第2話 キスク村


 アルヴァトール帝国。

 勇気と情熱を意味する紅と、全能と潔白を意味する白の翼を持つ天使を紋章とする、世界の約半分を手中に収める大国家。

 500年前、魔界から侵攻してきた魔族達を滅ぼす為に多くの国が手を取り合った事が始まりとなり、この国は誕生した。その際、森人エルフや獣人といった異種族とも同盟を組み、魔族との大戦に挑んだ事が、帝国が現在の規模に至った最大の要因である。

 更に異種族との交流によって、当時の人間族では持ち得なかった技術も入り、国は発展の一途を辿った。それでも古きを愛し、技術革新の波に呑まれなかった街や村も存在する。キスク村もその一つだ。


「着いたぜ、傭兵の兄ちゃん。ここがキスク村だ」


 ゴブリンの群れを退けて、更に数十分ほど荷馬車に揺られると、カイトは目的地に辿り着いた。

 目の前にそびえるのは、丸太を組み上げて作られた巨大な門。此処とは別にもう一つ、対面する形で門があり、それぞれを2人の衛兵が昼夜交代で警備をしているらしい。

 カイトと御者の仕事内容は当然異なる為、ここで別れる事になった。


「他の荷物もあるってのに乗せてくれて、ありがとうな」

「いやいや、礼を言うのはこっちの方だぜ。寧ろ、助けてもらったのに言葉でしか礼が出来なくて、申し訳ねぇくらいだ」

「なら、いずれこの薄汚い傭兵、カイト・クラティアに指名依頼をしてくれると有り難いね」

「ハハッ、商売上手な兄ちゃんだ! その名前、覚えとくよ」


 そう言って、御者は衛兵の前に立つ。身分を証明して、通行税を払うだけなので、時間は掛からないだろう。

 5分も経たぬ内に門は開き、御者は中に入っていく。再度手を振って別れを告げた後、入れ替わりでカイトも彼も前に進んだ。

 間髪を容れず、書類と羽ペンを持った、粗野の印象を感じさせる衛兵が彼に声を掛ける。


「この街は初めてか?」

「あぁ」

「なら、この書類に名前を書け。あと身分を証明する物があれば見せな」


 その見た目通り、吐く言葉も粗野なもの。衛兵は押し付けるように書類をカイトに渡してきた。

 人の往来を見守る立場にいながら、この応対の仕方はどうかと思う。だが、どうせ後は村を出る時に顔を合わせるだけだ。特に言及はせず、ギルドカードと共に必要事項を書いた書類を返した。


「カイト・クラティア、職業は傭兵ねぇ。年齢16歳って……こんなガキまで加入させるとは、傭兵ギルドはよっぽど人手不足なんだな」


 年齢を知った瞬間、小馬鹿にしたように笑う男にカイトは内心舌打ちする。

 ギルドとは、特定の技能を持った複数の人間によって構成された組織の事である。

 この世界では、平民は自分が住む土地の領主に税を納める必要がある。支払う形に決まりはない。金銭は勿論の事、農産物や鉱物、動物の皮などでも良い。

 だが、農産物などはまだしも、品物の採集には危険が付き纏う。魔獣などは至るところに出現する為、無事に生きて戻れる可能性が圧倒的に低いからだ。

 ここでギルドの出番となる。カイトが籍を置く傭兵ギルドを始め、冒険者ギルドや商業ギルド、工業ギルドなど。依頼とその内容にあった金額を提示すれば、依頼人に代わりに仕事を引き受ける。場合によっては高くつく事もあるが、依頼に規則や制限は設けられていない為、多くの人々に重宝されている。

 そして10歳以上で、相応の腕さえあれば、誰でもギルドに加入する事が出来る。故に、年齢だけで人を判断されるのは非常に不愉快だ。


「……確認が終わったなら、通してもらっても良いですか? 早めに宿を確保しておきたいので」

「あいよ。これが料金表だ」


 衛兵は懐から羊皮紙を取り出し、カイトの前に提示する。普通なら来訪の理由も聞くところなのだが、何処まで彼等は職務を疎かにするつもりなのだろうか。

 呆れながらもカイトは財布を取り出し、見せられた用紙に視線を向けた。


(えぇと、人間は1万Gゴルド……って、高ッ!?)


