第3話
そんな都合よく雨が降るわけがない。
半ば諦めていたある日、夜ふけに雨が降った。
たつみさんと初めて会った日から、三日後のことだった。
とは言ってもはっきり雨が降っている、というほどのものではない。
雨音も微かな、霧雨程度のものだった。
それでも僕は母さんと父さんが眠りに着くのを見計らって家を出た。
前と違い、雨は弱々しく、ともすればすぐにでも止んでしまいそうだった。
胸中で祈りながら僕は前と同じ、電柱のところへと駆けだした。
雨は降っているのに全然音がしない。
いや、さっきから耳障りな音がずっと響いている。
僕が走る足音。
僕の荒い息遣いの音。
脈動する僕の心臓の音。
うるさい。
うるさくてしょうがない。
僕は苛立ちを抑えて足を進める。
そして辿り着いた。
あの人と、たつみさんと出会った場所に。
「あら、また会ったわね」
たつみさんはくすりと笑った。
あの日と同じ姿で。
あの日と同じように。
僕は息を整えると、たつみさんに声をかける。
「あの、たつみさん」
「なに?」
「え、と」
たつみさんと目を合わせられ、僕は口ごもってしまう。
会えて嬉しい。でも何を話して言いか分からない。
漂うような雨は今にも止みそうで、なかなか止まない。
「そういえば、あなたの名前聞いてなかったわね」
僕がどう答えようかうろたえていると、たつみさんが声をかけてきた。
「あ、すみません。僕――」
今更ながらに自分が名乗っていなかったことを恥じ、僕は名乗った。
「へえ、そう。○○○○って言うのね」
ゆっくりと、噛み締めるようにたつみさんは繰り返した。
たつみさんが僕の名前を口にした途端、頭の中がぼぅっとした。
嫌悪感や不快感はなく、むしろ心地よいとさえ感じる。
蜂蜜のように甘く、人肌のように温かく、わたのようにふわふわと柔らかい。
思考することが無意味だと囁いているようだった
「そうねぇ、それなら○○って呼んでもいいかしら?」
少し考える素振りをした後、たつみさんはそう言った。
たつみさんが○○と言った直後、僕は全身がうち震えるような感覚を覚えた。
呼んでもらえた。
たつみさんに、○○って呼んでもらえた!
「はい、もちろん」
僕が答えると、たつみさんは魅力的な笑みを浮かべた。
「ありがと。それじゃあまたね」
たつみさんは一瞥して去っていった。
けれどもう僕は惜しさを感じてはいない。
また会える。
その確信があったからだ。
雨は止んでいたかもしれない。
僕にとってはどうでもいいことだった。
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