第8話 《司教の氷刃》

「……貴様が?」

「お探しの大罪人。良かったな、探す手間が省けて」


 目深に被ったフードの下で、人影の正体―――カイトは愉快げに笑う。

 だが、堂々と、やましい事などないと暗に告げるその態度が、騎士達の神経を逆撫でする。ゾルガの後ろに控えていた彼等は、一斉に剣を抜いた。


「よくもまぁ、いけしゃあしゃあと顔出せたものだな……! しかも、ウルド様まで手に掛けようと……!?」

「おいおい。人々の規範となるべき騎士様にしちゃ、随分喧嘩っ早いな。何、また奥さんに浮気バレたの? だから流石に6股は止めとけって言ったじゃん」

「言われてないし、そんな事した覚えもないんだが!?」

「こいつ……! 何処までもふざけやがって……!」


 相手が複数の強者だろうと、カイトは普段の態度を崩さない。冷静さを奪う為といった意図もなく、息をするように相手を煽り、その反応を楽しんでいる。

 その余裕は油となり、騎士達の怒りという炎に注がれた。それだけで、同じ空間にいる村人にとっては生きた心地がしない。だというのに、カイトは尚も挑発するような視線を向ける為、状況は更に悪化。時間が経つごとに彼等の怒りは殺意へと変わり、その場を圧迫し始めた。

 すると彼は、本気で悪びれた様子もなく、先程自身が投げた剣を指差した。


「っつうか、何怒ってるんだ? 俺はただ、アンタ等のお仲間が忘れていったものを返してやっただけだぜ?」

「忘れていったもの、だと……?」

「その剣、よく見てみろよ」


 訝しみながらも、ゾルガは地面に落ちた剣を拾い、言われた通り改めてそれを見る。

 そして、1分も掛からぬ内に、彼が何を言わんとする事が分かった。


「これは……」

「昨日の3人の内の一人が持ってた剣。まぁ、領主様に向かって投げちまった事は謝るよ」

「な、何がすっぽ抜けただ!? 明らかに我を狙っておっただろうが!? ゾルガ、殺せ! 今直ぐこの生意気な小僧を殺せ!」

「随分と横暴だな。物事に絶対はないんだぜ? こういう事だってあるさ。それとも、俺がアンタを狙ったっていう証拠でもある訳?」


 ウルドに問い掛けながら、くくくっ! とカイトは口角を吊り上げる。当然ウルドは人の心を読む術など持っていない為、いくら故意にやったと叫んでも、証拠など出せない。

 一方で村人達も、彼の暗い笑みを見て今のがわざとだと確信していた。だが、大半の人間は今の光景に爽快感を覚えた為、それを口にする事はないが。


(これ以上追求しても無意味だな……)


 ゾルガの方も、この件に関しては口をつぐむ事にした。忘れ物云々は事実であるし、狙った証拠など何処にもないのだ。

 今の行動の真意が分かるのは、当然カイトだけ。答え合わせがされない問題に、いつまでも付き合っている暇はない。


「落ち着いてください、ウルド様。証拠がないのでこの件は不問となりますが、どちらにしろ奴は始末しますので」

「む……そ、そうであったな。取り乱してすまん」


 尚も苛立ちは収まらないが、今のウルドは羞恥の方が勝っていた。貴族である彼が、民の前でみっともない姿を見せた事は、それほど屈辱だったらしい。ゾルガに諭され、直ぐに冷静さを取り戻した。

 対して、カイトは先程のゾルガの言葉に、やれやれと呆れたように首を振る。


「始末って……過激だなぁオイ。恩を仇で返すのが、帝国騎士アンタ等のやり方か?」

「いいや、忘れ物を届けたくれた事には礼を言うさ。だが、それ以前に貴様は帝国に刃を向けたのだ。その罪は、死を以てでしか償えん」

「ハッ! 何を言ってるのか、さっぱりだな」

「惚けるな! 昨夜、我等の仲間に手を挙げた事は既に分かっているのだ!」


 証言だけでなく、殴られた跡も見ている為、言い逃れなど出来ないし、させる気もない。何か言い訳をしようものなら、問答無用で彼等は刃を振るうだろう。

 だが、それほどの殺意を向けられた尚、カイトは、


「あー、あれか。よく飛んだよなー、アイツ等」


 自分が仕出かした暴挙を、何でもない事かのように言ってのけた。


「き、貴様……! おちょくっているのか!?」

「あん? 別に、素直な感想を言っただけだけど?」


 あっけらかんとした様子で言う彼に、騎士だけでなく村人達も思わず唖然としてしまう。他者の反応を気にせず、何事も自分優先で動いているのは知っていたが、まさかここまでとは。

