七月一日夏休み午前中

 五月、私たちの間で大トラブルがあった。

 六月、私とすいちゃんの間で大トラブルがあった。


 もうちょっと心が落ち着いたら、きっと話せるとおもう。

 今は幸せだった時の事しか話したくない。


 雨期が終わって、一学期の期末テストがおわった、短いながらも夏休みがある。というか、未成年を一箇所に集めている責任感はとても重く、両親の心配の軽減のため、夏と冬の一週間ばかり親元に帰している。学校で不都合は無いか、親から学校にクレームが来るか教員達がドキドキする……か、どうか分からないけれど、大体の生徒が実家に帰ってしまう。

 実家といっても高等看護学校は各県最低一校あるし、神奈川には川崎市と横浜市と横須賀市と相模原市に一校づつの四校もある。つまるところみんな基本地元なのだ。だから遠方すぎて戻れないとか、そんな生徒はいないはず。

「あっついー」

 寮に現在いる人数は三人。

 私、板東美咲と、美田丘水ちゃんと、武田美貴ちゃん。

 寮のお姉さんは、元々ここが家だしお食事は栄養士が決めたメニューでなく、寮のお姉さんの家と同じ御飯がでてくる。

「あっつい-」

「うるせえぞサキちゃん!」

 窓の外から怒鳴り声、暑くて窓を開けてるせいで、隣の部屋の怒鳴り声が壁越しじゃなくて、窓越しに聞こえる。

「エアコン効いてないんだから仕方ないじゃん」

「なんで今日に限ってメンテナンスなんだよお」

 寮の空調はセントラルヒーティングだった。

 夏は地下に張り巡らされたパイプで溶剤を冷やして、部屋内の送風機から冷風を出している。冬は屋上で溶剤を温めて空気を送風機から出している。

 エコが何十年前に流行った、地冷と太陽熱の利用は常識範囲内ではあるけど、溶剤を通しているパイプなんか一番細いところで一センチ未満である。しかも全長十キロ近い。

 ひび割れ点検とか、一日で終わるわけがないので、寮生のいないこの時期にインセクトマシンを十何匹くらい溶剤の中を泳がせて点検している。去年の夏は私もきーちゃんも、ワビさんの家にお世話になったんで忘れてた。

「すいちゃん、大丈夫?」

「……」

「すいちゃん、おーい」

 ロシア出身の美田丘水ちゃんは、名前通り溶けて水になってる。

「ねえきーちゃん」

「あんだよ、怒鳴ってたら余計暑くなってきた、黙ってろ」

 どうやらきーちゃんも、暑さで結構キテるな。

「保健体育のさ、水泳単位明日やらない?」

「……おー、サキちゃんにしては珍しくいい提案だな」

「水着買ってくるからさ、留守番たのむよ」

 Pパスでデパートへの道順とか、時刻表とか確認する。

「まて、私一人で留守番か?」

「どうせ、きーちゃんは撮影とかで水着とかもう持ってるじゃん」

「あ、そりゃそういう仕事もしてるんだから、持ってるに決まってる」

「私は、サイズ合わないんだよ、去年のだから」

 Tシャツの上から、遮られて見えない自分の太ももを見つめる。

「持ってる者の余裕ですか、うらやましいですね」

「こんな無駄肉、欲しいなら上げるよ、五時には戻るから。冷蔵庫のモンタナのケーキたべていいよ」

「おまえらが、夜にイチャイチャしてた残りモノか」

「パリブレスト、いらないなら私が食べる」

「とっとと行ってこい」

 さて、副寮長の許可がでたところで、氷枕を抱え込んでいるすいちゃんに声をかける。

「すいちゃーん、でかける準備して」

「……はい」

 昨日みたいにスコールがあれば、気温も抑えられてすいちゃんと一緒に駅前に出かけられるけど、降雨情報もなさそうだしなるべく涼しい道を選ぼう。

「自然遊歩道歩くから、サンダルじゃなくてスニーカーね」

 私はTシャツにデニムのパンツ、すいちゃんは白のブラウスにスカート。

 寮を出て生田スタジオを左手に観ながら山道に入る、駅前からよみうりランドまで歩いて行ける遊歩道がある。バスはこの遊歩道のある山を時計回り迂回して、直接遊園地の入り口にいくので、逆に遠回りになってしまう。日陰に入って多少風があれば、さすがに涼しく感じる。

