第3話 虐殺者の襲来

 たった1人の少女によって、山賊団ゲドモス一味は、ほぼ壊滅に等しいところまで追い込まれていた。

 いくつもの小屋から成る砦は、炎や黒煙に包まれている。

 山賊たちは黒焦げの肉片に変わって散乱しており、少なくともレギトの視界の中に、人の原形をとどめている屍は1つもない。

 そんな破壊と殺戮の光景を作り出した張本人たる、1人の少女。可憐なその姿の周囲では、炎の塊が2つ、小さな太陽の如く燃え盛りながら浮遊・旋回している。

「……あたしのお姉ちゃんが、言ってたんだけどぉ」

 2つの巨大な火球を従えた少女が、電光を帯びた杖を構えていじりながら、微笑んだ。にっこりと可愛らしい笑顔。だが。

「人を、1人でも殺しちゃうとね。2人3人殺すのも平気になっちゃって、そのうち5人10人って……止まんなく、なっちゃうんだって」

 にこやかに細められた瞳は、虚ろなくらいに澄んでいる。澄んだ瞳でこの少女は、どこか遠くを見つめている。

(こいつは……)

 自分と同じだ、とレギトは思った。弟に死なれ、義父を殺し、さまよっていた頃のレギトと。

 悲鳴が聞こえた。

 周囲で燃え崩れゆく小屋の1つから、数人の山賊が、火だるまになりつつ飛び出して来たのだ。

「ぎゃあああああついアツイ熱ぃいいいい」

「助けて! そこのアンタ、火ぃ消してくれよおおおお!」

 炎に包まれながら転げ回り、叫び続ける山賊たち。

 彼らに向かって少女が、

「ふぅん、あっついんだ……じゃ涼しくしたげるね」

 虚ろに微笑みかけ、左手を掲げ、そして唱える。

「……ゲルジ長官、打ち砕け」

 白い風が吹いた。氷の粒を含んだ、冷気の強風。

 それが、炎に苦しむ山賊たちを包み込んで吹きすさぶ。

「あっ熱いあつぅいアツイィ……げぴ……っ」

 焼け死にかけていた山賊たちが一瞬にして凍り付き、白い彫像のような凍死体に変わった。そして砕け散り、大量の凍結肉片と化す。

 少女が、ころころと愛らしく笑った。

「うふッ……あはははは。げぴ、だって……ちょっと受ける」

「お前……」

 レギトは慄然とした。自分がここの山賊たちを皆殺しにするために来たのだ、という事すら一瞬、忘れそうになった。

 粉々に砕けた白い屍、焦げ崩れた黒い屍……大量虐殺そのものの光景を見回しながら、レギトは心中で呟いた。

(俺は……これを、やろうとしてたのか……)

