第22話
雲に反射した光が痛いほど寝不足の目にしみる。
仕方なく目を閉じたところで、いまさら眠れるわけでもない。
週末の大阪発鹿児島行き、始発のフライトはほぼ満席。何かの団体らしき同じワッペンをつけた初老の男女がやたらと目につくし、他にも観光客が多いらしくて、どこか浮かれた空気に包まれていた。しかし自分はそれどころではない。陽介は頬にあたる日光を感じながら、昨夜の事を思い出していた。
ようやく
「海の上だから電波が届かないんじゃないですか?」とは大野さんの言葉だが、今時のフェリーでそんな事があるだろうか。多分この友人は、ペクが船内で逃走したことを咎められないように、電源を切っているのだ。
もう新幹線も間に合わないし、陽介は朝一番の飛行機を使うことにした。向こうに着いてからレンタカーを借りて、フェリーが入る港まで二時間はかからない筈だ。たぶんペクは船内で保護されているだろうから、事情を話せば港で引き取ることができるだろう。
自分と同じ同行したがる大野さんを宥めすかし、とにかく無事離婚できるまでは、万に一つでも怪しまれるような行動は慎もうと説き伏せて、陽介は彼女を街なかのビジネスホテルにチェックインさせた。
「明日になったら、まっすぐ家に帰るんだ。俺を追いかけたりは絶対にするなよ。それもこれも全部、一日も早く離婚に持ち込むためなんだから。わかったな、なぽにゃん」そう念を押すと、彼女は「わかりました。じゃあ、帰ってきたら速攻で連絡してね、ようちゅけ」と頷いた。
ようちゅけ、というのが、大野さんが勝手に決めている陽介の愛称らしかった。
俺は一体どういう形で彼女の世界に存在しているのか。想像しかけて、止めた。必死になってここまで抑えてきた苛立ちやら怒りやら、負の感情が一気に爆発しそうに思えたのだ。まだ早い、落ち着くんだ、と自分に言い聞かせ、陽介は大野さんに手を振ってホテルを後にした。
それからまた車を走らせて、空港近くのホテルに落ち着いた頃には、もう疲れ果てていた。ベッドに腰をおろし、コンビニで仕入れた缶ビールを一気に飲み、そのまま仰向けに寝転ぶと、もう動く気がしない。シャワーは不本意ながら夕方浴びたし、もう寝てしまえばいいか、とも思うが、やはり気になって携帯をチェックする。案の定、
「もうフェリー乗った?そっちの天気はいいみたいだけど、揺れてない?」
「船旅はどう?ペクを預けてる場所とか、写真送ってもらえる?」
「電波悪いのかな。ちょと心配してます。できるだけ早く連絡して」
最後のメールは一時間程前で、その少し前に電話も入っていた。
いま連絡したところで、紗代子が相手では、一つ取り繕えば一つボロが出るのは判り切っている。悔しい気もするが「海は電波が届かない」という大野さんの案に乗っかるしかなかった。そして明日、港でペクを引き取ってから、何事もなかったかのように連絡して辻褄を合わせるのが最善策だ。
一息ついて、もう寝ようと歯を磨き、ぺらぺらに洗いざらした備え付けの寝巻に着替えたところで着信があった。紗代子か?それともまた大野さんか?恐る恐るディスプレイに目を向けると、そこには
何故このタイミングなんだろう。
陽介は深い溜息をついて、携帯に耳を寄り添わせる。
「連絡もらっていたのに、すぐ返事できなくてごめんなさいね」
なんだかんだ言っても、彼女の声を聞くと、積もり積もった一日の疲れが洗い落とされるような気がする。陽介は気を紛らわせようとつけていたテレビを消し、ベッドに腰を下ろした。
「今夜はコンサートに行って、さっき帰ってきたところなの。なんだか、メールじゃうまく話が伝わらない気がして、電話したんだけれど」
「いや、声が聞けて嬉しいよ。コンサートは楽しかった?」
「そうね、イタリアで声楽を勉強していたお友達が帰国して、初めてのリサイタルだったの。素敵だったわ。ねえ、陽介さんは今もう九州にいるの?」
「いや、まだ大阪」
一瞬、今日のあれこれを全て打ち明けたくなって、何とかその衝動を抑える。そんなのは自分の苦労を餌にして彼女の憐れみを呼び起こそうという、ずるい考えだ。
「明日、朝イチの飛行機で鹿児島に移動するんだ。犬は、ちょっと預けてて、向こうで引き取る段取りになってる」
「そうなの。でも、奥さんがインフルエンザって、大丈夫?」