 そんな中で、ゾルガだけは冷静だった。極めて落ち着いた様子で、自身の手にあるレイピアを握り締める。

 否、実際には怒り心頭だ。氷を生み出すその剣とは対照的に、その心には怒りの炎が滾っている。


「反省の色なし、か。既に死ぬ覚悟は出来ているようだな」

「領主が領主なら、騎士も横暴だな。平民には正当防衛も認められないってか?」

「正当防衛、だと……? つまり、先に手を出したのはアイツ等だと、貴様は言いたいのか?」

「実際、俺の飯を派手に吹き飛ばしてくれたからな。その後、剣も向けられたし……。ただの気紛れで首を落とされちゃ敵わないんでな、ぶっ飛ばさせてもらった」


 ここまでの彼の証言に、嘘偽りはない。それが村人達には不思議だった。

 騎士達の剣呑な雰囲気を見れば、昨夜の出来事を正直に言った場合、どうなるかは分かり切っている。カイトのような徹底的に相手を追い詰めるタイプなら、それは百も承知だろう。


(何か作戦でもあるのかな……? でも、あったとしても、碌でもないような気がする……)


 散々弄られたフェリスとしては、次にどんな言葉が飛び出すか気が気ではない。

 だが、その予想に反して、次いで彼の口から出てきたのは真面な意見だった。


「どういった理由があるにせよ、貴様が騎士に手を出した事実は変わらん。罪には罰を。しっかりと償ってもらうぞ」

「それじゃあの時、黙って首を斬られていろと? そりゃねぇだろ」

「黙れ! 平民が騎士に手を挙げるなど言語道断! 例えどんな理由があろうともな!」


 ほう……、とウルドの怒声を聞いた直後、カイトの表情が変わる。

 逃れられない運命を悟り、全てを諦めた表情……ではない。

 目の前の高慢な男の口を封じる策を思い付いた―――心底楽しそうな笑顔だ。


「それじゃ領主様。身分の差がある以上、下の者は上の者に何をされようと大人しくしていろって事ですか?」

「あぁ、その通りだ!」

「じゃあ、貴方は自分よりも少し地位の高い人間に殺されそうになっても、抵抗しないんですね?」

「無ろ……ん? んんんんんんんん???」


 流石にそこまで言われると、ウルドは言葉に詰まってしまった。

 それはそうだ。平民や貴族に関係なく、誰だって死にたくはない。相手が誰であろうと、殺されたくないと思うのが普通だ。


「熱いものに触って、反射的に手を引っ込めるのと同じです。殺されそうになったら、咄嗟に手が出たりしませんか?」

「む……。つ、つまり貴様は、剣を向けられた為、反射的に殴ってしまったと?」

「その通り! いやー、あの時は焦りましたよ。気付いた時には、しつこく絡んできたあの男が道端で寝ているんですから」

(こ、この人。あの騎士に全ての罪を擦り付ける気だ!?)


 どういう訳か、件の騎士達はこの場にいない。必然的にあの事件の事を知っているのは、カイトを始めとした、あの食堂にいた人間に限られる。

 であれば、後者が口を挟みさえしなければ、彼の証言だけ成り立つ独壇場が完成するという訳だ。

 そして何より、ウルド自身が『身分の違いがあっても、危機を感じた時は反撃してしまうのが当然』とも取れる反応をしている。この場で最も権力を持っているのは、領主であるウルドだ。その彼が認めているのだから、それよりも下の人間が意見を覆すなど出来るはずがない。


(これはある意味で、ウルドがあの人に味方した事になりますね……)


 身分差などは社会が決めた事だが、命の危機に瀕した際の反応は、人間の本能によって決まっているもの。

 前者が御託を並べればどうにでもなるのに対し、後者は生物の根幹に刻まれたものなので、どうにかしようもない。これにより、ウルド達はあまり強く責める事が出来なくなってしまった。


