第16話
この家は気前がいいのか、そうでないのか、いま一つよく判らない。
「まだこれからケーキを食べなきゃならないものね」と、義母にとってはそれなりに考えての量だったらしい。初老ともいえる年代の彼らは十分なのだろうし、紗代子も普段から小食だ。
そういえば高校時代、家に遊びに来た伯母が、陽介と兄の食べっぷりに仰天した事があったが、娘しか育てていない義母には、男子の食欲がどれだけのものか想像できないのかもしれない。それを思うと、この前のすき焼きは破格の大盤振る舞いだったのだと、改めて残念になった。
「群馬に出張で、東京のおみやげ、か」
紗代子は、彼が買ってきたクッキーの箱を開けると、早速つまんでいる。
「だってさ、群馬じゃ仕事ばっかりで、買い物なんかしてる暇なかったんだよ」
「それで帰りに東京で二泊でしょ?いくら雪で足止めくったからって、一泊自腹だなんて勿体ない。
「次はそうする」
「次はちゃんと天気予報チェックして、早目に帰ってくればいいの」
紗代子はそう言い切ると立ち上がり、義母を手伝ってテーブルを片づけ、コーヒーメーカーをセットした。東京からの帰りが一日伸びてしまった事の言い訳を、彼女はどうやら信じているらしい。せっかく一泊したのだから少しうろうろして、夜の新幹線で戻ろうと思っていたら、突然の雪で運休になったので仕方なくもう一泊した、という具合。
「でも本当に、どうして
冷蔵庫から出してきたケーキの箱をテーブルに置き、義母も話に加わってくる。
「いや、どうせ都内での移動も大変だから、近くの空いてるホテルに入った方が確実だと思って。タクシーもバスもすごい行列だったけど、全然動いてないみたいだったし」
「まあ、野宿せずにすんだだけでもよかったわね。陽介ってさ、優柔不断だから、迷ってるうちにホテルの部屋も取り損なう可能性があったわよ」
「紗代子ったら、そんな意地悪を言うもんじゃないわよ。でも陽介さん、ケーキはすぐに選べるわよね。丸いのは切り分けるのが大変だから、普通のを四つ買ったんだけど、どれがいいかしら?」と、義母はケーキの箱を開けると、陽介の方に向けた。
こうやって優先権を与えてもらうと、何だか大事にされているような気分になるのだから、我ながら単純だと思う。
「じゃあ俺、チョコレートの奴」と、選ぶと、紗代子がすかさず「ほらね」と笑った。
「私ぜったいに陽介はこれを選ぶと思ってた。何種類かあるとまずチョコレートで、チョコが何種類かあると必ず生チョコなんだもの」
「あら、男の人ってそんなものじゃない?お父さんは必ずこれだものね」と言いながら、義母はモンブランを皿にのせて義父の前に置いた。
「ケーキなんてどれも似たような味だからな。いちいち名前を覚えるのも、選ぶのも面倒だ」
義父は皆の会話の何が面白いのか、今ひとつ判らないといった顔つきでフォークを手にすると、モンブランを食べ始めた。
「お父さん、いまコーヒー入れるからちょっと待てば?」
紗代子は呆れたように言いながら、コーヒーをカップに注ぎ分けた。それから自分と陽介の二杯目分をセットしてからテーブルにつく。とはいえ、義母も必ずショートケーキだし、毎回違うものを食べているのは紗代子だけだ。
「これね、クリスマス限定なんだって」と、少々自慢げに、クリームの上に所せましと盛りつけられたブルーベリーやラズベリーをフォークですくって口に運ぶ。
「本当に、うちの男の人って遊び心がないっていうか、好奇心が足りないわよね。いつも同じのがいいって、保守派なんだから。人生の楽しみを見過ごしてるようなもんじゃない?」
「何言ってるの。そういう人こそ真面目で、ちゃんと働く人なんだから。ねえお父さん」
せっかくの義母のフォローも耳に入らない様子で、義父は淡々とモンブランを平らげ、入ったばかりのコーヒーをブラックで一気に飲み干すと「風呂に入る」と立ち上がった。食べかけのショートケーキを置いたまま、「お湯、ちゃんと入ってるかしらね」と、その後を追った義母の様子を横目で見ながら、紗代子は少しいたずらっぽい顔で「本当に、タイマーでも内蔵されてるみたい」と笑った。
