039 登らずして

 ジェイムズは、改めて眼前のルートを見た。設置されたボルトの数は、二十を超えていて。けれど、その全てを使い切る必要は無い。

 入念に自分の登りをシミュレートして。最低限のクイックドローを掛けて、クリップをする。


 ――そのためにも、必要なのは、完全なるオブザベーション。


 (右手アンダー、深いな。次手を寄せれば、ニーバーが入るか……)


 一手、一手。何度も登って、何度も失敗をする。そのたびに修正をして、次へ進む。


 (左、あれもオープンで持てる。クロスした右手サイドも悪くないけれど、足が無いな)


 脳内のジェイムズは、左足をスメアして、左手を出すけれど――駄目だ。きっと落ちる!


 (石灰岩、しかも河川沿い。見た目からしても、摩擦フリクションは良くない)


 だから、即座に修正する。右足を、左手のガバまで上げる! そのまま、左足をフラッギング――出た、次手!

 次数手。カチ、オープン、アンダー。形状は様々だけれど、脳内のジェイムズは、一息で超えた。そして、次のセクション。

 ルーフに行く手前、角度のいいホールド。インサイドにフラッギングを入れれば、安定するだろうから、ここで二個目のクイックドローを設置。


 (ここでも、休んだら。遂に、ルーフへ侵入する――)


 このルートアーキトレーブの本番。走るコルネとツララを掴みつつ、押し寄せる疲労に打ち勝って。三手程。ボルダーセクションを超えての、終了点!


 (簡単じゃ、無い)


 そうとも。この威容で、軽く行かせてくれる筈が無い。

 兄は気付いているだろうか。このルートを登攀可能な人間が、ジェイムズ以外にいないかもしれない、という事に。


 (オンサイト、か)


 オンサイトを目指す、という事は、常であるけれど。オンサイトでなければいけない、という状況は、ジェイムズを以てもそう、在ることでは無い。

 それは即ち、安全確保を行えない状況での登攀で。


 (フリーソロ)


 最も原始的で。最も危険なクライミング。

 アルパインルートで、そういうピッチが在っても。フリールートでの挑戦は、最悪の事故を招く可能性が高い。ならばこそ、する意味も其れほど無かった。けれど。


 (成る程。どうせオンサイトしなければならないのなら――)


 フリーソロをする訳では無い。トップアウトでの終了じゃないから、そもそも不可能だ。

 でも。邪魔なものを減らすことなら――




 「もう、良いのか」


 アレンが声を掛けた。


 「大丈夫」


 ジェイムズの返しは短くて。

 目の前に並べたシューズから、視線を離そうとしない。


 (このルートなら、これかな)


 ジェイムズは、一つのシューズを手に取った。

 緩やかなダウントウ。攻めすぎていないサイズで、シャンクは無い。ヒールは少し大きく作っているから、粘り強く掛かる筈。何より、軟らかく薄めのラバーは、石灰岩でも、摩擦力を発揮する筈。


 (よし)


 スリングを体に結んで。二本使って、シットハーネスにする。カラビナで留めて、そして――


 「――ジェイムズ、それだけでやるつもりか!?」


 アレンは驚いて。叫んで、問う。

 ジェイムズは、どうという事は無いと。いつもの笑顔で。


 「うん。落ちないから・・・・・・


 その原因。体に止めたクイックドロー、その数が……


 「だが四本なんて、どう考えたって足りないだろう!」


 そう、四本。20数メートルのルートに於いて、賄える数では無い! 幾ら数を減らせば、疲労を減らせるとしても。同時に減るのは、生還の可能性である!

 でも――


 「――平気だよ」


 それでも、ジェイムズは落ち着いたまま。シューズに足を通して。丁寧に、レースを締めていく。

 一度、腹を決めたのだから、引くことは無い。


 「僕は、強いから――」


 自負が有った。何れ抜かれるときが来るとしても、今だけは。最強のクライマーであると。

 もう一度眼上のルートを見る。恐らく、5.13は超えるだろう。高難度登攀であることは間違いないけれど――




 ――ジェイムズ・マーシャル。この稲妻は、落ちることなく。

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