シチリア島奇譚

橋本圭以

1 いっしょに盗掘をやる気があるか

 ためらいを覚えたのは、一秒のさらに半分くらいの時間だった。


 ――なにを今さら。


 大理石の棺の中に片足を降ろした。

 奪ってなにが悪いというのか。

 相手は死者だ。


 蓋は、こじあけて鉄の器具で支えてある。石に囲まれた空間に、男ひとりが立ち働くに充分な空間が生まれていた。


 墓所の内部はおだやかな静けさに満ちている。ときおり聞こえる甲高い子供の声も、静寂を破るほどではない。正午だった。大聖堂の窓から差し込む強い光は、奥にある納骨堂までは届かない。


 角形の浴槽に似た棺だ。身を沈めているのは死体だが。

 石棺は高いところに置かれていたが、よじ登るのはラウロにとって難しくなかった。病と貧困のはびこる売春窟で生まれたが、体格はよく、子供の頃から病気をしたこともない。


 棺の内部は深さがあり、あと2体くらいは詰め込むことができそうだった。


「大司教か?」


 ルイジが声をかけてきた。


「そうだ」


 町の大司教が死去し、大聖堂の地下に葬られた。数カ月にわたる緩慢な病のあと、眠るように訪れた死だという。


 数カ月前といえば、ラウロは北西にある追い剥ぎと羊飼いの島、サルデーニャ島にいた。海図で見ると、地中海の、落としそこねた染みのような島だ。実際のところ、そこで過ごした記憶は、消してもいい染みと同じ価値しかなかった。だから、行く先のことだけを考えながら島を離れることができた。

 嬉しいことに、乗り組んだ船は風に恵まれた。数日後に上陸した南の島で、彼は船を下りた。サルデーニャ島からさほど離れていないが、大きさでは遙かに勝る。それが彼には気に入った。巨大な島でありながら、どこの大陸にも属さず孤立しているところがいい。


 太陽の島だった。路地の最奥にも光が差し込んでくる。朝は港で船を眺め、午後は強烈な日差しと喉の渇きがやわらぐまで、涼しい場所で賭博にふけるのが日課となった。

 この頃、ひとつの考えが頭に浮かんだ。暇つぶしをするあいだに徐々に膨らみ、今では無視できない大きさとなって頭を占めている。


 海沿いの町バルセロナで、港を埋め尽くす船を眺めながら育った男の例にもれず、彼も海洋交易でひと財産稼ぎたいと思っていた。しかし無一文だ。それに商売のことはよくわからない。かといって、日雇い労働に甘んじるつもりもない。となれば、海賊でもやるしかない。


 北東の海域には、東から西、あるいはその逆へ航行する商船が好んで通過する航路がある。商品を満載して出航する船を見るたび、掠奪の文字が頭に浮かんだ。不確かな情報に少額の金を投資するのとはわけがちがう。つきに恵まれれば、一航海で莫大な富を稼ぎ出すことができる。


 しかし、その種の稼業さえ、はじめるにあたってはいくらかの資金が不可欠だ。


 追い剥ぎをやろうと考えたことはある。だが、この島の街道はろくな整備がされておらず、旅人も危険をわかっており、内陸で遠距離を行くことはまずない。土地の者さえ隣町に行くのに船を利用する始末だ。出会うのは山賊よりもどう猛な地元農民か、身を持ち崩して掠奪に明け暮れる兵士くらいだった。


 そんなとき、パレルモ大司教が金貨5,000枚の値打ちのあるルビーの指輪をはめて埋葬されたと聞いた。船と乗組員を手に入れるには届かないとしても、5,000あればろくでもない生活から抜け出す足がかりにはなる。北部へ渡り、有能な仲間をさがそう。そして積み荷を輸送するのではなく、掠奪する側にまわるのだ。


 ルイジは船乗りとして長いのか、顔や腕は赤黒く日に焼けている。素性は知らない。サルデーニャから一緒に乗り組んだのだが、船の上ではほとんど話さなかった。船員として雇われた以上、航海中はやることが山ほどあり、つきあうべき面白い連中も山ほどいた。話しかけても、大抵は「ああ」か「いや」しか答えない。ラウロは彼を愚鈍と決めつけていた。

 いっしょに盗掘をやる気があるかとたずねると、「ああ」と言ったので、見張りに立てるつもりで仲間に入れた。もうけは折半。


 金貨5,000枚の指輪の件は、もちろん黙っていた。

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