遥かなる新天地
風見祐輝
第1話
「おはようハル」
和樹はいつものように、強化ポリカーボネイト製の蓋の付いた生命維持ポッドの中で静かに眠る、春香という女性に朝の挨拶をする。透明な蓋の中の春香の顔の付近を優しく撫でるように、しばしの時間を費やすのが和樹のルーティンワークであった。
優しく撫でる彼の手と彼女の顔、その隔絶された距離は、およそ15センチ。それよりも近づくことも、その素肌に触れることも、もう彼にはできないのである。
それは何故かといえば。今、彼女は長期睡眠の真っ只中なのだ。このポッドは、生命活動に要するエネルギー消費量を極限まで抑え、細胞活動も常時の数千分の一まで低下させ、超長期間の睡眠に入る装置である。
メリットは、消費エネルギーが少ないため、食糧や酸素供給量を極限まで抑えることが可能で、老化の抑制にも繋がる。
今現在、春香の体感での一日は、和樹がいる生命維持ポッド外でいうところの10年以上にも相当するのである。正確な数字は個体差で変わるので明言できないが、おおよそ4000倍もの時間を生きることが可能と試算されているのだ。
この装置が開発された理由。それは偏に惑星間移動の為である。
人類はフロンティア精神に則り、その行動範囲を太陽系外宇宙まで拡大した。宇宙開拓時代の幕開けを迎えたのだ。
当初、人類移住候補惑星を探査する宇宙船団が組まれ、調査を開始してから数百年の歳月が流れていた。その間発見した移住候補惑星は僅かに二つ。しかし一番近い候補惑星ですら亜光速に近い速度で片道およそ50年。往復で100年という年月を要するのだった。
数ある候補惑星に散らばった調査宇宙船団の多くは未だ戻らず、その安否も杳として知れなかった。ある船は故障して宇宙の浮遊物となり果て、そしてある船は小惑星と衝突し宇宙の藻屑と化しているという憶測が飛び交っていたのだ。
当時はコールドスリープ装置というものがあったが、蘇生率は絶望的に低い代物だった。安定した機能を有していれば蘇生率は高いのだが、少しでも温度管理や装置の故障などあれば、ほぼ蘇生は困難なものだった。故に調査宇宙船は、大型船に大勢の人員と、長期航行を可能とする設備を備え惑星探査に旅立ったのだった。
調査を終え戻って来た数少ない船には、時には、3世、4世といった具合に世代を重ねていたという話である。
そして近年になり地球の資源も枯渇し始め、人類はその二つの惑星に向け各々移住を開始したのだった。
惑星探査船が出発してから優に数百年の歳月を経て、ようやく移住が開始されたのだ。
この頃になれば宇宙船も高度な技術で建造され、長期間航行も可能なように、長期睡眠装置も開発されていた。従来の大型船よりも、少人数の小型船の建造の方が、はるかにコストがかからないため、移住には小型艇が量産されたのである。
そして第3253移住要員として抽選に当選したのが、和樹と春香だったのだ。
一頻り春香へ朝の挨拶を済ませた和樹は、よろよろと立ち上がり、これから本日の作業を始めるのだった。
おそらく今日が最後の作業になる。これをしておけば安心して旅も続けられるはずだ。
そう思い和樹は重い腰を上げるのだった。
◇
時は二人が地球を発ち数日が経過した時点に巻き戻る。
「ねえ和樹。亜光速まであとどれくらいで到達するの?」
「そうだな、ええーと、後、地球時間で7日と17時間32分だってさ」
春香の問いにコクピットに座る和樹は、航行総合モニターを見ながらそう答えた。
宇宙船は一気に亜光速まで加速するわけではない。徐々に徐々に速度を上げ光速間近まで速度をあげるのである。それは何故かといえば、急激な加速度に人体が耐えられないから。その一言である。
「うへー、まだそんなにかかるんだ……でも、もうあの高重力に苦しむことはないんだよね?」
「ああ、高Gを出す設備も、スイングバイももうないよ。軌道エレベーターからマスドライバーで1回、月で3回、地球で2回、昨日の火星で最後だよ」
速度を上げるためには燃料の消費が顕著である。それを補うために、マスドライバーでの射出、地球と月それと火星の重力を利用したスイングバイ航法での燃料の削減を実現しているのだ。
「一番きつかったのは、マスドライバーかな……あんな加速は初めてだったよ……」
