はざまとくるるぎ

港瀬つかさ

はざまの役割、くるるぎの覚悟

 当たり前の日常。当たり前の世界。当たり前の光景。

 それが当たり前ではないことを、誰が知っているだろう。世界は、それを見るものにとっては一つではなく、理もまた、一つではない。数多の理、数多の常識、数多の世界で成り立つのが、この世であると、誰が、知っているだろう。

 もはや、かつて古きものが住まう国とされたこの日本ですらも、それを正確に理解するモノは存在しない。人間が築き上げた当たり前の世界において、異質とされるモノは全て幻と決めつけられる。そんな世界の中で、今も昔と変わらずに、無数に広がる世界の意味を知る存在は、数少ないながらも、いた。







「すみません、そのチャーム、貴方のですか?」


 柔らかな声で問いかけたのは、あどけなさが残る面差しの少年だった。にこやかに笑う顔はどこまでも愛らしく、また、少々日本人離れして色素が薄かった。だが、目鼻立ちは日本人的で、声をかけられた女性は驚いたように瞬きをした後に、手にしたチャームを彼に見せる。


「これの事ですか?」

「えぇ。そうです」

「拾ったんです。もしかして、貴方のですか?」

「拾った…。……その先の、路地で?」

「え?あ、はい、そうです、けど…?」


 問いかけてきたのは、少年の背後に影のように立っていた人物だった。背が高く、ほっそりとした体つきに、男女のどちらかわからない顔立ちをしていた。男性と言うには線が細く、女性というには凜々しすぎる。そして、彼女に向けてかけられた声もまた、男女のどちらとも取れるようなハスキーボイスだった。

 目を白黒させながらも、彼女は相手の問いかけに頷いた。その通りですとの発言に、性別不明の人物は目を細めた。そうすると、その場の空気が引き締まるような、体感温度が下がるような、そんな不思議な強さがある。


「マコ、お姉さんがびっくりしてるから。相変わらず強面だなぁ」

「別に強面じゃない。アユは煩い」

「煩くないよ。…実はそれ、僕達が落したチャームかも知れないんです。見ても良いですか?」

「大丈夫ですよ。警察に届けようかなと思ってただけなんで」


 にこりと笑った女性からチャームを受け取ると、少年は真剣な瞳でソレを見る。そうして、にこりと女性に向けて笑った。花が開くようなあどけない笑顔というよりも、実にすがすがしい笑顔であった。


「僕たちの落とし物です。見つけてくださってありがとうございます」


 幸せそうに笑う少年に、女性も釣られたように笑った。そうして去って行く彼女の背中を見送って、少年は手の中のチャームを、握りしめた。ミシミシと音がするほどに強く、強く、それはそれは強い力で。穏やかに笑って手を振る姿とは不釣り合いなほどに、その手には血管が浮き上がるほどの力が込められていた。

 やがて少年は息を吐くと、掌の中で握りしめていたチャームを、傍らの人物に渡した。両手を器のようにしてそれを受け取った性別不明の、マコと呼ばれた人物は、鋭い瞳でそのチャームを睨み付けていた。まるで親の敵のように見ている姿に、アユと呼ばれた少年は苦笑する。


「マコ、顔が怖い」

「アユ、煩い」


 左手にチャームを乗せると、右手でそれに触れる。撫でるように、優しく。けれど、すぅっと撫でられたチャームが、まるでイキモノのようにびくりと跳ねた。その異質さを気にした風もなく、その仕草を続ける。そうしてしばらく撫で続けた後に、唇をゆるりと開いて、言葉を発した。


「落ちろ、閂」


 低く唸るような声が命じた瞬間に、チャームは粉々に砕け散った。砕けて、そして、さらさらと光の粒子へと変わるようにして消えていく。その、どこか幻想的にすら見える光景を、彼らは普通の顔をしてみていた。彼らにとってそれは、あまりにも、普通のことだった。

 少年の名前は、狭間歩はざまあゆむ。性別不明に見えるのは、歴とした女性の枢木真琴くるるぎまこと。彼ら二人は、普通ではないものが見える人間だった。

 狭間の人間は、文字通り狭間に立つために、ありとあらゆるモノが見える。それが霊だろうが、妖怪だろうが、精霊だろうが、名付けることも出来ない異質の何かであろうが、その存在を認識することが出来る。それ故にそれらを発見し、一般人に危害が加わらないようにするのが役目であった。

 枢木の人間は、閂を落す役割を担っている。この場合の閂とは、異界と此方の接点の扉を封じるモノ、である。ソレがどのような形の異質であろうと、一般人に危害を加える可能性のある存在は全て、そちら側へ押し返し、扉を閉める。それを担うのが、枢木の人間の覚悟。


「いつも思うけれど、壊れてしまうのは勿体ないなぁ」

「縁を残せば、また戻る」

「それは解ってるけど、想い出の品とかだった場合、申し訳ないなーと思って」

「アユは甘い」

「マコは厳しすぎ」


 ごくありふれた住宅街を歩きながらの会話としては、どこか異質。それでも彼らは日常風景に溶け込んでいる。友人だろうか、兄弟だろうか、という風情の視線が突き刺さるが、歩はどこ吹く風。真琴に至っては、そもそもが他者の視線になど気づいてもいないだろう。…異質にはすぐ気づくくせに、人間には疎い相棒に、歩は思わず苦笑する。

