王様と次の食材
アルバイトが始まってからというものの、私はニナとアリサの家――仮家に入り浸りの日々を送っていた。何せ、地球時間と比べて時間の進みが遅いのだ。ここ数日は大学から帰宅するや仮家にいき、数時間経って現実世界に戻ってくるという生活を送っていた。
肝心の異世界食材は手に入らないようで、私はのんびりと仮家生活を楽しんでいた。
そんな日のこと。仮家に着くと珍しく、ニナとアリサが玄関で待ち伏せていた。しかもアリサは、左手に背の高さと同じくらいの大きな杖を持っている。杖は黒に近いくらいの赤色で、全体に光沢を放っていた。先端には手のひらほどのルビーみたいな宝石がついている。
この杖は時たまリビングで手入れしているのを見たくらいで、こうして構えてみるのは初めてだった。
「ど、どうしたの? 杖なんか持って?」
「レムガルドから連絡が来たにゃ。食材が出てきたのにゃ」
「……これから、受け取りに行く」
な、なるほど。コカトリスのもも肉の次の食材か。確かレムガルドの特別な食材じゃないと駄目なんだよね。実のところは、レムガルドとかいう異世界にも興味はあった。前の話では、地球と交流があるみたいだけど。
漫画よりもアニメをよく見る(理由は料理で手を動かしながらでも見られるから!)私は、ファンタジーもそれなりに嗜んでいた。
でも私がついていく理由は、多分ない。コカトリス肉の下処理も二人がしたのだ。私の仕事は、仮家で料理を作るだけのはずだった。そんな思いを知ってか知らずか、アリサが小首を傾げながら聞いてくる。
「彼方も、一緒にくる……?」
「ふぁ!? ついていっても良いの!?」
「この前貸してくれた小説、剣と魔法の本だったし……」
「レムガルドの話題になると、すっごい食いつくにゃ」
どうやら私のファンタジー嗜好はバレバレらしかった。でも、本当にファンタジー世界に行けるとは思いもよらなかった。目の前に犬耳アリサ、喋る猫ニナがいても、仮家は現代日本そのままだ。異世界というよりも、異世界からの来訪者という雰囲気だった。
「いきます、今からでもいけますっ」
「良かったにゃ。じゃあ早速行くにゃ~」
ニナがそう言うと、アリサがひょいと左手でニナを抱え上げた。ニナは家猫ではかなりのサイズだし、すでに杖も持っていたのに軽々しい動きだった。見た目は中学生くらいだけど、腕力は相当あるらしい。
器用にニナと杖を持ったまま、アリサが私の左横に並ぶ。そうして右手でぎゅっと、私の手を掴んできた。小さい手だけれど高めの体温が、アリサから伝わってくる。
「しばらく、離さないでね」
アリサはそう言うと、目を閉じた。気のせいか、ただ手を掴まれてるだけじゃなくて、にぎにぎとされている。なんだかちょっと恥ずかしい。そう思っていると、アリサは何やら聞こえないほど小さく呟き始めた。もしかして、魔法の詠唱だろうか。
「アリサから魔法をかけているのにゃ。かけないと、レムガルドの空気にむせるにゃ」
「魔力が濃いんだよね」
なおも熱心に握ってくるアリサから目をそらし、ニナに話しかける。
「身体保護もあるにゃし、あと言語とかもわかるようになる魔法もかけてるにゃ」
「なんて便利ッ! ありがとう!」
そうこう言っている間に、アリサがゆっくりと目を見開いた。どうやら魔法をかけ終わったらしい。でも手は離さないままだった。
「終わった……」
「うにゃ、じゃあいくにゃよ~。手は繋いだままにゃ!」
ニナが言い終わるや、体のあちこちが光りはじめた。私だけじゃない、アリサとニナもだ。驚く間もなく、急速に白光が視界を覆っていく。匂いも、音も塗りつぶされていく。
光に包まれる中、ただアリサの手の温もりだけが、確かに私を繋ぎ止めていた。
◇
目を開けると、私は腰を抜かしそうになった。こういう場合、林の中や人気のないところに転移するものだと思っていたのだ。
私達三人は、きらびやかな、見上げるほど天井の高い大広間に現れていた。しかも私達を輪で囲うように鎧甲冑をまとう騎士や、色とりどりの貴族らしき人達が大勢いる。
大理石で作られた大広間の壁には、数mの絵画が何枚も飾られていた。天井のシャンデリアも、私が両手を広げるよりも大きいだろう。無数にある花瓶やろうそく立ても、遠目で職人芸の代物だということがわかる装飾の細かさだ。
