第15話 悪夢

「よしっと。取り敢えず、大まかな作戦としちゃこんなモンか」


 揺らめく焚き火の傍で、作戦を練っていたカイトとフェリス。

 満天の星空の下で一組の男女がと聞くと、ロマンチックに思うかもしれない。だが、彼等は別に愛だの恋だのを語っている訳ではなく、その空間に感傷的な雰囲気はない。ただ、如何に効率的に敵を屠るかだけを語り合っていた。

 それがようやく一段落を付くと、2人の間に穏やか空気が戻る。長時間同じ姿勢でいた事で、すっかり筋肉が凝り固まってしまい、それをほぐそうと、ゴキゴキ……! と彼は首を動かした。

 そこで彼は、月が大分、というか真上に登っている事に気が付いた。


「おーおー、結構話し込んだみたいだな。もう0時にはなるぞ。こりゃ、そろそろ寝た方が良さそうだな」

「あれ? 罠とかは作らないんですか?」


 今まで話し合いの内容には、幾つか用意する罠についても含まれていた。早々にホワイトウルフを討伐するつもりなら、これから作るのだろうとフェリスは思っていたが、どうやら違うらしい。


「作ろうにも、餌にする魔獣は皆、巣穴でおねんねしてるよ。まぁ、今から巣穴に飛び込んで、連中を皆殺しにしようって気があるなら手伝うぜ?」

「あー……遠慮しておきます。目的のホワイトウルフを倒す前に、死にたくはありませんから」


 意地の悪い笑顔と共に告げられた言葉に、フェリスは特に口答えせず、大人しく従う。その判断は、暗闇の恐ろしさをある程度知っているが故だ。

 今は人間も含めて大抵の動物は眠る時間だが、一部例外が存在する。それは、夜行性の生物だ。

 彼等が夜に活動する理由は、大まかに分けて2つ。一つは、黒い体色の生物や表面積の小さい生物などは、昼間の直射日光で体温が過剰に上がってしまう為。もう一つは、昼行性の獲物が休息している夜間、それを狙う為だ。

 地味な体色と小さな身体で闇に紛れ、聴覚などの視覚以外の発達した感覚で、彼等は獲物を捕捉する。対して人間は、暗さに目が慣れ始めるのに5~10分掛かるという。今は火に恐れをなして近寄ってこないのだろうが、これを消せば夜目に慣れない自分達を食らう為、瞬く間に襲い掛かってくるはずだ。

 それでも負けるつもりはないが、この後に更なる大物が控えているというのに、雑魚相手に余計な体力を消耗する事は避けたい。


「それに、薄暗くて手元も見えやしない。これじゃ罠作りは無理だ。朝イチで寝惚けてる魔獣狩ってくるしかねぇよ」

「っていう事は、明日の朝は早いのかぁ。うわぁ……ちゃんと起きられるかな」


 普段は柔らかいベッドだが、今夜は硬い地面が寝床。寝心地の違いなど歴然だ。食堂の手伝いで基本的には早起きのフェリスだが、いつも通り起きられるか不安になってくる。

 だが、そんな彼女の小さな心配は、カイトによってあっさりと解決した。


「安心しろ。どうせ俺の方が早く起きるからな。叩き起こしてやるよ」

「普通でお願いします……。って、そっか。カイトさん、不眠症でしたっけ」

「一応少しは寝てるぜ。ま、直ぐに起きるけど」


 寝坊する可能性が大きいので、起こしくれるのは有り難い。起きている理由が睡眠障害なので、あまり喜べたものではないが。


「あー、それからコレやるよ」


 唐突に思い出したようにそう言うと、カイトは道具袋からあるものを取り出す。

 自分の前に差し出された手の中を見ると、そこにあったのは、


「耳栓、ですか?」

「横でゴソゴソ動かれてちゃ、眠るものも眠れねぇだろ? 流石に気配までは断てないけど、ないよりはマシだと思うぞ」


 ちなみに予備だから一回も使ってないぞ、とご丁寧に付け加えた上で、カイトはそれを押し付ける。

 一見それは、出来るだけフェリスが眠れるように気を配っての行動に思える。だが、耳栓を渡されたフェリス本人は、何故だか分からないが、そこに僅かな違和感を覚えた。


(……何だろう? やけに必死っていうか、何ていうか)