「あたしフェリス・レイン。ちょっと訳ありで一人旅してるの」

 訊いてもいない事を、少女は語り始めた。

「そしたら、この山賊の人たちが絡んできて……あたしが何されそうになったか、わかる……よね?」

「……まあな」

 レギトは会話に応じた。

 このフェリスという少女はきっと、己の身を守っただけなのだ。

「でもまぁ、そんなの人殺しの言い訳にしちゃ駄目よね……うん、あたしは人殺しの腐れ外道。それでいいから……」

 フェリスの、虚ろなほどに綺麗な両目から、ぽろぽろと涙が溢れ出す。

「お父さん、ごめんなさい……大切に育ててくれた、あなたの娘は……腐れ外道に、堕ちました……」

 可憐な両手で握られた杖が、バリバリッ! と放電を激しくした。

 小さな太陽のような2つの火球が、旋回浮遊しながら分裂し、計5つの、燃え盛る流星のようになった。そして。

「でも、それって……お父さんが死んじゃったせい、だよ? ねえ……」

 炎の流星が5つ、一斉に発射された。

 後方に跳びながら、レギトは長剣を振るった。気合いを帯びた刃が横薙ぎに一閃し、飛来した流星火球を1つ、いや2つ、斬り砕く。

 残り3つの火球はあらぬ方向に飛び、山賊の砦のあちこちに落下した。いくつもの爆発が起こり、燃え盛る廃材が大量に舞い上がる。

 泣き声が聞こえた。

 生き残った山賊が4人、座り込んで泣きじゃくっている。いや、1人はすでに死んでいた。半ば黒焦げになったその屍を、他3名が泣きながら囲んでいるのだ。

「えっぐ……あ、兄貴ぃ、しっかりしろよぉお……」

「畜生、死んじまう……みんな死んじまうよう……」

「しっ死にたくねえ……あ、あああんた、村にいた強い人だよな。頼む、助けてくれよう……」

 1人がレギトに気付き、すがりつくように寄って来る。

 その胸ぐらを掴み、レギトは怒鳴りつけた。

「さんざん人殺して、今まで生きてきた奴らが……死にたくねえ、だと? おい」

「しょうがねえじゃねえか……俺らだってこんな生き方、したくてしてるワケじゃねえよぉお……」

 胸ぐらを掴まれた山賊が、言い訳がましく泣きじゃくる。

「まじめに働いたって稼いだもんは全部、税やら何やらで持ってかれちまう! それでよ、まじめに働いてねえ奴らが儲けてやがるんだぜ? 俺らだって……奪って生きるしか、ねえじゃねえか……」

 他2名の山賊も、同じような話をし始めた。

「俺の親父はよぉ、税が払えねえからって領主の兵隊に殺されちまった……おふくろも姉貴も、身体売って俺を養ってくれたけどよ……2人とも、客の男に殺されちまった……」

「聞いてくれよ! 俺の村の領主の野郎、作物を横流ししてやがってよお……バレそうになったら俺の親父に罪被せやがって、それで親父もおふくろも死刑だよ! 俺ぁどうすりゃいい? 山賊にでもなるしかねえだろうがよぉおお!」

 黙れ、とレギトは叫びそうになった。

 自分の父親も、重税に耐えかねて首を吊った。そのせいで母はろくでもない男と再婚し、弟が死に、レギトは義父を殺して村を飛び出した。

 ラディック公爵に拾われなかったら自分もまた、山賊か強盗にでもなっていただろう。

 無論それは、この山賊どもを放置しておく理由にはならない。ここで皆殺しにしておかなければ、あの村が報復を受ける。

 レギトがやらなければならなかった事を、フェリス・レインが代わりにやってくれたのだ。それで良いではないか。

 そう思いながらもレギトは、泣き喚く山賊たちに背を向けていた。

 バチバチッ……と帯電する杖を両手で構えたフェリスが、ゆっくり歩み寄って来る。

 この黒魔法使いの少女に今にも殺されそうな山賊たちを、レギトが背後に庇って立っている。そんな形になってしまった。

「で……結局あなたって何? この山賊さんたちのお仲間、って事でいいのかな」

 虚ろな目をしたままフェリスが、可愛らしく首を傾げる。

 山賊たちを守って立ち塞がった格好のままレギトは、とりあえず会話を試みた。

「あー、お嬢さん……俺もよ、自分が何やってんのか今いち、わかってねえんだけど」

 会話をしている場合ではなくなった。

 黒煙が立ち上る空に、奇妙なものが見えたのだ。

 翼を生やした、人影。

 3体、5体、いや10体以上ものそれらが、凶暴に羽ばたきながら降下して来たところである。

 明らかな、襲撃の動きだった。

「伏せろ!」

 叫びながらレギトは長剣を振りかぶり、跳躍した。

 虚ろな瞳のまま、きょとん、としているフェリスに、翼あるものたちが空中から襲いかかる。

 石のような硬質の皮膚を有する、人型の生き物。皮膜の翼を一対、背中から生やしている。

 そんな怪物たちが急降下し、カギ爪のある手足で少女を襲う。人面がクチバシを伸ばしたような顔が、残忍な笑みを浮かべて奇声を発する。

 跳躍したレギトの身体が、空中で竜巻の如く捻れた。高速の錐揉み回転。それに合わせて長剣が幾度も閃き、斬撃の弧が複数描かれる。

 翼ある怪物が4匹、フェリスの頭上で真っ二つになり、空中に大量の臓物をぶちまけた。ビチャビチャと降り注ぐそれらを、フェリスがひらりと動いてかわす。意外に、機敏な動きである。