騎士達も動物をかたどった鎧と兜を着こみ、重厚感をあふれさせ見事に整列していた。貴族は羽飾りや金銀宝石で体中を飾り立てをしており、貴婦人も一人残らず豪奢なドレスを着こなしている。
唖然としていると、唐突に甲高いラッパの音が響き渡った。大広間中に、反響する。
人の波が割れ、眩しいばかりの王冠を頭に載せた二十歳くらいのイケメンと、彼に付き従う一団が前に出てきた。
いくらレムガルドについて知らなくても、あのイケメンが王様みたいな偉い人であるとわかった。爽やかなでよく手入れされた金髪と、掘りが深いけれども俳優顔負けの気品ある顔立ち、ぴしっと背筋正しい姿すべてが様になっていた。
一団は周りの貴族より、さらに高級そうな勲章やでかでかとしたアクセサリーを身に着けていた。イケメンに至っては、まず王冠に数えきれないくらいの宝石が取り付けてある。それだけじゃない、靴や腰のベルトまで七色の輝きだった。高価なモノなど見慣れない私は、目が潰れそうになる。
でも彼らが近づいて表情が分かるにつれ、私は小首を傾げたくなった。彼らの顔は一様にこわばり、冷や汗でもかいていそうだった。数人は明らかに、膝もがくがくと震えている。
輪の外に着くと、王様だけがまるで演劇にあるかのように、すっと一歩前に歩みでてきた。彼は両手を広げ、歓迎の意を示しながら大声で話し始める。気のせいでなければ、何故だかちょっと声が震えていた。
「偉大なる神祖、ニナ様とアリサ様! そして、異界の友人たる彼方様! 三山を神より預かりし王、ブレイズ六世が心より歓迎いたします! 五柱の神々もまた、此度の来訪をお喜びでありましょう。狭間より僅かなあいだでも、比類なき正義と英知を我らにお示しくださいますこと、真に感謝の極みでございます!」
一息でブレイズ六世は言い切ると、直角に礼をした。直後、割れんばかりの拍手が巻き起こり、紙吹雪が宙を舞う。どこかに控えていたか、オーケストラの陽気な音楽も始まってしまった。
まだ手を繋いだままの私は、完全においてけぼりだった。ちらと見るとニナが実に得意げな顔をしている。思わず小声で耳打ちする。
「聞いてないんですけど、こんな歓迎ッ!」
「言ったらついて来ない気がするから、言わなかったにゃ」
「ぶふーっ、ねえ、どういうこと!?」
「……私たちは、レムガルドで神の化身とされてる。だから正式に来訪すると、こんな感じに歓迎される」
「神ッ!? 魔法使いじゃなかったの!?」
「レムガルドでは神のように崇められる、魔法使いにゃ」
ニナは悪びれる様子もなく言い切った。アリサもうんうんと頷き――手を繋いだままなのに気がついたのか、おずおずと手を放した。ニナをゆっくりと床に降ろし、アリサは私に向きなおる。心なしか、犬耳と尻尾がしおれ気味だった。
「せっかくの異世界だし驚かせたくて……ごめんなさい」
「あ、いや……驚いたけど、怒ってるわけじゃなくて……」
「本当……?」
アリサのしょんぼり姿をみると、途端に折れてしまう弱い私だった。
その時、がやがやと王様の一団が輪を越えて近づいてきた。あまりの偉い人オーラのせいで、私は一歩引いてしまう。
貴族らしい人たちは、なんだか怯え気味にニナとアリサに話しかけ始める。王様はなんと、つかつかと私に近づき、話しかけてきた。
「お三方に祝福を。あなたが彼方様ですね? お話に聞いた以上に美しいレディだ」
「あ……いえ、そんな……」
王様は全くの普段着、完全に場違いな私にも気さくだった。さっといかにも握手しやすそうに、手慣れた所作で右手を差し出してくる。
「改めて自己紹介をしましょう、私はブレイズ六世。この天山の国の王をしております」
おっかなびっくり握手を返しながら、私も自己紹介する。口が裂けても、ただのアルバイト大学生とは言えない流れだ。
「ええと、佐々木彼方です……。あのお二人の……専属料理人をしています……」
最後の方は尻切れトンボだった。多分、嘘は言っていないと思う。
「ほう、あのお二人に料理をお出しするとは、お若いのに素晴らしい腕前だとお見受けしました。時間がある時に、是非とも神へ捧げられる料理を、私も賞味したいものです」
