第7話
村からの小路から、街道へ合流する。
景観はひたすら闇と緑が交錯する森林がつづいている。
セシリアは息を切らして木陰に隠れつつ、彼らを追っていた。
やがて街道沿いに、ぽつんと開けた林間地がある。
闘うにはうってつけの場だろう。
空は曇天模様だ。風が強い。虎のマントがたなびいた。
セシリアはすこし離れた大木の背後にかくれ、ようすを窺っている。
むろん、虎にはまるわかりである。盗賊に気取られると厄介なので、笑いを嚙みころしつつ、そしらぬふりをよそおっている。
「―――ドラグの、名はなんという」
「名か、奈落のルゴルスという。そちらは?」
「俺は虎・・・いや―――」
すこしの間の後、彼はいった。
「―――俺の名は、ブライ=セイガン=アスルという」
「ブライ・・・」
セシリアは、やっとここで虎の本名を知った。
「そうか。ではブライ、なんの因果かわからぬが、ここで果ててもらう」
「そうだな。おまえは因果というが、おれは意外だった。ドラグ族といえば誇り高い戦闘民族ときいている。なぜ盗賊ふぜいに加担する?」
竜の末裔は、うなるように声をふるわせた。
「恥かしき限りよ。金がなければ浮世では暮らしもままならぬ」
「なるほど連中め、よほど奮発したとみえる」
「もはや言葉は要らぬ―――闘おう」
「そうするか」
―――竜虎が相搏とうとしている。
どちらも、構えを取ってはいない。
塑像のようにふたりは立ちつくしている。
だが両者の間には、目に見えぬ糸のような緊張感がはりつめていた。
―――
竜人から、たちまち猛烈な鬼気と呼ぶべきか、圧力のようなものが急速にふくれあがった。
ブライは身じろぎひとつしない。
ルゴルスの圧力を受けても、泰然とたたずんでいる。
「むう・・・?」
ルゴルスは意外そうな声をだした。
一気に決めてしまう腹だったのだろう。それだけの戦闘力の差が種族間に横たわっている。
「人の身で、よくぞそこまで鍛錬を重ねたものだ。おどろいた」
「そりゃ、どうも」
だが、ブライの隙のなさが、それを妨げた。
「これは愉快だ。一方的な殺戮には飽いていたところだ」
ルゴルスはごろごろと喉を鳴らした。笑ったのだろう。
「笑うなよ、トカゲ野郎」
わずかにブライが動いた。
猿臂をのばし、背の柄頭に触れている。
それが機だったのだろうか。
先に動いたのは、ルゴルスだった。
「ぬうっ」
その手に握られた巨大な
頭を振ってそれをよけた。尋常ならざる反射だった。
紙一重でかわされた斧は、大気を切り裂いただけのように見えた。
だが、次の瞬間、それは風を巻いて横に変化する。
胴をねらった、巨体に似合わぬすさまじい動きだった。
それも当らない。
予期していたものの如く、よける。
斧を振りぬいたルゴルスは隙だらけだった。
ブライは反撃の好機に見えた。
しかし瞬時、とっさに背後へ跳躍した。
彼の足元を、のたうつ大蛇のような尻尾がうなりをあげて通過していった。
「これをかわすか、人間!」
ルゴルスが愉快そうに笑った。
両眼が宝石を見つけたかのように輝いている。
「やっかいな連続攻撃だな」
体勢を立て直すいとまを与えず、ふたたびルゴルスが突進した。
尻尾がうなった。
―――かと思えば、両刃斧のすさまじい連続攻撃。
突く、薙ぐ、振りまわす。
当れば一撃で、骨まで粉砕してしまいそうな重い打撃である。
だが、ブライはいずれも紙一重でかわしている。
「ブライ、おまえはすごい男だ。人間という種族を、俺はどうやら甘く見ていたようだ。おまえのお陰で認識があらたまった」
「そうか」
ブライの見切りには、秘密があった。
かれは最初から、この怪物が尾を攻撃に用いると想定していたのだ。
ここまで歩きつつ、その尾の長さを観察していたのである。
剣闘において最も厄介なのは、相手の得物の距離が測れないということだ。
見切りをひとつ誤まれば、切断された骸となる。
斧も同様だ。腕のリーチも存分に観察することができた。
ブライは逆に、背に大刀を差したままで、ルゴルスにその長さを見せてはいない。
「用心深いことだ。おまえはここまでくる短い間に、頭脳を縦横にめぐらし、必勝の策を練っていた」
「そう思うか」
「ああ。だから、俺も奥の手を出すことにした」
ルゴルスは、斧の柄をぐりっと回した。
カチッという異質な音をたてたかと思うと、それはわずかに振動し――――やがて、ほのかな燐光をはなちはじめた。
「―――これで、どうだ?」
ルゴルスの動きが明確に変わった。重厚な地響きを立てていた足音が軽快なものに変わる。
まるで重量を失ったかのように、竜の末裔はすべるように大地を移動する。
両刃斧に秘められた魔術が発動したのだ。
彼の手にした得物は魔剣ならぬ、魔斧だったのだ。
「まだまだ、純粋な闘いを楽しみたくはあったが、こちらも必死でな」
「ふむ、
「こうなっては、もはや万が一にもおまえに勝ち目はない」
ルゴルスは咆哮とともに突進した。
今までとは、比較にならぬ速度だった。
高速の斬撃が、雷光のようにブライを襲った。
わずかに見切りそこない、刃先がキモノをかすめた。
ブライは抜いていない。
いや、抜くいとますら与えてもらえなかったと言っていい。
ブライの大きな刀は抜刀のさい、その刀身の長大さから、一瞬、上へのびあがるようにして抜かねばならない。
その隙を与えれば、たちまち尻尾で両足を砕かれるか、斧で頭を叩き割かれるかの二択しかない。
先手を打たれた時点で、ブライの勝ちは消滅したといえる。
鞭のようにしなる尻尾はさらなる加速を呼んだ。
竜の末裔はすさまじい勢いで旋回し、颶風となってブライを呑みこもうとしていた。
――――それは、まさに竜巻であった。
「―――――っ!!?」
周囲で様子を見ていた野盗も、木陰のセシリアも、圧倒されて息を呑んだ。
「おまえら、もう少し距離をとれ。下手すると巻き込まれちまう!」
野盗のリーダー格があわてていった。
周囲で見守っていた盗賊団は、戦慄とともに逃げ惑う。
「そろそろ終幕だ、ブライ」
「うるせえな。だまって闘え」
戦闘のさなか、心なしかブライの軽口も余裕がない。
もはや人間の反射神経でかわせる代物ではなかった。
「―――逝くがいい、奈落に」
竜巻が、ブライを呑みこんだ。
通過後には、そこになますのように切り刻まれ、人か肉塊かわからぬものと化した物体がころがっている。
―――はずであった。
これまでは。
「どうした、敵に背を向けて」
意外な声に、竜巻はふりかえった。
額から血を流しているものの、五体満足で立っているブライがいる。
「ば、ばかな!?」
ルゴルスの狼狽は甚だしかった。
いかなる魔術を用いたのか、このようなことはありえない。
そのとき、ルゴルスは気付いたようだった。
かいま見えるブライの鞘が光を帯びていることを。
いや、正確には、鞘の内にある刀身が輝いているのだ。
「もしや、もしや貴様も―――」
「奥の手を持っているのが自分だけだと、ゆめ思わぬことだ」
牙をむく虎のように、ブライが笑った。
ブライの大太刀もまた、魔剣だったのだ。
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