて飛ばす。

 一方のカイトは、そんな脅威に晒されても立ち止まる事はない。次々と襲い掛かる氷柱を掻い潜り、払い落とし、ホワイトウルフの目前まで迫る。

 魔力を剣が折れるか否かの限界まで封入し、切断力を向上。そのまま剣を振り下ろし、刃がその頭部を一刀両断にする―――寸前、ホワイトウルフの口が大きく開かれた。


「ぐっ……!」


 至近距離からの冷気の暴風。それを前に剣の威力は削ぎ落され、最終的には力負けし、後方へと吹き飛ばされた。

 肉体強化のお陰でダメージは少なく、身体も凍り付いていないが、大きく距離を離された。中距離戦を可能とする相手と違い、近接戦が主体のカイトにとってこれは最悪。再び接近を試みようとし、


「―――《閃空の軍艦鳥セイバー・フリゲート》!」


 走り出す直前で、フェリスの放った軍艦鳥を模した真空刃がホワイトウルフ目掛けて飛ぶ。

 無数の氷柱を打つ事で迎撃しようとするが、それらは全て切り裂かれる。

 撃ち落とすのは不可能と悟ったのか、迫り来る刃を、ホワイトウルフは横に跳躍する事で躱した。


「もう、カイトさん! あんまり突っ込まないでくださいよ! フォローしようにも出来ないじゃないですか!」

「あー……悪りぃ悪りぃ。今まで一人で依頼こなしてきたからな。中々慣れなくってさ」

「共闘を提案したのはそっちでしょうが……。まぁ、カイトさんの場合、誰かと一緒に戦う事があっても、囮とかにしてそうですよねー」

「うぐッ……!」


 人間関係とは、利用するかされるかで成り立つもの。

 そんな持論から、今まで彼女の言うように囮にした人間の数は、両手の指では足りない。


「でも、無茶しないでくださいよ。私達は今、一緒に戦ってるんですから」

「あん? ンなのは分かって……」

「いいえ! 分かってません!」


 強い口調と共に、ビシッ! と人差し指で向けられ、思わずカイトは口を噤む。


「カイトさんは仕事だからだって言いそうですけど、結局は皆を守る為に戦ってくれてます。そして私も、貴方を……皆を守りたい。だから、一人で戦うなんてなしですよ?」


 守りたい。全くの赤の他人から、そんな事を言われたのは初めてだ。

 基本的に大抵の事は一人でそつなくこなしてきたし、そもそも言ってくれるような人間自体が傍にいなかった。だから、一人でいる事に慣れ、それが普通だと思ってきた。

 だが、この少女は何だ。何故、まだ会って間もない人間をそこまで信じられる。もしや真性の馬鹿ではないかと、思わず心配になってくるほどだ。


(けど……そんな言葉に踊らされてる俺も、大概馬鹿だよな)


 孤独を享受して生きてきた者が、こんな簡単に落とされるとは。自分で自分が情けなく思えてくる。

 それでも誰かに信頼されて、不思議と嫌な気分はしないが。


「……チッ! へいへい、分かりましたよ」

「ちょ!? 今舌打ちしました!?」


 適当に誤魔化した後、カイトは再度標的に向けて飛び出す。後ろでフェリスが何か言っているが、無視だ。

 今は取り敢えず、眼前の魔獣を倒し、


(光の世界にいるこの女を、無事に送り届けてやるよ!)


