第1話

ありえない。


どうして自分はこんな公園に足を運んだのか。


どうしてこんな目にあわなくてはならないのか。


どうして自分は動けないのか。


どうして自分は……


目の前に迫る巨大な口は鋭い牙を光らせ赤い舌をチョロチョロさせている。


これから自分に起こるであろう事は容易に想像がつく。


何の音もしない世界で指一本も動かせず、叫び声すらあげられず、自分は目の前に迫るそれを凝視している。


やがて巨大な口が、右肩から腹に向かってガブリと噛みついた。


悲鳴を上げるところだが不思議と痛みはない。


一気に噛み千切ると今度は自分の後ろから左にまわる。


左の腰の辺りをまたガブリと巨大な口が噛み千切った。


左の下半身が無いのに自分は何故倒れないのか。


巨大な口のそれは満足したのか現れた方向にゆっくりと戻っていく。


やがてその姿が闇に消えると突然バランスを崩した自分は前のめりに倒れていく。


地面が近づく途中で自分は暗い闇の中に落ちていった。


2度と抜け出せない闇の中へ。






週末の早朝に目覚ましがわりのようなサイレンが鳴り響く。


普段ならジョギングを日課にした彼らが束の間の休憩で知り合いと軽く談笑でもする公園が今朝は立ち入り禁止の黄色いテープとその傍らに立つ警官によって封鎖されている。


「何があったんですか?」

「死体が見つかったとかで、事件ですかねぇ」


そんなやり取りがあちらこちらでされている。


早朝から駆り出された立花麗華タチバナレイカは明らかに寝不足の顔をして現場に現れた。


「ああ、立花警視。おはようございます」


部下の土上保ツチガミタモツ警部補の挨拶に右手を上げただけで麗華はそのまま横を通りすぎた。


「何かすごい顔してますよ」


土上は触れてはならない地雷を踏んだことに気付いていない。


いっそう不機嫌になった麗華は右手で頭を掻くと地雷を踏んだ当人に語気を強め言った。


「よけいな事は言わなくていいから現状を説明しなさい」


「あ、はい。被害者はツチヤ マナブ、35才。免許証から身元は判明しています。死亡推定時刻は深夜0時から2時の間ではないかとのことです」


「そんな時間に公園で何してたのかしら、家は近いの?」


「いいえ、こことは会社を挟んで反対方向です」


「反対? じゃあ何の為にここに来たのかしら……」


「それはまだ何もわかってません。家族と会社関係への聴取にはすでに向かっています」


目隠しのブルーシードで区切られた中に入る。


遺体には黒いビニールシートが被されているが、辺りには尋常じゃない血痕が巻き散らかれている。


「この血痕を見るとかなりの傷をおってるようね」


「遺体を見れば一目で理由がわかりますよ」


土上は思い出すのも嫌な顔をして口を押さえた。


「だらしないわね」


「いや、あれを見たら誰でもこうなりますよ」


麗華は黒いシートの端をつまんで持ち上げた。


「何これ……」


異様な遺体だった。


うつ伏せに倒れている右肩から下に腹までごっそりと無くなっていた。


内臓の切れ端が外に少しはみ出ている。


「左の腰から足も同じようなもんです」


土上は麗華がまだ見ていない部分の状態を先に告げた。


「見ない方がいいですよ。後で写真で確認すれば直に見るよりはショック少ないですから」


土上は親切心でそう言ったのだが、麗華は反対にまわるとシートを持ち上げた。


眉間を歪めた。


「傷は2カ所なの?」


「はい」


「で、腕と脚はどこ?」


「それが見当たらないんですよ」


「見当たらない? まさか犯人が持ち去ったっていうの」


コレクターと呼ばれる殺した相手の体の一部を持ち帰り保管をする異常者は実際にいる。


だがその見当たらない物が大きすぎる。


「とりあえず鑑識と検死の結果待ちですかね」


「そうね、じゃあ聞き込みにまわりましょうか」


土上が口を押えたのに嫌味を言わなければよかったと感じていた。


でなければ麗華も同じように口を押えたに違いないからだ。

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