第3話

目が覚めたのは自分の部屋にあるソファーの上、仕事に出たスーツのまま横になっていた。


『ああ、着替えもせずに寝てしまった』


麗華は左手の腕時計を確かめる。


10時28分を示している。


「ヤバい!」


遅刻だ。


鞄から携帯を取り出した。


個人のスマートフォンではなく、仕事用のガラケーと呼ばれるタイプだ。


携帯の画面を見ると土上からの着信が何回もあった。


とりあえず最後の着信履歴から折り返した。


2コールで土上は出た。


「立花警視! どうしたんですか? 何かあったんですか! 心配しましたよ」


「ごめんなさい。どうやら疲れが溜まっていたみたいで寝過ごしただけ、今から急いで行くから……」


「よかった。上には直行で聞き込みに行ってますって報告しときましたから大丈夫です」


「あら、機転がきくのね」


「へへへ。ところで昨日はどうでした?」


言われて気づいた。


そうだ、昨日も自分は聞き込みをしていたはず。


「ちょっと待って」


鞄から手帳を出すとページをめくった。


「特に目新しい事はなかったわね」


「そうですか。やはり現場には何もなかったですか」


「え?」


土上の言葉の意味が一瞬わからなかった。


「いや、昨日、現場にこれから行ってみるって電話くれたじゃないですか」


「そうだったかしら……」


麗華には現場に足を運んだ記憶が無い。土上に電話をした記憶すら無い。


「大丈夫ですか? まだ寝ぼけてるんじゃ」


「そうね、まだ意識がはっきりしていないかも」


「まぁ、体が資本ですからゆっくりと聞き込みから帰ってきてください」


「ありがとう。お礼に今度何かおごるわ」


そう言って麗華は携帯を切った。


手帳にも現場へ行った形跡の書込みは無い。


『そういえば、昨日、どうやって帰ってきたのかしら……』


思い出せない。


被害者の会社周りを少し聞き込みしたところまでは記憶があるが、その後の記憶が無い。


お酒でも飲んで酔ったのならその前までの記憶はあるはずなのにありえない所から記憶が切れている。


『現場に行った?』


思い出そうとするが全く思い出せない。


「何? 何かおかしい……」


麗華は鞄を手にすると部屋を跳び出した。



被害者の会社に着いて手帳に書いてある聞き込み先を回る。


最後の行は17:20と書いてある。


そして自分はこれから現場へ向かったはずなのだが、どうやって向かったかの記憶が無い。


電車なら2駅で30分以内には着くだろう。タクシーならもっと早い。徒歩だとすると1時間ほどか。


自分ならどうしたか、それを推測する。


タクシーは無い。それほど急ぐような事でもないのにタクシーを利用するとは思えない。


電車。これはありえる。しかし、17:30近くの電車は会社帰りの会社員でごった返す時間帯だ、わざわざ満員電車に好んで乗るとは思えない。


そうなると、歩き。


これがもっとも可能性が高い選択だ。


今日の聞き込みのまとめ、明日からの捜査方針など考えながら歩けば1時間程度の歩きなど苦にもならない。


歩きだ。


腕時計を見る。


まだ昼の12時を過ぎたところだっだ。


当日とは時間が違うが同じように歩けば何か思い出すかもしれない。


麗華はおそらく自分が歩いたであろうコースで公園まで歩くことにした。




一時間かけて歩いたが何も思い出せなかった。


公園まで後5分もあれば着く住宅街を歩く。


「歩きじゃなかった?」


この辺りの住宅は比較的新しい建物が多く通りに面している方はしっかりと壁で仕切られている為、家の中までは見ることはできない。


壁と壁に挟まれた通路を歩いているような感じだ。


電柱も無い。今は地下ケーブルで全て配線されている時代だ。


何人かの住民とすれ違ったがこの数分は誰にもあっていない。


『あれ? ここ、さっきも通ったような』


同じような造りの家が多い為、錯覚しているだけかもしれない。


ちらりと家の門を見る。


足を止めた。


そしてまた歩きだす。


数分後、後ろを振り返った。


『ありえない。この数分、左右への分岐が一度も無い。この距離の直線だけの通りなんてこの場所では無いはず』


来た道を戻る。


やがて自分が同じ所をクルクルと回っている事を確信した。


同じ造りの家。同じ名前の表札。それが何度も現れるのだ。


再度、逆方向へ向かおうとし振り返った目の前に何か黒い塊が浮かんでいた。


高さ2メートルくらいの場所に浮かんでいる。


「何?」


その黒い塊からボトボトと黒い何かが落ち始める。


蟻だ。


体調が30センチはありそうな黒い蟻がボトボトと地面に落ちている。


落ちた拍子に引っ繰り返っている物もいるが、すぐに起き上がり2本突き出した牙をカチカチと鳴らす。目は赤い。


すでに目の前に蟻の塊ができている。10匹以上はいる。


襲ってくる、そう感じ蟻とは逆方向へ全速力で走りだした。


逃げ込める場所は無いか目で探りながら走るが門を押し開けているうちに蟻に追いつかれそうで左右の家には跳び込めない。


後ろをチラリと見ると蟻との距離が縮まっている。


『追いつかれる!』


後ろを気にした為かつまづいた。


何とか転倒はまぬがれたが蟻との距離が一気につまった。


2メートルもない所に先頭の蟻がいる。


とっさに鞄を投げつけたが、それでどうなることもない。


今にも麗華の足に蟻の牙が届くかというところでガン!という音が響いた。


先頭の蟻が体の一部を残して粉々になる。


ガン!ガン!ガン!


