第9話 拭えぬ傷

 ウルドが率いた一団が去り、人々の間に再び平穏な空気が戻る。それだけで、彼等がどれだけ疎ましく思われているかが分かるというものだ。

 だが、その中でカイトだけが渋い顔をしている。先程までは、得体の知れない、狂ったような笑みを浮かべていたはずなのに。

 その原因は、彼の目の前に腰掛けるフェリスにある。


「ったく、大袈裟過ぎるっての。掠り傷だって言ってるだろうが」

「駄目です! 小さな傷だって油断してると、後でトンでもない事になるんですから!」


 いくら突っ撥ねても引こうとしないフェリスに、カイトは部屋に着いてから何度目か分からない溜め息を吐いた。

 2人は現在、ゾルガとの戦いで負った傷の治療をしている。とは言っても、彼の言う通り掠り傷程度であり、大袈裟に薬など塗る必要はない。

 だが、フェリスは頑としてその言葉を聞き入れず、包帯を持って部屋に突入してくる始末。鍵をかけて追い出そうにも、この宿の人間である彼女にそんな手は通じない。仕方なく部屋に入れ、こうして手当てされているという訳である。


「はい、終わりましたよ」


 パン! と一度カイトの身体を叩き、治療が終わった事をフェリスは告げる。意外にも強い力で叩かれたので、若干恨みの籠った目を向けるが、当の彼女はニコニコと満面の笑みだ。厚意からの治療なので怒る事も出来ず、またも溜め息を吐きながら自分の身体を見た。

 包帯は、前腕部や太腿などに巻かれている。だが、やはり小さな傷だった為、これは少し大袈裟だろう。実際、試しにぐるぐると腕を回してみても、動きに支障はない。

 一応彼女の言う通り、傷口から腕が腐り落ちる可能性も零ではないので、文句は言わないが。


「それにしても、無茶し過ぎです。いきなり神徒イクシードと戦うなんて」

「喧嘩吹っ掛けてきたのは向こうだろうが。それに、何が神徒だよ。俺からすりゃ、連中はただの烏だよ」

「烏、ですか?」

「あぁ。雲の上から高みの見物を決め込んで、国の死肉を食らって生きる、卑しい烏だ」

「た、確かに……その通りですね」


 そのあまりにも的を射た表現に、思わずフェリスは苦笑してしまう。

 これまで帝国にいくら助力を願っても、それに応えてもらった事はない。どれだけの民が苦しんでいようが彼等には関係なく、皇族は玉座に腰掛け、カイトの言う高みの見物をしているのだろう。

 にも拘らず、その生活は民によって支えられている。だが、毎日汗水垂らして働いて利益を得ようと、その大半が皇族に納める税となる為、殆ど彼等の手元には残らない。そんな人々にとってはなけなしの金を、容赦なく貪り、更にはもっと寄越せと要求してくる。まさに、死肉を食らう烏だ。


「まぁ、貴方からすれば、彼等が烏だっていうのは分かりました。でも、神徒の力は文字通り一騎当千。そんな化け物相手に、勝ち目なんて最初からありませんよ」


 本来は、嘗ての大戦で数多の魔族を葬り、現在の世界を構築する最大の要因となった力だ。その矛先が人間に向けられれば、向けられた側は堪ったものではない。

 実際、膠着状態に陥った戦場に一人の神徒が派遣された後、瞬く間に小国が滅ぼされたという話を時折耳にする。とてもではないが、そんな相手に一人で挑むなど無謀過ぎる。


「化け物ねぇ……。だったら、俺はどうなるんだか」

「何か言いました?」

「なーんも。ボケて幻聴でも聞こえたんじゃねえの?」

「私はそんなに歳取ってません! まだ……んん!? ゴホンゴホン!」

「おい、そのわざとらしい咳はなんだよ? 『まだ』の次は?」


 女性の年齢という、本来なら禁則事項に等しいネタにも構わず、カイトは跳び付く。

 いい加減、この接し方にも慣れたとフェリスは思っていた。だが、どうやらそれは間違いだったらしい。先程までシリアスな雰囲気を出していた分、あっさりと彼女の怒りは沸点に達した。