 声にこそ出さなかったが、その料金設定にカイトは驚いてしまう。

 人間一人の通行税など、大抵は500Gが相場だ。それが20倍など、明らかな悪意を感じる。

 とは言っても、ここでごねたところで村に入るのが更に遅れるだけなので、渋々ながらも大人しく金を払った。


「ほら、さっさと行け」

(言われなくてもな)


 もう一人の衛兵に促され、カイトは文字通りさっさと門を通った。


「ボリ過ぎだろ、あれ。宿代足りるよな?」


 法外な税金を払わされた事に苛立ち覚えると同時、残金で宿泊出来るか不安になってしまう。

 だが、そんな陰鬱な空気は、門の内側に入った瞬間に霧散した。


「へぇ。中々良い所じゃん」


 彼の前に広がっていたのは、何とものどかで、心を落ち着かせる風景だった。

 門から伸びる一本道に沿って茅葺屋根の家屋が並び、家と家の間からは斧を使って薪割りに精を出す人の姿などが見える。更には背中に籠を背負って作物を運ぶ者や、馬を使って農具を運搬する者などが道を歩く事で、のどかな光景を生み出していた。

 穏やかなさだけが取り柄で、他には何もないと聞いていたが、この人情味溢れた風景には一度は訪れるべき価値があるだろう。


「っと、いつまでも見惚れていられねぇな。まずは村長に話を聞かないと」


 既に太陽は西に傾き始めている。あと2時間もすれば、辺りは夜の闇に包まれるだろう。

 本格的に動き出すのは明日からとしても、宿の確保は必須。なので、まずは村長に依頼内容を確認して、その上で滞在期間を考える必要がある。

 だが、残念な事にカイトは村長の家が何処にあるかを知らない。


(どうせだし、村を見て回るか)


 この平穏さをもっと感じたいと思ったカイトは、ついでに少し村を案内してもらおうと考える。

 そして、適当な人間を見繕おうと辺りに視線を巡らせて、


「……? 何だ?」


 先程まで作業をしていた者や歩いている者、更には家の中に居る者から向けられる、多くの人々の目。

 余所者が訪れた事への好奇心かと最初は思ったが、どうやら違うらしい。彼等の瞳に宿るのは興味ではなく、敵意や恐怖、不安、懐疑といった負の感情ばかりだ。

 カイトがこの村に来たのは初めてなので、そんな悪感情を抱かれる覚えはない。


(まぁ、どうでも良いか。元々傭兵なんて嫌われ者だしな)


 戦闘関連の仕事なら、例え個人からの表沙汰に出来ない仕事でも傭兵は引き受ける。故に似た様な仕事内容でも、花形職業の冒険者とは違い、彼等は忌み嫌われているのだ。

 その為、未だ向けられる視線については、早々に諦める事にする。

 だが、村長の家には行かなければならないので、その辺を歩いている人間を捉まえ、道を尋ねようとして、


「ねぇ、そこのお兄ちゃん」


 背後から掛けられた舌足らずな子供の声に、カイトの足が止まる。

 気怠げに振り向くが、其処には誰も居なかった。


「下だよ、下!」


 言われて視線を下に向けると、小さな男の子が立っていた。

 年齢は恐らく10歳以下といったところ。子供特有のあどけない瞳で、何故かカイトを睨んでいる。


「何だ、ガキ」

「ガキじゃないもん! もう5歳だもん!」

「知ってるか? 自分をガキだと認めて、人間は初めて大人になれるんだ」

「僕はガキだ!」


 単純だなぁ、と自分の甘言にあっさりと引っ掛かる子供に、カイトは思わず苦笑いを浮かべた。


「お兄ちゃんも、ぼーけんしゃって人?」

「違うな。俺は傭兵だ」

「よーへい?」

「あー……何て言えば良いだろうな。まぁ、戦うのが得意な冒険者って感じだ」


 冒険者と傭兵の違いなど所詮はその程度だと考えている為、彼にとって両者の区別はどうでも良かった。

 だが、少年にとってはそうではなかったらしい。一層その瞳に敵意を滾らせてきた。


「出てけ! ぼーけんしゃは村から出てけ!」

「傭兵だっつの。っつか、冒険者だったとしても俺は出ていかねえぞ。この村に入るのに1万Gも払ったのに、何が悲しくて直ぐ帰らなきゃならないんだ」

「知らないよ、そんなの! でも皆、ぼーけんしゃなんて居ても迷惑なだけだって言ってた! だから出てけ!」


 理由はいまいち分からないが、この村の人間にとって、冒険者は招かれざる客のようだ。

 それで合点がいった。先程からの不快な視線は、カイトを冒険者だと思って向けたものなのだろう。


(めんどい……。無視して先に行くか)