 上辺だけ見れば、カイトの表情は今まで見てきた、ニヒルな笑顔と変わりない。

 だが、目だけは違う。拒否など許さないというように、強制するように、全く笑っていなかった。

 気にはなるが、やはり眠気には勝てなかった。どうせ今回だけという事もあり、大人しく従う事にする。


「それじゃあ、有り難く使わせてもらいます」

「おう、感謝して敬え。讃えろ。奉れ」

「そこまではしませんよ」


 彼の口から放たれた相変わらずの軽口に、少しだけフェリスは安堵した。

 どうやら、先程彼の瞳に見えた暗い色は気の所為だったようだ。今の彼からは、何もおかしなところは見受けられない。

 その後、フェリスは彼のローブを布団代わりにし、カイトはそのままの状態で横になった。






(……やっぱり眠れない)


 明確な時間は分からないが、未だ周囲が暗いので深夜2時頃といったところだろうか。

 記憶が一部飛んでいる為、一応少しは寝たようだ。それでも横になって寝付くまで大分時間が掛かったので、恐らく実際に眠っていたのは1時間程度。普段と違う環境と緊張から、予想通り直ぐに起きてしまった。


(カイトさんは、眠れたのかな?)


 ゆっくり首を横に向けると、未だ燃え続ける焚き火と、その向こう側で彼女に背を向けて眠るカイトの姿が視界に入る。

 眠っているのか、それとも単に横になっているだけかは分からないが、自分よりはちゃんと休めているようだ。


「……気にしないし、したってしょうがない、か」


 それは不思議とフェリスの心に残る言葉だった。

 思えば、自分の正体を知ってすんなり受け入れてくれたのは、両親以外では初めてかもしれない。村人達にしても、自分を見て最初は良い顔をしなかったそうだし。

 単に、カイトが豪胆な性格というだけかもしれない。だが、ハーフエルフは人にとって恐怖の、エルフにとっては厭悪えんおの象徴だ。どちらも原因が分からずに異形の血が混ざったのだから、その反応が普通だろう。それが、ただ性格というだけで、すんなり受け入れられるものだろうか。


(何か裏が……なさそうかな。この人の場合)


 たった一日だけのやり取りでも、彼は自分の目的を最優先にする人物だという事が分かった。そして、それを成し遂げる為なら、何でも利用するという事も。

 今回彼の標的となったのは、『北の王者』ホワイトウルフ。それ以外のものは、眼中にないといったところか。

 だが、ホワイトウルフの登場に恐怖し、怖気づいていた自分を落ち着かせたりと、周囲を道端の石コロのように思っている訳ではなさそうだ。だとすれば、あの言葉は単純に興味がなかったからではなく、彼女の特異性を知って尚もから受け入れたから出たという事になる。

 それほど人を想っていながら、何故他者を利用するかされるかの存在と断じるのか理解出来ない。


(ホント、何であんな事が言えるんだろ……。あー、駄目だ! 訳分からないよ!)


 矛盾した彼の言動故に彼の本心が読めず、わしゃわしゃわしゃー!! と苛立ち交じりに髪を掻き毟るフェリス。

 その時、不意に横になっていたカイトが身じろいだ。それを視界の端に捉え、フェリスの動きが硬直する。

 起きちゃったかな? と思い、フェリスはしばらく息を殺して様子を見る。だが、彼は特に声も上げず、態勢を変えるだけだった。


(寝返り打っただけか。……あ、そうだ)


 再び動きを止めたカイトを見て、フェリスはある事を思い付く。そして、好奇心の赴くまま、カイトの下へと忍び寄った。


(寝てる時の人の顔って素直になるって言うし、ちょっとだけ見てみようっと)