 彼らが組んで仕事を始めたのは、いったい何年前だっただろう。もう随分と昔すぎて、歩も真琴も覚えていない。彼らが一族の人間として、数少ない、力を受け継ぐ器を持って生まれた存在として、役目を継いだのは随分と昔の話だ。あまりにも昔過ぎて、世界がめまぐるしく変わる中で、彼らはヒトを逸脱し始めていることも、理解していた。

 ヒトを護るために、人間の世界で、人間のように生きながら、徐々に人間らしさを喪いつつある、彼ら。それが狭間と枢木の、仕事を担う人間に課せられた業でもあった。ヒトの身に異形を排除する為の力を有するのだ。何も変わらずにはいられない。力を受け継ぎ、役目を受け継ぎ、仕事を行い始めた頃から、彼らの肉体は外見的には変化しなくなった。

 次の世代、次の役目を担う者達に、自分たちの力を受け渡すまで、彼らの仕事は終わらない。そして、時代へ全てを託したその時に、彼の身体は砂時計の砂が一気に落ちるように、朽ち果てていくだろう。それを知ってなお、受け継ぐと決めたのは若気の至りだったのかもしれない。己が成さねばならぬという使命感であったのかも知れない。それでも、それでも、なのだ。それでも彼らは選び、その役目を引き継いだ。それが事実であろう。


「…そういえば、マコの家、どうなってるの?」

「…………さぁな」

「マコ」

「私がいなくとも、我が家は普通に生活していくだろう。…そっちは?」

「たまに顔は出すよ。たまにだけど」


 そう言って笑う歩の顔は、笑っているのに泣いているようだった。だが、それもまた、真琴にとっては見慣れた表情でしかない。彼らは普通と違う時間を生きることになったのだ。家族といえど、近づきすぎれば不和が生じる。なまじ近しい関係であったからこそ、普通から逸脱した血縁者を、どう扱って良いのかわからないのだろう。

 これが、同じ一族でもさして付き合いのない血縁ならば、立派に役目を果たしている二人を、尊敬の眼差しで見つめてくるとか、畏怖や憧憬を抱かれるだけで終わる。そうして、自分たちの中から次代が生まれるのだろうかと次への期待を抱く程度だろう。何故ならば彼らは、一族であれど、血縁であれど、他人だ。家族ではないのだから、深く感じる必要はどこにも存在しない。


「マコ、ごめんね」

「…アユ?」

「本当なら、狭間の人間がちゃんとしていたら、マコたち枢木の人間、普通に生きて行けたはずなのに」

「それは、お前が私に謝ることじゃない」

「でも、僕は狭間だし」

「そうだ。そして私は、枢木だ」


 それ以上の問答を拒むように、真琴は低い声で告げた。性別不明なハスキーボイス。僅かの怒りを含んで落された声音は、触れれば切れそうなほどに鋭かった。けれど、そんな真琴に向けて歩は笑う。困ったなぁ、とでも言いたげな微苦笑だった。

 全ての始まりは、狭間の人間だった。かつて、狭間の人間は、異質を見るだけでなく、扉を開けることも閉めることも出来た。枢木を伴わずとも、一人で役目が果たせていたのだ。けれど、月日が流れ、時代と共に異質が忘れ去られていくと同時に、狭間の力は弱まった。今や、異質を見ることしか出来ない。ゆえに、見えずとも閂を落とせる枢木の人間と、組まなければならない。…本来ならば枢木の人間は、神域の守りという使命を果たしているだけで良かった筈だ。外回りは狭間の仕事であったのだから。

 だが、真琴が告げたように、それは歩の咎ではない。誰の咎でも無いのだろう。この世界は、とても残酷だ。人々は、大多数の者達の常識は、異質を存在しないものと決めつける。信仰が無ければ神々が力を失うように、存在を忘れ去られた妖精が消え行くように、狭間や枢木の力も、異質が忘れられていくと同時に弱っていった。もしかしたら、それが、世界の意思なのかも知れない。

 世界にとっての普通。それからかけ離れた存在である彼ら。それでも彼らは生きている。生き続けている。そして異質も、数を減らしたとは言え、存在しているのだ。ならば、彼らの生き方は変わらない。異質から世界を護る。ただ、それだけなのだ。


「でも、マコでよかった」


 ぽつりと歩が呟く。真琴は答えなかった。ただ、歩よりも背が高いために大きくなりがちな歩幅を、少しだけ縮めただけだ。それでも、歩はそれが真琴の答えだと解っているので、口元に優しい笑みを浮かべた。何だかんだ言いながらも、相棒として生きてきた時間は確かにあるのだ。互いを大切に思う気持ちに、偽りは無かった。


「今日はもう特に何も見えないから、どこかにご飯食べに行こうか?」

「焼き肉」

「何でマコはそんなにがっつり系なの。女子なのに」

「何でお前は食べないんだ。男のくせに」

「え?がっつり食べたら胃袋苦しいと思う。油は胃がもたれて辛い」


 ふるふると頭を振る歩の姿はどこか小動物めいていた。面倒そうに息を吐いて、真琴は子供ガキと呟いた。彼の外見に対してならばその言葉は正しいけれど、中身はもう何年も生き続けているので不適切だ。それでも、ヒドイよとふてくされる程度で終わるのだから、これはいつものやりとりだった。



 今日も明日も、その先も、世界に異質が蔓延る限り、彼らの役目は終わらないだろう。



FIN

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