「確かにそうだな。いくら斥力システムがあっても、地球の重力の3倍までしか軽減できないからな。あの12Gは僕でも気を失いそうになったよ」
「そうね、私は気を失ったし……」
「それにお漏らしもしてたしな、あははははっ」
「う、うるさいわねっ! それは言わない約束でしょ! まさかあんなに凄いなんて、予想もしてなかったんだから。笑うなんて酷いよっ!!」
ぷうぅ、と膨れっ面をする春香に、和樹は笑いながらも謝るのだった。
斥力システムが開発され、船内は地球と同じ1Gを保つことができるので、宇宙空間においても筋力の低下や宇宙酔いのようなものはなくなっている。それに亜光速への加速時間も、斥力システムのお陰で、従来の3倍以上の速さで到達も可能になり、燃料の消費も格段に抑えられるようになった。
「でも、なんで光の速度を超えることができないの?」
「うーん、まあ大昔の物理学者は相対性理論とかいって、光速を越えての物質の移動は不可能と言っていたみたいだけど、近年では理論的には出来るという結論が出たようだぞ。でもそれをすると安全な航行ができないらしい」
「ふーん、そうなんだ……でも、早くワープ航法とか発見できないのかしら? そしたら、一瞬でネオフロンティアに行けるのにね……」
ネオフロンティアとは発見した二つの惑星の内の一つである。
地球からの距離、およそ100光年先にある惑星だ。亜光速で移動して約105年の歳月を有すると軌道計算が出ている。ちなみにそのカウントダウンも総合モニターに表示されているが、二人は見て見ぬふりをしている。見ると気が遠くなるからだ。
「それを発見したらノーベル賞ものだよ。光速の3分の2まで加速すれば、通信でさえ、もう地球との交信も不能になるんだ。今でさえもうラグが1日以上あるからね。早くクォンタム通信でも確立してくれれば、こんな半自動航行なんてしなくて済むのにな。全てリモートパイロットで事足りるのにね」
ワープ航法なんて夢のまた夢、SFの世界である。ましてや通信も光の速度を超えていない今では、これ以上の航行速度は無理に近い。
なぜかといえば、超光速の実現を不可能にしているのが通信の未発達なのである。光の速度を越えられない通信では、レーダー機能も後手に回り、航行進路上の小惑星や浮遊物の検知ができなくなるからである。
前方のレーダー検知の為には、亜光速に近くなった時に、小型のレーダー艇を先行射出し、前方の浮遊物検知を行いながら、安全を確保し航行するのが亜光速航行の鉄則である。故に超光速にまで加速した場合、レーダー艇が浮遊物を検知しても、通信が到達する前に浮遊物や小惑星に衝突といったことが起こってしまうからである。
「はあ、あと一週間ちょっとか……早く長期睡眠装置に入りたいものね……」
春香はもう既に宇宙の旅に飽き始めている。太陽も徐々に小さくなり、外の景色は代わり映えのしない星の海。最初こそはその美しさに何時間も見惚れていたのだが、そんな幻想的な風景も数日も見続ければ飽きが来るというものだ。
宇宙船内は無機質な機器が配置されており、それを見ていても機械音痴な春香には頭が痛くなるだけである。
船のコントロールは、よっぽどのことがない限りオートパイロットであるが、半自動航行ということもありその操縦技能は、和樹が一通り訓練を受けているのだった。
春香は長期睡眠装置にさえ入ってしまえば、目が覚めたら新天地。105年という歳月を、一瞬で埋められる装置に早く入りたくて仕方が無かったのである。
「あははははっ、もう少し我慢だよハル。亜光速で安定航行できるまでは機器の信頼度も下がるからさ。というより105年も眠りに就くんだから、今の内に少しでも一緒にいてくれよ」
いくらコールドスリープとは比較にならないだけ安全とはいえ、長期睡眠装置も100%信頼を置ける装置ではないのだ。105年もの間、故障や何らかの不具合が起ころうものならば、眠ったまま死んでいるという可能性も否定できないのである。
宇宙の旅とはいわば、遥か昔から命懸けの一大イベントなのだ。
「はーい、甘えん坊なんだから和樹は。うふふっ」
そうは言いつつも春香は和樹に寄り添い、優しくキスをするのだった。
和樹と春香は婚約者である。とはいえ出発の際、軌道エレベーター内のチャペルで結婚式を執り行っているので、もう夫婦も同然なのであるが。