 ニヒルな笑みに狂笑、仏頂面など、この短時間で見てきたカイトの表情は、どれも穏やかなものとは言い難かった。であれば、違った側面の顔を見たいと思うのが当然ではないか。

 それに、今まで散々おちょくられてきたのだ。このくらいの仕返しをしても、罰は当たらないだろう。

 そうと決まれば行動は早い。悪戯っぽい満面の笑みを浮かべながら、フェリスは彼の顔を覗き込み、―――苦悶に歪むカイトの顔を見た。


(え……)


 予想外のものを見て一瞬呆けてしまったが、直ぐに現実に戻る。見間違いではない。

 カイトの表情は険しく、きつく眉間に皺を寄せている。加えて耳栓で声は聞こえないが、時折唇が震えているところを見ると、喘ぎ声を漏らしているようだ。


(うな、されてる……? え、ちょっ……!? ど、どうしよう!?)


 何故こうなっているのか分からず、混乱しそうになるフェリス。それでも起こした方が良いとだけは思い、身体を揺すろうとする。


「―――   ……」

「え……?」


 だが、彼の唇が明確に動くのを見て、寸前で手を止める。無意味に発せられたものとは違う。今のは明らかに、何か意味がある言葉を紡いでいた。

 気になって耳栓を外してみると、フェリスは確かにその言葉を聞いた。


「メ、ル……。み、んな……。ごめ、ん……な」


 ………

 ……

 …


 似たような夢を見るのは、これで何度目だろうか。

 自分が見ているものを夢だと理解しながら、カイトはそんな事を思う。

 服装は、普段と全く変わらない黒尽くめ。右手には剣を握り、獰猛な笑みを浮かべる。

 そんな彼の前に立つのは、優に50は超える甲冑姿の軍勢。誰もが殺気を満ち、こちらに剣を向けている。


『おーおー、天下の帝国騎士様が雁首揃えてくれちゃって。誰かの誕生パーティーの真っ最中だったか?』


 やはり、自分の意思に反して口から言葉が出る。それも当然か、これは所詮夢なのだから。

 冷静に心の中で呟く自分に対し、相手の方は怒り心頭といった様子。カイトの言葉を引き金に、一斉に剣を振り上げて襲い掛かる。

 絶望的とも言える光景だが、カイトは怯まず、ただ前に進む。止まる事など当然出来ないし、仮に現実だとしても、止まる気はない。自分の目的を成し遂げるまで立ち止まりはしないと、あの日に決めたのだから。


『しゃらくせぇ! そんな鈍らで俺をる気かよ!? どいつもこいつも熱量が足りねぇな!』


 叫びながら相手の首を、腕を、胴を斬っていく。狂気の笑みと共に、鮮血に染まり、命を刈り取る姿は死神の如し。

 だが、彼は神などではない。所詮はただの人間だ。

 相手に傷を付けたかと思えばこちらが斬られ、仕留めたかに思えば返す刀で肩を刺される。致命傷は避けているものの、僅かな一撃一撃が確実に彼の肉体を傷付けていた。


『そうだ、もっとだ……。もっと来い……!』


 にも拘らず、カイトの剣戟は留まるところを知らない。その身を自身と敵の血で染めて尚、決して切先を緩めはせず、次々と敵を絶命させていく。

 更に奇妙な事に、傷付き、血が滴り落ちるごとに、彼の笑みはより一層濃くなっていった。

 血に染まる事を望むように。死地に向かう事を願うように。

 そして、その願いが叶う時が来た。確実に仕留め、倒れ伏していた騎士の一人が、カイトの足に短剣を突き刺す。それによって一瞬ではあるが、確かに彼の動きは止まる。その好機を見逃すはずもなく、半死半生の騎士達も纏わり付き、彼の身動きを完全に封じた。


『……あぁ、ようやくか』


 精々首を動かすくらいが関の山。反撃など出来るはずもない。

 だが、味方ごと自分を貫こうとする無数の刃が迫るのを見ても、カイトは抵抗する事はなかった。

 その顔に浮かんでいたのは、諦観とはまた違う。まるで、全てを受け入れているかのようだ。


『メル……。皆……、ごめんな』


 ここにはいない者達への、謝罪の言葉を告げる。それが唯一、自分に出来る事だ。

 そして、迫り来る刃を迎えるように手を広げ、


『―――大丈夫』

(ッ……!?)


