疵痕=きずあと=

 学校の制服は紺色上下のブレザーで、それにチェックのベストに白のワイシャツ。タイはネクタイで、濃い紺色に三本の斜め線が入ってる。校章に学年章、それに各委員会の会章がついてくる。私はワビさんから託された寮長の寮章をつけていた。ちなみにこの制服は学校に通う専用で、この他にも礼装と実習着があったりする。学校に通うといっても、距離は寮門から学校門まで五十メートルも離れてはいない。

 見せびらかしたり、一般の人に見られる事も無い制服である。私服にしてくれればラクなのに。

「はーい、自分の控え番号と箱番号ちゃんと同じの見つけてね、二つとも持ってあっちのテーブルで確認してもらってから持って帰ってね。靴のサイズにも気をつけてね」

 明後日から学校が始まる。

 新入生の制服が配達され、それを間違いなく渡すのも自治寮会の仕事である。

 制服は今日だけど、礼装は八月に配られる。

 靴下は特に指定無し、靴は黒の革靴であればそれでオッケー、上履きと体育館履きは指定のものがあって、学年ごとに色が違う。

 体操着はジャージの上下、ジャージの下はズボンとスパッツの好きな方が選べる。Tシャツには特に指定無し。スパッツは動きやすいし通気性いいから、運動部の子が結構使ってる気がするけど、運動部じゃない私も使っている。機能性重視。

 ジャージの横に三本線がはいっていて、そこのライン色が学年毎に違っている。

「……着替え、終わりました」

 部屋に戻ってから、美田丘さんの試着タイムだ。これは興味本位ではなく、サイズが合っているか、合っていない場合は早急に交換する必要があるからであって、誰よりもはやく制服の美田丘さんが見たいわけでは無い。いま全部屋で行われている事であって、繰り返す! 誰よりも早く美田丘さんの、可愛い制服姿が見たいわけでは無い。

「サイズ合ってるね、肩の辺りとかきつくない?」

「……大丈夫です、中学校はセーラーだったから、ブレザーいいなって」

 セーラー服の美田丘さんですと、それはちょっと聞き捨てならない、今度卒業アルバム見せて貰おう。

 なんて事は顔にださず、先輩ヅラしながら。

「そう、大丈夫そうね、ようこそ菅高等看護学校へ」

 美田丘さんに近づいて、左襟に校章をつけてあげた。

「……一年間、よろしくお願いします」

「はいよろしくお願いします」

 あらためての握手。

 心配だった新しい同室者とも、仲良くできそうですワビさん。



 美田丘水サイド


 私は今日も嘘をつく。

 金髪に碧眼、目立たない方がおかしい。

 チビでやせっぽっちで、相談する両親もいない。 

 ロシアにいる頃と変わらない。

 変わらないという意味では、別に新天地を求めたわけでもないしかまわない。でも信じていない神様に、試練を望んだわけでもない。

 そもそも神様は助けてはくれない。

「残念だけど、今満員なのよ。風呂場には入れないわよ」

 長田さんが入浴室の前で私をとめた。

 入寮してから毎日この人に絡まれている。

「……そう、ですか」

 先に入った生徒が出てきた。

「今ならすいてますよ、どうぞ」

「ちっ、余計なことを」

 と小声で長田さんが呟いたけど、その生徒には聞こえたみたいで、慌ててその場を立ち去った。

「入りなさいよ、A組の入浴終了まで時間が無いんだから」

「……はい」

 さすがにこんなことになっているなんて、板東さんに言うわけにはいかない。

 でも確かに入浴交代時間まで、それほど時間があるわけでは無い。いそぎ脱衣所で服を脱いで、急いで髪を巻き上げてお風呂場に足を踏み入れた瞬間。

「!!」

 生ぬるい桶の水を投げつけられた。

 長田さん一人だけじゃない、何人かも一緒だ。

「あんたには、この程度で十分でしょ、狭いんだから出て行きなさい」

 初日に長田さんにやられた冷水に比べれば、まだマシだったな。

 個室シャワーに目を向けるも、そちらのほうも通せんぼされて行けそうにない。

 仕方なしに脱衣所へ引き返したけど、共用のバスタオルもドライヤーまで隠されてる。

 濡れた髪の毛を着てきたTシャツで拭いて脱衣所から出た。

 無視すれば大丈夫、人は人を責めるのもエネルギーが必要なのだ。私が反応したとき、それが相手のエネルギーになってしまう、だから反応しなければそのうち相手のエネルギーがつきて終わる。

 それが一番の対処法なのだ。


「あ、おかえり。この寮のお風呂、広くて気持ちいいでしょ?」

 自分の勉強、他の生徒からの相談、寮の運営。

 それをすべて一人でこなしている板東さんを煩わせてはいけない。少なくとも私はここにいられなければ、居場所が無くなってしまう。板東さんに気に入られる様にしなければ。私が同級生からいじめられている事をしったら、この人はきっとやっかいなお荷物を背負い込んだと思うだろう。それは避けなければならない。

 気持ちの悪いこの人のいる部屋、ここ以外に行き場所なんて私にはないのだ。

 私が黙って耐えていれば良い、何事も無く終わるのが一番いい。


 気持ち悪いと言うのは、もちろんこの寮長の板東さんの事。


 そう感じたのは、初めて会ったときからだった。

 人気はある、それは部屋に訪ねてくる多くの人を見ていれば分かる。

「そっか、そういうこともあるよね、うんうん」

 ただ人の話に頷いていることもあれば。

「がんばったねー、ほんと頑張りやさんなんだね、なでてあげよう」

 人をやたらに褒めたり。

「ダメじゃん、それは自分から折れるべきでしょ、そもそも……」

 頭ごなしに叱ったり。

「いやあんたは悪くない、それは相手に謝ったらだめでしょ」

 私が聞いても、どうしてもその人の方が悪いのに、相手をやたら肯定したり。

 聞き上手といえば聞こえは良い、だから人気ものになるのも分かる。

 でも、相談に乗ってるときも、自分の意見ではなく相手に合わせているだけなのだ。表情も相手によって声色まで違う、なだめる姉のようで、母のようで、まるでカメレオンのようにコロコロ変わる。相手を見て、相手が何を望んでいるのか察してるのならまだ分かる。そのくらいなら分かるし、決して気持ち悪いとは思わない。