ただ今の所子作りは厳禁である。もしも妊娠が発覚した場合は、長期睡眠装置の使用ができなくなる。何故なら大人の細胞とは違い受精した細胞は、その分裂速度と新陳代謝が活発な為、長期睡眠装置内にいる内に成長する可能性があり、母子ともに死亡してしまう可能性が高いのだ。
故に、この宇宙船には避妊具はたくさん常備されているのである。
ネオフロンティア移住計画とは、言ってみれば体の良い子孫繁栄要員なのである。まだ若い夫婦の男女を招き入れ、女性は子供を産み子孫を増やす。男はその家族を守りながら新天地の開拓に尽力してもらうといった具合なのだ。
第一次開拓団の超巨大宇宙船が地球を出発してから約百年。その期間があればもうかなり開拓も進んでいる筈である。まあただ今時点では、開拓団が到着してから然程の年数も経過していないだろうが。
それから数日が経過した。
翌日には亜光速に達しようというこの時。自宇宙船のレーダー捕捉範囲がいよいよ狭まって来たことで、予定通り小型レーダー艇を先行射出する時が来たのだ。
亜光速にも近付き、これ以上レーダー捕捉範囲が狭くなると、宇宙空間の浮遊物への回避行動が間に合わなくなるからである。
直径30センチ未満の浮遊物であれば、宇宙船前方に張ってある重力シールドで船体に衝突する前に弾くことができる。しかしそれ以上の大きさの物だと重力シールドの影響も弱まり船体への衝突は免れないかもしれないのである。相手の速度にもよるが、光速に近い速度でそんな物に衝突しようものなら、いかな強度の高い宇宙船とはいえダメージは深刻だろう。
ただ相手も光速、若しくは超光速で飛来してきた場合は、いくらレーダーが十全に機能していようとも回避は困難なのだが……それはもう事故として扱うより他ないだろう。光の速度のおよそ二倍の速度で近付く物体の検知や回避など到底無理なのだ。そうならないように祈るばかりである。
「ハル、手順は教えた通りな」
「うん、分かってるよ~。いくら機械音痴の私でも、スイッチぐらい押せるよ」
「……そ、そうか? それならいいけど……」
和樹は若干遠い目をした表情で春香を見た。
「な、なによその顔! どんだけ信用できないの!?」
「いや、出会った頃を思い出したらさ、それだけで微妙に不安になって来た……」
「ぷぅ! あ、あの頃とは違いますっ! ……違うの……違うと思うよ……? たぶん……」
膨れっ面をしてみたまではいいが、徐々に自信が低下してゆく春香。
春香の機械音痴は筋金入りなのである。
「じゃあ行くぞ」
「おっけー!」
和樹は操縦席に座り、小型レーダー艇全般の最終チェックと射出後の機能チェックに従事する。春香は後方のシスオペ座席に座り、和樹の指示に従い、小型レーダー艇の射出スイッチを押す役割である。
「先行小型レーダー艇との同期完了。レーダー機能、システム、各部スラスタ、異常なし。射出まで60秒。射出ゲート開放」
「はい、射出ゲート開放!」
ぴこっ、とモニター上の射出ゲートOPENスイッチをタップする春香。
その操作と共に、宇宙船下部の格納庫のゲートが開く。
「電磁カタパルト延伸」
「はい、カタパルト延伸」
格納ゲートから船体に沿ってカタパルトが伸びる。
「カタパルト延伸完了」
「了解。じゃあ行くよ」
「は、はい!」
生唾を飲み、震える指を射出ボタンに添える春香。緊張しいである。
「……5・4・3・2・1・射出!」
「射出!!」
クンッ、と微妙な衝撃が船体を揺らしたが、そこまで大袈裟なものではなかった。
小型レーダー艇は無事に射出され、自機の前方へと飛んでゆく。
「やった、ねっ? うまくいったでしょ!」
「はははっ。ああ、お疲れ様」
えへん、と胸を張る春香。
スイッチを押下するだけで、そこまで自慢げにすることもないだろうに。と、和樹はモニターを睨みながら苦笑いをする。
「速度安定、通信良好、予定軌道確保、各種機能異常なし……」
小型レーダー艇は、ぐんぐんと進んでゆきその姿は肉眼では捉えられなくなった。
およそ10光秒先を先行し、周囲の情報を逐一伝達するのがその役目である。
「よし、サーチ開始!」
最終工程に入り、サーチ情報の収集を開始した。
その瞬間。
──ビィーーーーーーッ!
