第8話 腐敗の王国

「ダリム……わたし、1人で歩けるから」

 アスミラがそう言っても、ダリムは下ろしてくれない。9歳の小さな女の子、とは言え人間1人を右肩に座らせたまま、のしのしと森の中を歩いている。

 巨体である。

 直立した熊のように大きな身体を、頭から爪先に至るまで鋼の鎧に包み込んでおり、生身の露出は一部分もない。

 そんな巨体にボロ布のようなマントが絡み付いて、左腕が完全に隠されている。

 右手は鋼の手甲、と言うよりは鋼で出来た五指そのもので、今は肩に腰掛けた少女の身体を優しく支えている。

 顔は、金属板に裂け目が入っただけの仮面で、それと一体化した兜が、首から上を完全に覆い隠してしまっている。

 異形の鎧騎士、とも言うべきそんな男が、1人の小さな女の子を肩に載せて、森の中を歩き続けていた。

 寒村の子供のような、粗末な身なりの女の子。だが顔は、見た者をハッとさせるほど可愛らしい。美しい、とさえ言えるかも知れない。さらさらと綺麗な金髪は、細い両肩にふわりと触れる長さである。

 名はアスミラ。あと何日かで10歳になる。が、誕生祝いどころではない日々が、この先しばらく続きそうである。

 祝ってくれる者がいるとしたら、それは今、自分を右肩に載せて歩いている、この異形の騎士くらいであろう。

 ダリム、というのはアスミラが付けてやった名前である。

 名無しのまま、この大男は、あの時いきなり現れ、逆賊たちの手中からアスミラを救い出してくれたのだ。

 その恩人の右肩に、小鳥か何かのように載せられたままアスミラは、自分のすぐ左側にある鋼鉄の兜を、小さな手でべしべしと叩いた。

「わたし過保護はいや、自分で歩くから下ろしてってば。ねえ聞いてる? こんなのかぶってるから聞こえていないんじゃないの!? ねえちょっと、もしもーし!」

「……聞こえて……いる……」

 金属板そのものの仮面の内側で、ダリムはようやく声を発した。

「だけど……お前、足短い……俺が、持ち運んで歩いた方が……速い……」

「持ち運ぶって……そっそれに、足が短いって……」

 怒りと羞恥で、アスミラの顔が赤く染まった。

「みっ見てなさい、あと何年かすれば足だって長くなるし胸も大っきくなるし! ダリムが恋煩いでおかしくなるくらい、わたし綺麗になるんだから!」

 大きな肩の上で、小さな手足をじたばたと暴れさせながら、アスミラは喚き、ダリムの頭をべしべしと叩き続けた。

「だけどその頃にはわたし、すてきな殿方いっぱい侍らせてダリムの方なんてもう見向きもしてあげないんだから! くやしいでしょ? かなしいでしょ!? ねえちょっと聞いてる!? 何とか言いなさいよ! もしもぉーしッ!」