 直後、ゴッ! とその部屋から階下に届くほどの鈍い音が響く。それから数分、物音が聞こえなくなったのが不気味だった。


「……お前、やっぱりゴリラに育てられたんだろ? それかバーサークゴリラ」

「どっちもゴリラじゃないですか。ほら、馬鹿な事言ってないで、お昼食べるんだったら早く注文してください」


 やがて救急箱を抱えたフェリスと、微妙に不貞腐れた様子のカイトが下りてきた時は、心底ほっとした。彼の頭にたん瘤が出来ているように見えるが、それは完全に自業自得なので見なかった事にしておく。


「昼って……あぁ、もうそんな時間か。ってか、ここ昼は別料金だったよな? 金持ってねぇぞ……」


 事前に宿泊費に朝・夕食は含まれると聞きた時、昼食は依頼の為に入った森の中で取るつもりだったので、特に問題とは思わなかった。

 だが、今から森に入り、食料を調達するとなると時間が掛かるだろう。保存食用の干し肉はあるが、育ち盛りの年代にはとても足りる量ではない。だが、この際贅沢は言っていられない。

 我慢するしかないか……、と仕方なく昼食は干し肉で済まそうと決めるカイト。そんな彼に、フェリスは晴れやかな笑顔を向けた。


「安心してください。今回料金はウチが持ちますから。貴方がウルドに剣を投げつけたのを見て、凄くすっきりしたのでそのお礼です」

「すっぽ抜けただけなんだけど?」

「じゃあ、偶然によって引き起こされた珍百景に乾杯って事で、貴方も祝ってください。それなら良いですよ、ね……?」


 彼女の顔は笑顔だが、有無を言わせぬ気迫に満ちている。思わずカイトは、こくこくと首を縦に振ってしまう。

 昨日と同じで良いですね? と確認を取った後、彼女は厨房に引っ込む。それを見送ったカイトは、何の偶然か昨夜と同じ席に腰を下ろした。


「あいつってあんな顔も出来るのかよ。弄るの、少し自重した方が良いか……?」

「ハハッ! 何だよ、兄ちゃん。ビビったのか!」

「こりゃ結婚したら、間違いなく尻に敷かれるな!」

「おい、そこのジジイ共。その頭の薄い芝生、根こそぎ引き抜いて更地にしてやろうか?」


 夫婦ネタを未だ引き摺る男達に向け、ゴキゴキ……! とカイトは指を鳴らしてみせる。それを見て、昨夜も容赦なく薄くなった希望毛髪を抜きに掛かったのを思い出し、彼等は押し黙った。

 これで変に揶揄われる事もなくなったと思い、ほっと息を吐き、サービスで出されたカイトは水を口に含む。直後に、ガンッ! とジーナにトレイで頭を殴られ、全部噴き出したが。


「ぶはッ……!? は、鼻に入った……って、何しやがる!?」

「アンタがお客を脅すような真似するからだろ? 食事の時くらい大人しくしてな」

「ハッ! 昨日のフライパン持って飛び出そうとしたアンタが言っても、何の説得力もねぇよ」

「あらま、見てたのかい?」

「バッチリな。ついでに言えば、アンタの旦那が包丁持ち出したのも見てた」


 恐らくカイトが動いていなければ、確実にジーナ達があの3人を袋叩きにしていただろう。

 言葉こそ汚かったが、触れられただけであそこまでの反応をするとは。少々過保護に思えてしまう。


「あいつは俺に『無茶し過ぎ』って言ったが、アンタ等も大概だな」

「そうかい? 大切な子供の為なら、親は何だってする。それが普通だと思うけど?」

「……そういうモンかね」


 親のいないカイトには、そういった感情がよく分からない。

 だが、は、自分の本当の子ではないにも拘らず、いつも笑顔で接してくれた事を思い出した。


(あの人達も、そんな気持ちで笑ってくれてたのかな……)


 血は繋がっていない自分に、何故そこまでしてくれたのか。聞いてみたいが、今は遠くにいる彼等にそれは不可能だ。


(ま、その答えはずっと謎のままだろうな)