という警報音と共にモニターに危険警告が表示される。
「なんだ!!」
「えっ、なに?」
ガクン、とオートパイロットに依り船体が緊急回避動作を始めた。
「ハル! 席を離れるな!!」
「ど、どうしたの! 何があったの!!」
回避によるGが体にかかるが、和樹はモニターを必死に見る。
「──くっ! 直径1.5メートルの浮遊物が接近……回避確率60%……3秒後に最接近!! ハル!! 身を──」
そう話している間にも飛翔体はみるみると接近し、重力シールドへ触れ進路は若干干渉したのみでそのまま二人の乗る宇宙船へと衝突した。ほんの一瞬の出来事である。
──ゴン!!
という衝突音と共に船体へ物凄い衝撃が伝わる。
「──きゃあっ!!」
「──わあっ!!」
シートに体を固定はしているが、その衝撃は二人を気絶させるほどに強烈なものだった。
船内の電力は、メインのコンピュータ系の電源を残し一時遮断され、非常灯に切り替わる。
そして静寂が船を包むのだった。
幸いなことは、自動回避行動があったおかげで、飛翔体の直撃を免れた点だろう。船体へ少し衝突し、掠めて行ったような感じである。それでもこの衝撃である、もしも直撃をしていようものなら、光速に近い速度の宇宙船など、粉々になり宇宙の塵となっていたことだろう。
「つっっーぅ……」
しばらく気を失っていた和樹がようよう意識を取り戻す。
「くっ……な、なにがあった……」
ズキンと首が痛むが、その他に体の異常は感じられなかった。
「そうだ、ハル! ハル! 大丈夫か!?」
「……」
「くっ!」
和樹の問いかけにも春香は返事を返してこない。
後ろの座席を見ると、椅子にぐったりとした姿勢で座る春香の姿があった。
和樹は急いで立ち上がり、春香の元へ急ぐ。
「ハル、ハル?」
春香の肩を静かに揺すり、頬を軽く叩く。
呼吸をしているようなので大丈夫そうである。
「……う、ううんっ……」
「ハル、大丈夫か?」
「……あ、和樹……おはよう……」
春香は目の前にある和樹の顔を見て、寝起きと勘違いしているようだ。
「いや、おはようじゃないよ、それより大丈夫か? 痛いところないか?」
「え? ……あ、そうか、なんかすごいこと起こったんだよね……うん、体は大丈夫そうよ」
「そうか、良かった……」
和樹は一頻り安堵し、深い溜息を吐くのだった。
「ねぇ、いったい何があったの??」
「ああ、たぶん小惑星か何かだと思う……あと少し小型レーダー艇を起動するのが遅れたら危なかった所だよ……」
小型レーダー艇の情報を受け、回避動作を取っていなければ、おそらくは直撃コースを進んでいたであろうことは、アラームが発報したことでも明白である。コンピュータの瞬時の軌道計算で導き出された結果なのだ。間違う要素は少ない。そして、間に合わないまでも回避動作を実行したのである。
「そ、そう……」
春香は事の重大さを知り、顔面蒼白になりカタカタと震え出す。
宇宙の旅に危険は付き物だが、ここまで死に直面する事態が起ころうとは、ゆめゆめ思っていなかったかのようだった。
「もう大丈夫だよ。少し船体を掠めたようだけど、何とか無事に切り抜けられたようだよ」
「そう……」
しかしそれでも一歩間違っていたら死んでいたかと思うと、春香は怖くてたまらなかった。神妙な顔付きで頷くしかできない。
今頃になって恐怖に身を震わせる春香を、和樹は優しく抱擁するのだった。
春香を一時寝室へ連れて行き休ませることにした和樹は、宇宙船の被害状況を把握するべく行動するのだった。
先ずは統合管理システムの情報を閲覧し、船体の被害、生命維持系の被害の有無、などを細かに検証していった。
「な、なんだって……」
そこで見た情報に和樹は、一時呆然とするしかなかった。
「燃料系、スラスタ関係は異常なし……斥力システムも異常なし……問題は、発電システムの不具合……発電効率55%減……酸素タンク破損……残量10%……貯水タンクも破損……残量5%……」
生命維持に必要なものの数値が尽く低下していた。