「だ、だが、実際貴様に一方的に襲われたという者がおるのだ。貴様の言葉だけでは、信じられんな」

「じゃあ、あの3人を呼べばいい。そもそも、この場にいないのはおかしいだろ? まさか天下の帝国騎士様が、平民の意見はガン無視で連中の意見だけ採用しようなんて真似、する訳ねぇよな?」


 その言葉に、『う……』と大半の騎士が身を引いてしまった。先程まであれだけ息巻いていたのだから、実際は殺す気満々だったのだろう。

 だが、完全に場の空気をカイトに支配されてしまい、彼等は動く事が出来なかった。


「……おい、あれを」


 唯一ゾルガだけは、苦々しい思いをしながらも、この状況に対応出来た。部下に指示を出し、何かを持ってこさせる。

 一分もしない内に用意されたのは、何かを包んだ麻袋だった。大きさはそれなりで、スイカ3つ分くらいはあるだろうか。


(あれ、3……?)


 その数字を思い浮かべた時、フェリスは何か嫌な予感がした。カイトも同様、というか何かを察したらしく、顔をしかめている。

 一方でそれを持ってきた騎士は、気にした様子もなく麻袋を地面に置く。そして、その風が解かれると、中から出てきたのは、


「ひッ……!?」

「はぁ……。朝飯の前だってのに、気持ち悪ぃモン見せてんじゃねぇよ」


 口ではそう言っているカイトだが、戦場で見慣れているのか平然としている。

 だが、フェリス達にとってはそうではない。何せ、彼等の前に置かれたものは―――3人の男の生首なのだから。

 生気と血の気が完全に失せた、抜け殻のように真っ白な顔。言葉にせずとも、それが明らかに死体である事が分かる。しかも、


「こ、この人達って、昨日の……」


 その首の正体は、この場にいる殆どの人間が見覚えあるもの。

 昨夜の乱闘騒ぎの発端となった騎士達だ。


「どう、して……」

「当然だろう。原因はどうあれ、コイツ等は平民に負け、不様に逃げ戻ってきたのだ。そんな帝国の威光を汚すような真似をして、ただで済むとでも?」


 ゾルガの言葉は、理屈としては正しいのかもしれない。だが、この結果は受け入れ難いものだった。

 まさか逃げただけで殺されるとは。普段からフェリス達は彼等の刃に怯える立場だが、どうやらその矛先は仲間内にも向けられていたらしい。

 一方で、カイトは周りとは別の感想を抱いたようだ。楽しげで、それでいて冷めた目をゾルガに向けている。


「こうして当事者を殺したって事は、最初っから話し合いなんかする気はなかった訳だ」

「罪人の戯れ言に耳を貸すほど、暇ではないのでな。いや、本来ならもっと早く終わるはずだったのが、余計な手間を取らせてくれたものだ」

「つまり、アンタ等がここに来たのは……」

「察しが良くて助かる。そう、貴様がコイツ等を殴った理由など、既にどうでもいいのだ。全てを丸く治めるには……」


 いつの間にかウルドも調子を戻し、ニヤニヤとこの状況を眺めている。

 そして、ゾルガは暗い笑みを浮かべながら、


「醜態を晒した愚か者と、―――帝国に刃を向けた貴様を始末すれば良いのだからな!」


 一喝すると共に地を蹴り、白銀の剣を相手の心臓目掛けて突き出した。


「チッ……!」


 舌打ちをしながら、カイトは腰に差した剣を勢いよく抜き、迫り来る切先を柄尻で受け止める。

 その反動を利用して剣を引いた後、ゾルガは超至近距離からの連続突きで彼を攻めた。だが、流石にカイトも歴戦の傭兵。単調な攻撃では仕留める事は出来ない。

 絶え間なく襲い来る連撃にも的確に反応し、的確に剣の腹で軌道を逸らしていく。時には、間合いに入った相手に切り付けられもするが、


「ッ……!」

「おいおい、こんなモンか? 帝国騎士様」


 敢えて刃を握り、自らのリーチを削る事で成せる変則ガードによって、それすらも防がれる。

 だが、ゾルガはそれを好機と取った。長剣のリーチを潰した現状、カイトの攻撃は彼に届かない。加えて、剣を握り直すのに、数瞬のタイムラグが発生するだろう。

 そう考えた彼は一度後ろへ跳んで距離を取った後、再度必殺の刺突を繰り出す。

 既に剣を持ち直したようだが、今から防いだのでは間に合わない。今度こそ心臓を貫くと、ゾルガは確信し、―――ガギン! とその切先はまたしても、柄尻によって止められた。更に、それだけでは留まらない。

