七月三日夏休み三日目

=土岐島和美サイド=


「美咲分がたりない……」

 高等看護学校の三年生となると、風呂とトイレ付きの個室が与えられる。

「みーさーきー」

 世の中は夏休みであるが、高等看護学校の三年生には現実として夏休みはなかった。名目上の夏休み期間であるが、一部のグループはあと四日は実習だし(その分、夏休み終了が一週間遅いのだけど)、実習の前には事前学習としてレポートの作成と計画書の提出が求められる。つまるところ、実習先でどのような実習をしたいと計画しているのか、受け持ちたい患者の病態生理の理解、必要となる看護観察と看護計画と看護ケア、そしてケアそれを行うためのレポートを提出しなければならない。レポートを出す方も苦労であるが、これをいちいち読んで返してくる教務も、臨床指導者も大変だろうと思われる。

 ただ、一度提出し認可されたものに関しては再提出は免除される。

 そのおかげで、毎日毎日清拭のレポートは提出しなくても良いのだが、少しでも手技に間違えがあったり疑義を挟まれたら再提出を命じられる。四月から六月の三ヶ月間で、循環器内科とスポーツ回復期、リハビリ、新生児、小児童科、消化器内科と渡り歩き、今のところは問題無くやってはこれたが、いかんせん少しでも時間が空くと、可愛い後輩の顔が浮かんでくるのは母性の致し方のないところだろう。

 先月、フラれたとはいえ。一年大事にしていた美咲を美田丘さんに奪われたとはいえ。

 美咲も美田丘さんも、可愛くて仕方ないことには変わりが無いのだ。

 最初は人付き合いの苦手そうな妹を見る目だったけど、いまでは遠くから娘とその付き合っている子を見守る母親の気持ちである。

「おーい、ワビ入るぞ」

「あー、あらし~」

 部屋に入ってきたのは、同級生で生徒会副会長の大河山風だった。

「ワビちゃんが、またダメワビになってると思われ」

 眼鏡をかけて、しかもこんな暑いのに百デニールは超えているだろう黒ストッキング、キツ目の風紀員長とした雰囲気の金瀬山都が入ってきた。

「ダメじゃないよー、山都に比べたらダメじゃないよー」

「どうみてもダメなのはワビな方だと思われ」

 といいつつ、ティーシャツにホットパンツで床をゴロゴロしている生徒会長、土岐島和美をみて一般の生徒ならすごく驚くかもしれない。

 ちなみに私の名前はカズミである。ワビはあだ名。

「三年生の在寮生の点呼は終わったよ、弁当の注文も終わった」

「ありがとー」

「なあワビちゃん」

「何よ」

「美咲のとこ、行ってみたらどうか」

「それはダメ」

 二回転して部屋の隅にあったクッションをてにとって顔を埋めた。

「この件に関しては、意固地になっているのはワビちゃんの方だと思われ」

「そっかー、二人がそう言うなら間違いないだろうなー」

 一年生と二年生の在寮生の様子を監察するという名目ならどうか、生徒同士の相互監視の目が届かないのを良いことに、好き勝手をしていないか備品などの破損がないかの監察。

 よし、これならいける。

「きっとワビちゃんはこの停止時間中に、行く理由を考えたと思われ」

「面倒くさい女だな、まったく。会いたいのに一々理由をつけなければならないとは」


「おはようございます、生徒会長」

「おはよう片瀬さん、小児童科実習で体調崩されたそうですが、大丈夫ですか?」

「おはよう生徒会長」

「おはよう佐々木さん休み明けたらいきなり外科でしょ、準備は万端にね」

「おはようございます土岐島さん」

「おはよう、どう少しは気持ち落ち着いた?」

(すごいわね土岐島さん)

(完璧よね、同い年とは思えない)

(全員の顔と名前と誕生日まで憶えているんだって)

(気遣いもできて美人で大人びて)

