「希望」
電灯が頼りなく点る。太陽は地球の反対側へと去った。孤独の診察室。萩原は椅子に座り、シャウカステンに貼られた、少年のレントゲン写真を見つめていた。無音の空間に寡黙な椅子。萩原は写真を睨みながら、自らに疑問を投げかけ続けていた。亮太の病状。彼の状態は日が経つにつれて悪化しており、もう、一人の耳鼻科医師では太刀打ち出来ないほどだった。亮太の病魔は今や彼の耳や声だけでなく、視力までも奪い去ってしまっていた。生きる気力も失い、半分屍のようになった彼の身体には、もはや「希望」の文字は消え失せていた。
しかし、ここまでの事態になったのにも関わらず、彼の病因は一向に分からずじまいだった。萩原は院内にいる眼科医師に頼んで彼を診てもらったのだが、異常は発見されなかった。
亮太を今後どうしていくのか。別の病院に移すか、治療は諦めて退院させるか。萩原は両親に判断を迫った。考え抜いた末、彼らは亮太を退院させることを望んだ。これは子供のいない萩原でも十分に予想できた答えだった。我が子の苦しむ顔は見たくない。それが彼らの意志だった。萩原はこの時、胸の刺されるような思いに駆られた。動かせない巨石を押した時のような無力感が心を占めた。いっそのこと、自分を訴えてくれとも思った。一人の少年の、かげがえのない一生を汚した愚かな医師に罰を与えてくれと惟った。なぜ、彼の両親が自分に怒りを示さないのか、萩原は不思議だった。穢れた不安が眼球を覆い隠した。
左手の人差し指が、デスクの表面を叩く。何度も繰り返し、一定のリズムを刻む。
萩原は突然立ち上がった。注視していたシャウカステンからは目を離し、今度は頭の中のキャンバスに意識を集中させた。体の熱が何かに急かされるように全身を駆け廻り、車輪のような金属音を立てる。萩原はどこか遠くを見ていた。追憶からの発見。今の彼の心情はまさにその言葉通りのものだった。
それは、彼の記憶の隅で長らく息を潜めていたものだった。彼の脳裏のどこか盲点になっている場所にとんでもない鉱脈が眠っていたのだ。萩原はそれに手を伸ばした。もしかしたら彼を救う手立てが見つかるかもしれない。彼は焦った。目の前にある僅かな記憶を忘れてしまわないように、鉱物を見失ってしまわないように、彼は慎重に作業を進めた。
そして…… 記憶は彼の手の中に、一気に流れ込んできた。
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