 着地しつつ、レギトは周囲を睨んだ。翼ある怪物たちが、カラスのように飛び回りながら怯んでいる。

 ガーゴイル、である。

 かつてラディック公爵と共に、これの大群と戦った事がある。その時は、公爵に恨みを抱く魔法使いに兵隊として使われていた。基本的には、黒魔法によって使役される怪物なのだ。

 悲鳴が聞こえた。それを掻き消すような奇声も。

 ガーゴイルの何匹かが、レギトを避けて着地していた。そこにいた山賊たちを襲撃しながらだ。

 はっ、とレギトが振り向いた時には、泣き喚いていた山賊3名が、ガーゴイルたちの爪でズタズタに引き裂かれていた。

 鮮血が、臓物が、派手に大量に噴き上がる。それらにまみれて、ガーゴイル3匹がゲラゲラ笑っている。

「てめえら……!」

 レギトは呻いた。

 助けてやれなかった。

 元々皆殺しにする予定だった山賊たちに対して、そんな矛盾した感情が生まれてしまう。

 その間にも、3匹のガーゴイルは山賊の生首や臓物を放り捨て、襲いかかって来た。背中の翼で羽ばたきながら地面を蹴り、手足の鋭い爪を振り立てる。飛翔に近い跳躍。

 レギト、ではなくフェリスを狙っての襲撃だ。

「させねえ……」

 長剣を構え直し、迎え撃とうとするレギト。

 その背後で、フェリスが叫んだ。

「ヴァダム伯爵、切り刻め!」

 少女の杖から、電光が迸り出た。

 3本の稲妻が、光る蛇の如くうねってレギトを迂回し、3匹のガーゴイルを直撃する。

 クチバシの生えた生首が、カギ爪のある手足が、皮膜の翼が、その他様々な肉片が、3匹分。砕けて飛び散りながら、灰と化した。

「こんな……とこまで……」

 手にした杖をなおもパリパリと帯電させながら、フェリスが呻く。

「追っかけて、来たのね……」

 虚ろな瞳が、微かに震えながら、虚ろではなくなってゆく。

 何らかの感情が、少女の中で甦りつつある。

 突然、暗くなった。

 そう思った瞬間、風が吹いた。凄まじい量の空気が、上空から叩き付けられて来る。

 フェリスがよろめいた。

 同じくよろめきながらもレギトは彼女に駆け寄り、庇いながら、長剣を振り上げて空を睨んだ。

 巨大な翼が、日光を遮りながら羽ばたいていた。ガーゴイルのそれと形は同じ、だが大きさは遥かに上回る、皮膜の翼。バサッバサッと激しく空気を打ち、地上に暴風を降り注がせる。

 山賊たちの遺灰や肉片、それに焼け焦げた廃材が、吹き飛ばされて舞い上がる。

 いささか図々しいのは承知の上で、レギトはフェリスの細身を左腕で抱きすくめ、さらい、その場を飛び退いた。

 直後、翼ある巨体が着地して来た。

 鉄のような爪を生やした両足が、地響きを立てて大地を踏む。飛び退くのが一瞬でも遅かったら、レギトもフェリスも踏み潰されていただろう。

 初対面の少女を馴れ馴れしく抱き捕えたままレギトは着地し、上空からの巨大な襲撃者を改めて観察した。

 翼を左右に開いた、暗緑色の巨体。首も尻尾も長く太く、刃物のような背ビレをびっしりと生やしている。頭からは後ろ向きに角を伸ばし、大きく裂けた口の中では白い牙が光り、赤い舌がうねり続ける。