 ホワイトウルフの前に辿り着いたカイトは、相手の顎に柄による強打を食らわせる。 

 予想外の強い一撃にホワイトウルフは仰け反るが、吹き飛ばされるほどではない。そして竿立ち状態を逆に利用し、彼を押し潰そうと前脚を振り下ろす。

 だが、単純な近接戦闘ならカイトにも分がある。足の筋力を底上げし、真っ向から攻撃を防御。直後に剣を薙ぎ払い、相手の巨体を弾き返した。

 その予想外の反撃に、ホワイトウルフは大きく態勢を崩す。当然、そんな好機を見逃すはずがなく、


「―――崩拳ほうけん!」


 攻撃の命中する瞬間、地面を強く踏み付ける事で震脚を起こし、その威力分だけ威力を増す拳打。

 それは熟練者が放てば、大の大人でも間違いなく数時間は意識を失う技だ。それを魔力で更に底上げし、無防備に曝け出された腹部に繰り出したのだ。

 強烈の一撃は、ホワイトウルフの身を覆っていた鎧にひびを入れ、その内側にまで衝撃を伝える。


「私も、行きますよ! ―――《貫穿の雀》!」


 最も貫通力を持つ風の雀達が、カイトが入れた罅に向けて飛来する。

 『千丈の堤も蟻の一穴から』という言葉の通り。彼が最初に穿って出来た小さな亀裂が、強固な壁を壊す突破口となり、次第に鎧の罅が大きくなっていった。

 そして、一旦雀が途絶えた僅かな時間差でカイトが再び距離を詰め、そこに斬撃を叩き込んでいく。

 流石に途切れる事のない猛攻に耐えきれなくなったのか、ホワイトウルフは子供が地団太を踏むように身体を暴れさせ、カイトを遠ざけた。

 弾き飛ばされた彼に向け、直ぐ様ホワイトウルフは追撃を仕掛けようとする。だが、新たに飛来したムクドリの群れがそれを阻む。


「もうこれ以上、誰も傷付けさせない!」


 親しかった村人達、何より友人。この魔獣には、多くの人々を奪われてきた。

 もう、絶対に奪わせはしない。誰かに止められようと、この思いだけは止められない。

 助けを願い、誰かに頼るのではなく、自分の力で守る事を決めた少女の攻撃は、更に苛烈さを増していく。


「カイトさん!」

「言われなくても!」


 弾幕で相手の動きを封じたところで声を飛ばすと、それを受けたカイトが地を強く蹴り、一気に距離を詰める。

 彼に当たらないように道を開けつつ、フェリスは決して攻撃の手を緩めない。

 そして、風の通り道を抜けたカイトも加わり、ホワイトウルフに食らいついていく。

 絶え間なく鋭い音を響かせ、純白の鎧を切り裂いていく斬撃。嵐のように荒れ狂い、敵を撃ち抜いていく風の弾幕。2人の必死の猛攻が、確実に、着実に相手の体力を奪う。


「ガァアアアァァァアアアアアアアアアアッ!!!」


 だが、『北の王者』としての誇りがあるホワイトウルフも、ただやられているだけでは終わらない。

 猛々しく、そして怒りに満ちた咆哮。それに呼び起こされたかのように、ホワイトウルフを中心として吹雪が巻き起こる。


「きゃっ……!」


 その凄まじい冷気を前に、フェリスは攻撃を中断し、一旦後ろへ下がる。

 だが、カイトだけは違った。怒り狂う相手など知った事ではないとでも言うように、躊躇いなく吹雪へと突っ込んでいく。


「フェリス! お前が磨いてきた魔術は、こんなチンケな風に押し負けちまうのか!?」

「ッ! そんな訳、ないでしょう!」


 言葉の意図を察したフェリスが大きく両腕を広げると同時、突如竜巻が吹き荒れる。

 それはカイトに纏わり付いていた冷気を吹き飛ばし、一気に標的までの通り道を築いた。


「ナイス!」


 障害がなくなった事で、カイトは更に速度を上げる。迎撃の為に放たれた氷柱すらも掻い潜り、ホワイトウルフの顔面に剣を突き立てた。

 対するホワイトウルフも負けじと、その頭部から伸びた角で応戦。ガキン! と両者の武器が交わるが、その拮抗は長く続かない。


「無頼覇刀流・五の型―――残火ざんか


 相手と密着状態にある剣に向け、カイトは拳打を繰り出す。強烈な後押しを受けた剣は、相手の角に深々と食い込む。

 そして、―――バギャァン! と角を、鎧を食い破り、生身の頭部を切り裂いた。

 堪らずホワイトウルフは悲鳴にも思える絶叫を上げ、暴れ狂う。

 至近距離にいたカイトはまともにその煽りを受け、遠くへと弾き飛ばされた。


「この野郎ッ……!」

「気を付けてください、カイトさん! 何かヤバいです!」


 身を翻して着地するのと同時、何かを警告してくるフェリスが声が飛ぶ。

 否、何かではない。その正体は、目の前にある。

 彼の目が捉えたのは、再びその身に氷を纏わせるホワイトウルフの姿。角が元通りとなったばかりか、四本の脚に備わった刃も更に伸ばし、背中からは長大な刃を翼のように広げている。