「すいちゃん」

 私が差し出した手を、遠慮無く笑顔でつないでくれる。

 先々月も先月も、こんなに一緒にいられる事が幸せになるとは思わなかった。

「足元気をつけてね」

「……はい」

 仲良く手をつないで、よみうりランド前駅の北口に出る。

 ここから小田急線で新百合ヶ丘に行って、明日のプール用の水着を購入するのだ。

 電車は十五分に一本のペースで出ている。今は時刻表が簡単に見られる時代になって、電車のでる時間を起点のスケジュールが立てやすくなってるせいだとおもうけど、一番ピークだったときは五分未満に一本のペースで電車が走ってたそうだ。信じられない。 

 駅のホームに到着すると同時に、各駅停車がやってくる。

「ここから二つ先の新百合ヶ丘で降りるから」

「……はじめて」

「ん?」

「……初めて美咲さんとお会いしたのもこの駅でしたね」

「そうだよ、駅前の交番の方だけど」

「……はじまりの場所ですよね」

 そんな顔されると嬉しくなってしまう。

 しかし、すいちゃんは、色白で金髪なせいか目立つ。昨日もだけど、すれ違いざまに何度見されることもある。外国人が多くなった日本でも、可愛さで目立つというのはすごいな。

 まあ私の彼女は可愛いんですけどね。

 ちょっと私が鼻高々ですよ、ドヤ顔です。

「……美咲さん」

「どしたん?」

「……ここ新百合ヶ丘ですよね」

「あ、いかん、降りよう」

 慌てなくても新百合ヶ丘は、ロマンスカーだの快速急行だの急行だのの追い越しが多くて、各駅停車はしばらくドアが開きっぱなしになる。

 夏の暑い日とあって、人でもまばらかとおもいきや結構人が多い。

「……人が、一杯ですね」

「はぐれないように気をつけてね、はぐれちゃったらここの柱目印に集合で」

 駅には改札口が一箇所だけなので、広場の目印を決めておけば大丈夫だろう。

「目的地は、あっちのデパート」

 新百合ヶ丘は川崎市の市庁所在地で、人口も結構多い。南部が商業に特化していて北部のこの辺は住宅地が密集しているため、川崎区から人口の多い麻生区に市機能を置いたらしい。そのうちイタリアみたいに南北で分離統治されたりして、北部が町田で南部が伊豆あたりに。

「で、水着を買う前にアンダーウェアのお店にいきましょう」

「……明日の水着ですよね、買うの」

「そう、水着を買うので下着屋さんにいきます」

「……なんで?」

「えっと、来てくれれば分かるとしか言い様がない」

「……えっと」

 Pパスを開いて検索かけてる。

「あ、あのねすいちゃん」

「……なるほど、仕方ないですね」

 笑顔で話してくれてるけど、大体この手の話って女子はヒクんだよね。

 で、お店に到着。この辺では唯一ここにしかない機械があるお店なのだ。

「あ、板東さまいらっしゃいませ。サイズ合わなくなりましたか?」

「いや、水着を買いに来たんだけど」

「かしこまりました、お連れ様もですか?」

 すいちゃんを見ると、色とりどりな下着の山に目をキラキラさせてる。

 そういえば白しか見たこと無い、しかも全部混紡糸だった。まあ私たちの年齢では、誰に見せる訳でも無いから、お風呂場で上と下の柄が全然違うとか普通だしな。こういう上下セットでスケスケでエロいのはビックリかもしれない。

「どうするすいちゃん、一度やってみる?」

「……はい」

 ビックリしすぎたのか、何をするか説明する前に返事を貰ってしまった。まぁ測定自体は無料なのでいいか。

「今日は予約も入っていませんし、すぐにご案内いたしますね」

 と言われて来たのは白い箱が二つ繋がった白い部屋。

「では更衣室で、お着替え済んだら採寸室へお進みください」

 更衣室は衣類入れに各サイズのてるてる坊主になれるバスタオルが置いてある。この中でパンツ以外は全部脱いで次の部屋に行く。

 八方向に取り付けられたカメラに囲まれ、足下の足跡マークのところで立ち止まる。

『はい、まずは手を下げた状態で採寸しますね』

 このあと手を平行にした状態で採寸、頑張って手を上げた状態で採寸する。

 つまりCADで下着を作成するための設計図を作っているのだ。

 私みたいなデブは、自分に合った下着というのを通販や、近所の衣類も扱ってるスーパーで購入できない。つまりオーダーメイドなのだ。オーダーメイドといっても、素材次第ではスーパーの衣料品価格で購入はできるし、カップがあわずにアンダーテープで擦り傷を作る事も無い。設計図自体は一五〇〇円で売って貰う事が出来るので、どこでも自分に合ったものを購入できるんだけど、まさか去年よりも大きくなってるとはな。