「なー、ほんとのワビをしったらどうなるやら」

「ダメワビしらなきゃ、完璧お姉様だものな、みんな騙されていると思う」

「ま、不幸な人がいないからいいけどさ」


 東館は三ヶ月前までいた場所なのに、人間の順応能力とは怖いもので。知っている日常の道というよりも、思い出にある懐かしい場所の感じがする。

「三年一組、生徒会長土岐島です、東寮の監察のため入寮の許可をお願いします」

「あら~土岐島さん、どうぞどうぞ」

 寮母さんは入館台帳に先にPパスを通したあと、私もPパスを通した。

 入寮する際と退寮するときには、この入館台帳にタイムスタンプが必要で、火災とか災害とかあったときに避難者の数を正確に知る方法になる。そしてそれだけでなく、入寮の資格があるかを判定するものでもある。入館台帳に記録されていない人間は、この先のセンサーにかかり酷い目に遭う。私は正しくは入館資格がない、一年生と二年生の自治の寮に踏み込めるほど、生徒会長もそこまで万能ではないのだ。

 寮母さんは一時的に、その例外を認めることのできる唯一の大人の管理者。

「さて」

 一年生と二年生のほとんどは、実家に帰っているだろう。

 在館名簿だと一年生が二人に二年生が三人。

 知った階段が懐かしい、たった三ヶ月を懐かしいと感じるほど忙しい日々を生きているとおもえば、それはまた充実した日々であるとはおもう。

「生徒会長の土岐島です。板東寮長、入りますよ」

 返事がなかったけど、食堂にも談話室にもいなかったから、お風呂の時間でもないし図書館かしら、ドアをノックしてドアを開けると鍵はかかっておらず、スムーズに開いた。

「ワビさん、こんにちは」

 美咲が部屋にはいた。

 部屋の真ん中には美田丘さんが横になっていて、バスタオルをお腹にかけて横になっていた。

 苦しそうにして、額には汗をかいている。

 美咲は団扇で美田丘をあおいでいた。

「調子悪いの?」

 美田丘さんをみれば、つらそうに顔を赤くしている。部屋の中はどうやらエアコンをつけておらず、整備点検は機能終わったはずなのに。

「……土岐島さん」

 美田丘さんが私に気づいて起き上がろうとするところを手で制する。

「そのままで、具合悪いの?」

「……すみません、生徒会長、生理痛で」

 なるほど。

「昨日、よみうりランドで単位とったときにプールで身体冷やしたせいで、二日早く来てしまったそうで」

「ノルプラントは、いつ?」

「……定期月経が九月には三年になるので、そのときに」

 本来月経というのは病気ではないので、周期をコントロールするというのは避けられていた。生理痛が重い人などを中心に、低量のピルなどがあったが、三十年ほど前、日本でもノルプラントが認められ、子宮成熟が正常であること、卵巣成熟が正常で周期月経三十六ヶ月が認められたときに、ノルプラントを埋め込める事が出来た。副作用が十万人に一人と下がった事、月経からの開放が女性の社会進出に大きな福音となったことも普及の大きな要因となる。

 それに伴う犯罪も一時期増加はしたが、苛烈な厳罰により無くなったわけではないだろうが、ほぼきかなくなった。

 美田丘さんは身長、体型からいっても発育が遅かったのだろう。

 通常という言葉は嫌いだけど、平均的な日本人なら八歳から十一歳までに初潮が来て、十五歳までには希望者はノルプラントを受ける。

「そう、もうちょっとね」

「あのすみません、ワビさん。なにかご用ですか」

「監察よ、たまには生徒会長らしい仕事もしないとね」

 あー、なんでこう良い格好しちゃうのかしら、素直に美咲に会いに来たって言えればいいのに。

 一瞬だけど美田丘さんと、目があった。

「……おトイレいってきます」

「スーちゃん、大丈夫?」

 立ち上がりで少しふらついたのを、美咲がいたわる。

「……大丈夫」

 ドアが閉まる音がして、すこし部屋の中に沈黙がながれた。

「元気そうね」

「はい、おかげさまで」

「……」

「……」

 言葉のキャッチボールが上手くいかない、緊張しているのかしら。

「あれ以来、なかなか話せる機会が無かったから、誤解を解いておきたいと思って」

 なんという下手な言いだし、緊張しているのは私の方か。

「いえ、三年生になれば実習も忙しいでしょうし」

「見苦しいところ見せたけど、あれが本当の私なの。美咲の事を一番に考えているようで、あなたを自分の妹にすることしか考えてなかった、完璧な上級生を演じようとかっこつけて、あなたを助けられなかった。だから私の告白を断ってくれて、救われたのよ」