 聞こえてきたのは、自分のものではない、ましてや騎士のものでもない、優しげな少女の声。

 直後に、地獄絵図の如き戦場は瞬く間に霧散し、眩いほどの光が差し込む。同時に、全身が何か暖かく、柔らかいものに包まれている感覚に襲われる。

 光の加減の所為か、声の主の姿は分からない。だが、何故か声を聞いていると、安心感を覚えた。


『―――大丈夫ですよ。私が此処にいます』


 相手の輪郭さえ見えないのに、まるで手を差し伸べられているように思えた。

 自分は、それを取るべきではない。危険だとかいう以前に、そんな救いを受ける資格がない。

 だが、


(くそっ……。何なんだよ、コイツは……)


 自分の手はその意思に反し、差し出された暖かな手に向かって伸びていた。


 …

 ……

 ………


 むにゅ……、と。

 掌に伝わった柔らかい感触に、カイトは目を覚ます。


「んぐ……?」


 同時に、息苦しさを覚える。何かは分からないが、柔らかいものがカイトの顔を覆っていた。


(ンだ、こりゃ? 毛布……なんて持ってねぇし)


 不思議と嫌な感じはしない。寧ろ妙な心地良さも感じ、再び夢の世界に旅立ちそうになる。

 だが、流石に窒息するのは御免だ。もう一度眠るにしても、少し位置をずらしてからと、彼はそれを強く握った。


「あ、ん……」


 妙に艶めかしい声が聞こえたのは、まさにその時だ。

 その瞬間、朦朧としていたカイトの意識は一気に覚醒する。そして、恐る恐るといった様子で首だけを上に向ける。

 視界に入ったのは、やはりというべきか。幸せそうに、涎を垂らしながら眠るフェリスだった。

 だが、それに対しカイトは、状況を理解した直後に顔を真っ赤に染めた。


(こ、この体勢からすると、俺が今顔を埋めている柔らかいものは……フェリスの胸!?)


 昨日揉んだばかりだというのに、今度は顔を埋めてしまった。混乱と羞恥で、頭の中が真っ白になる。

 咄嗟に離れようともするが、首と後頭部に両腕を回され、しっかりと抱き締められていたのでそれは叶わなかった。

 あまり今の状況では使いたくない手段だが、やはりここは声を掛けて起こすしかないだろう。


「ふぉい……。おい、起きろ!」

「んん……? なぁにお父さん、そんな大声出して……。もうご飯出来たの?」

「オーケー。その口に牛乳拭いた雑巾捻じ込んでやるから、今直ぐ離れろ」


 何とも間抜けな返答に苛立ちを覚え、カイトの額に血管が浮かぶ。

 対して、父親なら絶対に言わない毒舌に違和感を覚えたのか、ようやくフェリスは現状を理解し始めた。


「へぁ……? カイト、さん……? って、な、ななな何で私の布団に!?」

「そりゃ、こっちの台詞だ。朝一で見たのが、お前の間抜け面ってのに一番驚いてるわ」

「あ、あぁぁぁああああッ!? そ、そっか! 潜り込んだのは私か! ど、どうも失礼しました!?」

「いや、別に怒っちゃいねぇよ。ただ清楚系だと思ってたお前が、実は痴女だった事に驚いただけだ」

「誰が痴女ですか!?」


 自分の行動に今更ながら恥じらいを感じている為か、胸に顔を埋めたり、触れられたりした事は完全に忘れているらしい。ここは敢えて触れないで、いつもの自分のペースに持っていく事にする。

