第4話 獣老人を捕獲せよ

西暦2025年3月9日、東京都内某所。

有原こころ(ありはら こころ)巡査は、一人で誰もいない住宅街を歩いていた。彼女は婦人警官だが、制服は着用していない。小柄でショートヘア、童顔の有原は知らない人が見ると普通に女子高校生と見間違う事であろう。それ程、あどけなさが抜けていない出で立ちで、何とも心許ない様子で指示通りに歩いていた。

彼女の胸の内は不安で押し潰されそうであったが、職務のためとの強い責任感でそれを打ち消していた。今、彼女が歩いている場所こそ、次に、最も獣老が現れる可能性が高い通りなのだ。そして彼女の役目は獣老に対する囮なのだ。警官としてのキャリアは未だ短いが、この重役を仰せつかったのだ。

「ここちゃん、何かあったら、すぐに知らせてね。くれぐれも無理はしないで」

ヘッドセットのイヤホン越しに、栗山凜(くりやま りん)警視の声が伝わる。

「はい、分かっています。トトもついていますし、大丈夫です」

有原は、仲間達との連携を確認できたことにより、若干の安堵感を得ることができた。

今回の任務は、警察庁をあげての特殊作戦だ。

指揮を執る栗山警視は、今回作戦の立案者だ。彼女も婦人警官だが、若干32才の若さで警視の役職に就いていると言う事は、いわゆるキャリア組である。名前が凜と言う事もあるが、凜としたたたずまいを持ち、ショートボブのヘアスタイルが良く似合う美女と言っても過言ではないだろう。周りは彼女の事をクール・ビューティーと呼んでいる。

彼女は犯罪心理学のスペシャリストで、警察大学の教壇に立つ事もあるエリートだ。彼女は自分が中心となって獣老の発生地点を予測する人工知能「ウルフ・ハンター」を開発した。今日は、そのウルフ・ハンターを使った実地訓練である。

今回、この場所の選定も、ウルフ・ハンターの予測結果に基づいたものだ。囮役の有原を囲んで、10人以上の警官が現場で待機している。ただし、獣老は、警察の気配に敏感だ。有原とはある程度、距離を取ったところで待機しているため、有原は決して安全といえる状況ではなかった。


有原が注意深く歩いていると、物陰から、一人の男が姿を現した。おどろおどろしいオーラを身に纏っている。有原の目が男を凝視する。

「ターゲットと思われる男と遭遇。至急、応援をお願いします」

有原は、多少うわずった声で、仲間に伝える。

次の瞬間、男が一気に間合いを詰め、有原のみぞおちを目がけ、強烈なパンチを繰り出す。この男、獣老に間違いなし。寸での所で身をかわしたため、直撃は避けたが、体がややしびれる程度のダメージを受ける。しかし彼女は、怯まない。素早い身のこなしで、両手に隠し持っていた、小型のスタンガンと催涙スプレーを獣老に向ける。

だが、獣老は、そんなことは計算尽くとばかりに、高速空手チョップで両方共、叩き落とす。

「痛っ、――――」

有原の両手がしびれる。「やっぱり通用しなかったか」心の中で彼女がつぶやくと、瞬時にバックステップして獣老と距離を取る。

獣老は、勝ち誇った顔をして、有原との距離を縮める。しかし、有原は簡単に捕まらない。そのあどけなさからは予想の出来ないスピードと巧みなフットワークで獣老との間合いを取り続ける。

その時、

「ワオン、ワオン」

獣老の背後より、シェパード犬が走ってくる。

「トト、気を付けて!」

有原が叫ぶ。

有原は警察犬訓練士であった。コンビを組んでいるトト号とは、一心同体の関係だ。

獣老のすねにトトが噛みつく。苦痛に顔をゆがめた獣老が、トトを振り払おうと、塀を目がけて、噛みつかれた足を振り抜く。しかし、トトは、壁に当たる寸前で、口を離し、四本の足で壁への衝撃を吸収する。すかさずトトは、獣老に飛びかかる。

獣老も素早い身のこなしで、トトの攻撃をかわす。両者の鋭いにらみ合いが続く。

有原は、手放したスタンガンを拾い上げると、トトと挟み撃ちする位置へと移動する。

「トトさえ来てくれたら、もう怖いものは無い」

有原に、若干の心の余裕が生まれた。

そして、有原の後方より、白バイに乗った西川巡査長が近付いてきた。

「ここちゃん、もう大丈夫だ。この俺が来たからには、獣老の好きにはさせない。安心して任せてくれ」

西川大海(にしかわ たいが)巡査長は、福岡県警出身の24才、男性。あの福岡市の獣老を捉えた男だ。彼にとって獣老は可愛い後輩を殺害した憎むべき存在。その様な思いもあり、今回の作戦に志願して乗り込んできた。獣老を捕まえる事は彼にとって逃れがたい宿命となったのだ。

彼はこの機会を虎視眈々と伺っていた。


西川は初めて獣老と遭遇した後、獣老が自分の足よりも断然速いことに強いショックを受けていた。国体の舞台で頂点にこそ立てなかったが、トップと自分に大差が無い事に強い誇りを持っていたからだ。しかし、上には上が居たのだ。そこで彼は交通機動隊に入り、白バイを使った追跡に新しい可能性を求めていたのだ。

戦況を不利と見た獣老は、その場から走り去ろうとする。しかし、西川は白バイのスロットルを右手で大きくひねり一気に加速、獣老との距離を瞬時に縮める。西川は、右腕一本で器用に運転をこなすと、利き手の左手に握りしめていたある物を獣老目がけて放り投げる。網が、ふわりと広がり、背後より獣老の体に絡みつく。

「投網成功!」

西川は、自分の運動能力の高さを誇らしく思った。いつもの癖だ。

獣老は、体に絡みつく網を引き剥がそうと、もがきながら走る。そのため、速力が一気に落ちる。西川は、獣老の前に出ると、急旋回、ブレーキターンで白バイを止める。そして投網の二投目だ。今度の網は、獣老の足に見事に絡みつき、獣老は前のめりに転倒し、西川の足下で転げ回る。

「ちょっと痛いけど、我慢しろよ」

西川が、獣老にスタンガンを当てる。しばしの電撃の後、ようやく、獣老の動きが止まった。

「ワン。ワン、ワン、ワン」

トトが獣老に走り寄る。有原も一緒だ。有原は、トトの頭をなで回し、良い子、良い子をする。トトは、嬉しそうにハアハアと息を弾ませている。

パトカーに乗って、栗山が現場に到着する。

「グッド・ジョブ、ここちゃん、西川君」

三人は、ハイタッチを交わす。

周りで待機していた、他のパトカーや白バイも集まってきた。

「意外とあっさり捕まったたい。それにしてもウルフ・ハンターの威力は凄かな」

西川と一緒に上京していた内川警部が西川に声をかける。

「あっさりは無いでしょ、内川さん」

西川は、不満げだ。簡単に見えるほど見事に捕まえることができたのは、この俺の運動能力が勝っていたからで、――――。いつものように、自慢したかったのだ。

「皆、ご苦労であった。スクリーンでしっかり、見させてもらったよ。正直、ここまでうまくいくとは、思っていなかった」

今回の特殊作戦を許可した総指揮官、吉村警視監からの労いのメッセージだ。

「今回の作戦が成功したことの意味は大きい。女性の囮役がいることが分かれば、獣老達も迂闊に女性には、近づけなくなるであろう。今後、この方法を全国へと展開してゆきたい。君たちの中からメンバーを選抜し、特殊部隊を創設しようと思っている。名付けて、『獣老捕獲隊』だ」

「獣老捕獲隊?」

西川が聞き返す。

吉村が説明を続ける。

「そうだ、獣老捕獲隊だ。君達には、全国を飛び回ってもらう。そして、地元の警察と組んで、片っ端から獣老達を捕まえてもらいたい。これから忙しくなるぞ」

吉村は上機嫌で語る。

しかし、栗山が時期尚早との断りを入れる。

「吉村さん、メンバーの選抜に関して、私の意見を聞き入れていただけるのかしら? より確実な獣老確保の為、囮役の女性は最低3人必要と進言しました。その目処は立っているのでしょうか?」

吉村がやや困惑した表情で答える。

「ああ、君の進言には従うつもりだ。君が推している『栗毛の跳ね駒』ともコンタクトが取れた。彼女は自衛官だった。我が国の平和の為なら喜んで協力してくれる事であろう」

栗毛の跳ね駒とは、当然、大貫陽だ。彼女はこれまでに3体の獣老を仕留め、その度にネットに投稿している伝説のヒロインだ。獣老確保に情熱を傾けている彼女の加入は、栗山にとって譲る事の出来ない条件だった。

ただ、吉村は更に困り顔で語り続ける。

「問題は3人目の囮役なのだが、これがなかなか難航していて。先ずは2人から初めてくれないか?」

栗山は、その返答をある程度予測していた。それに対して逆に提案する。

「3人目なら居ますので探す必要はありません」

驚いた吉村が尋ねる。

「3人目が居る? そいつは初耳だ。一体、何処の誰なのだ?」

「この私です」

「えっ、君が囮役? 隊長の君が囮役では作戦遂行が難しいであろう。その提案は認める訳には行かない」

「私が囮役では魅力不足でしょうか?」

「いや、君が魅力的なのは十分認める。しかし、私は隊長役には君しか居ないと考えている。ウルフ・ハンターを自在に操れる君が指揮を執るべきだ」

栗山はこの返答も想定済みだった。

「いいえ、私には隊長役は向いていません。いざという時に隊員達の身の安全を守る決断が出来るのか自信がありません。その様な決断力を持つ者が隊長の任に相応しいかと思います」

意外な答えに吉村は困惑している。

「隊員達の安全を守る決断が出来ないだと?」

「はい。いざという時は、躊躇無く獣老を射殺する決断が私には出来ません。私はそこまでのメンタルの強さを持ち合わせていません」

キッパリと言い切った栗山に対し、吉村はこれ以上の無理を押しつける事は出来なかった。

「しかし、君に限らず、その様な決断が出来る人間などそうそう居るとも思えん」

これも栗山にとって想定の問答であった。

「一人、隊長として適任者の目星を付けています。私にその男をスカウトさせて頂けないでしょうか?」

これも吉村にとっては藪から棒の提案であった。

「隊長の適任者だと? 誰なんだ、そんな難しい決断を下せる男は?」

「その男の名は、――――」

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