うう、きらきらとした笑顔が胸を締め付ける。なんという社交辞令、とても日本では聞けないだろう。恐ろしいのは、本心で言っているようにしか思えないことだ。
横目で二人を見ると、彼女たちは彼女たちで、貴族たちとがやがや話し合っていた。こっちに助け舟を出してくれる様子はない。
なら、しょうがない。深呼吸をひとつして、覚悟を決める。こういうのは最初に言っておくべきだ。二人には聞こえないよう、小声だけどしっかり王様の目を見ながら語り始める。
「……私はただの異世界の日本人です。料理は作れますけど、私の世界でも特別料理が上手なわけじゃありません。王様にこんな話しかけられるような、人じゃないんです」
王様はそれを聞いても、笑顔を崩さなかった。むしろ、瞳の眼光が鋭くなる。そうすると、鷹のような雰囲気だ。
「……なるほど、気高いレディだ。あの方々が、お側に置くのもわかります。確認ですが……お二方がなぜレディの料理を欲しているか、ご存知ですか?」
「魔力を……補充するため、と言っていました」
「やはり、そうですか……」
答えに何かまずいところがあったのだろうか、王様は頭を振った。
「では今の私から、言えることはありません。お二方の名誉に関わってしまう……。一国の王でも許されないことです」
なんという慎ましい言い様だろう。とてもイメージにあるような、横柄な王様ではなかった。内緒話でも、二人への礼は欠かさない。ついでに、私にもひとつレムガルドの方に聞きたいことがあった。
「彼女たちは、そんなに偉い魔法使いなんですか?」
「う~ん……そうですね、レムガルドの人にとって間違いなく並ぶ者のない英雄であり、不世出の魔法使いです。分かりやすい例をあげれば、こちらに来られた空間転移の魔法は、本来であれば数百人で執り行う大魔法なのです」
「……そんな大掛かりな、大変な魔法だったんですね」
「その通りです。まさに神のごとき不可能を可能にする魔法使いと言えるでしょうね……。おっと、そろそろお二方への陳情が終わりそうですね」
どこまでいっても爽やかな物腰は崩れない、絵にかいたような素晴らしい王様だ。最後に王様はウインクしながら、付け加えた。
「ですが、恐れないでください。レディの料理は私達の希望でもあり、贖罪なのです。お二方が力を取り戻されるのが、第一ということをお忘れなきように」
それだけ言うと、王様の一団は後ろへと引き下がっていった。恭しく手を天にかざすと、大広間のざわめきがぴたりとおさまる。
「さて、御三方の下された大いなる導きと教示に敬意と感謝を! 私はこの得難き時に報いるため、今宵、これを喜んで捧げます!」
王様が指を鳴らすと、今度は別の一団がゆっくりと、白塗りにバラが描かれた花瓶を持ってきた。抱えられるくらいの大きさで、体の揺れ具合から水が入っているように見える。
あの花瓶に、次の食材が入っているのだろうか。まさかこんな手に入れ方をするなんて。冒険の果てでもなんでもないのが、逆にびっくりだった。
「天山の国では、これを神の髭と称しています。我らが国ではあまりに貴重で、古代では王族や神殿へと捧げられるべきとされていました! であればこそ、神祖に供されるに値する由緒ある一品といえるでしょう!」
花瓶が近づき、丁寧に私達の前に置かれる。くいっと覗きこむと、私は驚きのあまり、あっ……と声を出してしまった。
それは、コカトリスの肉と同じく見覚えのある食材だった。とはいっても、実際に目の前で生きた姿を見たことがある人は珍しいかもしれない。
日本人なら多分一度は食したことはあるし、何なら大多数の人はこれが好物と言ってもいいくらいだ。
問題は――これを家庭で捌く人はまずいない、ということだ。もちろん、私でさえ経験はない。
漆黒の滑らかでまさに髭のように、細長い魚が花瓶の中を泳いでいた。
「ウナギだ……」
私は、呆然と呟いたのだった。
もふもふ異世界料理人 しあわせご飯物語 りょうと かえ @ryougae
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