第7話 領主と神徒
宿屋『恵みの風』から、10メートルと離れていない距離に建てられた、キスク村の入口となる門。
そこに、ドドドドドッ!! と家を揺らすほどの地響きと共に向かう一団があった。
荘厳な装飾が施された一台の馬車を中心とした、騎士の集団。馬車の扉や騎士達が纏う鎧の肩には、アルヴァトール帝国の人間である事を示す天使の紋章が刻まれている。
本来なら、栄えある帝国騎士達の来訪は大変喜ばしいもののはず。だが、村人にとって彼等がここに訪れる事は、凶報以外の何ものでもなかった。
「邪魔だ、邪魔だ!」
「我等が領主、ウルド様のお通りだ! 道を開けろ!」
彼等が招かれざる客という事は、周りを固めている騎士達の言動からも分かる。国民を守る立場に就く人間とは思えないほど、それは粗暴の一言に尽きた。
加えて、領主という権力者の後ろ盾を笠に着て、村に顔を出しては、毎度の如く食料や酒、金銭をたかっている。昨夜の騎士達の行動が良い例だ。
そんな傍若無人な振る舞いをしているにも拘らず彼等は、『お前達の身を安全を確保してやっている』と豪語している。どの口が言うのかと、言ってやりたい。普段から碌に仕事はせず、税が納められないとなれば容易く切り捨てるのだから、呆れて物も言えない。
だが、どんなに横暴に振る舞われようと、村人達が強く出る事は出来ない。何故なら、仮にも彼等は戦闘訓練を積んだ騎士であり、魔獣に対抗出来る戦力だからだ。
村人には、魔獣などの脅威に抗う術はない。報酬の問題もあるので、何かある度に冒険者や傭兵に依頼する訳にもいかない。それらの事から、故に、例え張りぼて同然の存在であろうと、自分の身を守る為には泣き寝入りする他ないのだ。
「うわっ……!」
誰もが慌てて騎士達の道を開ける中、一人の子供が石に
当然その光景は、騎士達の目にも映っているはずだった。だが、彼等は全く速度を緩めない。結果など分かり切っているはずなのに、尚も目的地に向けて馬を走らせ続ける。
「危な―――!」
い、と言い切る寸前、果敢にも馬の群れへと飛び込む影があった。
衝突は免れないと誰もが思っていたが、その人物が子供を抱き上げた事で難を逃れる。
「フェリスお姉ちゃん!」
「大丈夫? 怪我しなかった?」
助けてくれたフェリスの顔を見た瞬間、堰を切った様に子供は大声で泣き出した。
よしよし、とその頭を撫でながら、子供の無事に彼女もほっと安堵の息を吐く。
だが、下手をすれば彼女自身も危うかった。にも拘らず、彼女は自分の事は気にせず、直ぐに子供の身を案じた。その勇気ある行動と慈愛の精神に、咄嗟の事で動けなかった大人達は脱帽してしまう。
「ハハハハハッ! 出迎えご苦労ぉ、可愛い可愛い私の子羊達よ!」
だが、そんな彼等の感情など無視した、男の濁声が響いた。それを聞いた瞬間、フェリスを含め、全員の表情が険しいものへと変わる。
声のした方向に鋭い視線を向けると、そこには先程の一団が止まっている。そして、騎士達が護衛していた馬車から、丁度一人の男が降りてくるところだった。
まず目を惹くのは、豪奢な服のボタンがはち切れそうなほどの、蓄えられた脂肪。次いで、側面にだけ茶色の髪が残り、脳天は見事円形にくり抜かれたかのような禿げ頭。少し動いただけで顔からは汗が飛び、声を発する度に唾を撒き散らす事も含め、容姿的にもあまり近寄りたい人物ではない。
その腕の中には一匹の猫が収まっているが、男の醜悪さに顔を
「ほれほれ、どうした。皆のウルド様が来たのだぞ? もっと喜ばぬか」
子供を轢きそうになった事など、まるで気にも留めていない。それどころか村人の陰鬱な表情や、敵意の籠った視線でさえ、何処吹く風といった様子だ。