 そして恐らく、自分の中でその答えが出る事は永遠にない。

 記憶の中の人々を思いながら、そう結論付けるカイト。そんな彼の前に、フェリスが料理を運んできた。


「はい。ミノタウロスのステーキ、お待たせしました」

「よっしゃ! もう一度食いたいって思ってたからラッキー! でも、本当に良いのか? これ、この店で一番高い料理だろ?」

「心配にゃ及ばねぇよ! 宿は駄目でも、食堂こっちで儲けてるんでな。この程度じゃ店は傾かねぇよ」


 確かに、昨夜もそうだったが、ハインツの言う通り食堂は大勢の人々で賑わっている。宿泊業が駄目になったところで、売上に影響はないだろう。

 なら遠慮なく、とカイトはステーキに口に運び、その美味さに舌鼓を打つ。朝食を抜いてしまった分、その旨味は空腹の胃に染み渡った。

 久方ぶりに幸福を感じていると、彼の前の席にフェリスが座る。そしてテーブルの上に、サンドイッチを乗せたトレイが置かれた。自分が注文していないので、恐らく彼女の昼食だろう。


「あれ、お前仕事は?」

「お昼休みをもらったので、大丈夫です。流石にずっと働いてる訳じゃありませんし」


 それもそうか、とカイトは再び自分の料理に視線を戻す。だが、先程のウルドの騒動もあってか、ついある事が気になってしまった。

 フェリスもサンドイッチを黙々と食べているが、聞くとすればこのタイミングしかない。


「お前が俺に依頼を受けさせたくない理由が、ようやく分かったよ」

「ッ! ……やっぱり分かりますよね」

「まぁな。大方、重税に苦しんでる上に報酬も払う事になれば、この村もお終いってところか」


 今回、税は一気に4割も引き上げられた。元々カイトへの報酬にも難色を示していたのに、更に加税されては完全に財政が破綻する。とてもではないが、払えるはずがない。

 それでも、カイトが依頼を受けさえしなければ、その場凌ぎにはなる。ここを乗り切れば、次の徴税の時までにまた何とかする道も見えてくるはずだ。


「昨日あれだけ繁盛してたし、全然そんな風には見えなかったけどな」

「あれは、お父さんが値段を大幅に下げてるからですよ。儲けてるなんて言ってるけど、本当はウチも苦しいのに……。それでも、ずっと貧しい生活が続いちゃって皆ストレスが溜まってるから、少しでもそれが和らげられるならって」

「なるほどね。よく出来たお父様な事で」


 値段を安くすると、言葉にすれば簡単だが、上手く調整しなければ不利益にしかならない。特に、このような極貧生活の中で減額などすれば、それは自殺行為に等しいだろう。

 勿論、店主のハインツはそんな事は百も承知のはずだ。それでも、人々の笑顔の為に敢えて険しい道を選び、周りを不安にさせまいと気丈に振る舞う姿には、頭が下がる。

 けどよ、とカイトは正面に座るフェリスを見据える。


「仮に俺が依頼をキャンセルしたとして、その後はどうする気だ? 肝心の魔獣は、その辺をうろつく事になるが?」

「あの魔獣は、私が倒してみせます!」

「根性論だけじゃどうにもならないぞ。確かに、ゾルガあの男の氷を砕いた事から考えると、お前の魔術は相当な威力はある。だが、相手は野生の、それも飢えた獣だ。スライム程度の小型魔獣しか狩った事がないお前に、相手が務まるかよ」

「う……! そ、それは……」


 的確な指摘を受け、フェリスは口を噤んでしまう。実際、件の魔獣を倒す為の具体的な策は、何一つ浮かんでいない。その状態で真っ向から挑んだとしても、返り討ちあうのが目に見えている。

 そんな正論を並べられるが、彼女はやはり諦められなかった。例え無謀と言われようと、こうでもしないと村の人々は救えない。

 遂には、彼女はテーブルに打ち付けかねないほどの勢いで頭を下げ、カイトに懇願し始めた。


「お願いします! もう依頼を受けないでとは言いません。せめて、報酬を負けてください!」


 カイトの自分中心の生き方から考えて、この村の現状を知ったところで、依頼を断らせるのは恐らく不可能。以前彼が言っていたように、彼にも生活があるのでこれは確実だろう。

 ならばもう、人間の情に訴えるしか手は残っていない。半額とまでは言わないが、少しでも負けてくれれば希望は見えてくるはず。それがフェリスの考えた、精一杯の折衷案だった。

