ワビとスイ=一触前編=

 一年A組へ板東さん達がくる六時間前。

 一時間目の授業が終わった。

 私たちは二年分の高等学校の勉強を一年で憶える。当然授業は濃密で中学とは違っていた。憶えるのは楽しい、普段の生活で使うことは少ないけれど、自分のやりたい道を広げるための学びだとおもうとワクワクしてくる。きっと三年生になって実習が始まったら、生きるために必要な学びが始まったら、もっとドキドキワクワクできるだろう。

その時間が私にあるならば。

「……あ」

 チャイムが鳴っても私はノートにヴィジョンボードの内容を書き写していた。

 日本語を聞いたり読むのは大丈夫、だけど書いたり話すのはまだ慣れない。

「あらら、ごめんなさーい。まだ書いてたのね」

「グズなのがいけないのよ」

「ほんと日直の仕事が全然できないわ」

 長田さんとクラスメイトだった。お風呂場で長田さんと一緒に私に水をかけてくる人たち。

「……ごめんなさい」

「謝ればいいってもんじゃないんだけどね、はやく私は日直の仕事を終わらせてトイレいきたいのよ、もう消していいの?」

「……どうぞ」

「ったく、とっととそう言えばいいのよ」

 ヴィジョンボードに書かれた授業内容が消えていく。内容は半分だけしか書き込めず、私はノートを閉じようとした。

「み、美田丘さん」

 私は後ろの席の人から声を掛けられた。

「……?」

 後ろの人は、たしか大海さん。

「あの私のノート写して」

「……いいの?」

 綺麗な黒髪をバックテールにして、それを水色のリボンでとめている。

「も、もちろん。同級生だもん!」

「……でも」

 教室の隅をみると、長田さんとその仲間がこちらを睨んでいた。きっとこのままでは大海さんもターゲットにされてしまうだろう。

「……大海さんに、迷惑をかける」

「め、迷惑じゃないよ、ちっとも迷惑じゃない」

「……だけど私」

「な、長田さん達に目を付けられてるんでしょ、同じ中学で一緒だったんだけど」

 同じ中学だったから、長田さんがイジメをする事を知っていたのだろう。

「い、イジメなんてする人じゃなかったからっ」

「……?」

 意外だった。

「だ、だからね、きっと美田丘さんが嫌いなんじゃないとおもうの」

 なら、なんで私に絡むのだろう。


 =長田千種サイド=


 私は私が嫌いだ。

 家は金持ち、なにも苦労なく四人兄妹の末の妹。

 板東寮長、そのときはまだ寮長じゃなかったけど、初めて会ったのは去年の七月、友達が高等看護学校の学校見学を希望したけど、希望者が少なくてキャンセルになりそうだと泣きつかれ、仕方なしに見学登録をした。

 父も母も医者だった。

 今の時代、日本の人口が減ったとはいえ医者の十万人に対しての人数は不足した。

 医療技術の発達は止まらなかった、止まらなかった結果、検査技術は向上し新たな病気が現れた。あふれかえる病気に対して、多数の治療法が現れ確立した結果、医師の専門化がより強くなった。専門診療科が増え検査も治療も細かく的確になったかわりに、その病気以外を診ることが出来なくなったのだ。

 いま町医者は存在しない。

 日本のすべてが県レベルの基幹病院を中心とし、その枝病院が地域に配置されている。そして医療格差を無くすために、医師徴用制度が生まれた。医師免許を持つ者は、最低でも五年間は地方県へ赴任しなければならない。

 その社会的地位にくらべ、労働時間の長さと報酬の少なさから医療ボランティアと言っても差し支えが無い。

 なにせ枝病院の医師の七十パーセントは日本人ではない。

 指導医師、医局長や院長といった役職は日本人ではあるけど、日本の最先端医療とその技術を習得して十年後には祖国に戻る海外の医師によって、日本の医療はまだ倒れていなかった。

 三人いる兄は全員医師を目指して、八年制医科大学へ入学した。

「千種は好きに生きなさい、自分でどの道を選んでもいいのよ」

 父も母も、三人の兄も優しかった。

 いっその事、医師を目指せと言われればそうしただろう。好きにしろと言われ、私は目標も無く、ただ日々を過ごしていた。

 父と母と一緒にいく夏休みが楽しみだった。

 中学に入った頃から、父の若い部下という人が一緒に来るようになった。

 医師だったり厚生労働省の人だったり、なぜ私たちの家族の中に他人をいれるのか、疑問を抱いたこともあった。

 一つの結論。

 この他人は、そのうち家族になるという事だ。

 私の婿選び。

 そういう生き方もあるだろう。無能な多少ほかの人よりは容姿がよく、父も母も医師であり博愛に秀で、人望のある名士であり。その娘としてよい人と結婚して子供を産んで。

 なんだ、好きに生きろといいながら、ステレオタイプの女の幸せを押し付けようとしてるのか。

 自分で選べない子、わたしは親の選択を信じていればいいだけ。

 私みたいな余り物をなんで両親は産んだのだろう。

「自分で選んだ道だから楽しくて仕方ない」

 すごい笑顔で、その人は私の質問にそう答えた。

「もし選んでくれたら、私と一緒に学んでみない?」

 選ぶ? 自分で??

