乙女ゲームのヒロイン様は、攻略対象の退場をご希望です。

港瀬つかさ

乙女ゲームのヒロイン様は、攻略対象の退場をご希望です。

「皆様速攻私の前から消え失せて頂きたいのですが」


 にこやかな微笑みを浮かべているのは、たいそう見目麗しい少女であった。艶やかな亜麻色の髪を背に流し、紅を引いてもいないのに鮮やかな唇に笑みを浮かべる。身につけているドレスは決して豪奢ではないものの、仕立ての良さがにじみ出ている。その品の良いドレスを身につけて、実に優雅に微笑んでいる少女。


 彼女の名前は、セリス・アイゼントード。新興貴族であるアイゼントード男爵家の一人娘である。


 その彼女の傍ら、斜め後ろに慎ましやかに控えている少年が、目を伏せる。ぱしんと扇を畳んでにっこり笑う彼女の怒りのオーラを、彼だけが知っているのだ。生憎と、彼女の眼前に雁首揃えているイケメン集団は、何も気づいていない。さっさと気づいて引っ込んでくれたら面倒も少なくなるのに、とは彼の感想。彼の少年、セリスの従者兼親友兼相棒で、名前はアレックスといった。


「あぁ、セリス嬢。君は今日も本当に麗しい」

「ヒトの話はしっかり聞いてくださいませ、ロイファ王子」


 うっとりとした顔で彼女を見ているのは、金髪碧眼の王子様。シャレでは無い。正真正銘、この国アークワイルドの第一王子様である。非の打ち所の無い才色兼備の筈の王子様、恋の熱に浮かされたように彼女を見ている。なお、セリスはひたすら面倒そうなのだが、貴族的対応ゆえに気づいて貰えていない。


「殿下、狡いですよ。我々も彼女と話がしたいのです」

「私はそんなことは一ミリも望んでおりませんわ、クーガー様」


 すっと一歩進み出て、どさくさ紛れに彼女の手を取ろうとしたのは、騎士団長の息子。自身も優れた能力を買われて、学生ながら騎士団の練習に顔を出すほどだ。だがしかし、常は真面目一辺倒の騎士様が、何故か今は色々おかしい。セリスを見つめる瞳には紛れもなく恋情が籠っている。ついでに、いつもならば察しが良いはずなのに、何も気づいていない。


「君に似合うアクセサリーを持ってきたのだけれど、受け取って貰えないだろうか?」

「貴方様からそれを頂く理由は微塵もございませんわね、リッケル様」


 にこやかな笑顔で現れるのは、王家御用達の商人の息子。流行最先端の素晴らしいアクセサリーを持っている。だがしかし、宝石箱を大量に積み上げられたところで、セリスは頷かない。そんなものは彼女には必要ないのだ。けれど、それに気づかないのか、リッケルは彼女に品物を勧めている。


「セリス嬢、どうか、お話をすることを赦していただけますか?」

「私は貴方と話すつもりなどございませんので、お下がりくださいませ、マーク様」


 もはやあしらうのも面倒になってきたらしいセリスの発言に、笑顔を崩さないのは宮廷魔導士の息子。幼さ残る容貌が庇護欲をそそるらしいが、セリスにはどうでも良い。むしろ邪魔なのでさっさと帰ってくれと言いたげである。アレックスは慎ましやかに控えているが、そろそろお嬢様の機嫌がヤバイことに気づいていた。そろり、と一歩後ろに下がる出来た従者。




「さっさと消え失せろと言っているだろうが、この脳みそお花畑共!」




 凄まじい罵声と共に彼女の周囲を暴風が覆った。吹っ飛ばされた男達は、瞬きを繰り返しつつも、逃げない。そこは逃げてくださいとアレックスは思う。お嬢様の貴族のご令嬢っぽくない部分は今更なので、彼は気にしない。というか、今までよく頑張ったと思っているぐらいだ。人間、猫を被るのは非常に疲れるのである。


「毎度毎度毎度、同じようなテンプレ台詞を繰り返し、鬱陶しいことこの上ない!いい加減正気に返れ!」

「お嬢様、その方々に言っても無駄ですよ。大本を叩かないと」

「じゃあ今すぐその大本を連れてこいよ!完膚なきまでに叩き潰してくれるわ!」

「お気持ちはわかりますけど、多分出てきませんよ。あちら、悪役令嬢ですし」


 しれっと答えるアレックスに、セリスはギリギリと歯ぎしりをする。そんな彼女と彼のやりとりを見ているにもかかわらず、イケメン集団はうっとりしている。何でこれでうっとり出来るんだろう、とアレックスは思う。思うと同時に、悪役令嬢怖いなーとも思った。この状況を作り出した公爵令嬢、アイリス・リッケンバーグには感服するばかりだ。




