第4話 苛烈なる赤の強襲

 ジュリの愚痴に付き合ったその帰り道、彼は「今日はひとまずムスビの家に泊まる」とだけ呟いた。今アルバーティの邸宅には第五回目の講和会議が開かれていて、国のトップが勢ぞろいしているとのこと。それはつまり、今夜の彼の自宅はものすごいストレスの塊と化している、ということだった。


 アルバーティ家は代々ストレスに弱いくせに仕事中毒な性分のせいで、他のどの貴族よりも医療魔法道具が充実している、悲しい家系だ。救いようがないくらい仕事命なジュリの家は日々吐血・胃潰瘍・疲労と戦っている。青白いを通り越して真っ白の顔で業務をこなす様は、さながら幽霊が成仏一歩手前で踏ん張っている感じがする。また、あれだけ憔悴しているのにもかかわらず、アルバーティ家の皆々様の頭がふさふさなのは何とも不思議なことだった。


 さて、そんなジュリにこれ以上ストレスを与えないよう、楽しい話でもして場を和ませるとしよう。午前中に起きたジジイとの仁義なき攻防戦にかなりの脚色を付け加え、面白おかしく花を咲かせていると、家の玄関先へと続く道に誰かが立っているのに気づいた。「なぁ、あれって…」ジュリが指をさしたその人物を視界に入れ、小さく頷く。


 ヴァン一座の主力の一人、語り部のルージュ。腰まで流れる金の髪に大きく澄んだ青の瞳は、おとぎ話に出てくるお姫様そのままの姿だ。ある種、一座の看板娘っぽい立場にある彼女がどうしてここに?



「貴女がムスビ・サカミチ?」

「そうですけど…」

「ふーん。貴女が、ねぇ。何よ、まだ子供じゃない」



 明らかにショーの時とは全く違う、苛烈な物言い。目と鼻の先に剣の切っ先を突きつけられているかのような、懺悔する囚人に容赦なく刃を振り下ろすような。容姿が整っているだけあって、ルージュのこちらを射抜く目線には迫力があった。何の用があって私の家の前に立っているのかは知らないが、勝手に人のことを値踏みして、鼻で笑って、私を完全に見下しているのだけははっきりとわかった。


 じろじろと全身を品定めされ、私の機嫌は猛スピードで下降中。何よりヴァン一座の語り部のルージュがこんな不躾な感じなのにがっかりした。彼女は今まで出会ってきた人の中で面倒くささナンバーワンを獲得している。とても不愉快だ。すごくげんなりする。隣のジュリも不快感が否めないようで、「ウゲー、なんだよ。ほぼ初対面なのに失礼過ぎない?」と私にこそこそと耳打ちした。


 いいや、コイツは無視して早く家に入ろう。さりげなく隣に目配せすると、ジュリも同じ意見らしい。いい加減そこどいてくれませんか?…そう、続くはずだった。



「まぁ、いいわ。本物か偽物かどうか、試せばわかることだし。――――カベルネ、やりなさい」



 ルージュの静かな命令に、ジュリが「はぁ?」とも言いたげに首を傾げた。何故ここでカベルネの名前が?そんな疑問もつかの間、肌が粟立つほどの殺気が襲いかかる。勢いよく振り向けば、夜の闇の中から炎を纏った直剣がジュリの背後を狙っていた。


 ザクリ、と、そのまま肉を断つ音が響くはずだった。血しぶきが上がり、辺り一面真っ赤に染まるはずだった。しかし、私が黙ってそうさせるわけもない。ジュリの肩を掴んで前へ引っ張る。彼を飲み込まんと勢いを増した炎は、すんでのところで弾かれた。限りなく薄い、ベールのような盾がカベルネの剣とジュリの背の間へ潜りこみ、攻撃を防いだのだ。


 態勢を崩したカベルネにもう片方の手を向ける。飛散した炎は時間が巻き戻ったかのように私の掌へ集約し、そこから一気に高出力の炎魔法を放った。ジュリを襲った炎とは比べ物にならないほど強力な業火が、渦を巻いてカベルネに牙をむく。だが予想以上にカベルネの反射神経は良く、目にもとまらぬ速さで避けられてしまった。それでも無傷ではなく、片腕が見事にやけどでただれている。


 不意打ちだったのだから、これくらい仕返ししても文句は言えまい。ついでに負傷した腕を庇うカベルネが動けないよう、木の根で足を地面へ固定させていただいた。しかしカベルネが力づくで拘束を解く可能性は否定できない。エネルギーを凝縮した火球をいくつか作り出し、ついぞ彼に向けて手を掲げ、いつでも攻撃できるぞと牽制しておいた。



「…えっ?なに、今何が起こったんだ?」

「ちょっとカベルネ、貴方手を抜いてたんじゃないでしょうね?」

「俺は全力だった。このムスビとかいう女が予想以上にやる奴だっただけだ」

「どうだか。これだから雇われ兵は信用ならないのよ。普通、簡単に拘束されるかしら?兄様だったら仮に本物だったとしても、難なく討ち果たせたでしょうに!」

「リユニオン一の猛将と言われようとも、まるっきり未知の力の前では…」


「オイコラ、貴方がたすっかり私を忘れてるようですけどね。いきなり人を攻撃しといてタダで済むと思ってるんだったら、覚悟しといた方がいいよ」



 攻撃を仕掛けられたジュリはただただ呆然としている。自分の身に何が起きたか理解できないようだ。私は毎日半強制的にジジイの地獄の特訓を受けているせいで、なんとか反応できたものの、普通なら背中をグサリで終わっていただろう。ジジイには及ばないがこのカベルネという男、かなりの手練れだ。


 カベルネは自分の足を横目で見て、それから私へと視線を移した。すでに敵意はなく、しばらくの沈黙を保った後、剣を握った手は静かにおろされる。



「ここまでだ。もう十分わかっただろう。俺の一閃を防いだ時点で、コイツはだ」

「そうね、信じがたいけど」



 本物だの偽物だの、何度も言われれば流石に気づく。我に返ったジュリもそうだったようで、緊迫した面持ちで私の服の裾を小さく引っ張った。ほぼ接触はなかったこの二人がジジイの目をかいくぐり、どうやって調べたかは見当もつかない。ピクト村は平和そのものだし、ジジイに普段から口酸っぱく言われているため、力を行使する機会はないに等しかった。


 しかし、彼らは私の正体を知っている。


 目的は何なのか、誰の差し金か、彼らの正体は、と考えを巡らせていると、小さく息をついたルージュが髪をかき上げた後、颯爽と踵を返した。おいおい、私の家にまでちょっかいかける気か。何我が物顔で家に入ろうとしてんだ、コイツ。これ以上変なことしたらこの部下っぽいカベルネを撃っちゃうぞ、本気だぞ。


 そんな私の威嚇もむなしく、ルージュは知ったことかと鼻で笑った。野良犬を追い払うように手を無造作に振ってみせる。彼女は本当に一挙手一投足、どんな仕草をとっても品があり美しいが、いちいち癪に障る人だ。



「好きにしてちょうだい。そいつは私の正式な部下じゃないの。煮るなり焼くなり勝手にして。それと、私がこのボロ屋に来た理由は貴女のお爺様が説明してくれるわ」

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