「聞こえて……いる……」

 喋るのが億劫そうな口調で、ダリムが応える。

「だけど……お前が何、言ってるのか……俺、わからない……」

「この朴念仁! 唐変木! いいからちょっと下ろしなさいよォッ!」

「……それは……出来ない」

 ダリムは立ち止まった。

「少しの、間……大人しく、してろ……出来れば目、つむってて欲しい……」

「えっ……あ」

 アスミラは気付いた。

 周囲の木陰に、武装した男たちが潜んでいる。

 計十数人。見ただけでわかる、追い剥ぎ・強盗の類だ。不意打ちでも狙っていたのだろうが、それにダリムが気付いたのだ。

 気付かれた強盗たちが、木陰からぞろぞろと現れ、声をかけてくる。

「……随分と高く売れそうな嬢ちゃんを持ち歩いてるじゃねえか。え? 強そうなお兄さんよぉ」

「そ、そうよ。ダリムってば、おバカみたいに強いんだから」

 鋼鉄の兜にひしっとしがみつきながら、アスミラは懸命な声を出した。

 オデリウス侯爵配下の兵士たちも今頃、これと同じような輩に身を落としているのだろうか、と思わなくはない。

「いっ命が惜しかったら、道をおあけなさいっ」

「……俺……強くない……」

 マントをはねのけて左腕を見せながら、ダリムが言う。

「俺……が強い……のではなく……」

 袖状の鎧でがっちりと覆われた剛腕。その先端は、五指のある手首ではなかった。

「お前たち……が、弱い……弱すぎる……」

 五指ではなく、鉄球。

 人の頭ほどもある鋼鉄の球体が、何本もの棘を生やしたもの。ダリムの左手首は、そんな形をしていた。ものを叩き壊す、くらいにしか使えそうにない左手である。

 その鉄球が、左前腕からこぼれ落ちて地面に落ちた。ズンッ! と重い音が響いた。

 半分ほど地中に埋まった鉄球と、ダリムの左前腕は、鎖で繋がっている。

「だから、去れ……弱い者どもが、俺を……怒らせるな……」

「……言うじゃねえか、1人しかいねえクセによォ」

 強盗たちが去ろうとせず各々、長剣やら戦斧やらを構えて、凶暴性を剥き出しにする。

「てめえ人数差ってもんがわからねえか。もしかして数字かぞえらんねえのか?」

「こけ脅しの義手なんざぁ付けやがって。んなモンにびびってるようじゃ、この稼業やってらんねぇーっての!」

「その嬢ちゃんは、俺らがいい値で売ってやんからよォー」

「いやいや売るなんてもったいねえ! おおおお俺らのモノにしちまおうぜぇーゲヘヘヘヘ」

 汚い言葉を口々に吐きながら、彼らが動く……前に、襲撃がまず空中から来た。

 強盗たちの中でも最も小柄で身軽な1人が、短めの剣を振りかざして樹上から降って来る。ダリムの後頭部あるいは首筋を狙った奇襲。

 危ない、とアスミラが叫ぶ必要もなく、ダリムは左手を振り上げた。

「人間……ども……!」

 呻きと共に、鎖が鳴った。地にめり込んでいた鉄球が、土を跳ね飛ばしつつ超高速で宙に舞い上がる。

 小柄な強盗の身体が、空中でグシャアッ! と潰れ散った。

「人間ども……は……腐って、いる……」

 肉片を、臓物を、蹴散らすようにして、鉄球がなおも鎖を引きずって飛ぶ。まるで流星のように。

 その流星の直撃を受けて、強盗3名の頭が破裂した。

 潰れた顔面の一部を貼り付けた鉄球が、さらに2人の強盗を粉砕する。大量の血が霧状にしぶき、その中で2人分の手足や臓物が噴き上がる。

「どいつも、こいつも……おぞましく、腐って……いる……」

 アスミラを肩に載せたままダリムは、重く呟きながら1歩も動いていない。ただ巨体を時折、捻りつつ左腕を振るうだけだ。

 その左腕と鎖で繋がった鉄球が、縦横無尽に飛翔しつつも周囲の樹木をかすめる事すらなく、強盗たちの肉体だけを正確に打ち砕いてゆく。アスミラが呆然としている、わずかな間にだ。

「こ……こいつ、まさか……」

 残り1人となった強盗が尻餅をつき、弱々しい声を出す。

「よ……鎧の、悪鬼……」

 それが、最後の言葉となった。

 流星のように飛んだ鉄球が、彼の首から上を綺麗に吹っ飛ばしたのだ。

 鎖がジャララララッと、ダリムの左腕に引きずり込まれてゆく。

 その鎖の収納口を鉄球がガチッと塞ぎ、手首となった。

 撲殺・粉砕にしか使えぬ左手を、再びマントの内側に隠しながら、ダリムは言う。

「アスミラ……だから、目……つむってろと、言った……」

「……できるわけないでしょ、そんなこと」

 1つとして人間の原形をとどめていない強盗たちの屍を眺めつつ、アスミラは応えた。

 ダリムがこのような殺戮を行ったのは、アスミラを守るためだ。つまりアスミラが殺したようなものだ。見ずに済ませる事など、許されるわけがない。

(わたしがいると……ひとが、死ぬ……)

 あの時も、そうだった。

 アスミラを救うためにダリムは、大勢の兵士を虐殺した。この強盗たちのようにだ。

 アスミラがいたせいで、オデリウス侯の部隊は皆殺しの目に遭ったのだ。

「アスミラ……わかるぞ。お前……今、つまらない事……考えている……」

 強盗の死骸の1つを、何事もなくまたいで歩き出しつつ、ダリムは言った。

「この、肩の上にいるのが……お前ではなく、そこらの仔犬か仔猫……だったとしても俺、同じ事した……殺したのは、俺で……お前、ではない……アスミラ、何も悪くない……」