「マイペースなんだな」と答えながらも、陽介は義父がこれまで何十年もの間、本当に時計仕掛けよろしく職場と家を往復し続けてきたのだろうかと疑問に思った。少なくとも今の自分は、何かがずれ始めていて、それを無理やり戻すべきかどうか、見極めかねている。そう、俺は必ずしもチョコレートケーキばかり選ぶ人間ではないのだ。自分でも知らなかったけれど。
あの日、土曜の午後、
「ねえ、これから俺が帰るまでは、澪さんの行きたいところに行こう。何かやりたい事でもいいし」
「行きたいところ?」
「うん、別にどこだっていいんだ。俺は今日、ただ澪さんに会いかっただけだし、その目標はもう達成できてるわけだから。すごく下らないことでもいいから、何がしたいか言ってみて」
本音を言えば、この後一体どうすればいいのか途方に暮れているのは自分で、実は彼女に主導権を委ねようという、狡いといえば狡い考えでもあった。澪はそれを察しているのかどうか、しばらく黙って歩いていたが、ようやく「怒ったりしない?」と言った。
「しないよ」と答えながら、何かとんでもなく高いものでもねだられるんだろうかと、しけた考えが脳裏をよぎる。
「私なんだかとても眠いの」
「それは退屈してるってことかな」
「違うわ。ただ眠いの。退屈してるわけじゃない」
「じゃあ、家まで送るよ」
「家にはまだ帰らない。よく使うホテルがあるから、そこでしばらく休みたいの」
これは彼女なりに誘っているんだろうか。陽介はしかし、事態をそこまで楽観的にとれず、肩すかしをくった場合も考えて「わかった」とだけ答えてタクシーを拾った。
よく使うホテル、と言われて、まあ大体この位、と人が普通に想像するのはどんな感じだろう。澪の場合それは所謂五ツ星クラスという奴で、しかもかなりの高層階で、晴れた日なら富士山でも拝めるのではないかと言うほどの眺望を誇っていた。
ふらりと立ち寄ってチェックインしただけで、いつものお部屋をご用意いたします、と言われたのには呆気にとられたが、そこがダブルルームだったので更に驚いた。
「私、広いベッドが好きなの」と言いながら、澪はソファの上にバッグを落とし、コートを脱ぎ捨て、ブーツも分厚い絨毯の上に転がすと、ニットとスカートのままでベッドに入った。陽介はただ茫然と見守るしかない。
彼女はここに向かうタクシーの中からほとんどしゃべらなかったけれど、その様子は本当に眠そうで、枕に頭を預けるとようやくこちらを見上げ、「眠ってる間、私のこと一人にしないでね。もし帰りたくなったら、起こしてくれていいから」と言った。
「いや、ずっとここにいるよ。大丈夫」と言ってはみたものの、そのまま目を閉じて本当に寝息を立て始めた澪を見ていると、一体どれくらい眠るつもりなんだろうと不安になってきた。まあ、「しばらく休む」と言ったんだから、それなりの時間だろうけれど。
とりあえず、コートを拾い上げてクローゼットのハンガーにかけ、ブーツを揃えてベッドの脇に置き、バッグをライティングビューローの上にのせると、陽介は部屋を一周してみた。
ダブルベッドを置いても狭く感じないだけの余裕がある広さで、角部屋なせいか台形に近い形をしている。バスルームも広く、アメニティも何やら充実していて、これを利用せずに帰るのもなんだか勿体ないなと思いながら、陽介は部屋に戻り、窓際に立った。
タクシーで移動している頃から急に空が暗くなっていたが、また雪が降り始めている。朝方とは違ってこんどは湿った感じのぼたん雪で、しばらく見ている間にもどんどん降り積もっているのが判った。それに合わせるように外は暗さを増し、街のあちこちに散在していた明かりは徐々につながり合って、夜景へと移り変わっていった。