 全長、翼長、共に10メートルは超えるであろう。翼があって前足がない竜。長大な尻尾でバランスを取りつつ、どっしりした後ろ足2本で直立している。

 ワイバーンである。

 かつてザフラン地方にも1匹現れて、領民を何人も食い殺した。そしてラディック公爵に退治された。

 見習い兵士であったレギトも、そのワイバーン退治に参加はしたものの、何の役にも立たなかった。

 レギトが目にする、2匹目のワイバーン。それが、言葉を発した。

「それは追いかけますとも、お嬢さん……」

 いや違う。この怪獣に、人語を話す知能はない。

 喋っているのは、ワイバーンの背中にしがみついた1人の男だ。

「貴女を逃がすわけには、いかないのですよ。いやまぁ逃げて下さっても構わないのですがね……例の物さえ、お渡しいただければ」

 太り気味の身体を、すっぽりと黒いローブで包み込んだ、年齢不詳の男。むくんだ顔は血色が悪く、目はどんよりとしている。

 冴えない印象だが、空を飛ぶ怪物に騎乗してここまでやって来た人間が、ただ者であるはずがなかった。

 左腕で抱きすくめていた少女を解放し、自分の後ろに立たせながら、レギトは訊いてみた。

「よう……知り合い?」

「あたしの、お父さんとお姉ちゃんを……殺した奴、の手下よ」

 声と瞳を震わせて、フェリスが答える。

 虚ろだった瞳の中で、甦り、燃え上がりつつある感情……それは、憎しみだった。

「今度は、あたしを殺しに来た……ってわけ……?」

「ん~……殺したくはありませんねェ」

 ワイバーンの背の上で、小太りの黒衣の男が言う。

「貴女のお父上を不本意ながら死なせてしまった、それだけでも我々の心は痛んでいるのです。この上、お嬢さんのお命まで奪うなど……お願いです、そんな悲しい事をさせないで下さい」

 周囲に、わらわらと気配が生じた。

 炎が弱まり、完全に焼け跡となりつつある山賊の砦。そのあちこちで、槍や剣や戦斧を構えている者たちがいる。

 その数、20から30。

 ゲドモス一味の生き残り、ではなかった。

 様々な得物を持ち、筋肉太りした身体に粗末な鎧をまとった……人型、だが人間ではない兵士たちだ。

 豚の顔を無理矢理に人面っぽく歪めたような、醜悪な容貌をしている。

 オークである。

 魔物とか怪物とか呼ばれる生き物の中では最下級に属しており、基本的には群れて悪事を働くくらいしか能がない。より強い怪物に兵隊として使われる事も多いが、今はこの黒衣・小太りの男に使役されているようだ。

 ワイバーンの背の上で、その男が名乗った。

「申し遅れておりました、我が名はベレフ・ガフカ。偉大なるボルドー・ボストー様の配下にて筆頭の黒魔法使いでございます。その誇りにかけて……か弱く可憐なる御婦人を黒魔法によって害する、などという事は出来ませぬ。ですからフェリス嬢、貴女がお父上から預かった物を、どうかこの私に」

 武装したオークの群れが、じりじりと迫って来る。

 ガーゴイルたちも耳障りに羽ばたいて滞空し、今にも一斉に降下・襲撃を仕掛けて来そうである。

 だがそんな雑魚の群れよりも要注意なのは、1頭のワイバーンだ。

 飛行能力、牙、巨大な足による踏み付け、尻尾の一撃。それら以外にもう1つ、この怪獣は恐るべき武器を有している。

 そんなワイバーンの背の上で、魔術師ベレフ・ガフカは語り続ける。

「それを、お渡し下さるだけで良いのですよ。おわかりでしょう? それは不幸をもたらす物……マーガス・レイン殿も、そんな物を後生大事にしていたせいでお命を失う事となったのです。さあ、私が受け取りますから手放してしまいなさい。そうすれば貴女は解放されます。このような怪物どもに追われる事も、なくなるのですよ」

「お父さんは、これを……あんたたちに渡さなかったせいで、死んだのよ……」

 腰に結わえ付けられた物に片手を当てながら、フェリスは言った。短剣ほどの大きさの、銀製の筒である。

「あたしがこれを、あんたに渡しちゃったら……お父さん、何のために死んだかわかんなくなっちゃうでしょうが……そこまで考えて、もの言いなさいよね……ッ!」

「よくわかんねえが要するに、そいつを奪られなきゃいいんだな? お嬢さん」

 黒魔法使い2名の会話を断ち切るように、レギトは言った。

「なら逃げな。こいつらは、俺が皆殺しにしとくからよ」

「……あたしを、助けてくれるの?」

 フェリスが、逃げずに訊いた。

「あなた……そもそも誰? 山賊さんたちのお仲間じゃないの? どうして、あたしを助けてくれるの? 女の子に親切な男ってのは下心があるもんだって、うちのお姉ちゃんが言ってたけど」