 フェリスの方も未だ混乱から脱せず、冷静な思考が出来ていない為、まんまとその思惑に乗せられた。


「あのですね! 覚えてないでしょうけど、貴方は昨日の夜うなされてたんですよ!」

「だろうな」

「それで……って、え? だろうな? ひょっとして、覚えてるんですか? 昨日の事」


 痴女扱いに腹が立ち、(胸の件を忘れたまま)昨夜の出来事を話し出すフェリス。

 だが、当のうなされていた本人であるカイトは、それが当然の事のようにすんなりと受け流した。


「ってか、いつもの事だからな。一度眠れば悪夢へゴー! そして気分爽快にお目覚め(笑)って訳」

「それじゃあ、不眠症っていうのは……」

「嘘に決まってんだろ。別に知る必要はないし、知る事もないと思って適当言ったんだよ」


 ふぁ……、と眠気が残っている事を示すように、カイトは大きな欠伸をする。

 何とも気軽な様子だが、それを聞かされたフェリスは気が気ではない。彼の話が本当であれば、もはや不眠症よりも深刻な病気ではないだろうか。


「何で、そんな毎日うなされて……」

「それこそ知る必要はねぇな。ま、強いて言うなら……当然の報いってトコだな」

「報い……?」


 ふざけていた態度が、その言葉を呟いた瞬間だけ真剣で、それでいて暗いものに変わった。

 疑問の声を上げるフェリスだが、カイトとしてはこれ以上話す事はない。直ぐに立ち上がると、パンパン! と服に着いた土を払いながら歩き出す。


「ンな事より、さっさと飯食って餌取りに行くぞ。グダグダ喋ってるところを後ろからガブリなんてなったら、死んでも死に切れねぇよ」


 話を変えようとしているところを見ると、やはり触れられてほしくない事のようだ。ここまで頑なだと、流石にフェリスも聞く気が失せる。

 だが、誰かの名を呼び、謝罪していたあの声を思い出すと、やはり気になってしまう。内容が、ではなく、彼の向かう先が。何を背負っているのかは知らないが、これからもその過去に誰も触れないよう全てを拒絶し、一人で生きていくつもりだろう。