「うん、昨日より今朝の方が調子よさそうだったから、明日には落ち着くんじゃないかな。後から飛行機で追いかける、なんて言ってたけど、さすがにそれは無理だ」
「本当にワンちゃんのこと、大切なのね」
「彼女にとってはたぶん、俺より大事なんだろうな」
結局、こういう自虐的な表現で、澪からの慰めを誘い出そうとしてしまう。案の定彼女は「陽介さんの事も同じか、それ以上に大切に決まってるわよ」と、優しい声で言うのだった。そんな他愛ない会話を繰り返す内に、陽介は自分の気持ちがほぐれてきたのを感じながら横になった。
「どうしたの?今ちょっと笑わなかった?」
「いや、ベッドでこうして電話してると、澪さんがすぐ傍に寝てるような気がして。今どこにいるの?」
「私もベッドの上にいるわね。さっきお風呂に入って、髪を乾かして、そうだ、陽介さんに電話しなきゃって思い出したの」
「じゃあ裸で、バスタオル巻いてるだけだったりする?」
「残念ながらそれはないわ。パジャマにカーディガンを羽織ってる」
「それじゃ一枚ずつ脱いでいってほしいな」
我ながら馬鹿なことを言っているとは思うのだけれど、こうしていると自分の中に凝り固まった苛立ちだとか怒りだとか、そういった物が溶け落ちてゆくような気がするのだ。現実から逃げている、というのが正解かもしれないけれど、それをしてはいけない理由もない。
「駄目よ。私は電話でそんな事はしないの」
「じゃあ、会ってだったら構わないってこと?」
沈黙。急に彼女が遠くなったように感じて、陽介は「ごめん。俺、調子にのりすぎたかな」と謝った。
「そうじゃないわ。悪いのは、私の方だから」
澪の声は突然にその温度を下げた。
「陽介さん、この間、私が黙って帰ったのを怒っているでしょう?」
「いや、あれはまあ、気まずいと言えなくはない状況だったし。お互いに家庭もあるわけだしね。ただ、それより俺は」
そこまで言って、陽介はその名を出すべきかどうか迷った。しかし結局のところ、この名前なしに澪と自分の接点は存在しないのだ。
「あの朝、
言おうとした事に比べて、じっさい口にした言葉が随分と無遠慮なものになってしまい、陽介は内心うろたえていた。これではまるで澪を責めているみたいだ。
「それを説明するのは、難しいわ」
ゆっくりと、細い声で澪は答えた。
「でも、私にもわからない、ですませてはいけないわね。陽介さん、この話はかなりややこしいけれど、聞いてくれる?そうすれば少しだけでも、何かが伝わるかもしれない」
ああ、何故このタイミングなんだろう。それでも陽介はビールのせいで少しずつ重くなってきたまぶたをこじ開け、「わかった。話を聞きたい」と言った。
何からどう話をすればいいのかしら。最初は私の事かしらね。だって私がこんな風でなければ、全てはもっと簡単だったと思うから。
私の母は、父と結婚していないの。そう、兄を産んだ人が正妻で、私は愛人の子供という事。でも、兄のお母さんは私が生まれる少し前に亡くなったの。ずっと病気だったらしいわ。そして、私が三歳の時に、母は別な人と結婚して、私は父に引き取られたの。母のことは、ほとんど憶えていないわ。残念だけれど。再婚してからは、旦那さんの仕事の関係でずっと外国らしくて、連絡もないの。
でもまあ、父は仕事や何かで忙しかったから、実際に私を育ててくれたのは
兄とは年が離れているから、そんなに一緒になって遊んだとかいうことはないわね。大人しい人だけれど、何か不満な事があると、急に一週間ぐらい口をきいてくれなかったり、少し気難しいっていうか、芸術家気質なのかしら。そう、兄は大学で絵を勉強していて、父の仕事は継がずに、イタリアに留学して画家になるって決めていたの。でも実現はしなかった。
前に言ったかしら、事故で亡くなったの。車を運転していて、ガードレールを突き破って海に落ちたのよ。対向車も来ていなかったし、ブレーキの痕もないから自殺じゃないかとも言われて。静香おばさまは、仕方ないわ、うちには人魚の呪いがかかっているから、好きに生きようとすればこうなるのよ、って当然のことみたいに言ったわ。
いいえ、だからって、おばさまは別に私や兄のことを束縛していたわけじゃないわ。むしろ、自分が病弱でできなかった事が多いから、私には色んなお稽古事をさせてくれたり、別荘にもよく連れて行ってくれたし。