「そいつぁ間違っちゃいねえがな……俺はレギト、流れもんさ。別におめえさんを助けようってわけじゃねえ。俺ぁただ」

 言いかけたレギトに、ベレフ・ガフカがようやく声をかけてくる。

「どなたかは存じませんが、正義の味方を気取って余計な事はなさいませんように。我が主ボルドー様は、貴方など思いもつかぬほどに大いなる正義を成そうとしておられるのですから」

「正義じゃねえよ。俺ぁただ、憂さ晴らしがしてえだけだ」

 群がりつつあるガーゴイルやオークたちを威嚇するようにレギトは、びゅっ、ブゥンッ! と長剣を振るい構えた。

「……どうにも、ムカつく事ばっかなんでなあ!」

「何と愚劣で野蛮な……だから貴方がた戦士という人種は好きになれぬのです」

 呆れ蔑む口調でベレフは言い、そして命令を下した。

「救えぬ愚者には、死をもって救いを……さあ、やってしまいなさい。破壊と混沌の尖兵たちよ」

 オークの兵団が地上から、ガーゴイルの群れが空中から、一斉に襲いかかって来る。

 山賊たちを皆殺しにし損ねたが、その代わりとしては充分過ぎる。

 そう思いながらレギトは、

「この国は、腐ってやがる……」

 長剣を振るい、叫んだ。

「どいつもこいつも、ブチ殺したくなるくれぇーになああああッッ!」



 オークの生首が、5つほど宙を舞った。

 空中に逃れようとしたガーゴイルが3匹、ほぼ同時に叩き斬られて臓物をぶちまける。

 それら残虐行為が全て、たった1人の剣士によって行われているのだ。

 フェリスは、思わず見入っていた。

 レギト、と名乗った若い剣士。たくましく背の高い身体を荒々しく躍動させながら様々な方向に長剣を叩き付けている。

 その度に、オークの臓物やガーゴイルの生首が大量に舞い上がり、人間ではないものの血が霧状にしぶいた。

 今のところ、フェリスを狙って近づいて来るオークやガーゴイルはいない。全てレギトが斬殺してくれている。

 初対面の男の人に、自分は今、守られている。

 呆然とそれを感じながら、フェリスは呟いた。

「お姉ちゃん……」

 姉メイリスも、こんなふうに戦った。

 逃げろ、フェリス。

 そう叫びながら剣を振るい、ボルドー・ボストー配下の怪物どもをことごとく叩き斬った。

 あの時の姉の、舞うような美麗なる剣技に比べると、レギトの戦いぶりは凶暴野蛮で全く洗練されていない。

 しかしフェリスは、目を離す事が出来ずにいた。

(これが……男の人の、戦い……)

「ああ何とまあ……戦士の戦い方とは、本当に美しくないものです」

 ワイバーンの背の上で、ベレフ・ガフカが嘆かわしそうに嘲っている。

「かくの如く下劣・野蛮なる者に対し高尚なる黒魔法を用いるなど、72の魔王の方々を、そして偉大なるボルドー様を、冒涜する事にしかなりませぬゆえ……さあ踏み潰してしまいなさい、大いなる悪竜ガアトゥームの眷族よ」

 命令を受けたワイバーンが、ベレフを乗せたまま、ゆらりと巨体を前進させる。カギ爪の生えた大木、のような足で、レギトを踏み潰さんとしている。

 フェリスは杖を掲げ、叫んだ。

「ヴァダム伯爵、切り刻め!」

 帯電する杖が、雷鳴を発した。

 溢れ出し迸った稲妻が、ガーゴイル2匹を黒焦げに粉砕しながら、ワイバーンを直撃する。

 翼ある巨体がよろめき、レギトを踏み潰そうとしていた片足を横に着地させ、踏みとどまる。

 だがベレフは、よろめく怪獣の背中にとどまる事は出来ず、無様に転げ落ちていた。

「うわ、あわわ……な、ナバロフ書記長!」

 72の大悪魔の1体に助力を請いながら、ベレフは浮揚した。黒衣をまとう小太りな身体が、地面に激突する寸前でフワリと止まり、不可視の翼を得たかの如く宙に浮かび上がる。