「……ちょっと、わたし犬や猫とおなじなの!?」

「そうだ……俺が最初にお前、助けたのは……仔猫、拾ったようなもの……拾ったもの、面倒見るのは当たり前……だから俺、お前守る……そのために、いくらでも殺す……俺が、勝手にやっている事……お前、気にする必要ない。感謝も、するな……」

「するわけないでしょ! あんたに感謝なんて!」

 ダリムの肩の上で、アスミラは喚き、暴れ、鋼鉄の兜をべしべしと叩いた。

「おもいあがってんじゃないわよ! わたしの方が、あんたを飼ってあげてるんだからね! そこんとこ間違えないようにっ、わかった? ねえちょっと聞いてるの!? なんとか言いなさいよこの殺人鬼! 朴念仁の唐変木! もしもぉーしッ!」

「……聞こえて……いる……ボクネンジンのトーヘンボク、とは一体……どのような、生き物だ……?」

「あんたのことよっ!」

 手が痛くてどうしようもなくなるまで、アスミラはダリムの頭を叩き続けた。



 王国宰相アフザム・ボルゲインは、貴族と言うよりは騎士階級、それも軍指揮官よりは兵卒に近い身分の出身であるという。

 戦功で成り上がった人物であり、その武勇は王国軍で1、2を争う、ラディック・ヘイスター公爵と双璧を成す、とまで言われていたようだ。

 今、ロウエルの視界内で、玉座と見紛うばかりの豪奢な椅子に身を沈めている男からは、しかしそんな勇士の面影すら見出す事が出来ない。

 確かに、若い頃は筋骨たくましかったのであろう。その隆々たる筋肉が、今は大部分が脂肪に変わってしまっている。

 醜く弛んだ顔つきは、しかしどこか獣じみて、両目はギラギラと強欲そうな眼光を放っており、そこにだけは戦場で身を立ててきた人間の獰猛さを感じなくもない、とロウエルは思った。

 宰相アフザム・ボルゲインの私邸である。

 かつては王国屈指の勇者と讃えられ、今は腐敗の元凶として万民に憎悪される男。

 その眼前で跪いているのは、ゼイヴァー・アルデバロン、ボルドー・ボストー、そして自分ロウエル・ケリストファーの3名だ。

 3人を代表し、まずはゼイヴァーが言葉を発する。素顔でだ。

「宰相閣下には御機嫌麗しく……」

「貴様の顔を見て機嫌麗しくなどなれると思うか、愚か者めが」

 吐き捨てるように、アフザムが言う。

 ロウエルは跪いたまま、思わず顔を上げて宰相を睨みつけてしまうところだった。

 人の身体的欠陥に、何の配慮もなく触れる。それが為政者のなさりようか……と、叫んでしまうところであった。

 ボルドーが軽く咳払いをしたので、ロウエルは辛うじて顔を上げずにいられた。

 アフザムが、なおも言う。

「私が今日こうして貴様を呼んだのは、報告が一向に上がって来ぬからだ。一体どうなっておる? ごまかしは許さぬ。今この時までに得た具体的な成果のみを、報告せよ」

「はっ……では御覧ぜられませ、宰相閣下」

 言葉と共にゼイヴァーが恭しく掲げたのは、1本の巻物である。

 アフザムが、ぎらついた目を見開いた。

「それは……よもや?」

「後世における大いなる改革のため、三英雄が遺したるもの……ゲペルの逆呪文書・上巻にございます」

「聞いておる。そこな司祭めが、中央大聖堂より持ち出して来おったものか」

 宰相の言葉と視線が、ロウエルに向けられた。

 発言を許可されていないので、ロウエルは無言のまま平伏し続けた。

「……その者、教会によって大罪人に指定されているのであろう。どうするつもりなのだ、ゼイヴァーよ」

「ロウエル・ケリストファー司祭は、我らの同志でございます」

 ゼイヴァーが即答すると、ロウエルを睨むアフザムの眼光がギラリと強まった。

「つまり教会を敵に回してでも、私にその者を庇護せよと。一介の聖職者ごときに、それだけの価値があると申すか?」

「恐れながら宰相閣下」

 ボルドー・ボストーが、発言の許可もなく声を発した。

「悪竜の封印を解くためには、逆呪文書に記されたる天使言語の呪文を詠唱せねばなりませぬ。そして天使言語を解読・発音し、その聖なる魔力を発動せしめる事が出来るのは、修行と功徳を積みたる白魔法使いのみ……宰相閣下の御大望を我らが成し遂げ奉るに、ロウエル・ケリストファー殿は欠かせぬ人材でございます」