でも、そうね、確かに私が自分のお友達と出かけたりして帰ってくると、楽しかったのねえ、私は一人で猫ちゃんとお留守番。もうずうっとそうだから、寂しいのにも慣れてるわ、なんて言うのね。そうすると私は何故だかひどく悪い事をしたような気持ちになっちゃって。
兄の話をしていたのよね。ごめんなさい、私どうしても話が脇道にそれてしまって。それで、兄が亡くなって、父はすっかり元気をなくしてしまったわ。やっぱり男の子だし、絵の勉強をするとか言っても、何年かしたら戻ってくれるって期待していたみたいで。私も見ていて辛かった。その頃からうちの事業が急に駄目になっていったのもあって。信頼していた人に騙されたり、色々と悪い事が重なったの。
それである日、父はちょっと用があるからって、普段は運転手さんにお願いするのに、自分で車を運転して出ていったのね。でも、夜になっても帰らなくて。次の日もまた次の日も。結局、警察から連絡があったのが、ひと月ほど後。車ごと海に沈んでいたの。兄が亡くなった所とそう離れてない場所だったわ。たぶん自殺でしょうって言われたけれど、本当のところは判らないわ。
そういう悲しい事が続いたせいかしら、私、中学生の頃ってあんまり記憶がないの。何だか気がついたら小学生から高校生になっていた感じよ。ええ、父が亡くなってから、家の事業は色々と周りの人が支えてくれていたんだけれど、おばさまのところにはけっこう厳しい話が来ていたみたい。
親戚は勿論いるわ。でも、みんな役員として自分の取り分は貰うけれど、面倒な事はお任せしますっていう考えなの。そう、それで私の結婚という話になるのよね。仕事のできる旦那さんに来てもらって、全てお任せするのがベストでしょうって。
事業を譲渡するという選択肢は、なし。私の父に全部相続させてあげたんだから、見返りとしてきちんと報酬は払い続けるべきだ、というのが親戚のみんなの意見よ。
図々しい?よく判らないわ。あまり考えたことがないから。静香おばさまは、お父さんが貴女に遺してくれたものだから、大切にしなくちゃいけないって言ったけれど。
もちろん私も結婚なんて、最初は嫌だった。だってまだ子供気分でいたから。高校生なんてそんなものよね。でもおばさまに諭されると、嫌って言えなくなってしまうの。
何故かしらね、もうずっとずっと小さい頃からそうなの。心の奥で少しでも嫌だって思うと、それがこんどは私を苦しめる棘になるのよ。おばさまはいつでも私を中心に考えてくれているのに、こんな事で嫌だなんて思っちゃいけないって。それで苦しい思いをするくらいなら、何でも言われた通りにする方がずっと楽なの。
それで、そう、結婚したの。私の結婚生活は、この間お話したわよね。夫は頭がよくて仕事もよくできるし、とても真面目で穏やかな人。ただ、同じ感覚で楽しいだとか嬉しいだとか、気持ちのやりとりはできないの。
冗談もよく判らないみたいで、私がテレビやなんかを見て笑うと、今のは何がどういう風に面白かったの?って真剣にきいたりするの。兄は機嫌のいい時と悪い時が極端だったけれど、夫は正反対っていうか、気分の波がほとんどないように思えるわ。
まあ、そうやって早くに結婚したけれど、家事はお手伝いさん任せだし、夫は仕事が趣味みたいな人で家にはほとんどいないし、私は結局それまでとあまり変わらない生活をしてきたわ。高校から大学、それから院に入って。でも、前に言ったように、中退してしまったのよね。
それで私は、宙ぶらりんな感じでしばらく過ごしていたのよ。そうしたら夫がある日突然、君は今、何もする事がないみたいだから、子供を産んではどうかなって言ったの。
まあ、普通の夫婦だったらちょうどいいタイミングよね。でも、私は急に怖くなったの。理由は判らないわ。ただ漠然と怖くて。けれど嫌だとは言えないのも判っていた。夫婦なのにどうして子供を産みたくないのか、夫を相手に議論したって勝ち目なんてないもの。だから私は返事を一週間だけ待ってもらう事にしたわ。
もちろん静香おばさまにも相談した。でも、心配しすぎよって言われたわ。私だって人並みに健康で丈夫だったら、お嫁にいって赤ちゃんをいっぱい産みたかったもの。澪ちゃんにはそれができるんだから、感謝しなくちゃ。猫ちゃんだってね、まだ子猫ぐらいに見える小さな子が、ちゃんと赤ちゃんを産んで育ててるのよ、安心しなさいって。