外がすっかり暗くなり、夕闇が部屋を満たしても澪はまだ眠り続けていた。陽介は何度か彼女の傍に立ち、その寝息がかかる程に顔を寄せてみたが、彼女は本当に深く眠っているようだった。雪は一向に止む気配を見せず、まるで彼女が眠るというその行為じたいが、雪を降らせ続けているような気がしてきた。
陽介は窓際にあるフロアスタンドだけを点け、音声を字幕表示にして、テレビを見ることにした。ベッドサイドに置かれた小さな加湿器だけが、時折ささやくような音をたてている。バラエティの再放送だとか、アニメだとか、ゴルフだとか。土曜の夕方なんて全国どこでもやっている番組の並びは大して変わらない。グルメの旅番組をしばらく見ていたが、やがてそれも終わり、ニュースが始まった。その時になってようやく、この雪のせいで今夜自分が乗る筈の新幹線は動かないらしいという事に気づいた。
「あら、ペクちゃん起きてきたの」
戻ってきた義母の声に振り向くと、ちょうどペクがケージから出てきたところだった。
余命数ヶ月、と宣告を受けている割に元気そうに見えるというか、紗代子が熱心に世話をしているせいか、明らかに痩せたというわけでもなく、毛並も十分艶がある。しいて言えば動きが前より緩慢になっただろうか。家族が食事をしている時はケージに入っているようにしつけられているが、義父が席を立てば食事は終了と思っているらしい。
「やっぱりみんなの仲間入りしたいのよね」
紗代子は席を立つと、ペクを抱き上げて戻り、自分と陽介の間に座らせた。
「調子よさそうだな」と、背中を撫でてやると、ペクはいつもと変わらぬ様子でお愛想程度に尻尾を振り、ちらりとこちらを見上げると、あとは無視を決め込んでくる。
こういうところがこの犬の可愛げのなさだ。せめてもう少し自分になついてくれたら、もっと親身になって病状を気遣えそうなものなのに、初めてこの家を訪れた時からずっと、ペクは自分を見下したままだ。おまけにそれが、この家の人間にとってはかなり滑稽に映っている事も腹立たしい。
「今日はクリスマスだからね、特別に食べさせてあげる」
そう言って紗代子は、自分の皿に残っているケーキからクリームを指ですくい取ると、愛犬の鼻面に差し出した。ペクは突然のご馳走を大慌てで舐めまくる。本当に犬の舌というのは薄っぺらくて器用に動くもんだ、と感心しながら陽介はその様子を眺めていた。
「紗代子、ちゃんと手を洗ってね」と、義母がやんわり釘をさすが、彼女は「判ってるわよ」と、気にもしない。そういえば義姉の有希子によると、義母は本当のところ犬なんて大して好きではないらしい。たぶん紗代子のために我慢して飼い始めたのだろう。
紗代子が陽介と結婚して家を出てからは、義父が健康のために散歩を担当し、餌も与えているらしいが、だからといって彼もそんなにペクを手放しで可愛がっているという風情ではなく、ただ自分の責任だから、という淡々とした態度で、そんなところは陽介の祖父と飼い犬の関係に似ていた。
「このごろはペクの具合、どうなの?」
「まあ小康状態ってとこかな。ネットで調べたら、このくらい進んでても手術や先端医療で治せるってケースもあるみたいで、セカンドオピニオンを考えてるんだけど」
「セカンドオピニオン?獣医さんの?」
ペクは人間じゃないぞ、と言いたかったが、それは何とかこらえた。
「そう。かなり有名なドクターらしくて、余命宣告されたりしたワンコを連れた人が全国から来るらしいわ。だから予約もかなり厳しいらしいけど、事情を話したらわりと早く診てくれるって」
「へええ」
「ただね、その動物病院、鹿児島なのよ。
「砂風呂温泉で有名なとこ?」
「そうそう、先端医療や手術とかだけじゃなくて、漢方とか鍼とか、あとその砂風呂とかも組み合わせてるんだって」