 だが、必死に頭を下げるフェリスを一瞥した後、カイトは首を横に振る。


「……悪いが、その願いを聞いてやる事は出来ない」

「ッ! どうして……!?」


 ここまで願っているのにも拘わらず、尚も考えを変えようとしないカイト。その表情に憔悴の色を浮かべて、フェリスは尋ねる。

 そして、カイトは面倒臭そうに眉間に皺を寄せながら、口を開き、


「お前の願いを聞いて、俺に何のメリットがある?」

「ッ!」


 その瞬間、フェリスの頭の中で何かが切れた。彼女は無意識のまま手を振り上げ、


 ―――パン! と。

 一切の加減もなく、その白い手がカイトの頬をはたいた。


「最低です……! 結局貴方も、ウルド達と変わらなかったんですね!」


 そう最後に吐き捨て、フェリスは店を飛び出す。客の一人が止めようとしたが、それをハインツが制する。

 親であろうと、否。親であるが故に、今はそっとすべきだと思った。彼女の瞳から零れ落ちた、冷たい涙を見て。


「いっつつ……。最近の女は容赦ねぇな」


 一方のカイトは、叩かれた頬をさすりつつも平然としている。

 再び料理に向き直るその姿には、周りの客も流石に怒りを覚えた。


「おい、兄ちゃん。今のはねぇだろ」

「もうちょっと人の気持ちとか考えた方が……」


 控え目ながらも、彼の冷たい対応に意見する男達。だが直後に、ギロ……! とフードの下から覗く紅い双眸が、男達を射抜いた。

 そこには殺意も威圧感も込められていないが、平和に生きている人間を脅すには十分過ぎる。一睨みで彼等はすっかり気圧されてしまい、そそくさと自分の席に戻っていく。

 だが、『はぁ……』と溜め息を吐き、頬杖を突く姿からは、今までの堂々とした雰囲気は見られない。どうやら、少しは気まずさを感じているらしい。


「……確かに、あの言い方はなかったかもな。だが実際、何かを頼んだり交渉したりするなら重要な事だぞ。何かを得たいなら、相応の何かを差し出さねぇと、取引ってのは成り立たないからな」


 無利子無催促で金銭を貸したとして、それを確実に返す者など、果たしてこの世にどれだけいるのか。世界の総人口を100と仮定した場合、30にまで達すれば良い方ではないだろうか。仮に半分に達すれば、それは奇跡だ。

 勿論、これはあくまでカイトの考えであり、想定するよりも多く心の綺麗な人間も存在するだろう。だが、人間の造る利己的な社会においては、集団の綺麗事よりも個人の黒い欲望の方が遥かに強い。そういった人間の汚さを、彼はこれまで何度も見てきた。


「それに俺は、信頼とかあやふやなもので出来てる関係を信じちゃいない。そうして他人に背中を預けて、後ろから刺されたんじゃ堪ったモンじゃねぇからな。それなら、例え敵同士でも、利害の一致でお互いを道具として利用し合う関係の方が、よっぽど安心して背中を任せられる」