そして、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべ、男―――領主のウルドは村長のジュラを呼びつけた。
「おい、村長。村長は何処だ!?」
「は、はい! ここにおります!」
「何だ、そこにいたのか。さっさと前に出ろ、我を待たすでない」
横暴なウルドの言葉にも文句一つ零さず、ジュラは直ぐに彼の前に出る。
「そ、それでウルド様。今日は一体何の御用で……?」
元々彼が来訪した時点で分かっていたが、村長が呼ばれた事で、嫌な予感は確信へと変わった。
それでも、出来れば間違いであってほしい。誰もが希望を捨てずに願う中、恐る恐るといった様子でジュラは尋ねる。
「うむ、用件は2つあってな。悪い報せともっと悪い報せがあるのだが、どちらから聞きたい?」
「え、えぇと……」
「あぁ、やはり良い。貴様も高齢だ。いきなり後者を聞かせて、弱った心臓に更に負担を掛けたくはない」
もっともらしい理由だが、こんなものはウルドの悪趣味以外の何ものでもない。
最初に軽い恐怖を植え付けた後、より凄惨な内容によって人々の心に絶望を与える。どちらかと言えば、こちらの方が心臓に負担がかかるだろう。
彼のやり口を皆既に知っている為、聞きたくないと耳を塞ぐ者までいる。そんな人々の苦悩する様子を楽しげに眺めながら、ウルドは悪い報せを告げた。
「実はな、我も心が張り裂けそうに痛むのだが、―――貴様等の税を、3割上げざるを得なくなった」
「さッ……!!?」
あっさりと。今日の夕飯は何かと尋ねる程度の気軽さで告げられた言葉に、ジュラは息を詰まらせる。
加えて、
魔獣の被害を受けている現状、森に入って木の実の採集に行く事は出来ず、畑の作物が最後の命綱だ。だが、今は収穫時期ではない為、去年取った分で何とか税を納めているのが現実。人々が食料にもしなければならない為、急激に税を上げられても払える訳がない。
更に、彼等がここまでこの事態に狼狽えるには、もう一つ理由があった。
「お、お待ちください、ウルド様! 先月も税を2割上げたばかりではありませんか!?」
「泣き言を言うな。
猫の頭を撫でながら、嬉々とした口調でジュラの言葉を突っ撥ねるウルド。
これが、村人達が彼に対して悪感情を抱く最大の要因。否、ウルドだけに限った話ではない。こういった不当な行いが、現在の世界では絶えず起きているのだ。
法外な税金や労役によって、地方では餓死者が大量発生。子供を奴隷商人や遊郭に売り、飢えを凌いでいる村は多く存在する。だが、それでもまだ良い方だ。酷い場合には、孤児を殺して食べる者までいるらしい。
にも拘らず、ウルドの肥えた身体から分かる通り、貴族達は毎日贅沢に明け暮れやりたい放題。加えて取り立ては税は貴族の遊戯や、愛人に貢ぐ為に消えていく。これでは不満が出るのも当然だろう。
「旦那様。今屋敷にいる動物達の事を考えると、もう少し必要かと」
「む、そうか? では、4割にしようかなぁ」
付け加えよう。どうやらウルドの場合、ペットの餌代も含まれているようだ。
彼はかなりの動物好きとして有名であり、聞いた話によると、屋敷には優に50を超える動物が放し飼いにされているらしい。しかも、その中に常人の手には負えない、危険生物も含まれているとの事。
大抵は暴れ出してもお抱えの騎士が鎮圧するそうだが、時折使用人にも被害が出るらしい。その度に新しい人間が雇われるが、戻ってくる者はいない。それ故に、彼の屋敷は『人食い屋敷』などとも呼ばれている。
(こんな奴が、領主だなんて……!)
