第3話 お題:川辺で水遊び

 川面に覆いかぶさるように、背の高い山毛欅ぶなの木が枝を広げる。


 黄緑の葉の隙間から零れ落ちる陽光が、光の結晶でできた帯のように降り注いで、さらさらと流れる透明度の高い水が水面から突き出た所々に転がる大きな岩に当たって宙を舞う小さな飛沫を照らす。


 まるで金剛石のような煌めきを放つ粒が、吹き抜ける清風に乗って再び流れに戻っていく。


 岩の間に出来た小さな滝には、薄っすらと虹の輝きがあった。


 二間にけん程の川幅の沢にはごろごろとした大岩があちこちに転がる小石の岸があって、波のように打ち寄せている。


 川面に迫り出すように突き出た低い岩の上に腰を下ろして足を垂らせば、くるぶしまでひんやりとした流れに包み込まれた。


 木々のどこかに潜んでいるのだろう、歌うような鳥のさえずりと蝉の声が奏でる音色が水の調べに乗って耳朶じだを揺らしていく。


 山毛欅の葉越しの陽光は夏の肌を焦がすような強さを殺がれて柔らかく降り注ぎ、川面を渡る涼風が心地よく頬を撫でる。


 風に弄られて頬にかかった髪を手で払い除けた。


 爪先を軽く揺らせば、水音と共に小さな飛沫が空を舞う。


 きらりきらりと光輝く水滴が踊るのを眺めながら、後ろに伸ばした手に触れる小石をひとつ摘みあげた。


 岸辺の流れの速さと異なる、沢の中程の淵になった深い碧に向かって手にした小石を投げ入れる。


 小さな水音と共に水面を潜った小石が、ひらりと風に舞う落ち葉のようにゆうるりと旋回しながら沈んでいく。


 揺らいで見えるその姿は、楽し気に水中を泳ぎまわる小魚の尾鰭おびれにも見えた。


 ふたつみっつと投げ入れてその様を眺める。


 対岸のくさむらに群生する女郎花おみなえしの黄色が風にゆらゆらと、まるで語り合うかのように小さな花弁を触れ合わせるのが目に鮮やかに映った。


 ひやりと濡れた感触が頬に触れる。


 そちらに目を向ければ、水面の煌めきにも劣らない眩い笑顔があった。


 悪戯っぽく眇められた瞳。


 その掌には、岸辺の浅瀬に沈めた籠の中で冷やした水蜜の大きな薄紅色が水滴をまとった産毛をきらきらと輝かせていた。


 頬に触れたのはこれだったらしい。


 差し出されたそれを受け取って、柔らかな果皮に爪を立てる。


 ぷつりと破けた皮の隙間から、溢れる果汁が指先を滴り落ちていく。


 傷をつけた皮を摘んで引っ張れば、するりと剥けて淡黄色の果実が顔を覗かせた。


 よく冷えたそれに齧りつくと口腔いっぱいに瑞々しい甘さが広がって、口の端から零れ落ちそうになる豊潤な果汁を慌てて啜る。


 途端に感じる喉の渇きを癒すように無心で頬張れば、不意に水気を含んだ風に冷えた背中を温かな体温が包み込んだ。


 触れ合う頬の感触に手にした齧りかけの水蜜を差し向ければ、躊躇いもなく齧りつく。


 じゅわりと溢れた果汁が掌から手首へと伝うのを、温かな濡れた感触が追いかけて、咄嗟とっさに引こうと傾けた手から水蜜が転がり落ちて小さな水音をたてた。


 囚われて舐めあげられた濡れた肌を柔らかな風が辿って、ひんやりとした感触をもたらす。


 思わず顔を向ければ、陽射しが陰るのと同時に口唇に触れる柔らかな熱。


 水蜜の甘さを纏った接吻くちづけにそっと瞳を閉じれば、はやすような鳥の囀りと蝉の声が一段と大きな音色を奏でる。


 降り注ぐ柔らかな陽光と、瀬を渡る涼風が重なりあうふたつの影を優しく包み込んでいた。


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