 殺気を感じ取ったカイトは、即座にその場から飛び退く。

 その直後、数秒前まで彼が立っていた場所を、ホワイトウルフが駆け抜ける。それだけなら、ただの体当たりと変わらない。だが、背中から伸びた翼が、両側に並んでいた木々を切り飛ばすのを見てしまうと、思わず冷や汗が流れる。


「自分の速度を利用した特攻技か……。いいぜ、来いよワン公! たっぷり遊んでやるよ!」


 今の攻撃の威力を間近で見ながら、尚もカイトは挑発してみせる。それに応えるように、ホワイトウルフも再び特攻を仕掛ける。

 食らえば即死。それを肝に銘じながら回避に徹する。一度避けるのに成功しても、直ぐに方向転換して向かってくるので、気を緩める余裕などない。

 加えて、やはり速度が厄介だ。最高速を維持したままの突進を前に、確実に避ける事は不可能に近い。故に例え直撃したとしても、致命傷にだけはならないよう、身体を傾けるなどして衝撃を逸らす。

 だが、当然このまま膠着状態に陥る事など、彼は望んでいない。


「フェリス、やれ!」


 最小限の回避行動しか取らなかった事で、上手くホワイトウルフを一ヵ所に固定する事が出来た。

 そこへ、カイトの合図を受けたフェリスが、魔力を練った腕を振り下ろす。


「―――《空槌》!」


 ドンッ! と真上から襲い掛かる、不可視の圧力。しかも、先程よりも威力が大きい。

 僅かにでも、確実にホワイトウルフの動きを止める為、カイトが標的を引き付けている間に出来る限り大量の魔力を込めたのだ。

 当然カイトもその一撃を受けるが、勝つ為ならこの程度どうという事はない。

 そして、《空槌》の効果が切れた瞬間を見計らい、カイトは走り出す。事前にそれが来ると知っていた彼とは違い、完全に不意を突かれたホワイトウルフは、まだ回復しきっていない。その致命的とも言える隙を突き、


「そこォ!」


 素早くホワイトウルフの真上に飛び上がり、その背中に剣を突き刺す。

 それだけなら氷の鎧に阻まれて内側には届かない。故に、駄目押しと言わんばかりに柄を蹴り、鉄杭のように深く打ち込んだ。


「ガゥアァァアアアッ!?」

「畳み掛けろ!」

「―――《一群の椋鳥》!」


 剣を抜き取り、カイトが跳び上がった直後、一斉にムクドリの群れが襲い掛かる。

 かなりの傷を負ったところに、更に絶え間なく弾幕を受けたのだ。傷口を刺激されたホワイトウルフは怯み、動きを一瞬止める。


「おらよっと!」


 その一瞬の隙に再びカイトが背中に飛び乗り、ホワイトウルフの背を斬り裂き、貫く。

 まだ決定打とはならない。だが、ようやく分厚い鎧が崩壊し、白銀の体毛が輝く生身の身体が表に出てきた。

 この唯一にして、決定的な突破口を、見逃す訳にはいかない。


「フェリス、例のを頼む!」

「はい! これで、決めます!!」


 号令を掛けた後、カイトはホワイトウルフの背を蹴って真上へ。それだけに留まらず、《禄存》も使用して更に上へと登っていく。

 やがて森一帯を見渡せるほどの高さにまで達した時、彼は剣の切先を、身体を、視線を大地に向けた。

 同時に、彼の次の動きを後押しするように、その周囲に魔力を帯びた風が渦巻いく。それが形作るのは、勇敢さを象徴するとされる隼。


「無頼覇刀流・三の型―――雷霆らいてい!」

「―――《暴嵐の隼テンペスト・ファルコン》!」


 嵐の中を進む隼と共に、カイトは落雷の如く急降下する。

 元々破壊に特化した技に加わる、回転による貫通力。その暴嵐は襲い来る全て薙ぎ払い、その雷は眼前の障害を全て打ち砕く。

 迫り来る人間が生んだ猛威を前に、ホワイトウルフは動かない。否、動けなかった。

 天災と称するに相応しい力と、その中心から此方を見据えるカイトの瞳を見た瞬間、悟ったのだ。自分は既に狩る側ではなく、―――狩られる側なのだと。


「お願い! 届いて!!」

「はあぁぁあああああぁあああああああああッ!!!」


 懇願するようなフェリスの声と、カイトの雄叫びが交わる。

 直後、―――大地を揺らすほどの轟音が、世界に響いた。

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