村人の事情など考えず、私利私欲の為だけに金を要求するウルド。
その呑気な声が耳に入るだけで、フェリスの中に激しい怒りが込み上げてきた。
「し、しかし、そこを何とか……」
そしてジュラにも、村人達の長として、要求を黙って受け入れる訳にはいかなかった。彼にも、皆を守る義務があるのだから。
既にこの村にも、大勢の餓死者が出ている。しかも、その半数以上はまだ子供だ。
未来ある子供達を救う為にも、自分が何とかしなければならない。これ以上の犠牲を止める為、尚もジュラは食い下がろうとする。
だが、
「くどいぞ、村長殿。
「ぞ、ゾルガ様。貴方も来ていたのですか……」
悠然と現れて村長を黙らせたのは、髪をオールバックに束ねた、ウルドとは対極のかなり細身の男だ。
鎧の形状などは他の騎士達と変わらないが、唯一赤い
当然、ジュラでは彼の発言に異論を唱える事は出来ない。だが、彼に逆らえない理由はそれだけではない。
「我々だって腹は減るのだ。そして、我々が餓死すれば、一体誰が貴公等を守ってやれる?」
「そ、それは……」
腰に差した剣の柄を弄びながら、ゾルガは分かり切った事を問う。
もっとも、実際は殆ど職務放棄に等しいのが現状だ。仮に彼等が職務を全うしているのなら、
勿論、そんな事は口が裂けても言えない。言ってしまえば、昨夜の騎士達のように暴力に訴えてくるのが、容易く想像出来てしまう。
「お、お言葉ですが! 今でも重税で、皆食べ物すらままなりません! そんな状況の時に、税を上げると言われても……!」
それでも、中にはどうしても口に出して抗議しなければ、収まりがつかない者もいる。
殴り飛ばしたい気持ちを抑えつつ、勇敢にも一人の男が怒声を張り上げ、
―――ゾンッ! と。
男の足下に、一本の鋭い
「ッ……!?」
「おうっと、すまんすまん。手が滑ってしまった」
悪びれた様子もなく、ゾルガは楽しげな口調でそう言う。その手には何時の間か、刀身が驚くほど白い一本の
直後に、人々は思い出した。自分達が何故彼に逆らう事が出来ないのかを。
ギリ……! と奥歯を噛みしめながら、フェリスは憎々しげにその武器の総称を呟く。
「
遥か昔、帝国が存在する大陸の、とある砂海から正八面体の形状の結晶が発掘された。
それだけなら、一般に流通している鉱物と
適合した者と結晶体は一体化し、身体には
内側に取り込まれた結晶体と適合者の魂は呼応し、神話や伝承に登場する武器や生物の名を冠する、超常的な力を有する武器へと変化を遂げる。その力を端的に表現するなら、千差万別にして最強無敵。本来人間では到底敵わないはずの魔を容易く滅する力を持ち、まさに神の力と言っても過言ではない。
そして、時に天災とまで称される強大な力と、肉体に聖痕が浮き上がる事から、彼等はこう呼ばれている。
(人間を超え、神の領域に足を踏み入れた存在―――
500年前の魔族との戦争では人間側が勝利したとは言え、未だ兵器として持ち込まれた魔獣の脅威は去っていない。そんな災厄が闊歩していると言っても過言ではない環境であるが故に、彼等は冒険者以上に畏敬の念を向けられる存在となっている。
だが、フェリスからすれば、何が神の力かといったところである。確かに、彼は今手に持っている白銀の剣を振るうだけで、息をするよりも簡単に魔を滅ぼせる。だが、その矛先が本来救うべき人間に向けられているとはどういう事か。軽い遊び感覚で強大な力をか弱き民に振るう彼を、神徒などとは呼びたくなかった。
「それで、何か言ったかな?」
そんな彼女の心情など知る由もなく、ゾルガは己の力を誇示する様に剣を弄びながら、確認を取る。
間違いなく、先程の氷の一撃は警告だ。これ以上余計な事を言えば、次はない事を示している。
人々が出せる答えなど、分かり切っていた。
「……いえ、何でもありません」
結果、
こうなる予感はしていたが、やはりそう簡単には受け入れがたい。殆どの人々の目元には影が差し、目に見えるほどに消沈している。
そんな彼等の反応など無視し、それどころか面白がる男がいた。話が上手く(?)纏まった事に、喜色満面の笑みを浮かべるウルドだ。
「自分達も貧困に喘ぐ中、快く要求を聞き入れてくれるとは。皆が話の分かる民である事を、我は嬉しく思うぞ!」
「は、はい。私共も、ウルド様の下で暮らせて光栄であります……」
彼の機嫌を決して損ねないよう、ジュラは精一杯の世辞を述べる。如何なる理不尽であろうと受け入れ、上機嫌さえしておけば、誰かを傷付けるような命令を出さない事は、これまでの経験で分かっていた。
だが、忘れてはならない。これは所詮"悪い報せ"でしかなく、まだ"もっと悪い報せ"があるという事を。
「ウルド様、まだ彼等に伝えるべき事は残っていますよ」
「おぉ、そうだったそうだった! どうにも年を取ると忘れっぽくていかんな」
「何を仰いますか。まだまだ若いですよ」
下らない話で前置きを入れ、2人は心中穏やかではない人々を更に勿体付かせる。
そして、次は何をするつもりかとやきもきする村人に向け、ウルドは問い掛けた。
「実は今、この村にはある凶悪犯が潜り込んでおる」
「き、凶悪犯……?」
「うむ。その者は、昨夜我の騎士達を殴り、重傷を負わせたのだ」
一斉に、この場にいる全員の血の気が引いた。現状、この村にウルドの言う凶悪犯に該当する者など、一人しかいない。
それは間違いなく、カイトの事だ。それを思い出すと同時、昨夜彼が起こした乱闘騒ぎ光景が頭を過った。
(でも、カイトさんが口止めしたはず。まさか、あれだけやられてたのに喋ったの……?)
