懐古その一。
「ねぇ、昨日駅前のウメダいたでしょ」
高校に入って2日目、高校生として初めての授業を数コマこなしての昼休み。茶色がかったサイドテールを揺らし、その人物は真緒の机の前に彼を見下ろすようにして立っていた。ウメダ、とは全国チェーンのウメダ楽器である。全国のネットワークを活かし取り寄せや通販も行っており、品ぞろえも豊富であることから利用者は非常に多い。真緒は切れた4弦を補充するために、確かに昨日の学校帰りに寄っていた。
しかし、本来制服のまま、それも新入生がそう言った店に寄るのは褒められたことでは無い。彼女の緩んだ口元から、真緒の頭に不安が過ぎる。
「……確かに、いたけど。それが?」
あくまで、気丈に振る舞う。弱気な所を見せたら相手はつけあがるだけだ、こういう時は寧ろ何か悪い事でも?と傲慢なくらいで丁度良い――そう何かの本か漫画で見た。気がする。彼女はやっぱり、と前置くと目をこれでもかとばかりに輝かせる。どうやら告げ口したい訳では無いらしい。
「あたしとバンドやろうよ、バンド!」
――は?
ぽかんとする真緒を他所に、彼女はその手を両手で確りと掴む。慣れない体温と柔らかさに、思わず視線がそこへ向いてしまう。こういう女子が、きっと年頃の男子を勘違いさせて戦地――死地に誘うのだ。間違い無い。
昨日の自己紹介でも天真爛漫、という言葉がぴったりの明るい雰囲気でギター云々言っていた。まさかバンドを組もうと言うほどにやっているとは思っていなかったし、元々人付き合いがそれほど得意でない彼にとって、ましてや女子と共通点があったからと話しかけるような気概は無かった。
「あたしね、高校生になったら高校生だけでバンド組みたいなって思ってたの。そしたら昨日の自己紹介聞いて…同じクラスだし、誘うしか無いって思ったの。でもそそくさと帰っちゃったから尾けちゃった。どう?」
彼女の表情が非常に眩しい。直視すれば逆に毒されてしまうのでは無いだろうか。しかし今の彼女の言葉に、真緒は違和感を覚えた。
「高校生だけの…ってことは今までバンド、組んでたの?」
「うん、でも同年代の人はいなかったかな。一番年近くて大学生のお姉さんだったし。その人が就職で、社会人のお兄さんが転勤ってなったから解散したんだけど」
大人に混じって、中学生がバンドを組んでいた?
彼女の言葉を、真緒は疑わざるを得なかった。いったいどれほどの腕なら、そういう機会があると言うのか。真緒自身、ギターに触れたのは小学5年の時だ。
決して技術で劣る訳では無いものの、周りに比べて一際身長が低かったためか学年でのチームでも中々使ってもらえず、入っていたサッカーのクラブを辞めた。父親も彼の悩みを理解していたのか辞めたことについては特に何も言わず、それどころか代わりに取り組めるものをと、家を建てるときに趣味で配置させた防音の部屋に真緒が入ることを許した。彼はギターという楽器に憑かれたかの様に一心に取り組み、めきめきと上達した。身長の割に指が長く手も大きいことも幸いして、できないコードがあるからと挫折することも無く。中学に上がる頃には父親のバンド仲間とセッションしたことがある。だが、バンドを組んだことは無い。
「……君の腕前、見せてくれたら。それで僕が凄いと思ったらね」
正直、大人とバンドを組めていたのも女の子だから、可愛がられた結果なのだろうと真緒は思った。自分と同年代で自分より上手い者などいる筈が無いと。直ぐに首肯した彼女は、相変わらず満面の笑みを浮かべていた。真緒のバンド入りを賭けたその週の土曜日、ウメダ楽器のスタジオにきっかり時間通りに彼女は現れた。そして、彼女が演奏を始めて1分もしない内に。真緒は早々と心の中で負けを認めた。
心が震えるとは、こういうことなのだと真緒は思った。今まで聴いてきたどの演奏とも違う、桁違いの情熱をひたすらぶつけてエネルギーにしているかのような。特に目を見張ったのはカッティングが生える音作りの上手さと、チョーキングの正確さ。しかも彼女は、手を握られたときにそこまで気にならなかったが――手が小さく指も短いのだ。目一杯、その短い指を開いて演奏している。自分より明らかに上手い同年代の人間を目の当たりにしたにも関わらず、意外にも嫉妬という感情は少しも起こらなかった。ただただその卓越した技術と演奏する姿に見惚れた。
真緒は、ギターをおいて此方を見やる彼女と正対し、そして頷いた。
「…やるよ、バンド」
御堂真緒が、新堂英美里(しんどう えみり)と関わって4日目の事だった。
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