「……よもやと思いますがフェリス嬢。私と戦おう、などというおつもりでは」

 小太りな身体で、ふわふわと鬱陶しく飛び回りながらベレフは、どこからか取り出した杖を両手で構えていた。先端に山羊の頭が彫り込まれた杖。

「それはいけません。私の黒魔法は、偉大なるボルドー・ボストー様の御大望を成し遂げるためにのみあるのです。貴女のような、か弱く可憐なる御方を嬲り殺すためのものでは断じて」

「そのボルドーは、どこにいるの……お父さんを殺したあいつは、何でここに来てないの」

 問いかけながらフェリスは、腰に結わえ付けられた銀の筒を、ぎゅっ……と握り締めた。

 これを、こんなものを守るために、父は命を落としたのだ。

「これを奪うんなら、あいつが直々に来ると思ってたのに……」

「ボルドー様は、貴女のお父上との戦いで少々傷を負われましてねえ。さすがはパルキア地方にその人ありと謳われし魔術師マーガス・レイン殿。ああ本当に、惜しい方を亡くしてしまったもの」

「メギレム大臣……下僕を放てぇッ!」

 フェリスは叫び、そして電光まとう杖を振るった。

 その電光が膨張し、3方向に分かれて放たれる。3本の、稲妻の筋。

 それらがフェリスの周囲で地面を打ち、消える。

 消えた電光の代わりに、3体の巨大な生き物が、そこに出現していた。

 身長3メートルほどの巨人たち。筋肉で固められた身体は青黒く、その背中からは広い翼を、尻からは尖った尻尾を生やしている。ガーゴイルを大型化させたような姿だが、顔は比較的、人間に近いか。

 そんな生き物が3体、少女の周囲で恭しく、巨体を跪かせているのだ。

 悪魔族である。

 黒魔法の力の源たる72の魔王が、兵隊として使役している、デーモンと呼ばれる怪物たちだ。

「し、召喚ですと……!」

 ベレフが、空中でうろたえている。

「本気で、本気で私と戦おうと言うのですか、貴女のようなか弱き御方が」

「だって戦わなきゃ……いつまでも追っかけて来るでしょ、あんたたち……」

 呻きつつ、フェリスは軽く片手を振るった。

 それを号令として、3体のデーモンが立ち上がり、ワイバーン1体に猛然と襲い掛かる。

「そうよ、逃げ回ってもしょうがないって……本当は、最初っからわかってたんだからぁ……っ!」

 ボルドー・ボストーは、確かに恐るべき力を持った魔術師だった。

 そのボルドーが、ガーゴイルやオークどころではない怪物の群れを引き連れ、攻めて来たのである。マーガス・レインそれに娘2人が力を合わせて戦ったとしても、勝てたかどうかはわからない。

