第8話

「ねぇ。ここ。なんでさっきの人に嘘ついたの?」


 直登の姿が見えなくなったところで、司は、先を急ぐ桂葉に聞いた。一刻でも早く、直登から離れようとしているように感じていたのだ。

本当は桂葉が嘘を付いた時に、その場で嘘を吐いたことを確認したかった。

しかし、司は、桂葉が意味もなく嘘をつく人間ではないことを知っている。

本人には言えないから嘘を吐いたのだ。

だから、こうして二人きりになってから質問をした。

司のその質問に、「え、ええ、な、なんのことかな?」と惚けようとする桂葉だった。

変な所で積極的だった。

司とは、小中高と十数年に渡る長い付き合いだ。下手糞な誤魔化しは司には通用しない。


「木曜日の昼食に、商店街で買ったパンを食べてたじゃない。水曜日は商店街のパン屋が安くなるから、ここはよく利用してるよね」


 桂葉の木曜日の昼食は商店街で売っていた物だと、共に食事を取る司は知っていた。毎週水曜日の特売に桂葉がよく学校帰りに行くことも。

 司の指摘に、あからさまに目を泳がせる。

 そして、意を決したように嘘を吐いた。


「うっ……。違うよ。司ちゃん。あれは自分で作ったんだよ」


 バレバレな嘘に司は微笑む。

 別に桂葉が、直登に嘘を吐いたことに起こっている訳ではない。ただ、気になっただけなのだ。


「本当にもう、ここは。こっちおいで」


 猫撫で声を出して司が自転車を止める。そして、桂葉にも自転車から降りるように言うと、自分の元に近づくようにと手招きをした。


「……」


戸惑いながらも桂葉は、言われるがままに司に従う。

司の手が届く場所までとことこと歩いた。殆ど抱き着くような距離で向かい合う二人。

身長は司の方が高いようだ。桂葉は女子高生として平均的な身長なのだが、司はスタイルが良く手足が長かった。そのためか、身長差以上に感じてします。

 司は自分の視線に、桂葉の頭が来たことを確認すると、右手の中指を親指で押えて構える。ぐっと力を 込めた中指を桂葉のおでこにへとは弾いた。


「きゃっ!」


 デコピンとは思えない音を立てて桂葉に当たる。

 おでこを両手で押さえた桂葉が、痛みで涙を浮かべながら司にへと訴える。 


「い、痛いよ! い、いきなり何するの、司ちゃん?」


「嘘つくならもう少しマシな嘘をつきなさい。ここが料理できないことぐらい、私は知ってるんだからね」


 最近では簡単に作れると話題になってはいるが、流行に疎い桂葉が知っているとは思えない。というか、桂葉が持っていた袋に、思いっきり『特売』と赤と黄色で強調されたシールが貼ってあるのを司は目撃していた。


「うう、もしかしたら、この数日間でパンつくりをマスターしたかも知れないよ?」 

 

今日の桂葉は強情だった。

 いつもならば、深く追求すれば、すぐに折れて真実を述べるのだが……。なにより、桂葉は、嘘を吐きなれていないからか――とにかく誤魔化すのが下手だった。


「……しょうがない」


「あ、ごめんね、う、嘘だよ。だから、手、下ろして!」


 ならば、もう一発、今度はフルパワーでと再び構えられた司の右手に、桂葉の心が折れた。

 自身の言葉を撤回して謝る。

 司のいう通り、桂葉は三日前の夕方、商店街に居たのだ。そして、その時――迷子の少女と一緒に、母親を探していた直登の姿を目撃していた。


「なんだ、なら、やっぱいい人だったじゃん、あのオジサン……。うん? でも、なんでそれなら、嘘ついたの?」


 迷子の少女を助けていたところを見たのならば、別に嘘を吐いてまで隠すことではない。

 桂葉の意図が読めずに首を傾げる司。

 だが――桂葉の話には続きがあった。


「う、うん。それだけなら、良かったんだけど……、そ、その日の夜、……夕方とは違う姿を見ちゃったの」


「違う姿?」


 桂葉が直登を見たのは、夕方の商店街だけじゃなかった。

 その日の夜にも直登を見ていた。


「う、うん。暗くてはっきりとは見えなかったんだけど、でも、あの人だったと思う」


「……それで、何してたわけ?」


 桂葉の『嘘』の原因が夜にあると察したのだろう。

 声を潜めて、桂葉の顔に耳を近づけて抱きしめる。

 ほっとしたように頬を赤らめた桂葉。

 小さな声でだが、はっきりと、司の耳元で言う。


「い、家の近くにある漁港用の倉庫に入っていったの……。だ、誰も使ってないから……人がいるのはおかしいなって……。そ、それで、……ちょ、ちょっとだけ、後をつけてみたの……。そ、そしたら、刀を持った直登(あのひと)が――『なにか』を刀で刺してた……」


「ちょっと、それって……」


「うん。駄文、『なにか』を殺してたんだ。苦痛に耐える女性の声もいたし……」


 桂葉が嘘を吐いていた理由が分かった。

 むしろ、よく頑張ったと桂葉を抱く腕に力を込めた。直登が探していたのは、目撃者だったのだと。


「まさか……、ここ、あの男に姿を見られた?」


「……も、もしかしたら、み、見られちゃったかも……。だから、こ、怖くて……」


 この三日間、姿を見られた自分が殺されるのではないかと、次の標的は自分なのではないかと、ずっと怯えていた。

 それでも学校に通い、日常的に振舞っていたのは、急に休んだり態度を変えては、怪しまれるかもしれないと桂葉は考えてしまったからだ。

 もしも、これ以上、そんな状況が続いていれば、桂葉の精神が壊れてしまった可能性もある。

 ある意味、このタイミングで直登が姿を見せたのは良かったのかも知れない。こうして司に相談することが出来たのだから。


「……警察には言ったの?」


「そ、それが……。次の日、わ、私、見に行ったんだけど……、し、死体が、無かったの……」


「え?」


「も、もしかしたら、か、隠したのかも……。バレないように……」


 自分の他に目撃者はいない。

 それどころか、彼らの声を聞いた者もいない。桂葉一人の証言では、警察がどこまで相手にしてくれるのか。

 女子高生の悪戯と話を聞くことすらないかもしれない。

 そして、直登は唯一の目撃者である桂葉を殺そうとしている……。

 司の腰に回された桂葉の腕は振るえていた。桂葉が司の胸に顔を埋めて顔を上げないのは、涙で歪む顔を、司に見られたくないのだろう。


「……私は信じるよ。ここが、こんな嘘を吐くとは思えないし」


 例え、証拠がなくても司は桂葉の言葉を全て信じた。

それはこの三日間、桂葉が自分にも気づかせない程、気丈に振舞っていた本当は今、司に抱き着いているように、全身を震わして涙を流したかっただろうに。

それなのに、人見知りを克服されるなどと、直登と無理矢理会話をさせてしまった。


「……ごめんね、ここ……」


 司はもう一度抱きしめる腕に力を込める。


「……大丈夫」


 答えた桂葉の震えが止まることはなかった。

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