「当店の水着売り場でご購入いただければ、設計代金は無料ですよ」

「ああでも、学校指定の水着が欲しいんだ」

「今年から当店も学校のご指定頂けたんですよ」

 学校用の水着は学校からも補助金がでる、なにせ学校にはプールが無いからだ。そのくせ水泳の授業単位はある。一年で好きなときに取得できる単位だからいつでもいいけど、ここ数日の暑さは耐えがたい。なのでここで一気に取ってしまおうという算段だ。

 この辺のプールなら、よみうりランドかヨネッティか鷺沼か、プールのあるジムでよけりゃもっとラクなのにな。

 すいちゃんが白箱の中で採寸している間、明日のプールの場所をどこにするかで悩む。

 よみうりランドなら近くだし、何かと遊び場も食べ物もある。鷺沼は市営だから入場料は無料で出店が面白い。ヨネッティはゴミ処理施設の余熱利用の温水プールの施設、市営だから無料だけど、寮からだと行くのが面倒くさい。

サキ『プールどこにする?』

きー『ランドでどう?』

サキ『妥当だな、何かあってもすぐに戻ってこれるし』

きー『近くに遊園地とプールがあるって、何か頭にこねえ?』

サキ『多少、おそらく三年生になったらかなりかもしれない』

きー『それと一人増える』

サキ『千種ちゃん?』

キー『そう、なんか実家に居づらいってさ』

サキ『歓迎する』

キー『ありがとね』

デラ『人が合宿で白馬に来てる間に、なんか楽しそうな話してるし』

サキ『どうよ、実業団の合宿とやらは、ラクショーでしょ』

デラ『プロをなめたらアカン、アカンでサキちゃん!』

キー『そうそう、サキは何でもできるから、ちょっと高い位置から見てるときあるよな』

デラ『せやで、悪いクセやでええ』

サキ『往生せいや! じゃない頑張れデライ』

デラ『サキちゃん怖い』

キー『サキの本性出たわ』

 すいちゃんが箱の中からでてきた。

サキ『あ、採寸終わったみたい、じゃまた後で』

キー『新百合ヶ丘ならFLOのチョコレートケーキお願い』

デラ『明日の解散式のバーベキューに期待して頑張る!』

 水着売り場に来たときに、ふとすいちゃんの身体の事を思い出した。

 色白だから日焼け止めしてあげないと、真っ赤になっちゃいそうだ。それに胸の手術痕も人に見せびらかすものでは無い。

「学校指定の水着ですよね、ベースはこちらになります」

「あー、私は指定じゃなくていいんで」

「板東さまはサイズオーバーで追加料金が入るので、指定でなくても同じお値段ですね」

 学校指定だと無料ではあるが、あまりにもなので色々とオプションで付けることが出来る。なにせあまりにも学校指定が古くさく可愛くないので、一般の人と同じ所で着るのが恥ずかしいのだ。なので学校指定以外を購入してもよく、その場合には学校指定の水着の半額まで補助される。

 正直自分の趣味を言わせて頂ければ、白い学校指定水着をすいちゃんには着て頂きたい。指定の紺でも文句は言わないけど、その野暮ったいデザインが、すらっとしたすいちゃんのスタイルによく合うと思うのだ。思うのだよ。

「……あの美咲さん」

「あ、はい」

 我に返って、慌てて設計図に目線を戻す。

 ああやっぱり去年より太ってる。

「去年と同じデザインの水着を一着、それと綿七〇とナイロン三〇でブラを三枚お願いします」

 合計六千五百円。まぁ申請すれば戻ってくるんだけどさ、一時的とはいえ自由になるお金がなくなっていくのはつらい。

「美田丘さまはいかがなさいますか?」

「……学校指定のもので」

「ちょっとまってすいちゃん、泳いだ事ってある?」

「……ありません、中学のときはプールがなかったので」

「学校指定の水着は沈むのよ」

 真面目な顔で嘘つきます私。

「プルーフ機能がないの、全部綿だから水を吸い込みまくって沈むのよ」

 そんな訳がない、けどPパスで真実を調べられるもの面倒くさい。

「私が選ぶ、私がチョイスする、私が払う」

「……は?」

 あまりの剣幕にすいちゃん、引いてる。よしこのまま押し切ろう。


 十分後。


 よっしゃ、押し切った勝ったぞ! お財布はさらに軽くなったけど本懐だ。

「……これなら、なんとか着られそうです」

「作成完了は一時間後になります、こちら引き替え券です。五階の映画の割引券にもなりますから、ご利用ください」

 店員さんのおすすめ通り、映画館で飛び込みで話題のアニメを見た後、お店で縫製の終わった下着と水着を受け取る。


 よし、生きる気力が沸いてきた。

 マジで明日が楽しみだわ。

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