大罪傭兵のロンギヌス
真道一
大罪傭兵
第1話 始まりの夢
満月が煌々と輝く夜。
天上から注ぐ優しい光が、木々や川の水、生き物達を包み込む。本来なら、その幻想的な光景に、誰もが目を奪われた事だろう。
だが、この場において、それは当て嵌まらない。全てを静かに照らすはずの月光の下は今宵、
それは自由に駆け巡った野山を、住み慣れた家屋を、共に生きてきた家畜を、全てを焼き尽くす。
紅。それは、人々の鮮血。
業火の包囲網から抜け出せた者がいても、彼等に逃げ場はない。無情に振るわれた刃が、無慈悲にその命を刈り取っていく。
「……………………」
少年は、眼前に広がる悪夢とも言えるその光景を、ただ見つめていた。
住む家も、家畜も、人々も。全てが息絶え、地に倒れた身体は、業火の中に消えていく。
ガシャガシャ! と金属がぶつかり合うような音が彼の耳に届いたのはその時だ。
「これは、一体……何があったというのだ!?」
やがて、白銀の鎧を着た複数の男達が姿を現す。
その肩当に描かれているのは、紅と白の翼を広げた天使の紋章。この世界の約半分を手中に収める、アルヴァトール帝国の紋章だ。
集団の中には一人だけ、赤い
彼は最初こそ目の前に広がる惨状に呆然としていたが、直ぐ傍に炎を見つめるように立つ幼い子供が居る事に気が付いた。
「生き残りか!? 君、一体ここで何があったんだ!?」
部下に生き残った住民の捜索と保護を命じた後、彼は少年に声を掛ける。
対する少年は何も答えない。この凄惨な地獄を目にすれば、これは当然の反応だと騎士の男は最初思った。
だが、直ぐに何かしら違和感を覚える。
目の前の惨劇を、呆然と見つめる瞳。
恐怖から歯の根が合わず、がたがた……! と震える唇。
これだけなら特に不自然なところはなく、普通の人間の反応だ。では、何が自分の第六感と言えるものを刺激しているのか。
困惑しながらも男は、少年の顔に向けていた視線を更に下の方に持っていき、―――気付いた。
「それ、は……!」
返り血に染まった、少年の手に。
彼の足下に転がる、一本の黒い刀に。
「俺が……」
ようやく言葉を発すると同時に、ゆっくりとした動作で彼は刀を拾う。
そして、燃え盛る炎に背を向け、彼はその顔を騎士に向けた。
炎が逆光となって、相手の表情を窺い知る事は出来ない。
唯一分かるのは、幽鬼の様に朧気ながらも、しかとこちらを見据える―――炎よりも濃い紅の瞳。
「俺が……―――殺したんだ」
「ッ……!」
不規則に揺れる荷馬車の上で、フードを目深に被った黒髪の少年―――カイト・クラティアは弾かれたように飛び起きた。
今の今まで見ていた悪夢の光景は、既に消えている。彼の視界一杯に広がるのは、雲一つない澄み切った青空だ。
そこまで来てようやく現状を理解すると、彼は白のシャツの上に黒の
「今日はこっちかよ……。全く、悪趣味にもほどがあるだろ」
自嘲気味に笑いながら、カイトは自身の左手を眼前に持っていく。
その視線が見据えるのは、指抜きグローブのようにも見える、前腕部に鉄板が仕込まれた布製の
「見せるものが違うだろ。お前は、お前の仕事しやがれ」
荷馬車に乗っているのは、カイトと御者の2人だけ。当然今の言葉に答える者などいるはずがない。
だが、彼は確かに誰かに向け、明確に言葉を発していた。
「何か言ったかい、兄ちゃん?」
「ただの寝言ですよー」
どうやら先程の呟きが聞こえていたらしい。心配そうに尋ねる中年の御者に、カイトは適当に返した。
「ところで、目的の村までは、後どのくらいだ? 一時間以上あるなら、もう少し寝てたいんだけど」