酸素タンクや貯水タンクに関しては、元来緊急用としての役割がメインなのでそう重きを置くことはない。酸素や水を再利用するための装置は備え付いているからである。
呼気で排出される二酸化炭素を酸素に還元する装置。呼気中から出る水分や、排泄物からの水分を飲み水に再利用する機器も備わっているのだが、その装置には大きな電力が必要不可欠なのである。今の発電効率では十分な機能を発揮しないと思われる。
「こ、これは厳しいな……」
現状況でこのまま航行を続けて、最長どれくらいの期間生存できるかをコンピュータに試算させたところ、あまりにも厳しい結果が弾き出された。
二人で生存可能な日数は50日。
「それでも、長期睡眠装置に入れば、その装置に付いている生命維持機能だけで、ネオフロンティアに着くだけの期間は眠っていられるから、なんとかなるだろう……」
睡眠装置の解除は、ネオフロンティアに到着するおよそ30日前。宇宙船の減速が始まる頃である。
「よし、なるべく早く長期睡眠装置に入るようにしよう」
船内の被害状況を調べ、船外もモニターで調べたが、空気の漏れも見つからず、一頻り安堵した和樹は、最後に長期睡眠装置の置いてある部屋へと来た。
そしてそこで目にしたものは……。
宇宙船はその後順調に加速を続けた。
そして亜光速に到達するや否や、和樹と春香は長期睡眠に入るべく装置の置いてある部屋へと向かった。
「よし、これで目覚めたらいよいよ新天地だ」
「そうね、十日分くらいの睡眠で実際は100年も時間が経つなんて信じられないけど」
「ははははっ、そうだな、でも、若いまま新しい惑星で新しい生活ができるんだ。こんなに嬉しいことはないよ」
「ええ、そうね。和樹と一緒に新生活が始められるのね。子供は何人作ろうかしら? ねえ、和樹は何人欲しい?」
「……う、あ、ああ……そ、そんなの決まっているだろ? たくさんだよたくさん。野球でもサッカーでも家族でチームができるくらいな……」
「??」
和樹の反応が幾分おかしかったことに首を捻る春香。
子供が何人欲しいかと訊ねた時、和樹は一瞬表情を暗くしたような気がした。そして強がるかのように、たくさんの子供が欲しいと言ったのだ。
どこかいつもと違う和樹の態度に若干不安を覚えるのだった。
「どうしたの和樹? 何か心配事でもあるの??」
「いやないよ。ただ約100年もハルと別の装置で離れ離れになるのが寂しくてさ」
「もう、なに言ってるのよ。すぐ隣の装置で寝るだけよ? 私達の感覚なら100年間寝ても、いつものように夜寝て朝起きるような感覚だって何度も講習で習ったじゃない」
「そ、そうだよな。寝て起きたらまた……また会えるからな……」
「もう、なに? ほんと、ちょっとおかしいわよ和樹?」
どこか務めて笑顔を作るような和樹に、春香はただ首を捻るのだった。
この時の和樹の内心などおそらく推し量ることは出来ないだろう。
「いや、ほらいうだろ? なにものにも絶対ってことはないって。いくらこの装置が信頼度が高くても、万が一ってこともあるかもしれないだろ? だからさ、なんとなくそう思っているだけだよ」
「もう、これから装置に入る前にそんな不吉なこと考えないでよね。私も心配になって来るじゃない」
「はははっ、ごめんごめん。心配症だな僕は……さ、ハルから先に入りなよ。僕がセッティングしてあげるよ」
「うん、分かった」
はらりとガウンを脱ぎ素っ裸になるハルは、そのまま装置の中へと身体を入れて行く。
いちおう長い年月装置内に入る為、余計な衣類は着用しないようになっている。生命維持を目的としているだけで、衣類などはその年数をまともに経過してしまうので、経年劣化やその衣類によって引き起こされるかもしれない不慮の事故を防止するためである。
心電計のコードを取り付け、薬剤投与と栄養補給のための点滴チューブを持つ和樹。
「大丈夫? ちゃんと血管に刺さるかな?」
「だ、大丈夫さ! どれだけ練習したと思ってるんだ?」