 剣戟を受け流すと、強い衝撃を利用して身体を半回転。その勢いを乗せた一撃で、カイトは相手の胸を穿とうとする。

 勢いよく駆け出した為、ゾルガは前傾姿勢だ。その状態から身を捻るなど不可能だし、防御も間に到底合わない。

 先程までとは逆に、今度は彼の刃が相手の命を奪わんと迫り、


 ガスッ……! と。

 何か固いものを貫いた音が、辺りに響いた。


「……大人気ねぇな。少し追い詰められたからって本気出すとか」

「何とでも言え。どんな手を使おうが、勝てば良いのだ」


 誰もが、カイトの剣が相手の鎧を貫き、肉体を貫いたのだと思った。だが、実際は違う。

 よく見ると、突き出された剣は途中で別のものを刺し、威力を殺されていた。大きさ的には大人の拳ほどはある、氷塊を。


「確かに、勝った方が正義の世の中だ。その意見には大賛成だな」

「分かってるじゃないか。だが、少し訂正しよう。勝った方が正義なのではない。我等帝国が正義なのだ!」


 謳うようにそう告げながら、その手に持った剣を軽く振るうゾルガ。

 その動きに応えるかのように、周囲の温度が下がっていく。


「貴様も私の正義を象徴する神威騎装デウス・マキナ―――《司教の氷刃アルマッス》の錆となるが良い!」


 怒号と共に飛び出すゾルガ。それに対しカイトも駆け出し、積極的に攻撃を仕掛ける。

 そして、尚も繰り出してくるし刺突を、受け止めるどころか力技で相手ごと両断しようと剣を振り下ろし、―――ガン! とその腕が止まる。

 横目で見ると、地面から氷柱が生え、彼の剣を押し留めていた。


「ッ!」


 直後に何かに気付き、渾身の力で身体を後ろへとぶち込む。それとほぼ同時。

 ゴッ!! と剣山のように地面から氷が出現し、先程まで彼のいた場所を蹂躙する。


「反応は上々といったところか!」


 咄嗟に回避した為、態勢を崩してしまうカイト。そこへ、ゾルガの追撃の刃が眼前に迫る。

 にも拘らず、当のカイトは彼の方は見ず、チラリと視線を上に向けた。ゾルガも伊達に場数は踏んでいない為、直ぐにそれに気付き、視線の先を追う。

 その先にあったのは、放物線を描きながら自分の元に落下する―――片手直剣ロングソードを。


(避けると同時に投げていたか……!?)


 直ぐに相手の得物だと気付いたゾルガは、咄嗟に《司教の氷刃》を振り上げて防御の姿勢を取る。

 だが、それは悪手だった。一気に長物との間合いを詰め、カイトは相手の懐に潜り込む。その手には投剣ダガーが握られている。小振りだが、人間の身体に傷を付けるには十分だ。

 そして、相手の頸動脈を切り裂く―――寸前で、彼の足下から氷柱が立ち上がる。

 チッ! と舌打ちと共にカイトはゾルガを殴り付け、その反動で回避。更には、宙を舞っていた剣も回収した。

 そこからは剣戟の応酬。両者の間で火花が散り、金属音と共に凄まじい衝撃が利き手に走る。だが、どちらも止まらない。撥ね戻された剣を、武器の重量など感じさせない速度で振るい、二撃目、三撃目と切り返していく。


(単純な剣の腕は、コイツの方が上か……!)


