第4話 お題:冬の海で花火

 夏の盛りの喧騒が夢であったかのように、人影ひとつ見えない真冬の黄昏時の砂浜の上を、海上から吹き抜ける凍てつくような風が駆け抜けていく。


 乾いた砂はさらさらと踊り、絶えず吹く風に刻々と姿を変える不可思議な模様を描き続けている。


 水平線へと沈みゆく太陽がきらきらと黄金色に海面を彩り、打ち寄せる波が砂浜に煌めく触手を伸ばすように小さな泡を左右に広げては弾け、ゆっくりと色を濃くした濡れた波打ち際の砂の上を滑るように引いていった。


 繰り返されるそれを防波堤の上に座って眺めるひとつの影。


 吹き上げる風に目を眇めながら、弄られる長めの髪を弄られるまま遊ばせている男は、頬を撫でる風の冷たさに柔らかそうなマフラーに鼻先まで埋めている。


 寒さを感じていないわけではないだろうに、水平線に真っ直ぐに向かうその背中はピンと伸ばされて、凛として佇んでいた。


 みるみるうちに水平線へと姿を隠していく太陽の姿はもう跡形もなく、名残の茜色も空と海の境目を僅かに彩るばかりで。


 やがてそれも宵闇の濃紺に飲み込まれ、黒い水面へと姿を変えていった。


 煌めいていた黄金の筋も消え失せて、濃紺を映した黒い水面だけが一面に広がる。


 ときおり波消しブロックに砕けた波が白い泡の花びらを空に散らしていくのを、遠くで緩やかに廻る灯台の灯りが気紛れに照らしていく。


 きらりきらりと柔らかな光を受けて輝くそれは、まるで夜空に散らばる星屑のようにも見えた。


 男の背面に浮かぶ月はまだ低いところにあって、細いその三日月の弱い光は黒い水面に映ることはない。


 波消しブロックを打つ潮騒だけが聴こえる静かな空間で、吹き付ける風に乗って漂う潮の薫りが男の鼻腔を擽っていく。


 徐に、コートの胸ポケットから煙草の箱を取り出した男が、抜き取って咥えた煙草にライターで火を点した。


 朱い小さな焔が細い筒の先を燃やし、細く棚引く煙が風に煽られてかき消されていく。


 指に挟まれた煙草が離れた口唇から勢いよく吐き出される白い煙も、すぐに風に吹かれ宵闇に消えていった。


 咥え煙草のまま、脇のポケットに突っ込んだ男の右手が中に忍ばせてあった荒削りの細い竹串を掴みだす。


 竹串の先には黒い火薬の塊がついていた。


 左手に持ったままのライターで自分の躰を捩り盾にして風を避け、火薬の先に揺らめく焔を近づけていく。


 ちりっと小さな音がして、ぱちぱちと線香花火にも似た細い火の粉が次々と伸びて弾けては、闇の中に小さな華を咲かせ始めた。


 曼珠沙華にも似たその刹那の光を眺める男の、煙草を咥えたままの口角がゆるりとあがって弧を描く。


 それは笑みを浮かべたようにも、泣き出しそうなのを堪えているようにも見えた。


 咥え煙草の先の白くなった灰が吹き続ける風に散らされて、風花のようにはらりと空を舞ってはどこへともなく流されていく。


 短くなった煙草を足元に落として、コンクリートの上で躪り消した。


 小さな手元の華は、まだ細々と小さな火の粉を散らして、黒い火薬を朱い焔がゆっくりと舐めるように登っていく。


 最後の一片ひとひらが小さな音とともに消えて、辺りは再び濃紺の闇に包み込まれた。


 手にした燃えさしを見つめる男の口唇が『ばーか』と音も無く容づくる。


 左手に握ったままの百円ライターをコートのポケットに無造作に落とし込んで、奥の方から携帯用の灰皿を取り出すと、足元の撚れた吸殻をその中に放り込む。花火の燃えさしの軸を適当に折って灰皿に仕舞うと、口を閉じてポケットに落とした。


 折り曲げた膝を両手で抱え込むようにして顎を乗せた男の瞳が微かに潤んで、瞬きをすれば零れ落ちそうになるそれを堪えるように、眼前に広がる黒い水のうねりを睨み付ける。


 波消しブロックに打ち付けられた波が散らした波の花と競うように、ちらりちらりと天から舞い落ちる粉雪が風に舞っては水面に落ちていく。


 積もることのできない雪が波間に飲み込まれていく様が、昇華しきれない想いに重なるような気がして、男は凍てつくような寒さの中まんじりともせず、魅入られるようにそれを眺めていた。


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