「うむ……確かに、悪竜ガアトゥームを我が支配下に置く事さえ出来れば、教会など恐るるに足りん」

 強欲そうなアフザムの両眼が、まさに欲望そのものの如くギラギラと血走る。

 その欲望の炎に油を注ぐかの如く、ボルドーはなおも語った。

「大聖人ゲペル・ゼオンが書き遺したる封印解除の呪文、それをまた逆に唱える事で、悪竜ガアトゥームを再び地の底へと封ずる事が出来まする。すなわちゲペルの逆呪文書・上中下計3巻は、かの悪竜を、解き放つのみならず、脅し従わせるための武器ともなり得るのでございますよ」

「そうして悪竜ガアトゥームは、後クランシア王国の忠実なる下僕となる……」

 アフザムは、熱に浮かされていた。欲望の、あるいは野望の熱に。

「それはすなわち、このアフザム・ボルゲインの下僕であるという事……滅ぼしてくれるぞ、我が国に刃向かう近隣の小国どもを。そして私の善政にいちいち文句をつける愚民どもを」

 欲望、野望、あるいは憎しみの熱とも言えた。

「どいつもこいつも何もわかっておらぬ。このアフザム・ボルゲインほど、この国の事を思う為政者はおらぬと言うのに……やれ腐敗の元凶だの悪政の中心だの、私が守ってやっている民の分際で好き勝手な事を……ええい、許してはおけぬ!」

 豪奢な椅子の上で、アフザムは怒り喚いた。

「ゼイヴァー貴様! あのルイス・ジャンゴめはまだ捕まらんのか!」

 死人使いルイス・ジャンゴ。

 5年前の宰相暗殺未遂事件で唯一、生き残っている実行犯。アフザムの命を狙ったというだけで、何やら途方もない額の賞金が懸けられている。

「早急に捕縛し、私の目の前で拷問にかけよ! 目を抉れ! 爪を、生皮を、引き剥がせ! あやつに身内がおるようならば皆殺しにせよ! 私に刃を向ける、それが一体どのような事であるのかを愚民どもにとくと思い知らせるのだ! 逆呪文書残り2巻の捜索・奪取と並行し、怠りなく押し進めよ!」

「はっ……」

「それと! あの小生意気なアスミラ王女が、まだ生きて逃げ回っておるというではないか。一体どうなっておる!」

 幼い王女が反乱に巻き込まれて行方不明、という話はロウエルも聞き及んでいる。

「苦労知らずな王族の小娘の分際で、この私に意見しおって。善き政治をしろだの民の苦しみを顧みろだの……たわけが! このアフザム・ボルゲインは宰相なるぞ!? 国政の頂点に立ち、愚民ども1匹1匹を管理せねばならぬ、この私の苦労も知らずに! どいつもこいつも勝手な事をぬかしおる! 殺せゼイヴァー! わかっておらぬ者どもの首を、ことごとく斬り落とせ! 今すぐ始めんか!」

「恐れながら」

 見苦しく喚く宰相をたしなめるように、ゼイヴァーが言う。

「アスミラ・リスティウス殿下は、次代のクランシアを背負ってお立ちになる方。他の有象無象な王族どもと同列に扱う事は出来ませぬ。その辺り、どうかお間違え無きように」

「ゼイヴァー……貴様……」

 アフザムの声と表情が、引きつった。口答えをする人間がいるなどとは、とても信じられないのだろう。

「……早急に、あの小娘を始末せよと……私は、貴様に命じておいたはずだ……」

「お間違え無きように、宰相閣下」

 ゼイヴァーは顔を上げ、それだけを言った。

 それだけで、アフザムは何も言えなくなっていた。

 弛んだ顔面の肉をわなわなと痙攣させ、ぎらついた目を見開き震わせ、だが唇も舌も動かせずにいる。

 ロウエルの跪いている位置からでは、ゼイヴァーがいかなる表情をアフザムに向けているのかはわからない。

 とにかく眼光と言葉だけで、ゼイヴァーは王国宰相を黙らせてしまっていた。

 顔面が麻痺してしまったかのようなアフザムに、やがてゼイヴァーは口調穏やかに語りかけた。

「……悪竜ガアトゥームをも支配下に置かれようという御方が、年端もゆかぬ少女の1人や2人に脅かされるものでもございますまい。放っておかれるがよろしいでしょう。それが王者の御心というものでございます」