「……何だよ、この手は」


 そう思うと、つい手が伸びてしまった。フェリスの手は、誰の手も取ろうとしないカイトの手をしっかりと掴んでいた。


「あの……もう少しだけ、ゆっくりしてからでも良いんじゃないですか?」

「いや、人の話聞いてた? 呑気にお茶してる暇なんかないんだっつーの」

「でも、まだカイトさん、体調が良くありませんよね? そんな状態で挑む方が、無謀ってものじゃありませんか?」

「う……」


 フェリスの想いについては、全く分からない。だが、正論をぶつけられた事でカイトは口を噤んだ。

 いつものようにはぐらかしても良いが、何故かそれは躊躇われた。また必要以上に絡んでくると思った事もそうだが、何より有無を言わさぬ圧力を持つその目に気圧された。


「はぁ……分かったよ。んじゃ、お言葉に甘えてもう10分横になってるわ」

「うんうん、素直でよろしい」

「急に年上ぶるなよ。ババァって呼ぶぞ」

「もし言ったら、ふかふかの雲の布団で永眠させますよ?」


 やれるものならやってみな、と両腕を枕にしてカイトは再び横になる。

 どうせまたあの夢を見るのだろう。慣れてはいるが、一日に2回は少々キツいものがある。

 そんな事を思っていると、横から気配を感じた。チラリとそちらに見ると、何故かまたフェリスが自分を抱き締めようとしていた。


「……おい。何してんだ、アバズレ」

「酷ッ!? ただ抱き締めようとしただけで、何でアバズレって呼ばれなきゃならないんですか!?」

「そうとしか言えないからだよ。会ってそう時間も経ってない男、普通抱き締めるか? それともあれか? 締め落とす気だったか?」

「しませんよ、そんな事!?」


 なら何だ? と横で大声を上げるフェリスに、鬱陶しげな視線を向けながら尋ねる。

 だが、その答えを聞く前に、再び彼女はカイトの背中に手を回し、


「貴方が何を抱えてるのかは知りませんし、聞きもしません。でも……一人で抱える必要なんてないんですよ」

「ッ……」


 在り来たりと言えば、在り来たりな言葉。何だか他の人間に言われた事もあるが、聞き入れるつもりはないもの。

 だが、毎晩の悪夢、そして恐らくは何かしらの寝言を聞いたのであろうフェリスが言うと、簡単に突っ撥ねる事は出来なかった。


「カイトさんは、三本の矢の話って知ってますか?」

「確か、東洋のことわざだったっけ? 詳しくは知らねぇけど」

「『矢は1本では簡単に折れるが、3本束ねると折ろうとしても簡単には折れない』。同じように、力を合わせて強く生きる事を説いた教訓だそうです」

「……詭弁だな。寄せ集めの偽善より、個人のドス黒い欲望の方が強い。それが世界の真理だ」


 傭兵として生きてきて、否。それ以前から見てきて、自然とこの世界の姿を悟った。

 誰も彼もが人の良さげな顔をしているが、結局は誰かを利用し、蹴落とす事で成り立っている。違うという者がいるのなら、今この世界を統べる貴族達を見ても断言出来るのか問いたい。

 実際に聞いてやろうかと、カイトは口を開きかける。だが、自分に向けられた優しげな眼差しに、言葉は止められた。


「そうですかね? どれだけ一人になろうとしたって、人は必ず誰かと関わっていきます。その繋がりは、一本だけならとても脆いものです。でも、それが何本も合わされば、とても強い繋がりになると思うんです……。

 私だって、最初は村の皆と何の関わりもありませんでした。でも、皆と一緒に居て、皆と話して、遊んでいく内に、想いが通じ合って、年齢も種族も超える事が出来た……。だから、今の私が此処にある」


 それは、世界から拒絶された者の言葉にしては、温かみのある言葉だった。そして、自分では決して辿り着ける答えではない。

 確かに彼女には、味方に付いてくれる人が大勢いただろう。だが、ウルドやゾルガといった腐敗した貴族によって、搾取され続けている。どれだけ人々が繋がったところで、結局は個人の力には負けるという、良い例ではないか。

 なのに何故、フェリスはこんな希望に満ちた目をしているのだろうか。


「確かにカイトさんの言う通り、個人の想いも強いと思います。でも、同じ想いを持つ人達が集まれば、その絆は……カイトさんの言う、個人の欲望にだって負けませんよ」


 世界を知らないからそんな事を言えるんだ、と断じてしまいたい。だが、それは出来なかった。

 拒絶された者という点で、自分と彼女は変わらないはず。にも拘らず、そんな答えを出した彼女の進む道に、興味を持ってしまったが為に。


「チッ……! くっだらねぇ」

「え、ちょっ!? 何処に……」

「お前のご高説の所為で、すっかり目が覚めちまったからな。餌取りに行ってくる」


 本心を悟られぬよう、フェリスから自分のローブを剝ぎ取ったカイトは、そそくさとその場を離れる。

 だが、その前に、自分と同じようで違う彼女に少しだけ助言する。


「一つ教えておいてやる。確かに束になった絆ってのは強いだろうさ。けどな……」


 フェリスが絆の力を信じるというのなら、自分は止めないし、止める気もない。

 だからこそ、自分と同じ、個を絶対とする人間にはなってほしくはない。


「一度バラけたら、そいつは二度と元には戻らねぇし、多くのものを失う事になるんだよ」

「それって……」

「これ以上言う気はねぇよ」


 尚も気になるといった様子のフェリスを横目に、カイトは思い出していた。業火と鮮血に彩られた、過去の記憶を。

 全てを捨てる切っ掛けとなった出来事に、再び自分の進むべき道を明確にしていく。

 その為にもまずは、眼前に立ち塞がる問題を、一つ一つ迅速に片付けていく事が先決だ。


「さぁ、それじゃあ―――ハンティングと洒落込むか」

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