038 登るワケ②

 ハイスクールの最終学年。僕は、サクソン大学への就学が決まっていた。父さんに、化学工学をやれと言われて。試験では、そう苦労はしなかった。

 家のために進学することは、自分で言い出したようなことだった。兄さんは、最初から跡取りになることが決まっていて。そこに羨望も嫉妬も無かったし、寧ろ家の宿命を、全て兄に押し付けることに、引け目を感じていたから。


 「ねえ。ジェイムズは、将来何がしたい?」


 その頃のガールフレンドに、聞かれたことがある。向こうに言われるがままに、付き合って。卒業してすぐに分かれたけれど。

 心の中での答えは、決まっていた。クライマーになりたいと。でも、口に出して言うには、思うことが多すぎて。


 「うん。ちゃんとは決まってないよ」


 そんなことを言って、はぐらかしていた。

 



 大学に入って。クラブの人間とも、何とか仲良くなって。それにつれて、現実というのも分かっていって。


 「アマチュア、か――」


 登山家として名を馳せた人間は、それなりにいるけれど。その全てが、プロであった訳ではない。

 何かしら、自分の生業を持っていながら。それでも山に取りつかれた人間たちが、成果を出して来た。そのスタイルを批判する気はないし、アマチュアリズムの精神には、尊敬すら覚えた。でも――


 「ウチの会社で働いて、叶う事じゃあないよな」


 単純な話。家族経営であるウチの会社で、経営者の一族が怠惰を見せれば、会社の士気の低下に繋がる。だから、そうならないように、社の誰よりも働く意思を見せねばならない。

 なれば、二束の草鞋は、履けやしないから。アマチュアクライマーとなる場合の選択肢に、ウチの会社は入らない筈。でも――


 「働くなら、ウチの会社がいい」


 親父は、お前はウチで働かなくても良いと言った。兄さんは何も言わなかった。つまりは、自分は必要な人間じゃないということだろうけれど。

 長年過ごして来た実家の工場。顔見知った職人たち。自分をここまで育ててくれた、親兄弟。恩を返したいという気持ちが有って。

 でも、其れとは別に、クライマーとなることへの渇望も、膨れ上がっていって。だから――




 「どうした、ジェイムズ」


 デヴィッドが言った。親友で。ともに選択に悩んだ人間。

 すでに答えを出してしまった君にこそ、自分の意思を、伝えるべきだと思ったから。


 「――僕は、プロクライマーを目指すよ。駄目だったら、家に戻る」


 そう、言って。

 デヴィッドは、ふと、笑うと。


 「応とも。お前はならなきゃ駄目だ」


 そう、言ってくれて。それで。


 「そういう事なら、チェスターにも声を掛けよう。アイツの方が、人脈もツテもある。きっと役に立つはずだ」


 登山具メーカの専属でも。個人のスポンサードでも。なんでも良いから。

 チェスターも、快く了承してくれて。片っ端から、話を通してくれて。

 本当に有難くて、嬉しくて。だけど――




 「まだ、見つからないか……」


 デヴィッドに言われた。

 もう、機械メーカへの就職を決めていたことに、自分も喜び切れていなかった筈だけれど。それでも、気にかけてくれて。


 「うん。そう簡単には決まらないよ」


 何でも無さそうに、笑顔のまま。ジェイムズは返す。

 でも、心の中にはもう、諦めている自分がいた。幸い、靴の素材についてなら、知識をよく修めている。経理だって、多少の資格は持っていた。何かしらは出来る筈だと。


 「そうか。諦めるなよ」


 言外に、俺は諦めてしまったと込めながら。デヴィッドが言って。

 それに応えられない自分に、悲しんで。


 「大丈夫。今度、チェスターが掛け合ってくれた人と会う。何でも、クラブの大先輩らしい」


 でも、登山からは随分と離れてしまったというし。期待、そこまで出来やしないけれど。


 「――諦めないよ」


 そう口に出した。

 とっくに降りている心を押しやって、叫ぶ自分を隠せやしなかったから。クライマーである自分を。




 ――それで。叶ったのだ。叶ってしまった。

 途端に、下を眺めてた筈の目線も、上へと向いて。その瞬間、周りの俯く人間たちも気になり始めて。


 「下向いて、上には登れないんだ」


 だから、思った。自分の柄じゃなくても、そうなるのも仕方ない不条理でも! ケツ引っ叩いてでも上を向かせてやりたいと。

 だから。だから――!


 「俺が・・、今更降りるわけはないんだよ――」


 あくまで自分の欲に忠実に。

 再び上へ登り始めた兄を振り切って、自分のルートを行くことに。ジェイムズは迷いなんて無かった。

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