なのになぜかしら、私は安心するどころかもっと不安で恐ろしくなって、どこにも居場所がないような気持ちになったわ。そして思ったの、どこかへ逃げたいって。
例えばわざと車をぶつけるとかして、怪我をしてしばらく入院することも考えた。でもきっと、治ったらすぐにこの話になってしまう。昼も夜も、私はどうしたら逃げられるかを考えて、考え続けて、そしてもう死ぬしかないっていう結論になったの。
一度だけ、軽く手首を切ってみて、とてもじゃないけれど自分では無理だと思って、それで行き着いたのがネットの自殺サイトよ。夫と約束していた一週間の最後の日が、ちょうどそのグループが実行しようとしていた日だったわ。私はもう、滑り込みみたいにして加わったの。
たった一人で、誰とも判らない人の指示に従って、何度も行く先を変えて、列車を乗り継いで、知らない場所に行く。普通だったらしないような事でも、私にはむしろ自分を救ってくれる唯一の方法みたいに思えて、とにかく迷わず目的地に着けるようにと祈り続けていた。
最後に降りるように指示された駅からはタクシーに乗ったわ。春で、もう桜も散った頃だったけれど、夜の十時を過ぎていて、コートを着ていても寒いくらいだった。駅を少し離れると、あたりはほとんど真っ暗で、寂しい街なの。
教えられた通りの道順を言って、二十分ほど走ったかしら。着いたのは畑とおうちが半々ぐらいの寂しい場所で、古いアパートの一階が私達の集まった部屋よ。そこで窓やドアを閉めきって、練炭を燃やしたまま、睡眠薬を飲むの。
集まったのは五人か六人。他の人はもう着いていて、黙ってうつむいていたわ。中に入ると、みんな一瞬だけ私を見てすぐに目をそらしたけれど、一人だけ、じっと見つめている人がいた。それが亨さんよ。私も何故だか彼から目が離せなくて、もしかしたら前にどこかで会っているかもしれない。だったらどうしよう、って思ったの。でも確かめることもできずに、みんなに加わって薬を飲んだ。
次に気がついたら、知らない場所にいたわ。外で、もう明るくなっていた。後でわかったけれど、そこはアパートから少し離れた、空き家の裏庭だったの。私はアパートに入った時に脱いだはずのコートを着ていて、その上から男物のコートを被っていて、おまけに亨さんの腕に抱かれていたわ。彼は「気分どう?」ってきいたけれど、私は頭が痛くてたまらなかった。それでも何か返事しようと思ったんだけれど、気分が悪くて、何度か吐いたわ。
亨さんは「たぶん薬のせいだ」って、嫌な顔ひとつせずに背中をさすったり、水を飲ませてくれたりしたわ。それで、しばらくしてようやく落ち着いてくると、彼は自分だけ薬を飲まずにいたこと、アパートの窓を開けっ放しにしてきたこと、私だけ連れてきたことを教えてくれた。
でも私はだからといって、死なずによかったとも思えずに、ただぼんやりと彼の言葉を聞くだけだった。亨さんにもそれはすぐに判ったみたいで、「余計なお世話だったかな」って。それからこう言ったわ。
「俺は君には生きていてほしい。でも、どうしても死にたいという理由があるのなら、こうしよう。今ここで、君と俺の命を交換する。これから先、君が自分の命だと思ってるものは俺ので、俺は君の命を預かっておく。俺の命をどう扱おうと君の勝手だけれど、俺は君の命をできる限り大切にする」
突然の提案だったので、私は何も言えずにいた。「頭がおかしいんじゃないかと思われても、仕方ないけどな」って言われてようやく「おかしくないわ。私もそうする」って答えたの。
それから亨さんは東京まで私を送ってくれた。彼は私がどうしてあそこにいたのか、聞こうともしなかったわ。ただ二人で何も話さずに、バスや電車を乗り継いで、並んで座っていたの。でも私はその時生まれて初めてといっていいほど、本当に安心していた。彼は私の名前も聞かなかったけれど、自分の名前と電話番号は教えてくれたわ。「何かあればいつでも連絡して」って。
それで、家に帰った私は夫に「自分で働いてみたいから、子供はまだ産みたくない。だからもう、本当に子供が欲しいという時まで、そういう事もお休みにしたい」って答えたわ。何故だかそんな考えが、亨さんと東京に戻ってくる間に浮かんでいたの。そう、きちんとした理由さえあれば夫は納得してくれるのよ。それに、嘘をついたわけでもなくて、私はそれから、今の仕事を始めたの。