実際に指宿の砂風呂に入ったことのある会社の同僚が、けっこう熱いし、砂の重さが半端なくてすぐ汗だくになると言っていたのを思い出すが、犬は汗が出ないから暑さに弱いんじゃなかったっけ。しかしそんな突っ込みをできるわけがない。
「やっぱり温泉って人間だけじゃなくて、動物にも効くんだな」
「あら、どこの温泉だったかしらね、コウノトリが入ってるのを見て人間も真似するようになっただとか言うじゃない」と、義母も再び腰を下ろし、ショートケーキの続きを食べながら話に加わった。
「露天風呂に入ってるサルの写真とかありますよね。あれ東北だっけ」
陽介はさりげなく、話題を「動物病院」から「動物に関わりのある温泉」、更に「温泉一般」へとシフトさせようとしたが、どうやら義母もその心づもりらしかった。
「青森とか、あっちの方かしらね。でもお猿のいる露天風呂なんて怖くて嫌だわ。私ね、温泉だったら濁り湯が好きなのよ。一昨年お父さんに連れて行ってもらったんだけれど、もう遠くて遠くて、雪の中で遭難しちゃうかと思ったわよ。秋田のほら、何て言ったかしら」
「あの辺は温泉いっぱいあるからなあ」
いつの間にか話の輪から抜けて、紗代子は明らかに憮然とした表情でペクの背中を撫でていたが、やがて立ち上がり、流しで手を洗ってから陽介に「コーヒーもう一杯飲む?」と尋ねた。
澪が目を覚ましたのは、陽介が新幹線に乗ることを諦めて、ソファに横になったまま少しうとうとした頃だった。「いま、何時?」と聞かれてあわてて起き上がり、六時半を少し回ったとこ、と答えると、彼女は「ああそう、もっと遅いのかと思った」と安堵のこもった声で呟いて身体を起こした。
薄暗がりで話をしているのも何だか妙な感じがして、「部屋、明るくする?」と陽介が尋ねると、「お願い」と返事をして、彼女は寝乱れた髪を指先で梳くと肩ごしに流した。
ホテルというところはランクが上にいくほど部屋の照明が暗くなるような印象があるが、この部屋もベッドサイドのスタンドだとか、エントランスのダウンライトだとか、あちこちつけてみたところで、全体がほんのり明るくなったという程度で、昨夜泊まったビジネスホテルの白々とした感じとは大違いだ。
「ずっといてくれたの?」
「うん」
「退屈だったでしょ?」
「いや、テレビ見たりして、のんびりしてた」と、陽介はリモコンでテレビのスイッチを切った。それを見て、澪は笑みを浮かべる。
「ふだんお仕事が忙しくて、のんびりしてないから?」
「それもあるし、俺は今日、ただ澪さんに会いたかっただけだから、十分だと思って」
陽介は何だかやるせない気分で、再びソファに横になると、頭の後ろに両腕を組んで天井を見上げた。寝起きの彼女に正面から視線を向けるのも不躾なのでそうしたのだが、自分が本当のところ何を言いたいのか、どうにかして答えを見つけたかった。
澪は毛布とリネンが作った波の中から抜け出すと、ベッドの反対側から降りてバッグを手にとり、バスルームに姿を消した。高い天井に部屋の照明が映し出す不思議な模様を見つめながら、陽介はたぶん今、鏡を覗き込んでいるであろう彼女が何を考えているのか思いを廻らせた。
この後どうやってこの男を追い払うか、それとも、どうすればこの煮え切らない男に次の行動へ移らせる事ができるか、或いは、夫に対して帰りが遅くなった事をどう言い訳するか。
「ねえ、そんなところで寝てると首が痛くなるわよ。こっちで横になれば?」
いつの間にか澪は戻って来て、陽介が寝そべるソファの近くに立っていた。
「いや、別にそうくたびれてるわけでもないし」
「いいじゃない。くたびれていなくても」と、彼女は陽介の肘をつかむと引き起こそうとした。仕方ないので起き上がり、ベッドに腰を下ろすと靴を脱いで横になってみた。さっきまでそこにいた澪の体温と、香水の残り香にそっと身体を添わせてゆくと、どうしても彼女を抱き寄せたいという気持ちになる。