 ここまでくればお解りだろう。この世界は乙女ゲームで、セリスは転生者である。




 いや、それだけならまだ簡単だったかも知れない。

 セリス・アイゼントード男爵令嬢は、乙女ゲーム《水晶の乙女》のヒロインである。剣と魔法とファンタジーな世界の学園で繰り広げられる、わりとありきたりな乙女ゲーム。普通とちょっと違ったのは、むしろRPGパートが本命では?というぐらいに作り込まれた、ダンジョンRPG系だったことぐらいだ。それ以外は、キャラ設定もシナリオも、割と普通。平凡である。

 で、その世界でセリス・アイゼントードとして目覚めた人物、今叫んでいる彼の人は、前世でこのゲームのRPGパートをやり込みまくった少年・・である。そう、セリスの中身は、男の子だった。死亡したのが男子高校生の頃なので、現状外見と中身は一致している。が、ご令嬢の中身が少年とかこれいかに?である。


 だがしかし、どっきりびっくりはそれだけでは終わらない。


 セリスの幼少時からの従者であるアレックス。彼もまた、同じようにこのゲームをプレイしまくったヘビーユーザーだった。こちらは乙女ゲーム部分も(その当時の姉にスチル、イベント回想コンプを手伝わされた結果)網羅しているという猛者だ。こちらは男子大学生だったので、セリスよりは少々年上だが、基本的な中身は変わらない。

 彼らは互いの境遇を理解した瞬間、手を組んだ。この世界、剣と魔法のファンタジーだけあって、冒険者とかいう職業が普通にある。幸いにも、彼らが転生した先であるセリスもアレックスも、色々とハイスペックだった。この世界では珍しい、精霊の加護を普通に与えられているというオマケつき。身体能力も申し分ない。これなら普通に冒険者として生きていける、と。

 アイゼントード家が男爵の位を授かったのは、セリスが生まれてすぐの頃。元々名の知れた冒険者であった父親が、当時国を悩ませていた暴走ドラゴンをたった一人で討伐したことに起因する。いわばそのご褒美として男爵家を与えられたのだが、これは一代限りの爵位であり、セリス達の代になれば平民に逆戻り。



 …それを没落と捉え、立派に玉の輿を狙ってイケメンを攻略しつつ、文武両道を目指すのが《水晶の乙女》である。



 全然夢も希望も無かったりするが、細かい設定はともかくとして、貴族が通う学園で、イケメンとラブラブイベントをこなし、一緒にパーティーを組んでダンジョンを攻略するというアレだ。それぞれのルート+逆ハーレム、友情ルートなど様々あるが、とりあえず概ねの目標はそんなところ。

 だがしかし、セリスにはそんなつもりはなかった。そもそも、中身が少年なので、イケメン集団と素敵な関係になるつもりなど存在しない。意識が戻った幼少時に、アレックスと二人で速攻父親に洗いざらい説明してあるので、「好きにすれば良いよ」とのお墨付きだったりする。

 なのでセリスとしては、この学園に通っている目的は、完全に武者修行である。あと一般常識とかを学ぶため。普通に学校に通うという感覚しかないというのに、ヒロインというポジションの性か、気づいたら攻略対象のイケメン達に惚れられて面倒くさい状況にあった。


 …いや、訂正しよう。


 セリスは何一つイベントを起こしていない。むしろ、アレックスと二人で、目指せ友情エンドと言わんばかりに、全てのフラグを無視している。見事なスルースキルだった。その結果、クラスメイトとしては認識されていても、このイケメン集団に関わることなど無かったのである。

 事態が急転したのは、一人の少女の登場であった。全ての攻略対象のルートに何故か首を突っ込んでくるライバル。いわゆる悪役令嬢、公爵令嬢であるアイリス・リッケンバーグの存在が、全てを狂わせた。


「あの女狐、何がしてぇんだよ!」

「どう考えてもシナリオ通りに、逆ハールート突っ込ませる気満々だろ」

「むしろお前が主人公になれよ!ちくしょう!」

「落ち着け、セリス。とりあえず、この阿呆共には何を言っても無駄だから、逃げるぞ」

「了解」


 アレックスがセリスの肩に手をかけて、指先で魔方陣を描く。別にそんな面倒くさいことをしなくても魔法は使えるのだが、そこは気分だ。厨二病とか言わないで欲しい。少なくとも、この世界の人々は、無詠唱で魔法が使えるなんて思っていないのだ。ちょっとぐらいそれに合わせておかないと、規格外認定されて色々と面倒くさい。