 私の抱えたこの気持ちの悪さの正体がわかるのは、もう少し後になってからだった。

「……はい、そうですね」

 私は居場所を守るため、今日も嘘をつく。



 板東美咲サイド


「準備できた? じゃあ行ってくるね」

「……はい」

 新学期、一年生は入学式のため一時間遅く登校、二年生は入学式準備のために一時間早く登校する。

 入学式自体は一年生だけで、二年生は各教室で冬休み中の宿題提出と。

 きーちゃんと、宿題集めをしている最中。

「二年生になっても、メンツは変わらないものだね」

「そうでもない。七人がB組、二人がCにクラス替え。B組から四人、C組から二人、E組から一人がA組に入ってる、ちいと多すぎる。嵐さんは気を抜けば、あたしたちも同じようになるから気をつけろって」

 嵐さんはワビさんの友達、元副寮長でいまの生徒会副会長。きーちゃんの前年度ルームメイトでもある。

「そんなに入れ替わってたんだ、気づかなかった」

「サキちゃん、お前ほんとーに気に入った人以外の顔と名前おぼえねーのな」

「記憶のリソースが多くないから、もっと憶えたいことに容量さきたいんだよ」

「嘘つけ」

「私の替わりに全校生徒の顔と名前を憶えてくれている親友がいるからね」

 きーちゃんはため息をついた。

「仕方ねーな、ま、副寮長は寮長を支えるのが仕事だしな」

「そうだ、来週あたりにアレやるから、きーちゃん準備よろしくね」

「やるのか。でも悪い子じゃないんだよ。ちょっと難はあるんだけどね」

 きーちゃんがかばうってことは、そう悪い子じゃないのだろう。だけど許されないこともある。

 それよりも許せないのは、同居人の方だった。


 その日の夜、深夜二時。

 寝たふりをする私を起こさないように、静かに二段ベッドの上から降りてきて、洗面器一杯の水を汲んできて床に置くとタオルを浸して身体を拭き始める。

「なんで相談してくれないの?」

「……起こしてしまいました、すみません」

「大丈夫、起きてたから」

 美田丘さんは、パジャマの上を脱いでタオルで身体を拭いていた。  

 ベッドから私も降りたけど、部屋の電気は付けずに美田丘さんの後ろに座った。月明かりもあったし、いくら同性でも二人きりの時に肌を見られるのは恥ずかしいだろう。

「……何を、おこっていらっしゃるんですか?」

「なんで相談してくれなかったのかなって、出会ってまだ一週間ちょっとだけどさ。まだ寮長になって私も日が浅くて慣れてないし、私って頼りなかったかなって」

「……違います」

「じゃあなんで相談してくれなかったの」

 語気が荒くなっていく自分を押さえられない。

「私がその程度の相談にも乗れないくらい頼りなかったからでしょ! 怒ってるのはあなたじゃ無くて、頼られない自分にだから!」

「……人が誰かに頼るのが、正しい事なんですか?」

「だからって、誰かに嫌なことされて、それがこれから三年続くんだよ。声にださなきゃ、そいつらは自分がどれだけ相手を傷つけて、悲しませているかなんて分かってないんだから」

 美田丘さんの背中からの返答は想像してなかった言葉だった。

「……迷惑」

「え?」

「……迷惑です、それは板東さんの考えです。板東さんの考えた可哀想な私です」

 思いも寄らない言葉に、私は返答に窮する。

「……私はイジメなんて、受けていません」

 美田丘さんが振り返る、パジャマの胸元から白い肌とは異なる色が見えた。手術痕?

「……私を、勝手に可哀想なんて決めないでください」

 深夜だし大声なんかだせない、だけど私が聞いたのは必死の叫びだった。

 決めつけ。確かに私は美田丘さんがイジメられて、危殆に瀕しているものだと思い込んでいた。なのに誰にも言い出せず、私にも誰にも相談できず、自分一人で抱え込んでいるものだと、可哀想なんだと思い込んでいた。

「そうだよね、ごめん美田丘さんの話を聞かずに、いじめられているなんて思い込んで」

 決めつけられることは、私も好きではない。

 頭が痛い。

「A組のイジメは美田丘さんに任せる、でしゃばってごめん」

「……あ」

 美田丘さんも何か言いたそうだったけど、それよりも頭が痛い。何か変な気持ちがわき上がってくる。間違えると、とても嫌なことがあるのに、思い出せない。

「ごめん寝る」

 自己嫌悪だ、私はいつから偉くなったんだろう。人の考えが分かると思ったんだろう。人を怒らせたら罰を受けなきゃいけない、なんで……。

 そう思っているうちに、いつの間にか寝込んでいた。

 その夜、私は泣いていたらしい。憶えてないけど。


 朝、何事も無かったかのように、一緒の洗面台で顔を洗って、食堂で朝食を食べて学校へ行った。

 その日の帰りのホームルーム直前。

「サキちゃん、準備できたぜ」

「じゃあいこっか、一年A組に」

 二年生の運動部員たちも来てくれた。

「ではこれより、イジメの早期治療を開始します」

 私は二年生達の先頭にたって、一年A組を目指して歩き出した。

 当然、美田丘さんのイジメを止めるために。

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