記憶喪失の勇者③

 やる気のないサツキの始めという声を合図に、俺達は同時に動き出した。いや、レイナの方が僅かに早い。

 俺は飛び出してくるレイナを避けるように左後方へ跳ぶ。実際の体と同じように力を入れたからだろう、筋力の高い体では思ったよりも後方へ跳んでしまった。避けながら攻撃を当てられればと思ったのに。


 だが、その誤算に感謝することになった。レイナはトップスピードではなかった。俺に斬り掛かる瞬間、地を蹴って一瞬の内に距離を詰める。俺が予想していたであろう場所は、レイナの木の棒が空を切る。


 レイナは感心した様子で俺を見る。記憶を失ってもセンスは残っている、とでも言いたげな表情だ。

 無論、俺にはセンスなんてない。今のはただのビギナーズラックだ。偶然の産物に過ぎない。


 レイナは一息を付いて、追撃を仕掛けてくる。次は仕留めるといった強い意志を感じさせる、怖いぐらいの視線だ。


 俺に先程の攻撃を避けることは出来ない。次同じような攻撃が来れば負ける、いやどんな攻撃が来ても防ぎようがない。


 なら、俺は――


「っ……」


 筋力馬鹿の今の体を使って、地面を蹴り上げる。激しい轟音と共に砂塵が勢いよく吹き荒れる。

 レイナは思わず目を手で覆う。これで視界は遮られた。


「突っ込んで来るか……!」


 俺にはもうこれしかない。俺にはレイナの攻撃を防ぐ手立てがないのだから。


 レイナは目を凝らす。砂煙の微妙な空気の動き、それを瞬時に見極める。

 縦に一閃。レイナは正確に攻撃を振りかざす。


 パキンッと木の棒が折れた音がする。俺の木の棒だ。砕かれた木の棒はバラバラになって周囲に飛び散る。


 レイナはニヤリと笑う。あの笑みは勝ちを確信している。誇らしげに勝ったとでも言いたげだ。


 ――残念だったな。


 煙が晴れると俺はもういない。確かにお前は木の棒をへし折った。だが、それはただ投げただけ。俺自体はそこにいない。


 俺はお前の横だ。砂煙を上げたとほぼ同時に木の棒を投げ、そして左に移動した。わざと回転をかけて木の棒を投げたおかけで俺の動きには気付かない。


 勝ちを確信して、油断しているレイナは無防備だ。だからそこに、


「歯、食いしばっとけ」


 強烈な拳による一撃。決まったと思わせるには十分だ。

 レイナは足で踏ん張り砂を削る音を立てながら、二、三メートルほど吹き飛ばされる。

 倒れこそしなかったが、唇には少し血が滲んでいる。


 レイナは笑った。殴られたことによるショックで頭でもおかしくなったか?

 高笑いを続けるレイナ、少し過呼吸気味になりながらその声は収束していく。


 笑い声が止まったレイナは俺を見て、こう言う。


「お前、本当にリュウガか? 攻撃方法が下衆のそれだ。女に全力で拳を振るなんて、以前のリュウガじゃ考えられないな。あいつはあれでいて紳士の面がある」


「そうなのか?」


「ああ、今のお前とは真逆だ。普段はどうしようもない奴だが、変なところに拘る、女に手を挙げなかったりな、それこそ女の悪魔でも躊躇う奴だ」


「悪魔に性別があるのか」


「ああ、人間とも交配は可能だよ。滅多にやる奴はいないがな」


 同じ人型で交配も出来るのに、争っているか。

 俺の世界も大して変わないか。見た目も変わらないのに、戦争をしている。何なら、俺達の世界の方がタチが悪い。


 俺を見て、レイナは笑う。また「まるで別人のようだ」と鋭い意見を向ける。

 俺は目を逸らして、愛想笑いで対応する。逸らした先にはサツキがいて、目が合った瞬間に凄まれた。


「そうだ、俺は合格でいいのか?」


「ああ、卑怯な手とはいえ、私に勝ったんだ。そんじょそこらの魔物なんて止まって見えるだろうな」


 確かにこの目は凄まじい。攻撃がゆっくりに見える。おかけで冷静に作戦を立てることが出来た。

 動体視力も鍛えれば、ここまでになるのか。


 これはこれで一瞬の特別な力とも言える。もしかすると、ボクシングの世界チャンピオンなんかよりも凄いのかも知れない。


 だけど、俺はまだこの体を使いこなせていない。初心者なのにいきなり操作の難しいキャラを使わされた気分だ。


 しばらくはただのお荷物でしかないな。戦う気はないが、それでも避けられない戦闘というものもある。それは自分の身を守る時だ。それ以外の時は俺は戦わない。勇者の使命を遂行する必要なんて俺にはない。幸いにも勇者は俺の他にもいるようだし。


 罪悪感を感じることなく、この重荷から逃れられる。そうしたら、俺はあの世界で手に入れられなかった生きる意味を探す。


 それこそが俺がこの世界に来た意味だ。


「サツキ、そろそろ出発するぞ」


「分かった」


「そう拗ねるな」


「拗ねてない」


 レイナはサツキに近付いて、小さな子供をあやすように頭をポンポンと撫でる。

 サツキは不服そうだったが、特に反抗はしない。


 レイナとサツキは仲が良いんだな。顔は似ていないが、姉妹のようにも見える。


 歩く二人をぼうっと見ていると、レイナは俺に向かって手を振る。


「さあ、リュウガも行くぞ」


「ああ」


 小走りでレイナ達の方に向かう。歓迎ムードなのはレイナだけだが、サツキはさっきの影響か、威圧をするのだけは止めてくれた。それでも、少し距離を感じる。

 早めにサツキとは仲良くならないとな。

 あっちの俺は好かれていたんだ、不可能ではないはずだ。


 俺達はゆっくりと森の獣道を進んで行った。

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