「アンタ……その歳で一体何を見てきたんだい? それ、子供が言うような台詞じゃないよ」

「ハッ! 長い事戦場に立ってりゃ、ガキらしい純真さなんて、カレーのシミより簡単に取れちまうさ」


 実際、傭兵稼業に就いたばかりの頃は、分け前が減るという理由で裏切られた事が多々ある。授業料と称して金を巻き上げられそうになった事など、一度や二度ではない。

 故に彼は、自分の選んだ道を迷わず進み続ける。他者との関係は、利用するかされるかの二択。彼の『俺の味方は俺だけ』という信条は、そういった経験から導き出した答えだ。

 そんな子供らしくない言動に、ジーナは呆れたように溜め息を吐く。だが、それとは別に申し訳ないという表情を浮かべている。


「まぁ、今回はアンタも悪かったけど、あの子も色々思い詰めちまってるからね。叩いた事、悪く思わないでおくれよ」

「別に気にしちゃいないが……。それより思い詰めてるって、復讐に関係してる事か?」

「ッ! 知ってたのかい?」

「昨日、村長から少しな」


 記憶に間違いがなければ、確か死んだ友人の仇を打とうとしているのだったか。

 事情を知っているのが意外だったのか、一瞬驚いた素振りを見せるジーナ。だが、直ぐに困ったように眉を寄せた。


「フェリスは……あの日自分が一緒に行っていれば、友達は死ななかったんじゃないかって思ってるのさ」

「……どういう事だ?」


 友人の死については聞いていたが、それにフェリスが関わっているとは知らなかった。加えて、『一緒にいれば』とはどういう事なのか。

 首を傾げるカイトに、ジーナは当時の事を思い出すように目を細め、語り始める。


「あの日、フェリスはオルガと……あぁ、友達の名前ね。そのオルガと一緒に、森に木の実を採りに行くはずだったのさ。だけど、当日になって運悪くフェリスは風邪を引いちまって行けなくなったんだ。魔獣の事もあるし、本当なら延期にするべきだった。でも、オルガは一人で森に入っちまった」

「……ひょっとして、あの領主様が税をぼったくってる所為か?」

「正解。今年は凶作だったんだけど、ウルドの奴はそんな事はお構いなし。作物を大量に納めちまって、食えるものが少なかったのさ。次の徴収の時もこれじゃあ生きていけないって、木の実が少しでも足しなればと思ったオルガは、皆が止めるのも聞かずに一人で行っちまった。誰か付き添わせるべきだったんだろうけど、男衆は狩りに出てて、手の空いてる奴もいなかったんでね。後は言わなくても分かるだろ?」


 口に出して言うのはやはり辛いものがあるらしく、最後だけジーナは言葉を濁す。

 その意図を組んだカイトも、敢えてそれを言葉にはしなかった。


「次の日に捜索隊を組んで森の中を探したら、直ぐに見つかったよ。オルガの服の切れ端と……あの子の腕が」

「そりゃ……お嬢ちゃんにはキツかったろうな」

「キツイなんてモンじゃないさ。一晩中泣き通しだったよ」


 僅かにでも死体が残っていたのが良かったのか、悪かったのかは、正直微妙なところだ。

 カイトとしては、まだ良かった方だと思う。実は生きているのではと妙な希望を持つ事もなく、後でやはり死んでいたと絶望に叩き落とされる事もないのだから。

 だが、平和な世界で生きるフェリスとしては、友人の死体を見せられて冷静でいられるはずがない。


「まぁ、そんな事があったからね。復讐なんて考えるのも当然さ」

「アンタ等は止めないのか?」

「止めてないと思うかい?」

「あぁ、完全無視されたのね」


 その光景を簡単に想像出来てしまい、カイトは苦笑する。

 だが、その表情とは裏腹に彼の脳裏には、飛び出す寸前のフェリスの顔が浮かんでいた。


(俺も、アイツと同じ目をしてるのかね)