彼の存在を知っているという事は、あの3人が口を割ったという事か。態々剣を首元に添えるという、恐怖を煽るパフォーマンスまでしたのに。
そんなフェリスの疑問を肯定するように、ゾルガが主の言葉を引き継いで答えた。
「実は昨日の夜、食事をしに外へ出た私の部下3名が、負傷して戻ってきてな。事情を聞けば、その余所者に一方的に暴行を加えられたというじゃないか」
「おぉ、恐ろしい恐ろしい! よもやそんな大罪人が我の足下に潜り込み、民を苦しませているとは」
(一方的って……いえ、確かに一方的でしたね)
先に剣を抜いたのは騎士達の方だ。だが、その後に繰り広げられたのは、カイトによる蹂躙と言っても過言ではない。それは、彼の身体に傷一つ付いていない事から証明出来る。
しかし、そうなると彼等は厳しい立場に立たされる。何せカイトが負傷していないという事は、彼の方から仕掛けたと見られてもおかしくないのだから。それも、ゾルガは騎士達の味方である為、彼等の証言一つで例え嘘だろうと事実として通ってしまう。
この場に被害者である件の3人がいないのが多少気になるが、そんな事に意識を向ける暇を、ゾルガは与えない。
「だが、安心せよ。そのような不届き者は早々に裁いて、皆の平穏を取り戻してやろう」
「そうですね、ウルド様。何より帝国に属する騎士を殴り飛ばすなど、これは国家反逆罪に相当する。よって、これより貴公等の家を、一軒一軒虱潰しに捜索させてもらう」
虱潰しに探すという言葉に、フェリスの顔は強張った。カイトと別れる間際、彼女は客室から出るなと言っている。
普通の民家から出てくるのならまだ良い。それなら住民が気付かない内に、潜伏していたと通す事も出来る。だが、宿屋から出てきたとなれば、それは匿っていた事と同義に取られる可能性が高い。その場合、大罪人の味方をしたと判断され、村人達も処断されかねない。
(マズい……。直ぐにあの人には別の場所に隠れてもらわないと!)
カイトを引き渡すつもりはないが、皆が傷付けられるのも避けたい。
取り敢えず、魔術で気配を断ち、こっそりと彼のいる部屋へ行くべきか。そう判断したフェリスは、早速とばかりに魔力を練り始め、
「―――その必要はねぇよ」
突如響いた、本来ならこの場所にいないはずの少年の声がそれを遮った。
直後に、フェリスは歓喜と焦燥をごちゃ混ぜにしたような表情を浮かべる。この場で
どちらが正しい答えなのかは分からない。だが、それでも
―――ゴゥッ!! と。
凄まじい速度で投擲された剣が、人々の隙間を縫って飛来する。
「へ……?」
一体何が、などという考えすら浮かばなかった。その間にも、空気を裂いて剣は突き進む。
身体の面積が大きく、この上なく的としては最適な―――ウルドの顔面に目掛けて。
「なぁああぁぁあッ!?」
「チィッ!」
直ぐに驚愕するウルドを、自分の後ろへと下がらせるゾルガ。
次いで忌々しげに舌打ちをすると、その手に握ったレイピアを円を描くように振るう。直後の事だった。
ガ、ギャァアアァンッ!! と。
盾の形は円型。まるで、刀身の軌跡に沿うように、空気中の水分が凍結して出来た形状だ。
剣の直撃と共に砕けてしまったが、それでも主君を守るには十分過ぎる。ウルドの無事を確認し、ゾルガはほっと息を吐く。そこへ、先程と同じ少年の声が聞こえてきた。
「悪ぃな。
意趣返しのつもりだろうか。先程ゾルガが言った台詞を、そのまま返してきた。
ぱらぱらと氷の粒が落下していく幻想的な光景の中、彼はその声の出処へと鋭い視線を向ける。
そして彼の目は、こちらへとゆっくりと近付く人影を捉えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます