彼らはただ、隣にいるだけ

港瀬つかさ

彼らはただ、隣にいるだけ

 雨が降っていた。

 しとしとと降るような優しい雨ではない。叩きつけるような豪雨の中で、ぼんやりとそれを眺めているのは、制服姿の女子高生だった。淡い色のプリーツスカートに、古式ゆかしいブレザーとブラウス。胸元には細いリボンタイが無造作に結ばれていた。毛先が好き勝手に跳ねているのは、彼女を悩ませている生まれつきの癖毛だ。面倒そうに跳ねる髪を抑えながら、彼女はやはり、降り続ける雨を見ていた。


梨香子りかこ


 呼びかけた声は、変声期を迎えた落ち着いた少年の声だった。彼女は振り返りもしない。どしゃぶりの雨を見つめながら、昇降口に佇んだままだ。彼女の脇を、何人もの生徒が、口々に雨に文句を言いながら去って行く。その手には傘や雨合羽が手にされていた。けれど、彼女の手には、そのどちらもない。

 少年は、当たり前みたいに彼女の隣に立った。ごくごくありふれた学生服。何の変哲もない男子高校生。それでも、周囲の騒ぎながら帰って行く人々の中で、彼の持つ雰囲気はどこか静かで、この豪雨の中でなお、静謐とさえしていた。


「傘は」

「忘れた」

「朝から降ってたろ」

「私が通学してるときは、晴れてたの」


 お前ね、と少年が呆れたような顔をするが、彼女は気にした風もない。ただ、止む気配を見せない豪雨を見ているだけだ。何の感情も浮かばないようなその面に、少年は小さく息を吐いた。その彼とて、口で言うほどに感情が動いているようには見えず、周囲からは人形のように落ち着き払った二人が、いつものように話しているようにしか見えない。

 時折、傍を通り過ぎる生徒達が、彼らのことを意味深な表情で見ているが、二人は気づいた風もない。或いは、気づいていて無視をしているのだろう。彼らにとっては、他人の視線などどうでも良いのだ。そんなことよりも重要なのは、眼前の豪雨であろう。


「迎えは呼んだのか」

「まだ。止むかと思って」

「これは無理だろ。諦めて迎えを頼めよ」

「……面倒なのよ」


 はぁ、と彼女は小さく息を吐いた。そんな彼女の隣で、少年は仕方ないと言いたげに携帯電話を取りだして、慣れた手順でメールを打ち込んでいく。数分して、返信が届いたのだろう。彼は彼女に画面を見せると、彼女はまた、面倒そうに息を吐いた。

 梨香子、と彼は彼女を呼んだ。彼女は面倒そうに隣に立つ彼を見上げて、そうしてゆっくりと口を開く。無表情のような貌の中で、唇だけがゆるゆると動いて、音を発した。


浩一こういち


 名前を呼ばれた少年は、視線で少女に答える。少女はそれ以上何も言わなかった。ただ、真っ直ぐと彼を見上げて、静かな表情をしている。降りしきる豪雨の騒音の中で、彼ら二人の周囲だけが、異様なまでに静かだった。まるで、彼らが音を遠ざけているように。

 そうしてどれだけの時間が過ぎ去ったのか。校門を越えて、黒塗りの車が走ってくる。昇降口にほど近い場所で止まった車から、傘を手にした運転手が降りてくる。恐縮しきりなその姿に、二人は小さく息を吐いた。周囲の視線が痛いほど突き刺さるが、彼らがそれを気にした様子はなかった。


「大変遅くなりました。どうぞ、お乗りください」

「ありがとう」

「面倒かけます」

「いいえ。…ですが、出来ればもう少し早く、呼んで頂きたかったですね。どれほどそこでお待ちだったのですか?お身体が冷えているようですが」


 困ったように笑う運転手の青年に、二人は何も言わなかった。ただ、渡された傘を開き、車へと歩いて行く。目立つ艶やかな黒いフォルムに面倒そうな顔をしながらも、少女は助手席の後ろに座る。早々に近い方へと収まった彼女を見て、彼はやれやれと言いたげに肩を竦めながら、運転席の後ろへ乗るべく移動した。そんな二人の姿を見つめる運転手の表情は、どこか穏やかで、幸せそうでもあった。

 豪雨の中を、車が走っていく。社内に流れるのは、品の良いクラッシックだった。ともすれば眠気を誘うほどに緩やかな、穏やかな曲調が多い。少女は頬杖を突きながら窓の外を見ている。その横顔は、何かを憂いているようにも、全てを放棄しているようにも、見えた。


「浩一」


 顔を合わせもせずに、彼女が彼を呼んだ。呼ばれた方も、窓の外を見ていて、視線を向けはしない。けれど、続きを促すように、答えるように、軽く窓を叩く。こん、という音はどこか軽く、室内に響いた。


「高校卒業と同時に嫁入りですって」

「そりゃまた唐突だな」

「えぇ。唐突すぎて、花瓶投げつけようかと思ったぐらいよ。私のことなんて、仕事の道具でしかないのでしょうね」


 ふぅ、と息を吐いた横顔は、何の感情も宿していなかった。人形めいて美しい少女だというのに、その顔に浮かぶのはいつも、ひどく退屈そうな面差しばかりだった。非日常めいた会話は、彼らにとっては日常的なものだった。それなりの年齢になればそうなるだろうと思っていたが、現代日本において、高校卒業と同時に結婚というのはやはり、異質だろう。


「そっちは?」


 少女の問いかけは淡々としていた。彼の答えを期待しているようで、どうでも良いと思っているようで。そんな二人のやりとりに、運転手は口を挟まない。ただ車を走らせるのみである。


「まだ何も。次男で良かったとつくづく思うね」

「私も男に生まれたかったわ。そうしたら、もう少し自由だったでしょうに」

「男は男で面倒が多い」

「あらそう」


 少年の言い分に、少女は楽しそうに呟いた。 彼らはやはり互いに窓を見たままだったが、その窓に互いの顔が映ってもいたので、気にならなかった。それに、今更顔など見なくとも、彼らには、互いの考えていることが手に取るようにわかる。幼馴染みとは、そういうものだろう。


「浩一だったら気楽なのに」

「それは同感。だけど、それだけはあり得ないだろ」

「あり得ないわね」


 内容をぼかした呟きは、同じように明言しない答えで一刀両断された。彼らは幼馴染み、唯一無二の親友だった。性別など関係無い。育った環境が酷似していた。ずっと隣にいた。ただそれだけだったけれど、隣にいるという当たり前のことだけが、彼らにとってはひどく尊いものでもあった。



 そうして彼らは、ただ、窓の外の豪雨を、眺めるだけだった。



FIN

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彼らはただ、隣にいるだけ 港瀬つかさ @minatose

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