空気の振動を感じる。


銃撃だ。


連続する音と共に蟻が粉々になっていく。


その場で動けない、動けば自分にも弾が命中するのではないかと麗華は思った。


やがて目の前に黒い残骸が敷き詰められた。


麗華はようやく辺りを見渡した。


自分の後ろ、蟻の残骸と逆の家の屋根に黒いスーツ姿の人影を見つけた。


スーツ姿の男がまるで重力を無視するかのようにゆっくりと飛び降りてきた。


「小物だと団体で抜けてくるようになったか」


蟻のことを言っているようだ。


男は足早に近付くと、右手で麗華の顎をつまみ上に持ち上げた。


空が見える。


ハッと我にかえった麗華が手を払いのけた。


男は気にするでもなくズボンのポケットからスマホを取り出すとどこかへ電話しはじめた。


「あなた今、拳銃をつかったわね!」


男の返事はない。


明らかに犯罪行為をおかしている。


警官である麗華としては見過ごせない状況だ。


男はアジア系の顔つきで身長175程度、自分より10センチほど高い、見た目は細身だが以外と筋肉はついているかもしれない、屋根から飛び降りて怪我もないところをみると、かなり身体能力が高そうだ。


「仕事熱心なのもいいが、先に礼じゃないのか?」


「ふざけないで! あなた何者?」


男は答えず壁ぎわまで行くと座り込んだ。


「ちょっと!」


相手は拳銃を所持している、不用意に刺激できない。


「今、説明係が来るから待て。寝てないんで疲れた」


「説明係?」


見た目は20の真ん中から30前半くらい、部下の土上と近そうだ。


麗華は警察手帳が鞄に入っていることに気づき、蟻に向かって投げた鞄を拾おうと振り返った。


「死骸がない……」


あれほどあった蟻の死骸が綺麗に消えている。


鞄が地面に落ちているだけだ。


「奴らなら巣に帰ったぞ」


何が起きたかはわからないが、まずは目の前の犯罪者が先だ。


麗華は鞄を拾って警察手帳を広げ


「署で話を聞きたいので同行願います」


そう言った。


「面倒だから断る」


男の答えにはあきれるが麗華にはなれたやりとりだ。


「あなたには銃刀法違反の疑いがあります! この場で逮捕もできるんですよ!」


一瞬だった。


男が右手に拳銃を持ち、その銃口が麗華に向けられていた。


「この銃のことか」


引き金を引かれたらと思うと額から汗があふれる。


おそらく男が撃つことは無い、そう思いながらも麗華は黙ったまま動かなかった。


余計な行動は相手を刺激する、今はその気がなくとも何かが変われば撃たれるかもしれない。


2人の間、いや麗華だけだったかもしれないが張りつめた空気のまま時間が流れる。


30分近くその状態がつづいた。


男は銃を構えたまま微動だにしない、これほど長く銃を構えたままでいられるなどよほど訓練をした者以外考えられないと麗華は分析した。


やがて車が近付いてくる音がした。


「来たか」


男が立ち上がった。


銃口がやっと麗華から外れた。


麗華たちの前に現れたのは黒いワンボックスカーだ。


車のドアがスライドしグレーのスーツで銀縁のメガネをしたいかにも事務系の男が降りてきた。


「何をしている。銃をしまえ。結界の無い場所で無暗に能力を使うなと言っているだろう」


そういうと銀縁メガネの男が麗華に近付いてきた。


「立花警視。一緒にきてもらおう」


私を知っている?


「そうはいきません。あなた達が何者かわからないのに同行?」


麗華は仕事用の携帯を取り出した。


「無駄だよ。君の所持している携帯は解約済みだ」


「どういうこと……」


銀縁メガネの男がスーツの内ポケットから見慣れた物を取り出し麗華に見せた。


今、麗華が男に見せたものと同じだが、所属している部署が違った。


「こ、公安?」


「これで同行してもらえるかな?」


偽物かもしれないが、本物なら拒否すると後々面倒なことになる。


上司の怒る顔が頭に浮かんだ。


「いいわ、こちらも聞きたいことがあるから同行します」


銀縁メガネの男が車に向かい歩き出した。


麗華は黙ってその後をついていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る