 冒険者が残した遺恨を、傭兵の自分に向けられても迷惑なだけだ。

 取り敢えず、今日のところは宿で一夜を過ごすべきか。そう考えるカイトだったが、子供を諌める老人の声によってその足は止められた。


「これこれ、客人に迷惑を掛けてはいかんよ」

「そんちょう!」


 子供の背後からゆっくりと現れたのは、白髪が目立つ、恐らくは70代ほどの痩せ型の老人。

 実際にはもう少し若いのかもしれないが、その顔に浮かんだ陰鬱な雰囲気によって老けて見える。


「……村長って事は、アンタがギルドに依頼した人か?」

「えぇ。私が依頼人、この村の村長をやっているジュラ・ベリックです。今回はよろしくお願いします」


 礼儀正しく、丁寧に一礼するジュラ。どうやらこの人物は、村人と違い敵意を抱いていないようだ。

 一方で、村長が諭しても尚、子供の方は不安げな様子を見せている。


「アイル。もう家にお帰り」

「そんちょう、……でも」

「大丈夫だよ。この人は今までの人とは違うから」

「……うん」


 納得はしていない様子だが、そこまで言われてようやく子供は離れていった。

 次第に小さくなっていく背中を見送った後、改めてジュラはカイトの方に向き直った。


「申し訳ありません。ここ最近は色々とごたついておりまして」

「気にしてないさ。けど、何だってこの村の人間は冒険者を嫌ってるんだ? 傭兵と違って、連中は諸手を挙げて喜ばれるだろうに」

「……それについてお話しても構いませんが、まずは依頼について話しましょう。私の家が直ぐそこなので、そちらへ」


 点在している他の家々の横を通り、言われるがままに着いていく事数分。『直ぐそこ』という言葉通り、彼の家までして時間は掛からなかった。

 辿り着いたのは、他の家屋と同じ茅葺の屋根が特徴的な、平屋建ての一軒家。中に入れば、土で作られた竈の置かれた台所が真っ先に目に入る。奥にはジュラの私室が設けられ、中心に囲炉裏が据えられた広間が台所と併設されている事を除けば、他の民家と構造は変わりない。

 その広間にてフードを取ったカイトは、囲炉裏を挟む形でジュラと対面し、木製の床に腰を下ろした。


「しかし、驚きですな。君のような若者が傭兵をやっているとは」

「生憎、商才や鍛冶の腕がなくて。取り柄と言ったら、戦う事ばかりだし。それに……この方が動き易いからな」


 最後の方が聞き取れず、は……? とジュラは首を傾げる。

 それに対し、『何でもない』と直ぐに返すと、カイトは本題に入った。


「じゃあ早速だが、今回の依頼―――魔獣退治の内容について、詳しく話を聞かせてくれ」


 魔獣。それは、人の住む領域の外側に棲息する、普通の動物よりも強い力を持った生物の事。

 加えて、各種が恐るべき異能を秘めており、当然この村の人間のような一般人の手には負える存在ではない。対処出来るのは、戦闘技術を身に着けた帝国の騎士か冒険者、そしてカイトのような傭兵稼業を営む者に限られる。


「はい。全ては3ヶ月ほど前、馬や牛などの家畜が襲われ、食い荒らされた事が始まりです」


 ジュラの話によると、今までも近隣の森に生息するゴブリンなど魔獣によって、同様の被害が何度も起きていたらしい。

 今回もそういった類のものだと思い、早々にギルドに依頼を出した。そして程なくして、4人の中級冒険者によって構成されたパーティが村にやってきたそうだ。

 所詮相手は小型魔獣だと、彼等にとっては小遣い稼ぎ程度の感覚だった。意気揚々と森の中に入り、蟻を踏み付けるように相手を殲滅する。それだけで報酬が手に入る―――はずだった。


