第4話

麗華が車で連れてこられたのは見慣れた建物だった。


警視庁のビルだ。


公安ならば当たり前かと思いながらビルを見上げる。


車は地下の駐車場へ入った。


結局、車の中では何も説明は無かった。


最初の男は車に乗るなり熟睡しはじめた。


銀縁メガネの男は遠山啓二トウヤマケイジと改めて名乗ったきりだ。


車の中で思考を巡らせた。


公安は既にあの蟻の存在を知っていた。


あの黒い塊は何なのか。


あの蟻は?


ビルに入るとエレベータに乗る。


扉を閉めて、上の階のボタンを押す。


はずだった。


扉は閉めたが、階のボタンを押していない。


遠山は階のボタンの下側にある四角いプレートに人差し指を押し当てた。


そう以前、何のプレートかと自分も指で押したことがあるが何の反応もなかった。


遠山が指を話すとエレベータが動きだした。


『下? 公安は上じゃ』


「どこへ行くのですか?」


遠山にたずねるが無言のままだ。


隣の男はエレベータの壁にもたれたまま欠伸をしている。


どのくらい降りたのか、B2やB3じゃない。


かなり深くだ。


やげてエレベータは停止し扉が開く。


そこは見慣れた風景だった。


ビルの各フロアと同じつくりだ。


「ここは?」


有事の際は地上よりも地下の方がしっかりした建物なら安全ときく。


どこかの国がバカなミサイルを撃ち込んできたとしても地下であれば被害を受けない可能性が高い。


『シェルターの役目?』


「その推測は近いが少し外れだ」


遠山が考えを見透かして言った。


「シェルターでは無いんですか?」


「シェルターではある。しかし、君の考えてるような事の為じゃない」


「どういうことです?」


遠山はある扉の前までくると足を止めた。


「どうぞ」


そう言って扉を開けた。


広く無い部屋だ。


扉の正面に大きな机がある。


会社の社長が使っていそうな机だ。


その前に片方に3人は座れるソファーが真ん中のテーブルをはさんで左右に置かれている。


左には大型のテレビが置かれ右には書類が保管されている棚がある。


棚の上にはコーヒーメーカーとポットが置いてあり花瓶には花がいけられていた。


「掛けたまえ」


遠山にうながされソファーに座る。


向かいのソファーに遠山が腰かけた。


遠山の後ろの壁に黒スーツの男がもたれかかっている。


「紹介しておこう、彼は獅子神計シシガミケイ。一応、公安の職員だ」


「彼もですか」


「ああ、ただし君が思っているような仕事を我々はしていない。公安であって公安ではない」


つまり、公安であるが公安の仕事はしていないということだ。


「聞きたいことは山ほどあるだろう。だが、その前に君に起こったことの説明をした方がいいと思うが?」


「是非、お願いします」


遠山は立ち上がると棚の上にあるコーヒーメーカーの方へ歩きだした。


「コーヒーは飲めるかね?」


コーヒー? この状態で?


そうは思ったがここは素直に答えた。


「はい」


「緊張するのはわかるが、まずは気持ちを落ち着かせないとね」


遠山はカップを棚から取り出すと獅子神に向かいお前も飲むかというように合図をした。


獅子神は首を横に振った。


「君は覚えていないかもしれないが、君と獅子神が会ったのは2回目。まぁ、2度とも君の命を救ってくれたんだからお礼くらい言っといた方がいいよ」


2回命を救われた?


「彼とはさっきが初めてです。仕事柄記憶力はいいほうなので間違いありません」


「ああ、そうか覚えていないか。無理もないね」


覚えていない?


朝の状態を思い出した。


記憶が無い。


「昨日……」


「正解。昨日も君は彼に助けられたんだ。その後、記憶を消させてもらったけどね」


記憶を消した?


「どういうことですか」


コーヒーを入れ終わり遠山がカップを2つテーブルに置いた。


「人の記憶に関するメカニズムは既に解明されているんだよ。人はどうやって記憶を選別していくかもね」


「選別?」


「記憶すべき事柄とそうでない事柄。それを脳が選別しているのさ」


遠山がコーヒーに口をつける。


「いいかい、簡単に話すと人の記憶は最初は脳の表面に【記録】される。それが次の段階で脳の奥に【記憶】として保存される。ここまでは普通に医学の世界では知られていることなんだが」


「聞いたことがあります」


「で、その脳の表面にある状態であれば消すことが可能なのさ」


「まさか。人の記憶を消すなんて」


「人間の脳はコンピュータと同じでね、まずはメモリーに記憶して、それをハードディスクに後で書き込む。メモリーにある内にコンピュータの電源を切れば保存されることなくその情報は消える。それを人間の脳に当てはめるだけさ」


「言ってることがよくわかりませんが……」


「あ、ごめん。コンピュータ詳しくなかったようだね。とりあえず、簡単に言うと脳に電気信号を送るとだいたい過去3時間分くらいの記憶までなら消えちゃうってことだ」


「電気信号ですか」


「そう」


そうなると自分がそれをされたことになる。


「か、勝手に人の記憶を消すなんて! 犯罪行為です!」


「まぁ、まぁ。落ち着いて。ささ、コーヒー冷めちゃうよ」


コーヒーなんかを飲んでいられる状態ではない。


「確かに無闇にしていいことじゃないのは承知している。君の場合はそれが必要だったからさせてもらった」


「どんな必要があったと言うんです! 納得できるように説明をしてください」


遠山は首をまわして後ろに立つ獅子神を見た。


「ほら、いきなり消すからこうなる。今度から報告してからにしてほしいね」


「彼が私の記憶を消したんですか!」


「いやいや、彼が直接君の記憶を消したわけじゃない。消すのにはきちんとした設備が必要だから、彼が独断でその施設に運んだってことさ」


施設?


「結論から言えば昨日あった事を口外されるのを危惧して君の記憶を消したってことになる。昔なら口封じに殺されてた案件だったんだ」


「記憶を消さなければならないほどの……つまり国家的機密か何かにあたるほどの秘密ですか?」


「それ以上だよ。世界的機密」


世界的機密?


つまり国家を越えて秘密にしなければならない何かを昨日体験したということだ。


「残念だが、君はもう普通の生活には戻れない」


遠山の目が先ほどとかわり真剣になった。


「戻れないって……どういう事ですか」


「今から話すことは少々長くなるが、事実だ。君が納得できなくともその事実は変わらない。そのつもりで聞くように」


遠山は念を押すように言って世界的機密について語りだした。

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