そう、占い師を紹介するサイトのお仕事。でもね、それはあくまで会社の表の顔で、裏の顔は少し変わっているの。いいえ、別に悪いことしているわけじゃないわ。でも利益の出ることでもない、きっと自己満足。自殺サイトの呼びかけを見つけ出して、死にたい人のふりをして近づいて、その計画を失敗させるのが目的なの。つまり私を助けるために、亨さんがしたのと同じ事よ。
どうしてそんな事を思いついたか?自殺をせずに家へ戻ってからずっと、私は亨さんの言った事を考えていたわ。君が自分の命だと思ってるのは俺のだ、っていう言葉。もし仮に私が彼だとしたら、どんな風に生きたいのかしらって。それで、たぶん彼はあの場に私がいなかったとしても、やっぱりああして他の人の命も救っていただろうと思ったの。
そして私は亨さんに連絡をとった。もう夏になっていたかしら。彼はあの後、横浜に移ったとかで、ビジネスホテルのフロントで働いていたわ。それで私は彼に、私の作った会社に入って下さいってお願いしたの。彼はすぐに引き受けてくれて、他のスタッフも見つけてきてくれたわ。そう、ネットに凄く詳しい人とか税理士さんとか。
私はだいたい表の仕事、占いのサイトを担当しているの。こっちで利益を出さないと、裏の仕事が立ち行かないから、かなり真剣に働いているつもり。でも本当に大切なのは裏の仕事ね。初めて陽介さんに会った時も、その事であの街に行っていたのよ。そう、自殺を呼びかけている人がいたの。
でも、そういう人って、全員が本気というわけでもないの。ほんの思いつきだったりね。真剣につきあって、あれこれ振り回されたり、嘘だったり、かと思えば本当に自殺に巻き込まれそうになったり、色々あるわ。
そういう危ない事があると、もう止めようかと思うんだけれど、亨さんは続けようって言ってくれるのね。君が自分の命を使って何をしようと構わないからって。彼が仕事を一つ済ませて戻ってくる度に、まるで深い海の底から、私のために真珠を採ってきてくれたように感じるの。それはとても残酷で、恐ろしい事よね。
そして私は私で、自分が亨さんだったらどうするんだろうって、考えるの。たとえば陽介さんのこと。彼のお友達だから大切にしたかったし。だからあの日、陽介さんが私の事を求めているのなら、それはそれで構わないと思ったの。私でよければ。
違うの、嫌々っていうわけではないの。でも…難しいわね。
亨さんと私のこと?私はたぶんあの人がいないともう、ふつうにものを考えたり、話したり、笑ったりできなくなっていると思うわ。眠ることもそう。
自分で死のうとしたくせに、あの事があってから、私は夜、一人で眠ることができないの。すごく不安になるのよ。でも亨さんと一緒だと、とても落ち着いて、深く眠れるわ。どうしても一緒にいられない時には、ずっと起きていたり、お薬を飲んだり。
そう、夫は自分のペースを乱されるのが嫌いな人だから、最初から寝室は別なの。だから私がこっそり家を抜け出して、明け方に戻るという生活をしていても、彼には問題じゃないのよ。だから、亨さんが仕事でどこかへ行く時にも、できればついて行くの。出張するって言えば、夫は信じてくれるわ。
でも、私達って本当にただ一緒に眠るだけ。私は好きにして構わないと言ったけれど、亨さんは何もしなくて、それが彼の答え。それで十分だと信じていたのに、陽介さんと過ごしたあの夜のせいで、亨さんとの間に欠けているものを思い知らされたわ。その事が今はとても辛いの。
陽介さん、私のことを嫌いになった?軽蔑している?でも私は陽介さんのことが好きよ。貴方の真面目なところだとか、親切なところだとか、奥さんのこと大切にしているところだとか。
眩暈がしたように感じて、陽介は身体を起こした。
窓から斜めに差し込んだ光が機内をスキャンするように流れて行く。着陸のために旋回を始めたらしく、ベルト着用のサインが点灯した。隣に座る青年は相変わらず眠りこけていて、心配事なんて何もないんだろうな、と羨ましくなる。こっちはどこから手を付けていいか判らないほど散らかっているというのに。
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