研修で医療関係の知識と実技を習得し、出発前にも何度か春香で練習もしていた和樹だった。
「ええ、でも、10回に1回は失敗してたじゃない」
「うるさいよ、ほら動かない。動くとその十分の一が起こっちゃうぞ?」
「えへへ、ごめんなさい」
春香は楽し気に微笑んだ。
処置も終わり、装置の起動をすれば長期睡眠の開始である。これから百年間は眠り続けるのだ。
「よし、これでいいぞ」
「うん、ありがとう和樹」
春香は装置に身体を埋め、準備万端である。
「じゃあいいな。装置を起動するぞ?」
「ちょっと待って、ほら忘れてる!」
「ん? 何か忘れていることあったか?」
「ん~っ!」
春香は口を尖らせ唇を指差す。
「おやすみのキスがまだよ!」
「あは、そうか、ごめんごめん」
和樹は春香に顔を寄せ、そして唇に優しくキスをするのだった。
「おやすみハル」
「おやすみなさい和樹」
装置の起動ボタンを押すと、ゆっくりと強化ポリカーボネイト製の蓋が閉まってゆく。
「また百年後ね」
「あ、ああ、また百年後に……」
その言葉を最後にポッドの蓋は固く閉ざされた。
和樹はできうる限りの笑顔で春香を見送る。
春香も薬の投与が始まり眠気が来るまで、にっこりとした笑顔で和樹を見ていた。
そして薬も効いて来たのだろう。春香はゆっくりと瞳を閉じ、長い眠りへと入ってゆくのだった。
「ハル……幸せに生きろよ……」
そう呟きながら、和樹は一滴の涙を強化ポリカーボネイト製の蓋の上に落とすのだった。
◇
和樹が春香と出会ったのは、惑星移住プロジェクト推進委員会が催す講習会場だった。
和樹は移住のための応募をずいぶん前から申請してはいたが、今までその抽選に当選することはなかった。その理由は簡単である。偏に一緒に移住してくれる相方がいなかった。ただそれだけなのだ。
だが、いつ当選してもいいようにと講習だけは受講しておこうと訪れた講習会場。
そこで春香と初めて出会ったのだった。
(珍しいな、女の子がこの講習を率先して受けるなんて……)
和樹の隣の席に座った女性は、和樹と歳は同じくらい。とても可愛くて一目で惹かれてしまった。いわゆる一目惚れだ。
ただ、この講習は基本的に男性が多く受講するのが常である。女性が受講するにはそれなりに理由がある筈である。
お相手の男性が忙しく、受講している余裕が無いから代わりに受講する。若しくは男性が機械音痴で女性に丸投げする。そのどちらかである。
基本的に女性は、宇宙船の操作や修理などの講義は受講しないものだ。主に医療系の講習を受けるのが当たり前の構図なのである。
彼女との机と机の間の距離はおよそ15センチ。その距離に得も言われぬ近さを感じた。生真面目にノートを取る彼女の姿は、ほんとに微笑ましい。今時端末にではなく直筆でノートに文字を綴るなんて。と、少し笑いそうになった。
だが、どうせ自分のように相手もいないで受講する物好きなどいない。おそらくもうお相手がいるのだろうと、半ば諦めた心境でもあった。
そして、何の会話もすることなく数日の講義が終わり、本日から実技へと移る時、会話のチャンスが訪れた。
「ど、どうもよろしく、北神和樹と言います」
「あ、よ、よろしくでう……わわ、私は春香、南野春香といいまし」
噛み噛みで挨拶する春香に、和樹は微笑ましく思い、ますます惹かれて行く。
実技は二人一組で行うカリキュラムらしく、隣の席の春香とペアを組まされたといったところである。
だがその実技が良くも悪くも和樹の運命を変えることになったのだ。
「あっ、わわわわっ! あ、あああああああ、あの、あのあの、これでおうすればぁあああ~っ」
など、簡単な実技にもかかわらず、右往左往して満足に操作もできない春香に振り回されるのであった。
「ああっ! そこはそれ、そのスイッチを──なあ! ちがーぅ! そ、それじゃあもっと──」
「──き、きゃあああああぁぁっ!!」
「──ああああああっ、ど、どら、替われっ!!」
相当な機械音痴であった。