 素直に認めた。剣だけを使った真っ向勝負では、彼には勝てないと。

 だが、彼自身先程言っていたではないか。どんな手を使おうが、勝てば良いと。

 ビキビキビキィ! と、直後にゾルガの周囲に、10個ほどの氷が円型の形で生まれる。さながら氷の戦輪チャクラムだ。そして、《司教の氷刃》を指揮棒のように振るうと、その動きに合わせて戦輪が縦横無尽に舞い踊る。

 一つ目を難無く弾くカイトだが、息つく暇もなく次が飛来する。前後左右に身体を逸らす事で、いくつかの回避を試みる。だが、まるで意思を持つかのように、戦輪は彼を追ってきた。


「だったら……!」


 タイムラグなしで一気に襲いかかってきた5つの戦輪を的確に捌き、その内の一つを上に弾く。

 直後にそれは、真上から奇襲を仕掛けてきた氷と共に砕け散った。


「ハッ! 平民でなければ、俺の部下にほしいな!」

「生憎、地位だの名誉だのに興味はねぇな!」


 氷の戦輪を叩き落としたところへ、間髪入れずにゾルガが斬り込む。

 剣を切り上げ、相手の腕ごと打ち上げる形でカイトはそれを防ぐ事に成功したが、やはり呼吸を整える暇も与えられなかった。今度は彼の横から、何本もの鋭い氷柱が襲う。

 前に転がる事で、半ば強引にそれも回避してみせたが、こんなものは所詮悪足掻きだ。剣と氷による二重攻撃を相手に、いつまで保つかは分からない。

 そんな次第に劣勢に追い込まれていくカイトを見て、ゾルガは優越感を覚える。


(あぁ、そうだ。貴様等平民は、俺達に従ってさえいえばいい。不様に這いつくばってればいいんだよ!)


 苛烈になっていく剣戟を防ぐ度に、両者の間に火花が散る。そして、直後にゾルガの背後から伸びた氷が、鋭い爪を備えた腕の如くカイトを襲う。

 もはや、千日手と言っても過言ではない。ゾルガの攻撃は捉えているが、氷によって手数は増やされ、更には常に死角から攻撃を受けている。それも、彼が防ぐか回避した直後の、ほんの僅かに動きを緩める瞬間を狙ってだ。その視界の中で繰り出される攻撃は的確に防げているが、視覚外からの攻撃だとそうもいかない。気配を読んで何とか避けてはいるものの、カイトの身体には小さな傷が刻まれ始めていた。

 同時にカイトは、受けた傷から裂傷によるものとはまた別の、上手く言い合わらせないような不快感を孕んだ痛みを覚える。


(ッ……! 流石は神威騎装、単純に氷を生み出すって訳じゃなさそうだ)


 氷を形成する剣というのなら、氷魔法に長けた魔術師で事足りる。だが、ゾルガが常識を凌駕する魔術師を差し置いて一部隊の隊長を務められているのはやはり、その実力と、神より授かりし力を秘めた神威騎装の能力故だろう。

 加えて、嫌らしい事に彼は、敢えて致命傷を避けている。徹底的に甚振った上で殺すという、彼の―――帝国騎士らしい悪趣味さが垣間見えた。

 その、残虐性に、カイトは自分の血が熱くなってきたのを感じた。


(とっとと終わらせるか……?)


 ちらり、と自身の左手の甲に視線を向ける。

 一瞬戦いの最中という事も忘れるが、直ぐに彼は首を横に振った。


(使が……それじゃ意味ねぇよな!)


 自嘲気味に笑った後、カイトは刃と氷刃の嵐を回避する為、身体を沈ませる。そして、剣を引き絞ると共に前方へと跳び出し、その勢いを乗せた突きを繰り出す。

 再び氷壁を張り、防御を試みるゾルガ。だが、先程とは違い、助走を付けた事で威力が挙がっている。展開された壁は容易く砕け散り、彼の胸に凄まじい衝撃が襲い掛かる。壁によって僅かにでも威力を殺していなければ、確実に身体を貫かれていただろう。

