後編
俺がセンターの外へ出たとき、すでに外は真っ暗だった。空は雲が覆っており、月の光がかすかに
「……今日はマジであっという間だったな」
それもこれも、あの母娘のせいだ。
あの後、騒ぎを聞きつけた警備員がやってきた。その警備員と母親がいくつか言葉を交わす間に、娘は外へ逃げ出してしまった。ちゃっかり、俺から曼珠沙華の鉢植えを奪って。
母親のほうも娘を追いかけるように、センターから出て行った。休憩所で乾かし途中のブレザーは置きっぱなしにされ、予備の作業着は行方不明のままである。
もやもやした気分で俺は上司に一部始終を話し、やりかけの仕事をなんとか今日中に終わらせた。
携帯で時刻を確認すると、すでに午後の十時。他の従業員はとっくに帰ったし、町も眠りについているかのように静かだ。
ため息をつきながら、俺は駐輪場の原チャリにキーを差し込んだ。原チャリのエンジンがかかり、ライトが前方の茂みを照らす。
思わず息をのんだ。茂みの前には、鉢植えを抱えた例の娘が座り込んでいたのだ。しかも普段着を着がえた俺と違い、作業着のままだった。
「おいおい……! お前、家に帰っていなかったのか!? というか、今何時だと思ってんだよ!?」
「……知りません」
ライトの光に、少女が薄く目を細めた。
「……帰れるわけありません。帰ったら、今度こそお母さんはこの鉢植えを捨てるはずです」
「いや、でもこの時間に女性が一人きりってのはさすがに……」
「……」
女の子が顔を逸らして、立ち上がった。
逃げる気配を感じた俺は、慌てて腕を突き出し、制止のジェスチャーをおこなった。
「ま、待て! そうだ、喉乾いただろ!? 今からなにか買ってくるから、だから逃げるなよ!? お願いだから逃げるなよ!」
俺は制止のポーズを取りながら、後ずさり。そして近くの自販機めがけて、全力ダッシュを開始した。
ずっとここにいたせいで、かなり喉が渇いていたんだろう。彼女は今度こそ逃げずにいてくれたし、買ってきたホットお汁粉を一息に飲み干した。
「……なんでお汁粉なんか買ってきたんです?」
飲み干した後で、ベンチに座った女の子が不満げに呟いた。
「いや、夜になって寒くなって来たし、腹も減ってるかなと思って」
「つまり、余計に喉が渇くことまではまったく予想していなかったわけですね」
「実はそう思って、お茶も一緒に買ってきたり」
「っ……」
隠していた暖かいペットボトルを差し出すと、少女は悔しそうに言葉を詰まらせた。だが渇きには勝てなかったようで、それを受け取り、一息で半分ほど飲み干した。
してやったりとほくそ笑みながら、俺も缶コーヒーをもう一口飲む。すぐ近くの道路から、車が通り過ぎる音が聞こえてくる。
それが過ぎ去った先から、また静寂が舞い戻ってきた。
「……わざわざ二つ買ってきたのは、制服をびしょびしょにしたお詫びですか?」
街灯に照らされた少女が、呟くような声がたずねてくる。
「まぁ、それもあるけど、どっちかというと曼珠沙華を持っているからだな」
「曼珠沙を持っているから……?」
理由を問うような視線が聞こえてくる。けど、話すつもりはない。冷えるような沈黙がいくらか続き、やがて女の子が諦めるようにお茶をもう一口飲んだ。
「それで? どうして朝からここに?」
「自分は答えないくせに質問するのですか。それに大方の推測はついているでしょう。お母さんは、あの人は姉さんの命花を偽ろうとしました。それを止めるために、待っていたんです。あなたにびしょ濡れにされましたけど」
「それは悪かったって」
コーヒーを飲もうとしていた手を止め、苦い顔で返す。
「私の姉は病死でした。悪性の脳腫瘍です」
そこへ突然、重い説明が始まった。たぶん、あまり会話に慣れていないのだろう。絶対口には出せないが、友達とかいなさそうだし。
「それをあの人は今も受け入れることできないのです。姉さんは復讐の道具でしたから」
「復讐?」
「母は自分を捨てた父親を憎んでました。だから姉さんを立派に育てて、見返そうとしたんです。金も時間もいっぱい注ぎ込んで、その結果が病死、そして曼珠沙華でした」
「……気持ちはわからなくないけどさ」
ただ、俺はこの手の話に慣れていた。命花が人の生き死に深く関わる以上、ローズセンターでは重い話を嫌でも聞くことになるのだ。
「でも、俺はお前の行動に賛同するね。命花ってのは死者そのものなんだ。曼珠沙華だからって否定されたら、お姉さんも浮かばれないよな」
「……」
そうだと、答えは返ってこなかった。
隣を確認してみると、影に半ば同化した女が、曼珠沙華の赤々しい花弁を指でなぞっていた。
「……あなたはここで働いているんですよね? 命花のことにも少しは詳しいのですよね?」
「まだ三年目のペーペーだけど、人並み以上には詳しいと思う」
「……では」
一旦、言葉が途切れる。彼女の躊躇いが、張り詰めそうな雰囲気を通して伝わってきた。
「薔薇以外の命花が咲く人は、大抵変人ばかりだと聞きました。この話は本当なのですか?」
「確かに薔薇が全体の九割を占めているけど……、でも変人かどうかはあまり関係なかったような」
「関係あるとネットで見ました」
「いや、ネットの話とかって、大抵は尾ひれがついてるものだろ」
「本当に?」
いくら言っても信じきれないらしく、女の子はしつこく問い詰めてくる。姉の命花が曼珠沙華だったことを、そこまでショックだったのか。
いや、もしかして……。
「なーる、そういうことか」
思わず頷いた俺に、女の子はいぶかしげな顔でこっちを見てきた。
「なぁ、こんな時間まで夜遊びしてるんだ。一、二時間くらい遅れても今更だよな?」
「……変なこと考えてませんか?」
「いやいや、忘れ物のブレザーを返すだけよ。そのついでにちょっとセンターの中を見せるたりなんかもするだろうけどな」
「センターの中?」
頼りない非常灯だけが灯しているセンターを、女の子は見上げた。
地面の中へ埋められるように設置されたLEDランプ達。
それらによって下から照らされているのが、いくつもの薔薇達と石碑、そして一本のひまわりだった。
「ここはどんな人達の?」
「このへんじゃ割と有名な一族。社長とか政治家とかが何人もいるような家の墓」
「じゃあ、あのヒマワリは? 一族の宗主とかですか?」
「いや、流産した赤ん坊の花だって聞いた。でもあそこに植えるとき、誰も反対しなかったってさ」
「……赤ん坊ですか」
「次、行くか?」
「はい」
静まり返った大部屋の中を、俺と女の子は横切っていく。彼女の手には、ブレザーの入った紙袋と鉢植えを抱えていた。
ちなみに大部屋を横切っているのは、このほうが近いである。そのついでにいくつか命花を紹介しているが、それはあくまでついでだ。
やがていくつかの墓を通り過ぎた先に、
「見事なまでにバラバラですね。誰のお墓です」
「とある兄弟さん達らしい。息子さんや親族が言うには、性格とか全然違ってたんだってさ」
「だから花もバラバラなわけですか」
「でも、仲がすごく良かったって息子さん達は言ってたよ。兄弟でまとめられているのも、彼らの遺言に従ってだそうだ」
「……」
通り過ぎるまでの間、女の子は無言で四つの花と四つの墓を見つめた。
それからも俺達はいくつかの花を横を通り過ぎた。タンポポ、菜の花、アジサイ、とても珍しい竹の花もあったりと、本当にここは退屈しない場所だ。
「命花ではなく大事なのは人だと、あなたは言いたいのですか?」
大部屋の出口が迫ってきたところで、女の子がいきなりたずねてきた。
「かもな。少なくともどんな命花なのかでなく、誰の命花だってのが大事だと、俺は思ってるよ」
「それで?」
「自分には変な花が咲いたりしたらどうしよう。なんて悩むのは無意味だって気がしてこないか」
少女の歩みが止まった。だが命花と同じ照明に照らされたその顔には、怯えや驚きは見えなかった。
「……よくわかりましたね」
「似たようなこと気にしている人、割と多いんだよ。どんな性格にはどんな命花が咲くとか、綺麗な命花を咲かせるにどうすればいいかとか、聞かれたのは一度や二度じゃないし」
「綺麗や立派でいたいと願うのはごく普通のことです。私だってそうですから」
やっぱりか。こいつが朝からここにいた理由は姉のためだけじゃなく。
「お察しの通り、私が母親を止めようとしたのは、自分のためでもありませんでした。だってそうでしょう? 私だって不吉な曼珠沙華が咲きそうな変人なんですから」
こいつは姉の曼殊沙華を、自分に重ねていたわけだ。心配になったり、止めようとするのは当り前だろう。
「少しはそれを受け入れられるようになったか?」
「いいえ」
女の子は迷わず答えた。
「薔薇以外の花も大切にされていることは理解できました。でもそれは曼珠沙華ではありません。不吉で恐れられる花達ではありません」
「……そうですかい」
ちょっとは期待していたのだが、人の考え方を変えるのはなかなか難しいらしい。となると、最後の希望はあそこか。正直、あまり行きたくないのだが。
「それじゃあ、あと一回だけ付き合ってくれ。後は家に帰るなり、どこかに泊まりにいくなりしていいから」
「帰るつもりはありませんけど」
「はいはい、好きにしてくれていいから」
呆れ混じりに訂正しつつ、大部屋を抜ける。そのまま、すぐ近くにある一階へ降りた。
だがその先にある出口ではなく、反対側の通路へ向かう。光源がドア付近の非常灯のみであり、通路に壁に並んだ扉達がうっすらと見える。
普通の高校生ならば、走って逃げそうな場所だが、後ろの女の子は特に臆した様子もなくついてきてくれた。
「ここって?」
「いわゆる旧館って奴だよ。昔はこっちで個別に命花を植えていた。で、見せたいものってのは、ここの部屋だ」
言うなり扉の一つを開け放ち、蛍光灯のスイッチを入れる。
「っ……」
扉の中に女の子は思わず息を呑んだ。部屋一面が無数の曼珠沙華で埋め尽くされていたからだ。中央には三つの石碑が曼殊沙華に包まれながら、眠っていた。
「……これは」
「曼珠沙華だよ。見れば分かるだろ」
「いえ、でもこの数は……。いったい、誰の命花なのですか?」
「俺の両親と弟」
曼珠沙華達に目を奪われていた少女が、隣のこっちを見上げてくる。たぶん、今の俺は、恥ずかしさをごまかすために苦笑でもしているだろう。
「最初は三本だけだったんだよ。それが毎日世話してたら、いつの間にか増えちゃってさ。まぁ、曼珠沙華は好きだからいいけど」
「……どうして最初にこれを見せてくれなかったのです」
「だって恥ずかしいだろ。毎日世話してますって自慢しているみたいだし、一応、俺がここに働いている理由だし」
ついでにいえば、曼珠沙華を抱えたこいつが気になった理由でもある。死んでも教えるつもりはないが。
「それより、もっと曼珠沙華を見てくれよ。縁起が悪いとか言われているけど、改めて見てみるとわりかし綺麗だろ」
三つの石碑を包む赤い曼珠沙華達。それは不吉の象徴とされる毒花であり、薔薇のような優雅さがあるわけでもなく、ヒマワリのような力強さも、コスモスのような素朴さがあるわけでもない。
だが少なくとも、俺は曼珠沙華が嫌いではなかった。極楽を連想させるような、幻想的な美しさを愛している。
曼殊沙華となった家族たちは、天国で安らかに眠っていると信じている。
「……綺麗かどうか別として、あなたが毎日世話しているのだというのはわかります」
女の子が自分ごと抱きしめるように、曼珠沙華の鉢植えを抱きしめた。
「だから、許してくれたらいいですけど、母さんにもこの部屋を見せてあげてくれませんか? 少しは考え方も変わると思うのです」
「いいけど、一つ条件がある」
「条件?」
「お前の名前と電話番号を教えてくれない? ああ、ちなみに俺は松木 正って言うんだ」
女の子が呆気に取られた様子で、こちらを見てくる。それから耐えきれなくなったかのように小さく笑い出してしまった。
笑みに釣られるように、曼珠沙華達が小さく揺れた。
命の形、咲いた華 @Sumiya_Mizuiti
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