 まだ何か言い募ってくるイケメン集団の前から、彼らは転移した。アレックスの守護精霊は風の属性を持っており、空間転移なんてお手の物だった。なお、セリスの守護精霊はヒロインのお約束で光である。ありとあらゆる回復魔法が使えたり、状態異常無効化が常時発動してたりと、流石ヒロイン様はチートスペックである。

 そうして彼らは、彼らにとって唯一安全な場所へと逃げてきた。学園の中で唯一の安全地帯。そう、そこは、学園長先生の執務室であった。


「……お願いだから、いきなり人の執務室に湧いてこないでくれるかな…」

「冷たいことを言わないで下さいませ、バルト兄様」

「気色悪いから本性で結構。また逃げてきたのか?」

「逃げるに決まってんだろ!?あいつら思いっきり逆ハールートの行動取ってきやがって、気色悪い!」

「お邪魔して申し訳ありません、学園長様。ですが、正直あの阿呆共の相手は俺も疲れてきたんで、女狐捕縛手伝って下さいよ」


 眼鏡を直しながらため息をついたのは、バルト・クインティー。伯爵家の次男で、この学園の学園長。まだ年齢は二十代だ。なお、ご想像の通り、彼も攻略対象の一人ではある。…あるのだが、唯一、女狐ことアイリス嬢の影響を受けていない人物でもあった。

 理由は単純だ。バルトは水の精霊に愛された希有な存在で、その水の精霊がせっせせっせと彼の近辺を浄化しているのである。呪いなんてもってのほか。魅了なんてあり得ない。そもそもが、病原菌さえ排除してしまう徹底した過保護っぷり。それ、下手したら無菌室レベルで身体弱くならない?という疑問がセリス達にはあったのだが、それを憂えた両親に身体を鍛えるように言われて育ったので、バルトは普通に健康である。


「女狐捕縛と言われても、なぁ…?証拠は?」

「「ない」」

「その状態でどうしろと言うんだ…」


 はぁ、とバルトはため息をついた。バルトとしては、この二人の味方をしたい。幼少時からの知り合いでもある。何で知り合いかと言えば、そこは精霊様のお導きだ。水の精霊様が、光と風の精霊の守護を受けた二人を、バルトの味方として引き込むために出会わせたのだ。そこで前世の記憶やら、本性が男やらを色々お伝えしてあるのだが、それでも動じずに友情を築いてくれたバルトは良い人である。

 なお、件の女狐ことアイリス嬢は、転生者だ。それも、残念なぐらいにこのゲームのヘビーユーザーだった。やり込みレベルならアレックスの前世と良い勝負。悪役令嬢になったなら、むしろイベント網羅した知識を生かして、自分がイケメンハーレムを作れば良い。そんなことをセリス達も思っていた。思って、彼女が転生者だと知って後、そういう話をしたことがある。

 あるのだ。だがしかし。




 何故かセリスの中身が男だと知った瞬間から、アイリス嬢は嬉々として逆ハールートを成立させようと張り切り始めた。




 セリスにとっては悪夢である。マジかよ、という感じで呆然と呟いたのは遠い日の想い出。もう一年ぐらい前の話だ。最初の一年は平和だったのに。まさかの二年生になってから、悪役令嬢が必死にフラグ回収してイベントを勧めてくるってどういうことだ、と。アレックスと二人で頭を抱えて唸っていたが、バルトの一言で彼らは天啓を得てしまった。



――アイリス嬢の行動は、君たちから聞いたことのある、腐女子とやらに似てるねぇ。



 そっちかぁあああああ!とセリスは絶望の雄叫びを発したし、アレックスは哀れな主人のためにぽんぽんと肩を叩いた。アイリス嬢の中身は腐っていた。腐ってる人間が乙女ゲームをやってはいけないという法律は無い。むしろ、イケメンが大量にいるので、乙女ゲームをやる確率は少なくない。ヒロインそっちのけで、イケメン同士のアレコレを探してによによするだけで。

 つまり、アイリス嬢はセリスの中身が男と解ったので、疑似ホモハーレムを形成したいらしい。セリスにとっては何も有り難くない話だ。セリスは、学園を卒業したら冒険者として身を立てるのである。アレックスと一緒に、冒険者をやっていくのだ。男爵令嬢はその時に廃業である。だというのに、足かせになるだろう逆ハー要員など不必要だ。

