第5話 獣老人捕獲隊、始動
「よし、第1ポイントは、俺と大貫、第2ポイントは西川と有原、第3ポイントは栗山と大谷を配置。総員配置につけ」
「了解」
彼等は獣老捕獲隊。吉村総司令の意向を受け設立。隊の指揮を執るのは、中田翔馬(なかた しょうま)隊長、34歳。埼玉県警出身。あの、最初の獣老を射殺した男だ。彼は、過去のトラウマを乗り越え、獣老捕獲の最前線に復帰していた。
最初に栗山から隊長就任への要請があったときには、さすがに戸惑いを隠せなかった。
「何故、この俺が?」
無理もない疑問であろう。思わずその言葉が先に出た。
「あなたは何の躊躇いも無く最初の獣人に対し引き金を引いた。その判断能力を買って隊長として隊員達を守ってもらいたいの。それが、私があなたを選んだ理由」
栗山のストレートな発言に中田はイラッときた。
「自分の身を守っただけだ。それに、自分がやらなければ周りの客達の安全を確保できなかった。ただ、それだけの理由だ」
それに対し、栗山は努めて冷静に受け答えする。
「あなたのその判断が正解なの。確かにあの時は、相当なバッシングがあったけれど、その後の獣老の出現を経て、あなたの取った行動が再評価された。あなた自身では気が付いていないかもしれないけれど、私達のあなたに対する評価は十二分に高いの。今だって、任務に復帰してからも数多くの獣老と対峙し、その都度、適切な対応を取っている。過去に引きずられないメンタル面の強さ。それもあなたの魅力なの。更に柔道四段、空手三段、剣道二段、埼玉県警きっての猛者。その高い戦闘能力もこの任務においては十分に魅力的。ここまで言っても分かってもらえないかしら?」
中田は半信半疑だった。あの事件の後から、自分の評価など気にしたことなど無い。過去は過去、今を精一杯全うするのだ。そう言い聞かせながら日々、自分自身と向き合ってきた。それは単に忌まわしき過去の記憶を忘れんがためであった。人を殺してしまったという忌まわしき過去の記憶を遠ざけるために、自分自身の誇りを取り戻さんがために自然と行ってきた事だ。しかし、その姿勢をここまで高く評価してくれる人がいたなんて思いも寄らなかったのだ。
「獣老から人々の身を守ることは自分にとって今、一番大事な任務だと認識はしている。しかし、獣老捕獲のための精鋭部隊を率いる器が自分にあるのかは正直、判断に苦しむ。何故、俺なんだ」
また最初の疑問に戻ってしまう。
「別に隊を率いることに構えてもらわなくて結構。隊員達は皆、一人前の兵士。黙っていても仕事はこなす。怒鳴り散らす上官がいても、かえって迷惑なだけ。私達には引き金を引ける人が必要なの。的確なタイミングで躊躇無く引き金を引ける人が」
「引き金か」さっきから嫌な言葉を人の気も考えないでぶつけてくる。余りにも気配りに欠ける。確かにこの女は将になる器では無いな。そこまでは中田も納得した。そして、多分この女自身も将になる器で無いことを自覚しているのであろう。その自分に不足している部分を俺に補って欲しいと頼ってきているのか?
黙って考え込む中田に対し栗山が駄目押しの言葉を投げかける。
「何をためらっているの? あなたが本当に男ならやるべきでしょう。女、子供を守るのが男の努め。さあ、覚悟を決めなさい」
思いもよらぬ言葉に中田は驚いた。男女平等の権化の様な女性警視様から「男なら」などと言う言葉が飛び出してくるとは予想していなかったからだ。しかし、逆にその言葉が中田の心の奥に眠っていた闘魂に火を付けた。自分にも守るべき妻子が居る。そして世の中にも守らねばならない女性や子供が大勢居る。守らなければ。自分が先頭に立ち、獣老から守らなければ。
「分かった。何処まで力になれるか正直良く分からないが、あんたの熱意に負けたよ。この俺があんたの上官でも良いならば引き受けよう」
その言葉に栗山は、してやったりとほくそ笑む。これで駒は揃った。後は行動に移すのみだと。自分が思い描いていた理想のチームが紆余曲折を経ながら出来上がったのだ。早速、始動開始だ。
そうして始まったのが今回の作戦である。中田隊長が率いる獣人捕獲隊の初陣だ。栗山は副隊長として絶対に成功させねばならないとの強いプレッシャーを感じながらも、必ず成功するとの抑えきれない高揚感を同時に抱えながら今回の任務に当たっていた。