 だからマーガスは、決してボルドーに奪われてはならない物をフェリスに預け、逃げろ、と言ったのだ。

 言われた通り、フェリスは逃げた。

 結果、父も、それに恐らく姉も死に、フェリス1人が生き残った。

 3人とも死んでしまうよりは遥かにまし、なのかも知れない。

 それでも、逃げた事に違いはないのだ。

「その通り、逃げても無駄なのですよお嬢さん。ですからその、お腰に付けた物をお渡しいただける……だけで、良かったのですがねぇえ」

 ベレフの口調が変わった。はっきりとした殺意が、その声に宿った。

「何たる事……お父上のもとへ送って差し上げる、しかありませんか」

 近くでは3体のデーモンが、人間の言語ではない何事かを叫びつつ、片手あるいは両手を掲げている。

 ワイバーンに向けられた彼らの掌が、赤く発光し、燃え上がる。

 炎だった。燃え盛りながら球形に固まり、3つ5つとデーモンたちの掌から撃ち出される。

 ワイバーンが羽ばたいた。

 左右の巨大な翼が、いくつも襲い来る火の玉をことごとく打ち払い粉砕する。大量の火の粉が、飛散し続ける。

 怪物同士の戦いが繰り広げられている、その近くで、人間の黒魔法使い2名も戦いを始めていた。

「ヴァダム伯爵、切り刻め!」

 ベレフが空中で叫び、杖を振り下ろす。山羊の頭が彫刻された杖。

 その山羊の角から電光が放たれ、まさに落雷の勢いでフェリスを襲う。だが。

「駄目駄目……ヴァダム伯爵は、あたしの味方なんだからぁ」

 少女が掲げた杖、その先端の宝石に、ベレフの電撃は命中した。と言うより宝石に引き寄せられ、吸収されていた。

 2本の杖が、電光で繋がった形となる。

 引っ張られたように、ベレフが空中で体勢を崩した。

「おおっ……ば、馬鹿な……」

「バカはあんた……ゴッヘル将軍、焼き尽くせ」

 フェリスが唱え、右手で杖を持って電光を引っ張りつつ、左手を掲げ、愛らしい五指をふわりと舞わせた。

 それに応じて、空中のあちこちで炎が生じ燃え広がり、十数個もの火球となって固まり、一斉に発射された。ベレフ1人に向かって、である。

「あわわわ……ロゲム男爵! 私を守れ!」

 空中であたふたと叫ぶベレフの身体が、光に包まれた。

 炎でも雷でもない、魔力そのものの発現。その白い光が、石鹸の泡の如く球形の膜を成してベレフを包み込んでいる。

 光の防護膜だった。

 そこへ十数個もの火球が、全方向から激突する。

 それら火球も防護膜も、砕け散って消滅した。火の粉と光の破片が、キラキラと舞いながら消える。

 どうにか焼死を免れたベレフの身体が、黒い煙を引きずって墜落し、地面にぶつかり這いつくばった。

「ひ……ひぃ……」

 黒いローブが焼け焦げ、小太りの肉体そのものも若干の火傷を負っているようだ。

 パリパリと電撃光をまとう杖を片手に、フェリスがゆったりと歩み寄る。

 ベレフが、這いつくばったまま後退りをして悲鳴を漏らす。

 思わず、フェリスは笑った。

「豚さんか蛙さんみたい。ちょっとウケる」

「お……おおおおお待ちなさいお嬢さん」

「うん、わかった待ってあげる。5秒だけね……3、2、1はい終わりぃ。覚悟して?」

「だ、だからお待ちなさいと申し上げているのですよ。私を殺したところで意味はない、むしろボルドー様のお怒りを買うだけの事! そうなれば今度こそ本当に、貴女は逃げられません!」