 怒りに悲しみ、そして憎しみ……。そういった負の感情が、彼女の瞳に見て取れた。大切な者を理不尽に奪われた苦しみは、カイトにも理解出来る。同時に、彼は思い出す。

 自由に走り回った森を。住み慣れた家屋を。共に生きてきた家畜を。何より、温かく接してくれた家族を。

 そして、―――その全てが業火に包まれる光景を。

 自分には何も出来なかった。ただ、燃え盛る炎を見ている事しか。を見て、立ち尽くす事しか。


「―――……と。……っと。……ちょっとアンタ!」

「ッ! あ、あぁ、何だ?」

「いや、用はないけどね。急に黙りこくったもんだから、何かと思って」

「あぁ……別に、ちょっとボーっとしてただけだ」


 それなら良いけど、と自分の持ち場に戻るジーナを見送るカイト。次いで、先程まで見ていた光景を忘れるように首を振る。

 おかげで、すっかり気分が沈んでしまった。空気を一新しようと思い、彼は何か話題はないかと視線を巡らせる。すると、今の状況と時計を見て、ある事が気になった。


「そういや、フェリスアイツは何処に行ったんだ? 飛び出したっきり、戻ってこねぇんだけど」

「あぁ、そう言えばそうだね。しばらくは一人にした方が良いと思って、放っておいたんだけど……」

「裏にはいなかったぞ」

「トイレかね? 紙がなくて出てこれないとか。それか長丁場―――」

「それ以上言ったら、アンタの顔面潰すよ……!」


 あまりにもデリカシーのない発言に、笑顔のままトレイを構えるジーナ。その後ろでは、ハインツも威圧感を醸し出している。

 戦場で味わうものとは違う、言い知れぬ恐怖を覚え、こくこく……! とカイトは首を縦に振る。流石の彼でも、子供を思う親には勝てなかった。

 そんな重苦しいに誰もが口を閉ざすが、そこに救世主が現れる。後で会いに行こうと思っていた、この村の村長であるジュラだ。


「あぁ、傭兵様! ここにいましたか!」

「助かった! 村長、俺今アンタが天使に見えるわ! 髭だらけの天使だわ!」

「何で!? っとういか、髭だらけの天使って何!?」


 謎の発言に狼狽えるジュラだが、その場にいたジーナとハインツ以外は全員賛同した。

 そして、険悪な環境から抜け出せた事に安堵しながら、カイトは問い掛ける。


「それで、何かあったのか? 随分慌ててたみたいだが」

「あ、あぁ、そうでした! 実は、私の家に誰かが忍び込んだようでして、例の魔獣の事を纏めた資料が持ち出されたのです!」

「はぁ!? 何だってあんなモンを!?」


 その内容に驚くと同時、困惑を覚えた。あんなもの、所詮はただの紙切れであり、金銭的な価値は全くない。

 唯一、今回の依頼にそれが必要なカイトにとっては重要なものである。だが、態々盗む必要はなく、普通に取りに行けば良いだけの話だ。


「取り敢えず、アンタの家に行くぞ」

「は、犯人を探してくれるのですか?」

「仕方ねぇだろ。その資料がないと、俺が困るんだからな」


 はっきり言って面倒な事この上ないが、そうも言っていられない。多くの冒険者を屠ってきた魔獣を相手取るなら、少しでも情報が多い方が良いに決まっている。

 犯人に対して苛立ちを覚えながら、カイトはジュラの家へと急いで向かう。

 そして家に到着し、ジュラは直ぐに奥に向かおうとするが、


「ちょっと待て」

「は、何か……?」


 玄関に足を踏み入れようとした彼を、カイトが制した。

 その視線はジュラにではなく、今まさに踏もうとしていた地面に向けられている。


「この大きさ……女か」

「大きさ……? あ、これは……足跡!?」


 玄関部分は外の地面と一体化している事が幸いし、薄っすらとではあるが足跡が残っていた。

 大きさから考えるに、足跡の正体は女。ジュラの妻は数年前に他界しているらしく、必然的に侵入者は外部の人間に限定される。

 そこでカイトは嫌な予感を覚えた。先程家を飛び出し、未だ戻らない少女の顔が脳裏を過る。


「まさか、アイツか……?」

「アイツ……?」

「フェリスだよ。さっきちょっと口喧嘩したら出ていっちまったんだが……」


 恐らく、先程やり取りから、改めてカイトに報酬を渡す訳にはいかないと考えたのだろう。だが、階級的にも経験的にもフェリスの実力では、無謀もいいところだ。

 復讐を笑う資格をカイトは持ち合わせていないが、村人の事を思っての行動なら話は別。原因を作ったのは自分とは言え、直情的な彼女の行動に、呆れてものも言えない。


「ったく……。ルールに縛られねぇ奴は好きだが、これはちょっとオイタが過ぎるぞ」


 苛立ちのあまりガシガシと頭を掻きながら、カイトはジュラに視線を戻した。


「資料のコピーは?」

「残念ながら、フェリスが持って行ったものだけです」


 大都市ならまだしも、こんな小さな村に印刷技術などないのだから当然だろう。だとすると、自ずとカイトがやる事は一つに絞られる。

 早速カイトは行動に移ろうとする。そんな彼に向け、ジュラは申し訳なさそうな顔を浮かべた。、


「あの、報酬も碌に払えない状況で言い難いのですが、何とかフェリスの事も助けてください……! もうこれ以上、無駄に死んでいく人を、見たくないのです……!」

「……何にしても、アイツを捕まえない事には始まらねぇよ」


 頭を下げて懇願するジュラに、カイトは素気なく返す。

 そして、勇気と無謀を勘違いした少女を捕える為、魔獣の生息する森の中へと入っていった。

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