「王者……」

 アフザムが、どうにか声を発した。

「私は、王者……」

「さよう。悪竜を飼い馴らし、その力をもってクランシアのみならず世の国々全ての上に君臨なされる……もはや宰相にあらず、王者と成られるのです。アフザム・ボルゲイン様」

「そうだ……私は、世の全てを支配する……王者、いや皇帝、あるいは覇者……」

「そのため1日も早く、ゲペルの逆呪文書・中下巻を探し出し入手せねばなりませぬゆえ……我ら、これにて」

 ゼイヴァーは立ち上がり、その身振りでボルドーとロウエルにも起立を促した。

 王者、皇帝、覇者……などと呟き続け、もはやこちらを見ていないアフザムの面前から、3人はそのまま立ち去った。

 屋敷の門へと続く回廊を、ゼイヴァーはまるで自分の家であるかのような足取りで歩き進む。

 あとに続きながら、ロウエルは思わず溜め息をついた。

 隣を歩くボルドーが、微かに笑う。

「呆れ果てて物も言えぬ、といったところであろう? あれがな、この国の頂点に立つ男なのだよ」

「ボルドー殿、そのような……」

 ここはアフザムの私邸内である。

 ロウエルはいささか慌てたが、ボルドーは黙ろうとしない。

「聞かれても構わぬさ。アフザムに我らを罰する事など出来はせん。見たであろう? あの宰相閣下はな、ゼイヴァー卿には逆らえんのだよ」

 それはつまり、後クランシア王国最強の権力を持っている、という事ではないのか。このゼイヴァー・アルデバロンという男は。

「私は、権力など持ってはおらんよ」

 ロウエルの思考を読んだかの如く、ゼイヴァーは言った。

「私が持っているのは、権力ではない……暴力だ。破壊と殺戮を実行するための、な」

 暴力。確かに、物理的肉体的な暴力でこの男に勝てる者など、そうはいないと思われる。かつて勇猛の士であったとは言え、今のアフザム・ボルゲインに、自身の暴力でゼイヴァーをどうこうする事など出来はしないだろう。

 聖職者にあるまじき思考がその時、ロウエルの頭に浮かんだ。

 ゼイヴァーがその気になれば。あの暗君・暴君とも言うべき宰相を暴力で排除し、腐敗に苦しむ王国の民を救う事が出来るのではないか。

「ロウエル殿は、この王国の腐敗がアフザム・ボルゲインただ1人によるもの、とお思いか?」

 痛ましいほど醜い顔をニヤリと歪め、ゼイヴァーが言葉と共にこちらを向く。ロウエルの思考が、またしても読まれた。

「今は、後クランシア王国暦……267年、であったかな? 確か。為政者が1人や2人、暗愚であったり暴虐であったりしただけで、267年続いた王国がいきなり腐る事はない。今日のこの腐敗は、267年かけてゆっくりと進行してきたもの。あの宰相閣下がいなくなったとしても、第2第3のアフザム・ボルゲインが必ず湧いて出る。腐敗の中から、蛆虫の如くな」

「腐敗そのものを根絶する。それにはやはり、前クランシア滅亡時と同等の力が必要なのだよロウエル殿」

 妄言を吐いていた時のアフザムと、どこか似た口調でボルドーが語る。

「すなわちガアトゥーム……かの悪竜の力をもって、この国の腐れ汚れを一掃する。無論アフザムなど生かしてはおかぬ。悪竜をも従えたる王者・覇者となるのはアフザム・ボルゲインではなく我々よ。圧倒的・絶対的なる力によって保たれる、真の平和! これこそが悪竜復活の手段を後世に遺した大聖人ゲペル・ゼオンの、あるいは三英雄の、大いなる真意というものであろう」

 ロウエルが1つ、気付いた事がある。

 悪竜ガアトゥームの封印を解く手段を、わざわざ後世に遺した。

 大聖人ゲペルのその真意に関しては、これまで教会内で様々な議論・解釈が行われてきた。

 そして教会関係者ではないゼイヴァー・アルデバロンによる解釈こそが、最もロウエルの心を動かしたのだ。

 その解釈をゼイヴァーは、宰相アフザムにはもちろん、同志であるボルドー・ボストーにも語っていないようであった。

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