 あと、彼はちゃんと普通に男の子なので、男爵令嬢をやっていようが、自意識は男の子なので、外面完璧に男爵令嬢だろうと、恋愛対象は女の子だ。生憎好みのタイプは貴族にいなかったので、冒険者しながら彼女を探そうと思っている。


「…セリス、お前の《身体》のこと、絶対にアイリス嬢に知られるなよ?」

「わかってる。バレたらアウトだ。完全に大喜びするだろ」

「ってわけなので、学園長様もその辺はご内密に」

「わかってる。私だって、大事な友人を不憫な目に遭わせたくはないよ」

「ありがとうございます」


 セリスは心の底からお礼を言った。この秘密がアイリスにばれてしまったら、セリスはもはや逃げられない。彼女の妄執から逃げられる自信が無い。現代日本のオタクだった彼らは、腐女子がどれだけ怖いイキモノかをちゃんと知っている。取扱い注意過ぎる。

 セリス・アイゼントードは、光の精霊の加護を受けているせいか、性別が無い。ゲーム中ではそんな設定は無かったが、今のセリスに性別は無いのだ。一応男爵令嬢ってことになっているので、外見は女性形を選んでいる。選んでいるが、実際は性別が無いので、卒業後に男爵令嬢が病死でも何でもしたことにして、少年・セリスとして生きて行く予定である。元貴族様の肩書きなど面倒なので、その辺は父親とも相談済みだ。

 それなら最初から男子にしとけば良かったのだが、娘が欲しかった母親にごねられた。セリスも母親は嫌いでは無いので、期間限定ということで、彼女専用の着せ替え人形になってあげている。…なお、従者もセットというのが母の希望なので、そういうときはアレックスも一緒に着せ替え人形である。


「しっかし、あいつら完全に状態異常だぞ…」

「セリスの力で回復出来ないのかい?」

「この前やったけど、すぐに術かけ直されてて、キリがなかった。やっぱり大本を叩かないと…」


 その大本のアイリス嬢、滅多なことでは彼らの前には現れてくれない。影から操るってどんな悪役?と彼らは思うのだが、相手は悪役令嬢なので仕方ない。しかも今は、自分の理想に燃えまくっている面倒くさい腐女子様だ。更に言えば、彼女もまた精霊の加護を受けていて、しかも闇。状態異常のご本家様である。面倒くささが倍増していた。


「いっそ全員ぶっ飛ばして戦闘不能に…」

「それは傷害で逮捕されるから却下」


 相手には王子様がいるのだが、セリスは目が据わっていて聞いていない。…まぁ、男の子がイケメン集団に言い寄られたって嬉しいことは何も無いので、無理は無い。これでも外ではちゃんと男爵令嬢をやっているのだ。褒められてしかるべきである。

 なお、そんなセリスの人気は、高い。ヒロイン様だからかと思ったが、どうも中身が男の子というのが上手に作用しているようだ。普段は男爵令嬢として文句なしの姿を見せているが、戦闘になれば男の子の本性が見え隠れ。普段のしとやかなご令嬢とは思えないほどに、凜々しく頼りになる姿に、男女問わずにファンは多い。ファンぐらいだったら赦すのだが、攻略対象達はファン通り越してストーカーなのでありがたくない。

 まぁ、ある意味では攻略対象達も被害者だ。可哀想である。諸悪の権化は悪役令嬢アイリスである。ぶっちゃけ、彼女の中の腐女子がフィーバーした結果なので、各方面が不憫でならない。


「とりあえず、学園卒業まで逃げ切ることだね」

「えー…」

「そうしたら、は行方をくらますんだろう?」

「……あー、そういう考え方か…。くっそー、俺じゃなくてあいつらが退場しろよー」


 がっくりと肩を落すセリス。学園を卒業してしまえば、男爵令嬢のセリスはいなくなる。それまで頑張れというバルトの励ましである。ぽんぽんとセリスの肩を叩くアレックスは、機会があったら女狐潰そうな、と頼りになることを言ってくれている。…巻き込まれる形でイケメンに追い回され、かつ不必要にライバル認定されているアレックスもまた、鬱憤が溜まっていた。


「もうマジ本当、俺の平穏な生活を返してくれ…っ」






 そんなわけで、乙女ゲームのヒロイン様は、攻略対象の退場をご希望です。





FIN

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