 それは私が一番ほしかった言葉だった。

 自分が必要だから学び、自分の仕事を自分で選ぶ。

 他の人が聞けば、そんな言葉は気にしないかも知れない。だけど私にとっては蒙を啓くとびっきりの言葉だった。

 学校見学案内係、板東美咲さん。

 一年生の主席、開校以来の才女と聞かされた。

 成績は最悪だった、やる気が無かったから勉強なんてしてなかった。

 高等看護学校に入学するには、それこそ奇跡がないと難しいと言われ。評定平均でも三ランクは下の学校を受験するように言われた。

 小学二年生のドリルからはじめた。

 一日二冊、一問でも間違えたら最初からやり直した。

「去年入学した従姉妹の話だと、看護学校の寮の部屋って入学成績順なんだって」

 それを聞いたとき、勉強にさらに熱がこもった。

 次のテストで学年五位になった、それまでなんとなく付き合っていた彼氏とも別れた。推薦なんか取れる訳が無い、最後まで父と母は県立高校の併願を望んでいたけど、一般入試の単願にした。

 だから、合格通知は嬉しかった。

 それよりも嬉しかったのは、新入生代表として入学式で挨拶することだった。

 入試で一番を取った。

 あこがれであり、目標の板東さんと一緒に学べるのだ。

 それが……。

「あの、入学しました!」

 入寮日、忙しくしている板東さんを見つけた。嬉しくて、私を変えてくれた人に早く変わった自分をみてほしくて声をかけた。

「おめでとう、入寮書類は一番の受付に出してくださいね」

 私の特別な人は、私なんか憶えていなかった。

 美田丘さんは関係ない、八つ当たりなんだとおもう。

 だから、私なんか大嫌いだ。


=板東美咲サイド=


 二時間前。

「美咲ちゃん、美貴ちゃん。あのさ、やっぱやらなきゃだめ?」

「デライあたしの横に立つな」

 二年A組教室の私の席に二人の友人が来てくれていた。

 といっても同じクラスの仲間なので、特別きてもらったわけじゃないけど。

「え、なんで、私ここにいちゃだめ?」

「ちげぇよ、あたしだって百七十五センチあるのに、百九十のお前が横にいたらチビにみられるだろうが」

「まだ百八十四センチだもん」

 みーちゃんは文化部総代で寮では総務を担当してくれている。

 でらちゃんは運動部総代で寮では風紀を担当してくれている。

 寮長である私の足りないところを支えてくれている仲間だった。

「その二人に囲まれている私なんて、CIAに捕まった宇宙人だな」

「ああそうかも」

 きーちゃんのスカートは膝上を計るより股下を計った方が早い。それでもってスパッツを履いている。学校の運動着を体育以外で着るのは禁止されているが、私物のものなので問題は無い。細くて長い足を惜しげも無く私の目の前にチラつかせてくれている。さすがモデル。でらちゃんは普通にデカイ、頭もいいし動けるし夏休みはどっかの実業団に合宿に誘われるくらい運動が出来る。

「伝統は守るよ。ちゃんと私たちの意志は伝えて、来年につなげないと」

「分かるけど、一人だけをやり玉に上げるなんて可哀想だよ、なんか訳があるかもしれないし」

「訳が何であれ、看護師を目指している人間が人を人と思わない行動に出ることが私には許せない、きーちゃんごめんね」

 きーちゃんが私の頭をなでる、なでるというかわしづかみにしてるというか。

「あの子はあたしがしっかりフォローはしてやるよ、私の一年をあの子に使ってもいい、それでいい看護師になれるなら、それが私の役目だろうさ」

「板東寮長ちょっと」

 それはイジメをしている三人が、ターゲットを美田丘さんから他の生徒に変える相談をしていたという情報だった。

 イジメをしているヤツが一番悪いに決まっている。

 いじめられて声を出す勇気が無い人を見て、見ているだけのヤツは二番目に悪い。

「予定通り、ホームルームの時間に実行する、各部の部長を招集をしてください」

「うーっす」

「あー、うん、わかった」

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