第2話
キモノの男は、ひゅひゅんと空中で剣の血しぶきを払い、流れるような動作で、背中の鞘にその長大な刀身を収めた。
身をかがめ、転がっている自らの手荷物を拾い、さらに転がっている農夫の革袋も拾い、当然のような顔つきで、それをふところにねじこもうとした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、助けてくれたのはありがたいが、それは俺の金だ」
農夫があわてて言うと、男は悪びれたようすもなく、
「ふむ、ばれたか」
「ばれたかじゃない。目の前で何をやってるんだ」
「しかし、俺は金が欲しい」
「いやいや、全部持っていかれたら野盗と大差ないじゃないか」
「・・・ふむ、おまえはこのあたりの者か?」
「そうだ、フフォーレというこの先にある村の住人だ」
「―――では、こうしよう」
いかにも名案が浮かんだ、という態で、手の平に掌外沿をうちつける。
どこかわざとらしく見えるのは気のせいだろうか。
「おまえが無事に村にたどり着くまで、俺が護衛するとしよう。そうすれば用心棒として正当な報酬が発生する。どうだ」
「いや、しかし・・・・・」
「―――それとも、追っ手が来た場合、自力で解決するか」
農夫は一瞬、考えるそぶりをみせたが、その言葉で決断せざるをえなかった。
この男が現れなければ、金はおろか、命も失っていたのだから。
「で、ここからおまえさんの村までどれくらいだ」
「今日じゅうにはなんとか・・・」
「一泊して、翌日の昼というところか」
ちん、と男の背から音がしたような気がした。
と同時に、どさりと音がして、葉をぎっしり茂らせた木の枝が落ちてきた。
斬ったのだ。農夫が知覚できぬうちに。
男はその葉の生い茂った枝を農夫に投げわたした。
「急いだ方がいいと思うぞ」
農夫は、ぽかんとした顔で枝を手に取った。
男はマントについたフードを頭に被っている。
それが男の気遣いだったと気付いたのは、手遅れになってからだった。
――――――たちまち、頭上に大粒の雨が降ってきたのだ。
結局、雨はその後本格化し、大地に叩きつけるような豪雨となった。
視界もきかぬ、この状況で移動するのは自殺行為といえた。
このあたりの地理に詳しい農夫の道案内で、ふたりは街道をそれ、木々の中に眠る、雨のしのげそうな石造りの廃墟へと避難した。
火をおこし、暖をとり、つれづれなるままに会話をした。
農夫はノギトと名乗った。
ノギトは男にも名前を尋ねたところ、彼は無愛想に、
「名、そうだな―――虎とでも呼んでくれ」
と、その場で思いついたような、適当なことを言っている。
虎は背中の剣をおろし、手入れをはじめた。
変わった剣だった。聞くと、カタナというらしい。
従来の剣と比べると、刃の部分だけで出来ているように見える。
ずた袋から拭い布をとりだして刀身の汚れをふきとり、打ち粉を振っている。
焚き火の明かりを浴びて、刃先がぬらりと紅に燃えている。
刀の柄は外そうとはしない。こいつは特殊でね、と笑った。
確かに刀身も長いが、柄もすこし長いようだった。奇妙なことに、柄頭には留め金がついている。
「おまえさんはどこから来たんだね」
ノギトは素朴な疑問を口にした。彼が住む村にも、たびたび冒険者は訪れる。
しかし、彼が眼にしてきた剣士たちと、この虎は何もかもが異質だった。
虎はノギトを見かえした。
炎の躍る鋭いまなざし―――しかし、その瞳に殺意はない。
ふっと柔和な笑みを浮かべると、
「それに答えると、何かもらえるのかね」
「がめつい人だ」
ノギトは渋面をつくった。
虎は笑みを浮かべたまま、ふと、遠くを見るような目つきになった。
「長いこと帰ってないが―――はるか東のほうにある、海のむこうの島国さ」
「ほう。それにしては、流暢にこのあたりの言語を話すの」
「生きるためだからな。まあ覚えるしかない」
「で、そんな遠方からこんな鄙びた場所まで、はるばる何しにきなすった」
「まあ、ぶらぶらと」
「・・・本当に変わったお人だ」
虎の予言したとおり、烈しい風雨は続き、そこへ一泊して村へと帰ることになった。
翌日の昼になると、昨日までの天気がうそのように空が澄んでいる。
ひたすら街道を南進し、村へ続く西の小路へと歩をすすめること、さらに二時間。
ようやく、村の姿が見えてきた。
それは樹々を伐採し、拓いた村のようだった。
村の名はフフォーレ。人口は百人とわずかの小さな村だ。
太く大きな丸太をしっかりと組み合わせ、柵として村の全体を覆っている。
村の西と東には、それぞれ大きな門があり、どちらにも見張り台が設置されている。野盗対策というのはあきらかだった。
「ノギトじゃないか、無事だったか」
彼の姿を確認すると、村人たちは門をひらき、ほっとしたように声をかけてくる。
「どうした、なにかあったのか?」
そのようすに不審の念を抱いたノギトが村人に尋ねると、彼らは気まずそうに、
「実はセシリアちゃんが見当たらないんだ」
「なに!?」
ノギトが真っ青になった。
「いつごろの話だ?」
「予定の日程がすぎても、父が帰ってこないと心配していたんだ。今朝、あんたの奥さんが目を覚ますと、セシリアの姿が見えないと。いまも奥さんが村中を探しまわっていて――――」
「見張り当番のやつが、うかつにもサボっている隙に外へ出たんだと思う」
「いや、あんな風雨の夜に出かけるなんて自殺行為だ。誰も予想がつかん」
「俺も探したが、どうも村にはいないようだ。あんたを迎えに行ったんだろう」
「ここへの道中では会わなかったが・・・」
とはいえ、ノギトらは街道を外れ、強い風雨を避けに廃墟に立ち寄っていたりしたので、その間にすれ違ったとしても不思議ではない。
「なあ虎とやら、すまぬが娘を探すのを手伝ってくれないか。わし一人では、また野盗に襲われるかもしれんでな」
「おいおい、ろくに食うものも食わずに出るのか。せわしないことだ」
虎は露骨にいやそうに口をとがらせた。なにせ、きのうの騒動から水しか摂っていないのだ。虎の不満も無理からぬことだった。
「頼む。もどったら飯は大量に用意する」
「まあ、人命第一だな。さっそく行くとするか」
と、調子のいいことを言っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます