命の形、咲いた華

@Sumiya_Mizuiti

前編

 死者の胸に花が咲くようになったのは、確か三十年前から。

 その花に命花めいかと名付けられ、墓とともに植えられるのが流行となったのは二十三年前から。

 個人的に言わせてもらえば、最初に植えた人には、なにか賞を送るべきだと思っている。なんせ辛気臭くて近寄りがたい墓地が、一気に華やかとなったのだから。


 ここ、第三ローズセンターもそうだ。いくつもの大部屋には石碑に絡みついた薔薇ばら達が規則正しく並んでいる。透明な天井からは日光が降り注ぎ、命花と墓参りにきた人々の姿を照らしていた。

 その中の一人、顔見知りの老人が、通りがかった俺に気がつき、笑顔で声をかけてきた。

「おはよう、松木君。そのジョウロはどうしたんだい?」

「おはようございます。いえね、スプリンクラーの一部が点検で使えなくなりまして。俺がその代わりにって奴です」

「そうか。いつもいつも家内の面倒見てもらって、すまないねぇ」

「仕事ですけど、好きでやってることでもありますから」

 実際、こういった雑務がローズセンターでの俺の仕事だ。服装も作業着に軍手、長靴。完全装備な俺は頭を下げつつ、ジョウロを手に老人のそばを通り過ぎようとする。

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 そこへ再び老人が呼び止めてきた。

「?」

「あそこ、見えるかね」

 老人が通路への大扉付近を指差す。そこには休憩用のベンチがあり、ブレザーを着た女の子が座っていた。白い膝の上には、赤々とした曼珠沙華まんじゅしゃげの鉢植えを載っている。

「どう見ても中学生か高校生といった子だろう。今日は平日のはずだし、それにあの曼珠沙華は……」

「なるほど、確かに気になりますよね。俺から話を聞いてみますよ」

「わざわざすまないね」

 俺は踵を返し、女の子のいるベンチのほうへ向かっていった。石碑と薔薇達のそばを通り過ぎるたび、女の子の姿がよりはっきりと見えてくる。

 長めの髪形といい、細い顔立ちといい、じっと大部屋の命花を見つめている彼女はなかなかの美人だ。異形の花ともいえる曼珠沙華の組み合わせは、どこか非現実的な美しささえある。

 けど、どうして曼珠沙華を抱えているのだろうか。疑問を胸に秘めながら、俺はベンチの女の子に笑いかけた。

「すいません、ちょっといいっすか?」

「っ……!」

 途端に、女の子は我に返ったように身じろぎした。そして突然立ち上がり、脱兎の如く走り出そうとする。

 どうして逃げ出そうとしたのかはわからない。一つ言えることは、いきなり我に返ったせいで、俺がどこにいるのか把握していなかったらしい。

「うぉ!」

「きゃっ!?」

 結果、ジョウロを持った俺と正面衝突した。

 女の子は鉢植えを持ったまま、土の上にひっくり返ってしまう。

「おおっ? おおおおっ!?」

 一方の俺は、持っていたジョウロで必死にお手玉を開始していた。下手に落とせば、大量の水が入ったそれが女の子に直撃しかねない。

「おっ、おっ、おっ、おっとぉ!」

 気合一発。掛け声とともに、俺はジョウロを両手で勢い良く挟み、キャッチした。ジョウロが逆さまの状態で空中に停止する。

 二度言うが、逆さまの状態で。

「……」

「……」

 ジョウロの下にいた女の子が、ずぶ濡れとなった曼珠沙華と共に上半身を起こす。長めの髪が張り付いたその顔は、はっきりと怒りに歪んでいた。

「……冷たい」

「ごめんなさい」

 なんかもう、謝るしかない状況だった。


 従業員のスペースというのはどこもかしこも無骨である。お客様に見せる必要がないため、着飾る必要がないためだろう。

 もちろん、うちの休憩室も例に漏れず、パイプ椅子や自動販売機が並んでいた。そんな休憩室の椅子に、作業服に着替えた女の子が、曼珠沙華を膝に載せて座っていた。

「表は華やかですけど、裏側はこんなものですか」

「そりゃ従業員が飯食ったり、だべったりする場所ですから」

「別に質問したわけじゃありません」

「……はい」

 彼女が着ている作業服は、なにかあったときに使う俺の予備だ。サイズが大きすぎるらしく、かなりぶかぶかである。

 が、それを茶化したりするような度胸は俺にはない。今もナイフのような視線がぶっ刺さってきている。

「……あの、その曼珠沙華って命花ですよね」

「違います。命花扱いされるのは、薔薇だけですから」

「……それはただの思い込みで」

 女の子がじろりとにらんできた。取り付くしまもないとは、この事だ。適当な口実でも作って、一時離脱したほうが得策なようだ。

「あー、俺、ちょっと一階の受付に行ってきますんで、ここで待っててくださいね。制服のクリーニング代とか、上司にも聞いておかないと後々面倒なことになりますから」

「……あ……」

 女の子がなにか思い出したような表情を作る。何故かわからないが、とても嫌な予感が俺の全身を駆け巡った。

「いや、本当、ここから離れないでくださいよ。一階とか新規のお客さんが来るんです。その作業服でなにかしたら、変な誤解につながりかねないんで」

「大丈夫です、わかってます」

 女の子はそっぽを向きながら答えた。

 そっぽを向く時点で、とりあえず怪しい。

 彼女から目を離さないようにしながら、休憩室のドアを開ける。部屋から出るとき、女の子が目だけ動かしてこちらを見てくるのを、俺は確かに見た。。

 やっぱり怪しい。

 念のため、ドアを閉めた後、少し離れた場所で足踏みをしてみる。休憩室の中からは、俺の足音が遠ざかったように聞こえるはずだ。


 待つこと数十秒。俺の目の前で、休憩室のドアが静かに開きだした。扉の隙間から見えたのは、もちろん曼珠沙華を抱えた女の子だった。

 古典的な罠に引っ掛かった女の子が、驚きで目を見開く。

「……」

「やぁ」

 かと思うと、いきなりドアを開け放ち、反対側へ通路を走り出した。

「いや、なんで逃げるの!?」

 慌てて彼女を追いかける。

 うちの作業服を着て他のお客様に迷惑をかけたら、それがネットで拡散されたりなんかしたら。情報社会の今では、どんな傷が致命傷になるかわかったもんじゃない。全力で女の子の後を追い、通路の角を曲がった。

 角を曲がった矢先、いきなり人が目の前に現れた。

「あっ!?」

「っ!?」

 気づくと同時に全身全霊の急ブレーキをかける。おかげでぎりぎり正面衝突を回避できた。

 危うくぶつかりそうなった人は、驚きで腰を抜かしている。先ほど俺に頼みごとをした田中さんだった。

「す、すいません。怪我はないですか?」

「ああ……、大丈夫。いきなり飛び出してくるからびっくりしたけど」

 田中さんは怒った様子もなく、笑いながら立ち上がる。

「それより、いいのかい。さっきの女の子が逃げていってるけど」

 確かに鉢植えを抱えた女の子は、ちょうど次の角を曲がっているところだった。あの先は一階へ降りる階段だ。

「ほんと、すいませんでした」

 自分で不祥事を作る寸前だった俺は、もう一度頭を深く下げる。それからすぐに止めれる程度の駆け足で、一階の階段へ向かった。


 第三ローズセンターの一階は、受付やレストランが併設されている。白いエントランスの中央には薔薇のモニュメントが鎮座しており、そばでは待ち合わせているらしい人々が思い思いに休んでいた。

 だが、ざっと見渡しても作業服の女の子を見つけることができなかった。

「……外へ逃げたか? ならいいんだけど」

 だとすれば、被害は俺の作業着だけで済むのだが。

「お母さん!」

 その時、聞き覚えのある声がエントランス中に響いた。頭のほうより先に足のほうが動く。

 モニュメントのちょうど反対側。そこに探していた作業服の女の子がいた。彼女とは別に、スーツ姿の女性が立っている。どことなく、雰囲気が似ていることから母親のようだ。

 曼殊沙華の娘とは対照的に、スーツ姿である母親は青いバラの鉢植えを抱えていた。

「夏美? どうしてあなたがここにいるかしら? 学校は? その格好は? どうして曼珠沙華なんか持ってきてるの?」

「曼珠沙華なんかって……、この花はお姉ちゃんの命花じゃない! お母さんこそ、その薔薇はなんのつもり!?」

「風奈の命花はこの薔薇よ。そんな花もどきじゃないわ」

 母親の表情を一切動かさずに、無感情に言葉で言い放つ。冷静さを通り越して狂気すら感じさせる言葉だ。ぶっちゃけ近寄りたくない。

 その母親が一歩近づき、女の子は鉢植えを守るように後ずさった。

「な、なにする気よ」

「偽物はいらないでしょう?」

 そう言うなり、母親が片手を掴んだ。

 初めて彼女の無表情が崩れた。代わりに現れたのは、目を見開き、憎しみを頬を釣りあがらせた鬼のよう形相だ。

 その表情で鉢植えを叩き割るため、高々と持ち上げる。

「あの、ここは命花のための場所なんで、命花を無碍にするのは勘弁してくれませんか」

 そう言うなり、俺は横からひょいと曼殊沙華を掠め取った。

 話に夢中になって、俺がすぐ近くまで来ていたことに今まで気がついていなかったらしい。娘のほうが目をまん丸にして、こっちを見てくる。

 俺だって別に近寄りたくなかった。命花が関わっていなければ、警備員を呼びにいってだろう。 

「あなたは?」 

「一応、ここの職員です」

 職員と聞いた途端、母親は表情から憎しみを覆い隠した。そして無表情な目で舐めるようにこちらを見てくる。

 知らず知らずのうちに顔が引きつってくる。

「そうですか。娘が大声を出して申し訳ありません。ところでその鉢植えを返していただけませんか?」

 喋り終わらないうちに、母親は迫ってきて俺へ両手を伸ばしてきた。

「そ、そ、その前に一つ雑学を聞いてもらえませんかね!? 命花についてのことなんですが」

「なんでしょうか。風奈の命花はそれではなく、この薔薇ですが」

「……ええっとですね」

 取られないように鉢植えを持ち上げたまま、話を続ける。

「命花ってのは花の形を模った粘菌の一種なんですよ。どちらかというとキノコに近い存在でして」

「だから?」

「だからですね。命花かそうでないかは、知っている人からすれば簡単に見分けがつくんです。そもそも必要な肥料や世話がまったく別でして」

「……」

「もちろん、このセンターでは普通の花も受け付けています。でも、先ほど言ったとおり別物ですから、お墓の場所だけで命花かそうでないかが見分けがついちゃうんです。普通の花を、命花と偽るのは無理なんですよ」

「では薔薇の命花は余っていませんか? 無縁仏の一つくらいあるでしょう」

「……命花を他人名義にすることは法律で禁止されています」

 そこまでして曼珠沙華を否定したいのか、この人は。

「それに命花は死んだ者の魂そのものだと考えている人も多いんです。そのままを受け入れてあげたほうが、故人も浮かばれるんじゃないでしょうか」

「でも曼珠沙華なんですよ」

 母親が今まで違う声で、反論してきた。

「私は風奈のためなら、なんでもしてきまいた。父親がいなくても立派に育てようと、お金も人生も注ぎ込んできた」

 母親の無表情な顔がまた壊れていく。現れたのは怒りの形相ではなく、今にも泣きそうな辛い表情だった。

「なのに曼珠沙華なんですよ、……私と風奈の人生はいったいなんだったのよ」

 曼珠沙華を見たとき、彼女は子供の人生と自分の人生をまとめて否定されたような気分に陥ったのだろう。母親の震えた声から、その状況が察せられった。

 苦しみに満ちたその姿に、子どもも育てない俺はそれ以上の話を続けられなかった。

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