「彼等は皆……半死半生の状態で戻ってきたのです」


 ―――『ゴブリンなんかじゃねぇ……! あれは、化け物だ……!』


 死に体で戻ってきた冒険者の一人は、そう叫んだらしい。

 何があったのか詳しい事情を聞こうとしたが、彼等は一様に恐怖で口を噤んだ。そして、治療もそこそこに逃げるように村を出ていったとの事。

 唯一彼等が遺した情報と言えば、


「血のように赤い目が特徴の、白い獣だそうです」

「碌な情報じゃないな。そんな魔獣、その辺にゴロゴロいるぞ。兎だってそうだし」

「ハハッ! まぁ、兎ではないのは確かでしょうな」


 その条件で言えば、キラーラビットという兎の姿をした魔獣も当て嵌まる。

 だが、それは危険度こそ上だが、ゴブリン同様に小型に分類される。とても一つのパーティを全滅させられるとは思えない。


「その後も何人か冒険者の方が来ましたが、結果は同じ。やがてギルドの方でも、次第に依頼を受けてくれる人が減っていきました」

「あぁ、なるほど。如何にも冒険者向きの依頼が、傭兵ギルドウチに来てたのはそういう事か」


 要は盥回しにされたという事だ。傭兵の殆どは血の気が多い為、それなりに危険度の高い依頼を好む習性がある。故に、多くの冒険者を屠る魔獣がいるとなれば、高確率で跳び付くのは目に見えている。

 もっとも、今回依頼を受けたのは、纏まった金が手に入るといった普通の考えを持つカイトだった訳だが。

 一方で冒険者側の対応は、何人もの同僚が返り討ちに合っている上、相手の情報が分からないとなれば当然の事だろう。

 だが、村人からすれば絶望的な状況だ。何せ、得体の知れない危険な魔獣が直ぐ傍にいる状況に、常に怯えて過ごさなければならないのだから。


「そして、依頼書を出してから一ヶ月半ほど経った頃……遂に最悪の事態が起こったのです」


 その言葉だけで、カイトは何が起こったのか察する。

 これ以上は辛いだろうと思い、一旦会話を中断させようとするが、ジュラは構わず話を続けた。


「冒険者などにはもう頼れんと言って討伐に出た者も含め、被害は30人以上。そして、その内の5人は……!」


 言葉を詰まらせ、ぐっ……! と何かに耐える様に拳を握るジュラ。 

 ここまで話を聞いて、カイトは村の現状と、先程の冒険者に対して向けられた暗い感情を理解する。

 大抵の人間からすれば、冒険者とは希望なのだ。相応の金額を払いこそするが、魔獣の討伐以外にも、採取依頼や未知なる遺跡の踏破などを彼等は請け負ってくれ、その功績は日々の生活を豊かにしてくれている。それが依頼を引き受けてくれないとなれば、村人にとっては見捨てられた事に等しい。


「お願いです……! 私も、村の皆も、この恐怖にはもう耐えられない……! 今の話を聞いて思うところはあるでしょうが、どうか我々を救ってください……!!」


 これまでの経緯を話し終えると、ジュラは瞳に涙を浮かべながら頭を下げた。

 自分より遥かに年下の若者に、泣きながら懇願する老人。そんな異様な光景が出来上がるが、はっきり言ってカイトには彼等の事情などどうでもよかった。

 彼は物語に出てくるような正義の味方ではなく、矮小な人間に過ぎない。だから、人間は人間らしく、己の出来る事を事をするだけだ。


「……頭上げろよ、村長。報酬さえ払うなら、俺にとっちゃそんな細かい事情なんて関係ない。依頼をこなすだけだ」

「で、では……!」

「流石にもう日が暮れるし、本格的に動くのは明日になるけどな」

「あ、ありがとうございます!!」


 いや、もう止めて……、と再度頭を下げるジュラを見て、カイトは面倒臭そうに息を吐く。

 話題を変えようと窓の外を見ると、既に夕方になり、空には星が見え始めていた。話も終わったところなので、此処を出るには丁度いい。


「それじゃ、俺はそろそろお暇するよ」

「あぁ、お時間を取らせて、申し訳ありませんでした。どうかゆっくりお休みください」


 宿は門の近くだと教えてもらい、外に出ようとするカイト。

 だが、途中で何かを思い出したかのように立ち止まり、ジュラの方に振り返った。


「ところで、村の連中にもこれから聞いていくが、その魔獣についてアンタ等は何か他に知ってる事ってあるか?」

「それでしたら、生きて戻ってきた村人の証言を纏めた資料があります。今取ってきますので、少々お待ちを」


 有り難い、とカイトは思った。今日の内に有力情報を纏める事が出来れば、明日は直ぐに行動出来る。

 そしてジュラは、件の資料を取りに私室へと向かおうとする。

 だが、彼の姿が奥に消える寸前、バン! と凄まじい勢いで家の扉が開けられた。

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