第14話 暗き者

 カイトとフェリスが、月明かりの下で固く握手を交わしている頃。

 キスク村から数十キロほど離れた土地。そこには、このような緑豊かな場所にはとても似合わない、白亜の壁が眩しい豪邸がある。

 その庭には犬や猫といったごく普通の愛玩動物から、ライオンや蛇、鰐などの危険生物までもが放し飼いにされている。だが、種類から生息地、生態までも全て異なるというのに、動物達からは不満の色は微塵も感じられない。手品の種は結界魔術の類だが、態々動物の体調管理の為にそこまでやるという事に、恐らくそれを聞いた大半の人間が呆れるだろう。

 だが、そんな誰もが言葉を失う事を、は自身の権力を以て平然とやってのける。この地域一帯を治める領主―――ウルド・ベストリスは。


「はははははッ!! ういの~! お前達は本当にうい奴等じゃ~!」


 豪邸の一室にて、元々醜悪な顔を更に歪ませ、ウルドは最近お気に入りの愛猫に頬擦りしていた。


「お前達の顔を見てると、日々の激務で荒んだ我の心も癒されるわ!」


 彼自身はかなりご満悦らしく、チュバチュバッ! と擬音が付きそうな勢いでキスをしそうだ。

 もっとも、汗ばんだ肉の塊に包まれた猫の方は、どう見ても不機嫌に見えるが。


「じゃがここ最近、税の徴収は芳しくないようじゃのう?」

「恐らく、作物の収穫時期を過ぎてしまったのが原因かと。目に見えて収穫量が減っております」


 唐突に笑顔を消したウルドが問い掛けると、隅に控えていた執事はそう答えた。

 重税を課している時点で徴収が思い通りに進まないのは当然なのだが、ウルドはそんな事は気にも留めない。

 税とは、国や政府が提供する公共財や公共サービスの経費として、法律に基づき国民に負担を求めるもの。つまり彼等は、人々の生活を守っている自分達に対し、謝礼を渡す義務があるのだ。にも拘わらず、守られている身分でありながら、その感謝も忘れて支払いを拒むとはどういう事か。


「ならば、他で帳尻合わせをすればいいだけだろうに。今でも十分過ぎる量を食っとるのだから、食事の量を減らしたりな。全く、平民共は頭が回らぬのう」

「仰る通りでございます」


 苛立ちを抑えるように、ウルドは再び猫の頭を撫で始める。

 その顔に浮かんでいるのは、慈愛の表情。上辺だけ取り繕ったものではなく、本気で動物達を愛している事が窺える表情だ。


「最近では、この子等の食事の量も少なくなる始末だ。可哀想で見てられんよ。もし今度の徴収でも満足に払えんなどとぬかすつもりなら、この子等の餌にしてくれるわ」

「御意。では、そのように」


 恐ろしい事を平然と言ってのけるウルドに対し、執事の返答もあっさりしたものだ。既にこういったやり取りは、何度かしているのかもしれない。

 2人の会話がある程度済んだ時、頃合いを見計らったかのように扉がノックされる。

 ウルドがそれに軽く応えた後、扉を開けて室内に入ってきたのは、その強さ故に最も信頼を寄せる側近であるゾルガだ。


「失礼します、ウルド様」

「おぉ! 来たか、ゾルガ! それでどうだ!? ワシの可愛いアルベルトは見付かったのだろうな!?」


 相手の顔を見た瞬間、ウルドは期待を込めてそう尋ねる。この数ヶ月、ゾルガは同じ言葉を何度耳にしただろうか。その度に同じ答えを返してきた。そして、それは今回も。


「いえ、それはまだ……」

「何じゃ、使えんな。そんな愚鈍さで、よく栄えある帝国の騎士が勤まるものだ。怒りを通り越して呆れるわ」

「……誠に、申し訳ありません」


 嬉々とした表情から一転、彼の顔に浮かんだのは失望の色。もっとも、これもいつもの事なので、ゾルガは気に留めない。

 確かに、他人に宝物の捜索を依頼し、それが数ヶ月経っても進展しないとなれば、この反応も当然だろう。そもそも自分で探せばいいと思うのだが、それを口に出せば命はないので止めておく。


「それで、アルベルトが見付からぬのなら、何用で参ったのだ? まさか、我を失望させる為に参った訳ではなかろう?」

「はい、ウルド様。要件は、今朝の小僧についてでごさいます」

「今朝のというと……儂に剣を投げてきおった、あの生意気な小僧の事か」


 忘れようにも忘れられない、自分に剣を投げてきた少年カイト

 本人は不慮の事故だと嘯いていたが、あそこまで的確に顔面を狙ってきたのだ。明らかに殺す気満々だったとしか思えない。

 ここまでなら単に報復を考えての行動なのだが、彼の素姓をさぐる理由はもう一つある。それは、件の騒動の後で繰り広げられた、ゾルガとの戦闘。本気ではなかったとは言え、カイトは神徒イクシードとしての力を振るうゾルガと渡り合ったのだ。


(同じ神徒でも、かの『戦乙女』には劣るが……それでも神徒とほぼ互角など異常じゃぞ)


 軍で鍛えられた身体能力は勿論の事、神より授かった武具の力まで扱っているのに、同レベルの戦闘を熟してみせた。

 あれだけの動きが出来るのなら、それなりの実力者と思ったのだが、騎士達は全く心当たりがないようだった。全身黒尽くめの服に、血のように紅い瞳、不健康そうな隈。特徴となりそうなものは幾らでもあるのにだ。

 下手をすれば、現在ウルドが抱えているに関わってくる可能性もある。そこで、ゾルガに命じて早急に彼の素姓を調べさせていたのだ。


「それで、貴様とあれだけ渡り合えたあの小僧は何者なのだ?」

「はい。門の防衛に就く衛兵に確認を取ったところ、傭兵ギルドの者だと」

「傭兵? あんな小僧がか? ふはッ! 恐らく10代半ばといったところだろうに、わざわざ血生臭い職を選ぶとは! よほど金に困っていると見えるな!」

「左様でございますな」


 傭兵というのなら、まだあの強さも頷ける。金さえ払えばどんな仕事でも請け負うような人種なら、さぞ多くの修羅場を潜り抜けてきた事だろう。

 表沙汰に出来ないような仕事も熟してきたであろう事から、無名なのも納得だ。


「じゃが、そうなるとやはり関わってくるじゃなろうなぁ」

「はい。恐らく目的は、今まで来た冒険者と同じかと」

「冒険者共が手を引いたかと思えば、今度は傭兵か……」


 そう言うと、ウルドは忌々しげに窓の外を睨む。まるで、自分の領土を飛ぶ、鬱陶しい蠅を捉えるように。

 それでいて彼の目には、憂いの感情が見て取れる。それが人間に対してではなく、動物に対して向けられている事を、ゾルガはよく知っている。


「……心配でございますか?」

「馬鹿を申せ。心配な事などあるか。寧ろ喜んでおるぞ。こうして絶え間なく人が来てくれれば、アルベルトが飢えに苦しむ事はないからな!」


 ゾルガの言葉がツボに入ったらしく、ウルドは呵々かかと笑う。

 その人間を何とも思っていない言動を受け、ゾルガは今更ながら思い出す。


(生き物は愛しているが、それはあくまで物言わぬ動物だけ。意思を持って言葉を発する人間は、何とも思っていないのだったな)


 要は、自分に意見する人間が嫌いなのだろう。世界という括りから見れば小さいが、領主でも権力としては十分だ。にも拘らず、自分の言葉に従わず、逆に反抗してくる事が我慢ならないといったところか。

 それを究極に突き詰めた結果が、愛情を注げばその分だけ返してくる動物達への異常な執着という訳だ。

 心の中で、ゾルガは大きく溜め息を吐く。自身も大衆の声を鬱陶しく思う事はあるが、それでもここまで酷くはないはずだ。


「報告ご苦労じゃったな。もう下がってよいぞ」

「はっ。それでは、失礼します」


 退出の許しを得たゾルガは、恭しく一礼した後、部屋を後にする。

 今頃、部下の大半は騎士舎で酒を煽っているはず。執事もまだ中に残っている。現在廊下には、ゾルガただ一人。

 それを改めて確認すると、彼は今まで繕っていた笑顔の外した。


「……たかが田舎の一領主如きが。自分の脂肪でも食わせていろ」


 慇懃無礼な態度はすっかり鳴りを潜め、粗野な口調に変化する。

 否、正確には、これが彼本来の姿だ。


(全く……神徒であり、帝国騎士であるこの俺が、少し問題を起こしただけでこんな辺境に飛ばされるとは……!)


 彼は1年程前まで、帝都にその身を置いていた。当然扱う任務のレベルも此処とは大違いであり、同僚からも市民からも尊敬の的だった。

 だが、その栄光は一瞬にして崩れ去った。原因は、酒場で同僚と楽しく飲んでいた際、給仕の女性にほんの少し手を出した事。相手は嫌がっていたが、名声に物言わせて彼はしつこく迫った挙句、抵抗する女性に暴行まで働いたのだ。

 その現場を、運悪く上司に見付かってしまった。しかも最悪な事に、それは帝国最強を誇る武闘派部隊として有名な、『紅翼騎士団ロートリッター』の副団長。『戦乙女』の二つ名を持つ神徒でもある彼女の前では、ゾルガなど無力だった。

 あっという間に叩き潰された上、翌日には団長に報告が行き、結果この地に飛ばされる事となった。


「……だが、こんな生活もそろそろ終わりだ」


 苛立たしげに眉をひそめていたゾルガだが、その口角は次第に吊り上がっていった。

 彼の脳裏に浮かぶのは、昼間自分と剣を交えた傭兵カイトと、その戦いに介入した魔術師フェリス


(ハッキリ言って、あの小僧は強い。衛兵は階級ランクを確認しなかったようだが、恐らくB級……一部隊の隊長クラスの実力はあるか)


 加えて彼は、まだ本気を出していないと見える。動きから見て、靴や手甲に何か、恐らくは暗器の類を仕込んでいる事は明らかだ。

 そして、上手く話を誘導して自分のペースに持ち込もうとする話術。この場合、計略といっても良いかもしれない。


(アレには敵を叩き潰す単純な力だけではなく、自分に優位な場を作り出す指揮能力も備わっている。手に入れば、優秀な指揮官と戦略兵器がどちらも俺のものに……!)


 簡単に従わせる事は出来ないだろうが、手に入れた際のメリットは大きい。

 それに、カイトを手駒に加える方法としては、一つだけ案がある。


(流石にアレは倒せるとは思わんが、仮に戦闘になれば、どちらも傷を負う事になるだろう……。その治療の際に、隷属能力を持つ魔導具を奴に装着すれば……)


 いくら場数を踏んでいようと、日常生活を送っている時も周囲に気を配っている訳ではないだろう。仮に風呂の時まで常在戦場でいるのだとしたら、身も心も休まるはずがない。

 治療の時も同様だ。自分でするならまだしも、他人に手当てしてもらう時は警戒は解くはず。意識を保つのもやっとというような重傷であれば尚更だ。

 ウルドが動物用に《隷属の首輪》を大量に購入している事だし、それを一つくすねれば事は簡単に運ぶ。


「だが、それだけでは旨味が薄いな」


 もう一つ、ゾルガにはどうしても手に入れたい駒がある。

 それが、神威騎装デウス・マキナで作った氷の壁を砕いてみせた、風の魔術を操るフェリスだ。


(形態化した魔術ではなく、自分で新たな術式を構築出来るとは、トンでもない逸材だ。まさかあれほどのものが間近にあったとは……。もう少し目を配るべきだった)


 元々魔術とは、精霊との対話を可能とするエルフが編み出したものであり、それを人間が真似をして形態化させた技術。だが、それはあくまで物真似の域を出ず、エルフが多種多様な魔術を扱えるのに対し、巷では《火球ファイアー・ボール》や《氷弾アイス・バレット》などの汎用魔術しか使われていない、っというか使えないのが現状だ。

 だが時に、魔術を深く学んでいくと、魔力の操作に長けた人間も現れてくる。そこまでくれば、エルフの領域に達したと言っても過言ではない。自然界に存在する魔力と、己の魂が組み込まれた専用の術式と魔力、これらの組み合わせで唯一無二の固有魔術オリジンを編み出すのだ。


(あの時女が放った風は、決して《風矢ウィンド・アロー》や《空槌エア・ハンマー》などの汎用魔術ではない。間違いなく固有魔術だ)


 年齢は10代後半といったところか。その歳で固有魔術を編み出せるレベルに達しているなど、天才としか言い様がない。

 頭の方はカイトに及ばないだろうが、それでも戦略兵器としての価値は十分過ぎる。

 ただ、流離いの傭兵であるカイトと違い、家族がいる彼女の場合はどうやって取り込むかが問題となってくる。


(無理矢理連れてきたところで、暴れられて被害を受けるのは目に見えているな。親を人質に取って従わせるのも手の一つだが……下手に刺激した場合、余計な駒を失う可能性が否めんな)


 あの手のタイプは、自分の大切なものに被害が及ぶと見境がなくなるタイプだ。

 両親に手を出した瞬間、昼間見た以上の暴風が騎士達を襲う光景が簡単に思い浮かんだ。


(もう少し、何かしらの枷が嵌められれば或いは……)


 やはりフェリスの中では、両親の存在が最も大きいだろう。ならば直接的にではなく、多少遠回りしてでもそちらを確保した方が良い。

 その場合の策は……、と考えたところで、ゾルガは頭を振って思考を切り替えた。


(まぁいい、時間はたっぷりある。ゆっくり策を講じるとしよう)


 時間はどれだけ掛かっても構わない。結果さえ良ければいいのだ。

 カイトとフェリス。この2つの駒が手に入れば、今まで以上の武功を上げられる事は明白。そうなれば、確実に帝都にいる上官の目に留まり、自分を召し上げてくれる事だろう。

 そうなればこんな田舎とはおさらば。全てが自分の思い通りになる、以前までの夢のような毎日が待っている。


「全ては、再び俺が伸し上がる為に……。その時まで精々ふんぞり返っていろ、豚め」

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