「あー、兄ちゃんよっぽど寝不足なんだな。そりゃ、そんなすっげぇ隈が出来る訳だ」
御者の言う通り、カイトの特徴的な紅い目の下には、濃い隈が刻まれていた。
顔立ちは端正な方なのだが、件の隈と元からの鋭い目付きが、全て台無しにしていまっている。独特の近寄り難さが醸し出され、近寄ろうとする者など然う然ういない。
因みにこの御者はそんな空気など気にせず、一人寂しく歩いていた彼に声を掛け、同じ目的地だからという理由だけで10キロメートル先の目的地まで運ぶと言ってくれた良い人である。
「けど、正直微妙なところだな。大体、あと30分前後……って、うおッ!?」
御者が素っ頓狂な声を上げると共に、ガタン! と荷馬車が急停止した。
「どうした?」
「それが……ちょっとした問題が起きた」
極力落ち着こうと務めているようだが、御者の声は震えている。
その肩越しに彼の視線を追うと、カイトは顔を
「ゴブリンかよ。何だってこんな所に」
魔獣の中でもスライムと並んでメジャーな存在、ゴブリン。
背丈は子供のように小さいが、顔は人間とは似ても似つかない醜悪なもの。
それが5体。各々の手に棍棒や石槍を持って、こちらを威嚇している。
「くそッ! 何か武器になるものは……!」
ゴブリンは魔獣の中では最弱だが、群れで行動されたら厄介極まる。当然今から馬に指示を出しても、逃げられるはずがない。
慌てる御者を見て、ゴブリン達は一斉にゲラゲラと笑い出す。
トス……! と。
その内の一体の額に、乾いた音と共に
「「「「ッ!?」」」」
棒切れのように倒れる仲間に、他のゴブリン達は一瞬動きを止める。
直後に、ゴッ! と呆ける一体の頭に、カイトの履く靴がめり込む。小さな頭は地面に着くのとほぼ同時に、体重差の所為でトマトのように呆気なく潰れた。
「ギッ!?」
立て続けに仲間を失い、ようやく我に返るゴブリン。
反撃しようとするが、死骸を踏んだままのカイトが身を捻った直後、その首が宙を舞った。
そこへ、不意打ちを狙った残りの2体が背後から襲い掛かる。カイトが振り向くと、棍棒を持った一匹が跳び上がり、もう一匹が腹に目掛けて槍を突き出すところだった。
「それで不意を突いたつもりかよ?」
小馬鹿にするように笑ったカイトは、迫り来る槍を反転して躱し、その動作から後ろ回し蹴りによってゴブリンを吹き飛ばす。
そして、蹴りを放った足が地面に着くと今度はそれを軸にし、棍棒を持つゴブリンの頭に上段の回し蹴りを叩き込む。爪先から、小さな刃が飛び出た靴で。
4体目が血の海に沈むのを確認すると、カイトは先程蹴り飛ばした個体に視線を向ける。どうやら脳震盪を起こしたらしく、立ち上がろうとするゴブリンの身体は頼りなさげに揺れていた。
だが、情けを掛ける気は毛頭ない。無造作に右腕を振り上げた直後、その小さな身体が股から頭部に掛けて縦に両断された。
「ったく、サービス残業は主義じゃないってのに」
自分が作った死体を見ても、カイトは心底面倒臭そうに溜め息を吐くだけ。そして、出来たばかりの死体を端の方に蹴り飛ばす。
やがて荷馬車の為の道を確保すると、未だ現状に呆然としている御者の下に戻った。
「終わったぜ。残りの道のりも、よろしく頼むわ」
「あ、あぁ。っていうか、兄ちゃん何者なんだ?」
乗り込もうとするカイトに御者が尋ねると、彼の目はあるものを捉えた。
今までは見えなかった。恐らく、外套の下に隠していたのだろう。
カイトの手には、乾いた血がこびり付いた布がグリップ部分に巻かれた、一本の
「別に。ただの薄汚い傭兵だよ」
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