「このベッド、寝心地いいでしょ?」と、彼女は弾むように腰を下ろし、陽介が揃えておいたブーツに手を伸ばした。その動作に一気に心が冷え込むのを感じながら、陽介は「もう帰る?」と低い声できいた。
「帰りはしないけど、ここからは出ましょうか。陽介さんそろそろお腹すいたんじゃない?」
「空腹と言えなくはないけど、それより、外を見てごらんよ」
「外?どうして?」と、澪はブーツをはかず、ストッキングのままで窓に近づくとカーテンをかき分けた。
「まあ、これどうしちゃったの?」
「まだ降ってる?」
「吹雪みたいになってるけど、いつの間に?」
「ちょうど澪さんが昼寝を始めたころから、ずっと。かなり積もってるらしいよ。だからさ、俺が乗るつもりだった新幹線も動かないんだ」
「そうなの?私のせいで帰れなくなっちゃったって事よね。ごめんなさい」
澪はそう言って向き直ると、後ろ手にカーテンを降ろして戻り、ソファに腰をおろした。
「澪さんが謝ることじゃないよ。それに今日はまだ土曜だし、明日帰ればいいだけの話だ」
「だったらここに泊まっていけばいいわ。部屋代は私が払うから気にしないで」と、澪は立ち上がってフロントに電話を入れようとした。
「でも澪さんは?なんかあちこち渋滞してるみたいだけど、誰かに迎えに来てもらう?」そう言われて初めて、澪は自分の事に考えが及んだらしかった。
「それはつまり、車じゃ移動できないってこと?」
「さっきのニュースでは首都高もすっかり流れが止まってたよ」と、自分が嘘をついているのではない事を証明するため、陽介は起き上がるとリモコンに手を伸ばし、テレビのスイッチを入れた。ちょうど七時のニュースが、どこかのバスターミナルで長蛇の列をなす人々を映し出している。
「まあ多分、時間をかければ少しずつでも動けるんだろうけど。澪さんが帰るなら送っていくよ」
澪はとんでもない、という風に陽介の言葉を遮った。
「それは必要ないわ。だったら、私もここに泊まるから」
紗代子はハンドルを切ると「さっきの話ね、私けっこう本気なの」と言った。
「ええと、どの話だっけ」
「セカンドオピニオン」
「あの、指宿の動物病院って奴?」
「そう」という短い一言の中に、もう、ちゃんと人の話聞いてよね、という苛立ちが含まれている。
「でも、予約とれないんだろう?」
「だからチャレンジしてみるのよ」
「無理じゃないかな」
「陽介ってさ」と、紗代子は言葉を切り、横断歩道を渡る自転車をやり過ごしてから車を左折させた。
「ペクのこと、所詮ただの犬だと思ってるでしょ」
「とんでもない、紗代子には家族同然の大事な犬だ」
「でももし私達に子供がいて、同じ状況だったとしたら、そんな風に否定的な事は絶対に言わないでしょ?何が何でも助けようって思うはずよ」
「それは」と、陽介は答えに窮した。しまった、最初から間違えた。もう随分と自分なりに訓練したつもりなのに、紗代子の意見にとりあえず共感を示す、という事をついつい忘れて、現実的な見解を述べてしまう。彼女に言わせると、それは非常に冷淡な態度であるらしい。でも正直言って、犬と我が子を比べることじたい無理ではないだろうか。
それから紗代子は何も言わず、陽介も下手な言い訳はしないで車が神崎橋を渡るのを待った。家に帰って一人になって、そうしたら面倒な事は忘れて気楽に過ごすのだ。しかしいざマンションの前に着くと、紗代子は「駐車場に車入れるから、玄関のとこで待ってて」と言った。
「どうしたの?何かいる物があるなら取ってくるけど」
「今日はこっちに泊まるわ」
それってクリスマスだから?とは、聞けそうで聞けない。何がおかしいの?私達結婚してるんじゃなかったっけ。などと冷静な声で言い返されそうだから。彼女の戻りを待ちながら、陽介はまるで痛みを紛らわすように、あれから澪と過ごした時間の事を思い出していだ。
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