第8話
放課後、一ノ瀬くんはすぐに教室を去った。
話しかけるタイミングは全くなかった。
教室に残された私は、気持ちを落ち着かせようと大きく深呼吸をする。鏡を取り出して、前髪を整える。
よし、行こう。
そう決心して、私は一ノ瀬くんのいる屋上へと足を進めた。
屋上に近づくに連れて私の緊張はどんどん高まっていく。そして、期待よりも不安の方が大きくなる。
こわい。逃げ出したい。
屋上に続くドアの前までついたときには、私はとても弱気になっていた。
6限の時間に妄想を垂れ流していた私は、一体どこにいってしまったんだろう。
こんなの無理だよ……。
その場で崩れ落ちそうになる。泣き出しそうになる。
だけど、行かなきゃ。
私はもう、自分の不安を肯定することにした。
何を言われたっていい。
文句だって、罵倒だって。
一ノ瀬くんは、私に声をかけてくれた。私を屋上へ連れ出してくれた。それだけでいい。
一ノ瀬くんが私を呼び出した答えを、私は知りたい。
必死の思いで扉を開くと、その先に一ノ瀬くんはいた。
六月の夕暮れに、パラパラと雨が舞っていた。
「朱莉ちゃん、話がある」
私が意を決して、一ノ瀬くんの前まで歩みを進めると、一ノ瀬くんは言った。
少しの沈黙が流れた。
一ノ瀬くんは真っ直ぐに私を見ていた。
最近よく見た、真剣な目だった。
私は条件反射を理由に、すぐに視線をそらしたけど、一ノ瀬くんの視線はずっと私に注がれているみたいだった。一ノ瀬くんの眼差しがおでこの辺りにあたっているのを感じる。
「話って、なに……?」
必死にお腹の底から声を絞り上げた。いつもの声にならない。
顔をあげた私は、一ノ瀬くんと見つめあった。
私も一ノ瀬くんも、お互い、じっと目をそらすことなく見つめった。
その瞬間、もう何も後悔はないと思った。
私は、どこか清々しい気持ちで、一ノ瀬くんの次の言葉を待った。
「俺は、朱莉ちゃんのことが好きだ」
沈黙を破って、一ノ瀬くんは言った。一瞬夕立が強くなった、気がした。一ノ瀬くんの唇がボヤけて見えた。
一ノ瀬くんの言葉は、まだ私の頭に届かず、理解が追いつかないうちに次の言葉が飛んで来た。
「入学式の日、初めて会った時から、ずっと好きだった」
一ノ瀬くんは言った。
そして、私たちの間に、またしばらくの沈黙が流れた。
一ノ瀬くんは私の言葉を待つために。私は一ノ瀬くんの言葉を解釈するために。
ようやくフリーズしていた私の頭が機能し始めて、私は告白されたのだと理解した。
そして、胸が熱くなった。
そして、混乱する。
私は慌てて、一ノ瀬くんを見ていた視線を落とした。
今、一ノ瀬くんは私に好きと言った。
少なくとも私にはそう聞こえた。
それに私と同じでずっとずっと好きだったとも言った。
好きなのは私のことだよね? そして、私を好きなのは、一ノ瀬くんってことだよね?
もしそうだとしたら、そんなことってあるのだろうか。あるとしたら、一体どれほどの確率なのだろうか。
しばらく考えても、混乱した私の頭は一向に整理される気配がない。
「返事を聞かせてほしい」
痺れを切らした一ノ瀬くんが何か言った気がした。だけど、私はパニックになってしまっているから、なんて言ったかよく分からなかった。というか、いま、それどころじゃなかった。
一ノ瀬くんに告白されたということで、まだ、頭の中はいっぱいだ。
でも、なにか、なにか言わないと。
そう思って視線をあげたら不意に目があった。
あまりに不意の出来事で、私は目があったまま固まってしまった。
目があったのは一ノ瀬くんじゃない。
一ノ瀬くんの後方、左奥に置かれたビデオカメラとだった。
その瞬間、告白されたことで容量がいっぱいだったはずの頭の中に、スペースがあいた。
え、カメラ?
どういうこと?
いま、私、撮られてるの?
……分からない。
「ちょっと考えさせて」
私はそれだけ言った。
一ノ瀬くんは「分かった」と言った。
ダメだ。今日の私は混乱しっぱなしだ。
考えて、私は一ノ瀬くんはYouTubeの撮影をしていたのだと思い至った。
私はカメラに灯る赤いランプをじっと見つめた。
そして、告白するところを撮影していたのだと確信した。
切なくなった。
一ノ瀬くんに告白された、それは嬉しい。
本当に嬉しくて嬉しくて、もう死んでもいいかなとさえ思える。
だけど……。
私はいつもの癖で、動画のタイトル予想をしてしまった。
「好きな人に告白してみた」というのが浮かんだ。
私の目からは、涙が流れた。
何の涙かはよくは分からない。
勝手に流れていた。
それをかき消してくれるように雨が強くなった。強く降った。そんな気がした。
近くで雷が光った。
まるでスポットライトで照らし出されたかのようだった。
私は自分の顔がぐちゃぐちゃになっているのを感じて、お化粧なんかして来なければよかったと、ふとそんなことを思った。
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