そんな昼休み。
「ご、ごめんなさい……」
食堂で昼食を食べていると、自分のお弁当を持って、申し訳なさそうに和樹の前に立つ春香がいた。
「ん? あ、ああ、気にしてないよ。むしろ、間違った操作をするととんでもないことになると勉強になったから、君には感謝しているよ。ははははっ」
「やっ、そ、そんなに笑わなくても……で、でもすいません。迷惑かけています……」
「ああ、ごめんごめん。でもほんとに気にしてないから。ん、お昼でしょ? 座ったらどう?」
立ったまましょげ返っている春香に座るように促し、一緒に昼食を食べることにした。
和樹は実習でもそうだったが、こうやって一緒に食事を摂れることに、どこかウキウキとした気分でいたのだった。
「ところで、君は偉いね。相手の男性の為に受講しているんでしょ?」
ただ黙って食事するのもあれなので、少し話でもしようと思い和樹はそんな質問をしてみた。実際、彼女の事が気になり始めてもいたから仕方が無いことだ。
「あ、え、いいえ、私はまだ独り者です……もし、お相手が見つかったら、すぐにでも移住できるようにと、先に講義を受けようかなぁ~と思いまして」
「へえーっ……」
──なんとラッキーな!
そう思ったかどうかは知らないが、和樹の表情はそう物語っていた。
「と、ええと、北神さんは、もう移住の抽選に当選しているのですよね? いいなぁ~私も早く移住したいなぁ~」
地球は今の時点では管理社会として機能しており、資源の枯渇も進み、意外に自由な生活は出来なくなってきている。そこに惑星移住計画で未開の地で自由に開拓するといった夢のような企画に、若者は徐々に惹かれて行っているのだ。
一部の反対派には、洗脳行為だの世界的なプロパガンダに惑わされるな。といった声もあるが、それ以上に若者にとっては魅力的な新天地として受け入れられているのである。
「ん? んにゃ、まだ当選していないよ。僕も独り身だからさ、抽選には当たりづらいんだよね。どうしても先にお相手がいる人達を優先する嫌いがあるからね」
「えっ? そうなのですか? じゃ私と一緒ですね」
「ああ、そうなるね」
そんなシンパシーを受けたのか、それから和樹と春香の距離は徐々に近づいてゆくのだった。
そして講習も残り少なくなったある日。
「和樹さん、明日が第3253移住要員の抽選日ですよ」
月に4度ある抽選日の日である。
「ああ、そうだな。前回も落っこちちゃったからな……今回も無理かもしれないね」
「えーと、そ、それじゃあこういうのはどうですか?」
「ん? なに?」
「応募要項は今日のお昼まで変更可能でしたよね?」
「うーん、ああ、確かに昼の12時までに変更できるよ」
「なら、随伴者の欄に私の名前を登録してみてはどうですか?」
「はぁ? どういうことそれ?」
「いえ、もし私を随伴者として登録して、もしも抽選に当選したら、その暁には私を妻として連れて行って欲しいんです」
「え゛!!」
突然の告白に目を白黒させる和樹。
確かに随伴者の欄に伴侶となる者の名前を記入すると当選率がグンと上がる。しかし、仮に当選したら夫婦として移住しなければならないのだ。この抽選に自分の将来を賭けようとするなど、どういう考えなのだろう。そう思う和樹だった。
「あいや、もし当選したら僕と結婚してくれるってこと?」
「は、はい!」
「いやいや、本当にそれでいいの?」
「はい!」
「もし外れたら? そんなこと帳消しになるの?」
「いいえ、その時はまた次の抽選に、それもダメならまた次の抽選に挑戦しましょうよ」
「えっ……」
「はい、この数週間で私は決めました。和樹さんとなら私、一緒に新天地に行きたいと思い始めました」
和樹と過ごしたこの講習期間で、春香は和樹に好意を抱いてしまったという。機械音痴な自分をサポートしてくれ、何かと世話を焼てくれる姿に惚れてしまったと告白された。
そんな和樹も出会った時から春香に惹かれていたのは言うまでもない。