 美咲の手を握る。

「もしも、美咲が、それを気に病んでいるのだとしたら、そう思うとね。あうん、これも自己満足だわ」

「こったえにくいですよワビさん」

 苦笑する美咲。

 それはそうだ、気に病んでいるといえば私に悪いし、気にしてませんと言えば私に失礼か。これは問いが悪いったらありゃしない。

「正直、私もワビさんに甘えてましたし、そのおかげで助かってました。じゃないと私はきっとバラバラになっちゃってたとおもうし、正直に前のお姉様みたいなワビさんが大好きでしたし、いまのワビさんも大好きです」

「ありがとう」

 美咲が、この子が人を嫌うわけがないのだ、人から嫌われないように生きてくる必要があったのだから。

「私の方こそ有り難うございます、ワビさんみたいにカリスマはないけど、頑張ります」

「頑張らなくて良いわよ、そのための友達でしょ」

「そうですね、困ったことがあったら、きーちゃんもデライもきっと助けてくれると思います」

「私も、アラシと山都にずいぶん迷惑かけてるもの、それでも縁が切れてないのは友達だからだろうし」

「それに」

 美咲が握っていた手を、握り返してくれる。

「ワビさんに、相談してもいいですよね」

 その、下級生のその笑顔に逆らえる上級生がいるとおもっているのかしら。

「わたしには荷が重すぎるかも、美田丘さんに相談しなさい、それでもどうしても困ったら、私の所にきなさい。私は何があっても美咲の味方になるわ」

「ありがとうございます」

 その言葉に私も微笑んで頷いた、告白して上手くいかなくて疎遠になることもあるけど、少なくとも私と美咲は先輩と後輩を続けていけるのだ。

「美田丘さん、遅いわね」

「様子みてきます」

「そうね」

 美咲が部屋のドアを開けたときに、廊下に横たわっていた美田丘さんに当たった。

 部屋の前で力尽きたのか、ドアをふさぐ形で横になっている。

「キーちゃーん、ちとたのむー」

 ドア前につっかかっている美田丘さんを、隣の部屋の武田さんに起こして貰ってなんとか美田丘さんを部屋の中に入れることが出来た。


「……あ」

 去年まで使っていた二段ベッド、去年まで美咲が寝ていた場所に美田丘さんが寝ている。

 私は美田丘さんの腰をさすっていた。

 看護師にはマザーズタッチという手技がある。

 痛みのあるとこに母親がふれると、痛みが和らぐというものだ。安心感という気持ちの問題という説、温めること、血流を良くするからという説、色々あるけど実際に心が安まるものだ。好きな人に髪を撫でられる気持ちよさにも似ている。私のことがきっと嫌いかも知れない美田丘さんからすれば、心安らぐかわからないけれど。

「大丈夫? 部屋の前で倒れてたのよ」

「……美咲さんは?」

「あの子は、温枕つくってるわ、腰温めると痛みが和らぐから」

「……そうですか」

「さっきは有り難う、体調良くないのに私と美咲が二人で話せる時間をくれて」

 美咲だけではなく、私にまで気を使ってくれたのだ。そのせいでドアの向こうで倒れていたとしたら、私は感謝を述べなければならない。

 そして。

「美咲は私ではなくてあなたを選んだ、そのことに後悔も何もしてないの。だけど美咲の事がまだ好きだから。だから、美咲が幸せになれるように祈っているし、あなたも応援したいのだけれど、いいかしら」

「……ありがとうございます」

 美咲が来るまで、美田丘さんの腰をさすっていた。

 きっと私がこの二人に関わるのは、きっと今日が最後になるだろうと予感しているから。

 最後くらいは、良い人で終わりたい。

 最上級生として、先輩として少しは見栄を張っても、いいでしょ?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フローレスの庭 関怜 @raytuel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