~2~

「十五センチなんだって。千円札の長さ」

「十五センチ?」


 片手に千円札を握りしめていた僕は、隣にいた由実の言葉に首を傾げた。


「お母さんが教えてくれたんだ。お金を大切に使わない人には、十五センチだけ距離ができるんだって」

「距離って何?」

「うーん。わからない」


 笑顔を見せる由実は、陳列された駄菓子の中からキャベツ太郎を手に取って籠に入れた。それを見た僕も、大好きなビッグカツを手に取って籠に入れる。


「でも距離っていうから、こういうことじゃないかな」


 手に持っていた籠を床に置いた由実は、僕の持っていた千円札を持つと、自分のお腹に端っこを当てた。


「ほら、悠馬も」


 由実に催促された僕は、空いているもう片方の千円札の端っこをお腹に当てた。


「これでいいの? ゆ――」


 顔を上げた僕は、その距離の近さに言葉を失った。

 由実の顔が至近距離にある。

 たったそれだけのことなのに、胸の鼓動が早くなった。


「近いよね」

「……うん」

「でも、絶対に交わることがないの……千円札がある限り」


 十五センチ。ほんのわずかな長さのはずなのに、僕にとってはとてつもなく長く感じた。

 由実は僕との間に合った千円札を取ると、駄菓子の山々を前にして言った。


「だから今日はたくさん駄菓子を買おうよ」

「でも大切に使わないと、すぐになくなっちゃうよ」


 そう言った僕に対して由実は頬を膨らませると、床に置いた籠を片手に持って僕に差し出した。


「いいの。お金なんかなくても、二人で楽しい思い出をたくさん作ればいいでしょ」


 由実の問いに、僕は素直に頷いていた。

 今が楽しければそれでいい。由実と過ごす時間があれば、お金なんていらないんだって。



 瞼に温かさを感じた僕は、ゆっくりと目を開けた。どうやら窓から差し込んだ陽光が、この温かさの正体だったらしい。光を手で遮りながら、僕はゆっくりと身体を起こした。

 久しぶりに夢を見た。

 小学生の頃、由実と駄菓子屋に行った夢。昨日、由実とお金の話をしたからなのかもしれない。

 誰もいない部屋を見渡した僕は、のそのそと布団から出た。

 六畳ある和室の空間を抜け、ダイニングスペースに置かれた机にある皿に手を伸ばす。ラップを外し、皿に並べられたおにぎりを手にとり、僕は簡単に朝ごはんを済ました。洗面所で顔を洗って、制服に着替え、そして机の上に置いてある千円札を財布にしまう。

 少し膨らんでいる財布を見た僕は、自然とため息を吐いていた。

 どうして母さんとこのような関係になってしまったのか。


 僕が中学一年生の頃、父さんが亡くなった。横断歩道を歩いていた父さんは、信号無視をした車に轢かれたのだ。それからというもの、僕は母さんと二人で暮らしている。

 母さんは僕を養うために働き始めた。朝早くから家を出て、夜遅くに帰ってくる毎日。休日はその疲れから、母さんは寝ていることが多くなった。そんな母さんとの間に大きな溝が生まれるのは必然だった。次第に会話が減っていき、僕が高校生になる頃には母さんと会話することがなくなった。

 僕は母さんが頑張っていることを、何となくだけど自分なりに理解していた。必死に仕事をしてお金を稼ぐ。そうしなければ食べていくことができないのだから。

 そんな中、母さんは僕に毎日千円札を残していくようになった。

 最初の頃は、お昼代と書かれた手紙が添えられていた。しかしその手紙も今となってはなくなり、千円札が無造作に机に置かれる毎日。僕は昼食代にしては多すぎるお金を、ただ受けとるだけ。

 そんな母さんとの関係が僕は嫌だった。

 財布の膨らみを見るたびに自覚してしまう。

 母さんとの関係は、お金の関係でしかないのだと。


 どうにかしてその気持ちをなくしたかった僕は、財布の膨らみを減らすために色々と散財した。一日に映画を何本もみたり、美味しいものをたくさん食べたり。

 だけど、洋服とかキーホルダーといった形として残るものには、僕はお金を一切使わなかった。形として残るものは、どうしてもそれを買ったお金のことを思い出してしまうから。僕は直ぐにお金がなくなる遊びを求めた。

 その中でも一番しっくりきたのは、ゲームセンターでお金を使うことだった。

 ゲームセンターは僕にとって素晴らしい場所だった。様々なアーケードゲームが置かれ、その種類の多さから、飽きることがなかった。だから僕はストレスなく、お金を浪費することができた。そして財布の膨らみがなくなるにつれて、僕の気持ちは徐々に楽になっていった。

 ゲームセンターに通い始めて三ヶ月。僕にとってよくない出来事が起こった。学年でも柄の悪いと評判だった石川に目をつけられたのだ。

 ゲームセンターに通っている姿を見られた僕は、石川と取り巻きに詰め寄られ、暴力を振るわれた。殴られたり、蹴られたり。容赦のない攻撃に対して、僕は何もできなかった。

 サンドバック状態になった僕に向け、石川は笑顔で言った。


「お金、貸してくれるよな?」


 僕は恐怖から自然と自分の財布に手が伸びていた。そして財布から千円札を取り出すと、石川とその取り巻きの二人は、あっさりと僕の前からいなくなった。


 その時、僕は思ってしまった。


 石川にお金をあげることが最良の手段だと。

 お金を減らしたい僕と、お金を欲している石川の利害が一致したのだ。

 これで母さんとの関係を気にすることがなくなる。それに加え、石川達から暴力を振るわれることもなくなり、僕の日常生活の平穏は保たれる。

 だから僕は、今の関係をずっと続けようと思っていた。

 だけど、そんな僕の決断を由実は許してはくれなかった。


 ――石川君にあげるのは間違ってる。


 由実の悲しそうな表情が僕の気持ちを惑わす。

 それでも僕にとって石川にお金をあげるのは、今考えられる最良の手段だった。嫌いな人間にお金をあげれば、最小のコミュニケーションですむ。お金は人を従順にさせる最高の道具。

 お金以上の解決策が僕にはわからなかった。

 だからこそいくら由実に言われようと、石川との関係を変えようとはこれっぽっちも思っていなかった。

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