「そ、そっか、なら、僕からも告白するよ。一目見た時から君が気になっていました。好きです。お付き合いしてください!!」
「はい! 和樹さん!!」
こうして和樹と春香は付き合うようになった。
そしてその足で惑星移住プロジェクト推進委員会の公募端末で、随伴者の欄に『南野春香』の名前を追記したのだった。
翌日の第3253移住要員の抽選。そこに北神和樹が当選したと発表され、和樹と春香は嘘のような、信じられないといった表情でモニターの前で、仲良く手を繋ぎながら立ち尽くしていたという。
それから半年の実地研修の後、宇宙へと二人は旅立ったのだ。
◇
時は春香が長い眠りに就いてから50日後。
「結局は駄目だったよ……装置は直らなかった……はぁはぁ……」
あの小惑星衝突事故で発生した最大の不具合。
それは長期睡眠装置の故障だった。発見した当初、二基のうちの一基がエラー表示を発報していたのだ。
和樹は春香に気取られないようにそのエラーを解除し、表示的には正常に動作しているように装った。いずれにしても一基は正常に動いていることを確認できたのは僥倖である。翌日には亜光速に達し、安定した航行も出来るので長期睡眠装置に入る計画は崩せない。もしも別の一基が壊れていると春香に気取られでもすれば、一緒に修理しようといって睡眠装置には入ってくれないだろう。なおかつこの宇宙船の生命維持装置に損傷があることなど春香には報告していない。二人で船内で活動していれば、遅くとも50日後には酸素も水もなくなり死んでしまう。
そうならないように。
和樹は大切な春香だけでも生き残れるようにと、演技をしていたのである。
一人を救うプランと、二人とも死んでしまうプラン。和樹が選択するのは、間違いなく前者しかなかったのだ。
「もう酸素も残り少なくなってきたよ……ハル、君が目を覚ましネオフロンティアに到着するまでの酸素と水は残してある。食糧も十分だ……あと、船は自動制御をしてあるので何も問題はない。減速を始めたら緊急通信を発報するようにコンピュータに指示を出してある。あとは向こうの管制のリモートパイロットで無事に着ける筈だよ……はぁはぁ」
酸素が薄くなり、思考が鈍って来る。
少ない電力をシステムと長期睡眠装置に割り当てると、空調システムでの酸素再生や水再生までの電力は回せない。生命維持に必要な酸素も、持ってあと数分といったところだろう。
最期の時、和樹は強化ポリカーボネイト製の蓋の中の春香に向け手を翳す。
「……ああ、ハル、出会った時あれだけ近かった15センチの距離が、今はこんなに遠くに感じる……」
春香と初めて出会った頃、机と机の間の距離は15センチ。その距離は和樹と春香をこうも近い関係にまでしてくれた。
だが今強化ポリカーボネイト製の蓋に遮られた15センチの距離は、途方もない距離感で和樹を孤独にする。
もう一度話したい、もう一度その柔らかな肌に触れたい。
そんな思いは一向に叶わないのだ。
この透明な蓋を開くだけで、長期睡眠装置の機能は失われてしまう。そんなことをすれば春香の生命を維持することは難しくなるのだ。
「……ハル……君は100光年先の新天地で……僕の分も生きてくれ……はぁはぁ……」
和樹の視線は春香を凝視する。が、酸素欠乏の影響で視界は徐々にぼやけて来る。
「……ハル……この15センチ。この15センチの距離は、今の僕にとって、君の旅する100光年より遠いいよ……」
和樹はその言葉を最後に、意識を手放す。
そして春香の眠る生命維持ポッドの脇に頽れるように倒れ、眠るように息を引き取るのだった。
およそ100年先……春香が目覚める時、その15センチの距離が埋まる日が来るのだろうか……。
それを知ってか知らぬか。春香は和樹と最後のキスをした余韻を残した微笑みのまま、静かに眠り続けるのだった。
おしまい。
遥かなる新天地 風見祐輝 @Y_kazami
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