「もう逃げない。さっき、そう言わなかった?」

 言葉と共にフェリスが、電光の杖を振り上げる。

 ベレフが後退りを止めた。観念した、わけではないようである。

「ぐっ……こ、こうなればメギレム大臣! 下僕を放て!」

 ベレフの頭上に、ふわっと何かが生じた。

 異形のものが1体、姿を現していた。

 丸まった人体ほどの大きさの……眼球、である。

 視神経のような触手を大量に生やした、巨大な眼球。それが1体、浮遊しつつ、ギラギラと破裂しそうな毛細血管を浮かべ、眼光を発している。

 全身で、フェリスを観察している。

 すらりと露わになった可憐な太股に、熱っぽい眼差しが貼り付いてくる。

「な……何よ、これ……」

 今度は、フェリスの方が後退りをした。

 それを追うようにして巨大な眼球が、ふわりと高度を下げ、魔術師2名の間に割って入る。地面すれすれの高さを保って浮揚しながら、何本もの細長い触手をうねらせる。

 そんな、おぞましい怪物に守られる格好になりつつ、ベレフが説明をした。

「エビル・アイという怪物です。我ら魔法を使う者にとっては最も忌むべき生命体……これは、これだけは召喚したくなかったと言うのに」

 そんな説明など聞かずにフェリスは、右手で杖を突き出し、叫んでいた。

「ヴァダム伯爵、切り刻め!」

 杖にまとわりついていた電光が、雷鳴を立てて膨張し、迸る。

 そして、エビル・アイという名称らしき怪物を直撃する。

 砕けて、飛び散った。エビル・アイが、ではなく電光が。

 視神経の如き触手を生やした巨大な眼球、その異形は全くの無傷である。

「……効かない? ならゴッヘル将軍! 焼き尽くせ!」

 叫ぶフェリスの眼前に炎が出現し、荒れ狂いながら渦を巻き、エビル・アイを包み込んだ。

 そして一瞬だけ燃え盛った後、消え失せた。エビル・アイは、またしても無傷である。

「そんな……きゃっ! あ……ッッ」

 おぞましい感触が、フェリスの手足にまとわりついて来た。

 エビル・アイの触手だった。フェリスの両手首、両足首に、絡まり巻き付いている。

「な……何よ、これ……嫌、放して! 放しなさいよ……っ!」

 なけなしの力を振り絞ってフェリスは暴れたが、暴れる手足にさらに何本もの触手が絡み付き、少女の動きを封じてしまう。

「人の話を最後まで聞かぬから、そうなるのですよ」

 ベレフが語った。

「この怪物には、魔法が効かないのです。魔力の強弱に関係なく、魔法そのものがね……貴女のような美しく可憐なる魔法使いは、ですからこのおぞましい生き物にとっては、美味しい美味しい獲物でしかないのですよ……」

 語りながら、ベレフは呼吸を荒くしてゆく。

「今からその怪物が貴女に何をしようが、私にはもう止められません。見ている事しか出来ないのですよフェリス嬢。貴女が、その汚らしい触手の群れに、身体の隅々まで虐められて……可愛らしく泣き悶えるところを……私はね、ただ見ているしかないのですよぉおお」

「こ、こいつ……やっ! 嫌ぁああああっ!」

 じたばたと元気良く暴れるフェリスの両脚を、触手の群れが這い登る。細い足首から、健康的な丸みを帯びたふくらはぎへ、そして柔らかく引き締まった太股へと。

「……っ! ……ッッ!」

 悲鳴が、フェリスの喉の奥で凍り付いた。

 ぬるぬると嫌らしい感触が、左右の内股に少しずつ迫って来る。今まで経験した事もない、おぞましさだった。

「私ね……実は、童貞なのですよ」

 ハァハァと呼吸を乱しながら、ベレフが言う。

「だって私、触手とか生えていませんから……あぁあ私も、このようなおぞましい怪物に生まれたかった……」

 そんなベレフの欲望が形となったかの如くエビル・アイが、眼球状の全身をギラギラと血走らせ、無数の触手を蠢かせる。それらは今にも一斉に、フェリスの身体のあちこちから、衣服の内側へと這入り込んで来そうである。

「…………お姉ちゃん…………」

 フェリスは泣き声を漏らした。

 こんな時、姉のメイリスは、いつでも助けに来てくれた。

 だが今、姉はこの場にいない。この世にいない、のかも知れないのだ。

 それでもフェリスは、声を漏らしていた。

「おねえ……ちゃん……」

 凄まじい音が突然、響いた。

 空気を打ち砕くような、弓鳴りだった。

 フェリスの手足から、肉質の拘束力が消え失せた。

 触手が全て、ちぎれていた。と言うより、触手たちの発生源そのものが砕け散っていた。

 エビル・アイが、破裂したのだ。

 ちぎれた触手や、巨大な眼球の破片が、細々と飛び散って干涸び、崩れる。

 呆然と尻餅をつくフェリスから、少し離れた所で矢が1本、地面に突き刺さり震えている。

 この矢がエビル・アイを貫通・粉砕した、という事なのか。弓矢で、そんな事が出来るのか。

 そんな事の出来る射手が、存在すると言うのか。

「魔法が効かねえ、以外はからっきしか」

 オークやガーゴイルの斬殺死体が大量に散乱した、虐殺の光景。その真っ只中でレギトが言う。

 手にしているのは、大型の弓である。

 その弓を背中に戻し、地面に突き刺してあった長剣を引き抜いてビュッと構え直しながら、レギトは笑った。

 整った口元を、牙を剥くが如くニヤリと歪め、彼はベレフに微笑みかけた。

「憂さ晴らし……させてくれて、ありがとよ」

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