彼女がウルフ・ハンターを使ってはじき出した獣老の出現率は、第1ポイントが35パーセント、第2ポイントが21パーセント、第3ポイントが17パーセント、合計で73パーセントである。
更に彼女は獣老の発生確率を上げるべく他の手段も既に講じていた。第4ポイント以下、獣老が発生する確率が高い地点には、多くの警邏中の警察官を配備しておいたのだ。これで他のポイントでは獣老が警戒感を持つ様になる。必然的に警備の手薄な第1ポイントから第3ポイントに発生する確率が集中するのだ。
そして今、第1ポイント。赤いピンヒールを履きモデルのように悠然と歩いている大貫陽の背後に怪しい人影が迫る。早速、罠に嵌まり込んでくれた様だ。颯爽となびかせている艶やかなその栗毛色の長髪に魅せられて、男は近付いてくる。まるで毛針に吸い寄せられる川魚の様に、男はその髪に掴みかかろうとする。
一閃、赤いピンヒールが大貫の頭上に舞う。獣老が突然の事に目を奪われる。
獣老が目をそらせたその瞬間を縫って、大貫の髪が左右にふわりと広がる。そして広がった髪の中心より強烈な足刀が蹴り出される。髪が丁度ブラインドの役目をしたため、足刀が見えた時には獣老はかわす事すら出来なかった。強烈なカウンターキックが突き刺さり、獣老の体は後ろに大きく跳ね飛ばされる。この細身の何処にこれ程強力なエネルギーが宿されているのであろうか。
一般に格闘においては、長髪は不利に働く。髪を捕まれてしまうと動きの自由が奪われるからだ。しかし、大貫の場合、このセオリーには当てはまらない様だ。逆に自慢の長髪を武器に利用して戦っている。
大の字に倒れた獣老だが、この一撃で仕留められるほど柔ではない。ゆっくりと起き上がると、今度は慎重に大貫との間合いを詰めてくる。この獣老も自慢の筋肉を身にまとっている。先ほどは不意打ちを食らい倒されたが、相手は華奢な女性だ。組み付いてしまえば、力業で難なく制圧出来る。きっとそう思ったに違いない。ここで獣老に逃げるという選択肢は全く無かった。
距離が一定以内に縮まった所で獣老が再び大貫目掛けて飛びかかる。今度は、しっかりとその姿を正面から目に捉えている。もう長い髪に幻惑される心配は無用だ。
しかし、大貫の動きはその上をゆく。自らも獣老に向かって高く真上に飛び上がると、両手で獣老の頭を抑え、顎に強烈な飛び膝蹴りを突き刺す。両手で頭を押さえつけたのは、膝蹴りのパワーを余す所なく全て頭蓋骨の中に封じ込めるためである。
さしもの獣老も前後不覚なほどよろめく。しかしダウンはしない。相当にタフな奴だ。
大貫は獣老のふらついたタイミングを利用し、得意の一本背負いに持ち込む。大貫の体が高く上に跳ねる。しかし、この獣老は相当にしぶとい。投げられまいと懸命に体をひねる。その為、地面への着弾部分が肩となり失神させるまでには至らなかった。
大貫は掴んだその腕を引っ張り上げると寝技に持ち込む。腕ひしぎ逆十字固めだ。大貫は仰向けに寝転がりながら両腕で獣老の腕をへし折りにかかる。普通の格闘技ならば、ここで勝負ありだ。タップをしてギブアップの意思表示をする場面だ。それ程、完璧にこの関節技は決まっていた。
「悪いが、腕一本貰っとくで。堪忍な」
大貫が渾身の力で獣老の関節を絞り上げる。ミシミシと関節が破壊される音が軋む。
しかし、この獣老は相当にタフであった。腕がへし折られる事などお構いなく、右腕に大貫をぶら下げたままでゆっくりと立ち上がる。そして、雄叫びを上げながら大きく体を揺らせると大貫ごと電信柱に向かって右腕を叩き付けようとする。
「離れろ、大貫! 離れるんだ!」
駆けつけた中田が叫ぶ。このままでは大貫の頭が電柱に叩き付けられてしまう。技が綺麗に決まりすぎている分、離れるのが容易ではない事が中田には分かっていた。最低限の受け身を取らなければ、致命傷を負いかねない状況に中田は緊迫して声を上げたのだ。
その時であった。ボキンと言う大きな音が響いたかと思うと、獣老の右腕はだらりと真下に垂れ下がってしまった。獣老の右肩の関節が脱臼し、腕が外れたのだ。垂れ下がった右腕から、静かに大貫は身を降ろした。
「ギヤーッ」
獣老が苦悶の声を張り上げる。
それに向かって中田が竹刀で獣老に力強い突きを打ち込む。獣老の体に激しい電撃が流れる。そしてそのまま静かに地面へと沈む。
中田が獣老に手錠、足錠をかけながら大貫に声をかける。
「怪我はないか?」
大貫は、ノー・プロブレムの表情をおどけて見せた。
「隊長さん、ええもん持ってるのう。何やこの竹刀。スタンガンが仕込まれているのか。ちょっと貸してえや」
そういうと、竹刀を取り上げ、獣老に突きを食らわせる。
「ガーッ!」
「ほう、こりゃ面白いのう」
「こら、大貫、獣老の身柄は確保済みなんだ。無用な苦痛を与えるな」
「けちい事言うな。うちもこれ欲しいわ」
「囮が竹刀を持って歩いていたら怪しまれるだろう。早く返せって、おい、こっちに竹刀を向けるな」
そうこうしている間に、他の4名の隊員達も集まってきた。
栗山が付近に仕掛けてあったカメラの一連の画像を確認する。
「今回の一番手柄は陽ちゃんね。今後もこの調子でお願いね」
「おおきに、姉さん。ところで、うちにも何か武器をくれんのか? 隊長ばっかずっこいわ」
「今、手配している所よ。もう暫く待ってくれるかしら」
初めての作戦の成功に隊員達は大いに沸いた。これが自信につながり、今後の作戦の士気も上がることであろう。しかし、中田は素直に喜べなかった。
「大貫、後で話がある。一段落付いたら、俺の所に来てくれ」
「何や話って?」
中田は何も言わずに静かにその場から離れた。
「はあ? 組技禁止ってどう言う事やねん」
大貫は怒った口調で中田に文句を言った。しかし中田は子供を諭すかの様に、ゆっくりと力強い口調で説明する。
「さっきは獣老の肩が脱臼したから大事に至らなかったが、一歩間違えたらお前は死んでいたかも知れないんだ。隊員の安全を守るのが俺の仕事だ。これは命令だ。組技は絶対に禁止だ」
しかし大貫は大いに納得がいかなかった。
「隊長さん、脱臼したから大事に至らなかった言うたけど、脱臼したんじゃなくて、うちがさせたんや。肩の関節は可動方向と逆抜きに思い切り捻りゃ抜けるんや。要らん心配せんといてや」
「駄目だ。もし脱臼しなかったら大事に至っていた。確実に安全を確保する方法しか俺は認めない。一か八かの様な行動は慎め」
大貫は大いに不満だったが自分の行動が見透かされていた事に対し、中田に一目を置いた。確かに、肩を脱臼させたのは賭けに近いものが有ったからだ。「こいつ良う分かっとるやん。伊達に隊長やっている訳やなさそうやな」
渋々大貫は答える。
「はいはい、今度からは絞め技で確実に獣老を落としたるさかい」
「絞め技も駄目だ。とにかく獣老に体を密着させるな。お前は未だ獣老の本当の恐ろしさを知らない。同じ人間だと思っていたら痛い目に遭うぞ。奴等は化け物だ。これまでの常識が通用すると思うな。自分の身の安全を、――――」
「あんなあ、隊長さん。この仕事に安全なんかありゃせんわ。そんな事言うとったら仕事にならへん。ある程度の危険は覚悟の上や」
「大貫、お前の代わりは他に居ないんだ。我々は簡単にお前を失う訳にはいかない。この先、もっと多くの獣老を捕獲する事が我々の使命なんだ。プロならより確実な方法で仕留めろ。良いか、これは命令だ。お前の身の安全を守る事は最重要課題なんだ」
大貫は自分の身を真剣に案じてくれる事に対し不満はなかった。それどころか、何か照れくさい気がした。自分の事を掛け買いのない存在だと認めてくれているのだ。悪い気はしなかったが、所詮、仕事の上での話だ。「しゃあないか」大貫は、ここは素直に認める事にした。
「うちの代わりが見つかるまでは、少し大人しゅうしたるわ。だがな隊長さん、うちはこの仕事を引き受けた時から危険は覚悟しとるんや。安全第一では仕事にならへん。その辺は分かってや」
「分かった。そこの判断はお前を信用しよう。しかし、この仕事はチームプレーなんだ。お前も俺の事をもっと信用して欲しい」
「分かった、分かった、隊長さん。頼りにしているさかい、うちの事しっかり守ってや」
中田は、この件については、これ以上言う事を止めた。お互いに信頼関係が築けなければ、この先上手くいく事はないからだ。そしてその信頼関係は、これから仕事をこなしてゆく事でしか強くする事は出来無いであろう。未だ未だ始まったばかりだ。本当に頼りになる隊長だと認めて貰える日が来るまで頑張るしか有るまい。そう心に決めた中田であった。
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