 だが、後方へ吹き飛ばされたゾルガは、直後に地を蹴り、カイトの懐に潜り込んだ。


「ッ!」

「もらった!」


 大技を放った瞬間である為、今のカイトは隙だらけ。仮に一撃目を防げたとしても、次いで繰り出される氷の追撃までは防げない。

 それを示すように、彼等の周囲を取り囲むように、無数の氷柱が展開される。

 完全に退路が断たれた。確実に、彼の命はここで消える。誰もがそう思うのと同時、ゾルガの刃が相手の首へと向かい、


「―――止めてぇええぇぇぇええええええッ!!」


 ゴウッ!! と。

 フェリスの叫びと共に、暴風が吹き荒れる。


 もはやそれは、一個の巨大な砲弾。見ただけでその威力は想像でき、誰もが動きを止めてしまう。

 そして、何者にも邪魔される事なく進んだ砲弾が向かう先にあるのは、―――今にもぶつかり合おうとしていたカイトとゾルガ。


「くっ……!?」


 次の一撃でカイトを仕留めようとしていたゾルガだが、迫り来る脅威にその刃を一旦引き、改めてその切先を地面に突き刺す。

 直後に、今までとは比べ物にならない氷壁が、地面から立ち上がる。目の前の力を押し留めんとするが、竜巻は着実に氷塊を削っていく。

 このままでは……! と悪態を吐きながら、ゾルガは再び壁を生み出す。直後に一枚目の盾は破壊されたが、二枚目は僅かに表面を削られるだけに留まった。


「今のは……その女の仕業か!」

「ッ!」


 攻撃の出処は直ぐに分かり、フェリスを睨み付けるゾルガ。その鋭い眼光に一瞬萎縮するが、直ぐに持ち直して逆に睨み返した。

 その強い意志の込められた瞳を見て、『ほぅ……』と彼は感嘆の声を漏らした。


「中々強気な女だな。俺に手を挙げたという事は、貴様も粛清対象と見るが構わんか?」

「……勘違いしないでください。私が狙ったのは貴方ではなく、あっちの傭兵です」

「いや、マジで俺も死にそうになったぞ。このオッサンが盾作らなかったら、確実に巻き込まれてたぞ」


 毅然とした態度で言い放つフェリスに、カイトが茶々を入れるが、村人達の耳には入らなかった。

 彼女の言葉など、その場凌ぎの嘘としかならない。否、それどころか、生殺与奪の権利は全てゾルガが握っている。最悪、気に食わないという単純な理由だけで、その首を刎ねられる可能性さえある。

 当然、それはフェリスも分かっているはず。だが、尚も彼女の瞳から光は消えない。それを面白そうに見たゾルガは、やがて踵を返した。


「興が醒めたな。今日のところは引くとしよう」

「な、何を言うか!? まだあの男は……!」


 罪人を放っておくと宣言したゾルガに、信じられないといった顔で怒声を上げるウルド。

 本来、ゾルガは穏やかな声音でそれを諌めた。


「あの程度、殺す価値もありませんよ。女に守られてるような男にはね」

「し、しかしだな。一応被害は出ておる訳だし……」

「私がやった事ですが、ここは死人に口なし。酔った勢いで、村人に迷惑を掛けたので処分したとでもしておきますよ」


 適当に誤魔化す算段を付けたゾルガは、直ぐに部下達に撤収命令を出す。それを受けた部下は迅速に動き出すが、彼の目はそれを見ていなかった。

 その視線が向く先にいるのは、先程自分の氷を砕いてみせた、金髪の少女。

 今は村人達と共に安堵の息を吐く―――フェリスだ。


(魔術の勉強をしているとは聞いていたが……掘り出し物とは、本当に意外なところにあるものだ)


 ウルドを馬車に乗せた事を確認した後、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべてゾルガは去っていく。


「よ、良かった……」

「っていうか、フェリス! アンタ、無茶するんじゃないよ!」

「まぁまぁ、無事だったから良かったじゃないか!」

「あぁ! この程度で済んで、良かった良かった!」


 徴税の件以外で、今回は特に被害が出なかった為、誰もが歓喜の声を上げる。それに釣られてフェリスも笑う。領主の無茶ぶりは毎度の事だが、今回は比較的マシな方だ。誰も傷付かなかった事に、心の底から安堵した。

 だが、その中で唯一人、喜びの声を上げていない者がいる。先程までゾルガと死闘を繰り広げていたカイトだ。無言で俯いているその姿に、危うく殺されかけた事に意気消沈しているのだろうと彼女は思った。


「殺す価値がないっていうか……殺せねぇよ、お前じゃ」


 だが、そうではない。沸き上がる歓声の中、風に乗って届いた彼の声に、憔悴の色はない。

 その顔に浮かんでいるのは、笑顔。

 今まで見せてきた、何かを企む暗い笑みや、自嘲気味の笑みではない。

 何かに憑りつかれたような―――狂気の笑みだ。


「俺を殺せるのは―――だけだからな」

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