第40話 水底に沈む

 どんなことがあっても日は沈んで、また昇ります。明けない夜はないし、昼がずっと続くわけでもありません。人が死んでしまうと、それが観測できなくなるだけです。誰が生きようと死のうと、地球は変わらず回っています。


 壇ノ浦の戦いが終わり、一夜明けて、海岸から海を見ていました。春の海には、前日の戦の残骸があり、そして、天叢雲剣を捜索する人たちがいました。


 ボクはその様子を見ていました。

 三種の神器のうち、見つからなかった天叢雲剣を探していました。


 無茶です。

 広い海です。


 そこに天叢雲剣が落ちてしまったのです。海の広さに比べたら、ずっと小さいです。世界は広くて、人間は小さいです。人間よりも小さいモノはたくさんありますが、地球は大きくて、その地球だって広い広い宇宙に比べたらめちゃめちゃ小さいです。

 気が遠くなりました。


 ボクなんて何もできない小さな若造です。

 源氏の海の総大将なんて言われてその気になってバカやって、多くの命が失われてしまいました。


 親の仇など、そんなレベルではありません。

 平家は滅んでしまいました。


 清盛さまの一族です。

 ボクは、清盛さまにかわいがられた記憶があります。


 他の平家の人たちはろくでもなかったのですが、清盛さまだけは父上のことを「友だった」とおっしゃっていました、とても悲しそうな瞳で。幼かったボクは、どうして清盛さまがそんな顔をしていたのかわかりませんでした。


 保元の乱で父上と共に戦い、平治の乱では敵対した清盛さま。まさしく昨日の友は今日の敵です。でも、清盛さまは、父上の子であるボクに愛情を注いでくださいました。罪滅ぼし、と言葉にすると陳腐に思えますが……。そのような感情が、清盛さまにあったのでしょうか? ボクにとっては、ただの、とても優しいおじいさんでした。


 鞍馬山に預けられずに、母上と清盛さまの元にいたのなら、ボクは源氏の総大将になっていなかったかもしれません。けれど歴史はそうはならず、母上は一条長成様と再婚しましたし、ボクは兄上をお助けすることが自分の生まれた理由だと思うようになっていました。兄上ならば横暴な平家のいない、素晴らしい世にしてくれると信じていました。


 そう信じて、皆で戦っていました。

 佐藤嗣信はボクのそういう想いを知っていて、嗣信もそれを望んでいて、屋島で命を落としました。ボクの腕の中で嗣信の命は消えました。


 そして、とうとう願いが叶いました。

 叶ったのですが……。


 嗣信はボクの姿を見て、喜んでくれるのでしょうか?

 恩をあだで返してしまったボクを、清盛さまはどんな顔で見るのでしょうか?


 なんとも言えない気持ちで、海を観ていました。

 晴れ晴れともしていない、昨日と変わらない今日という感じで。


 前日は下手をしたら死んでいたかもしれない壇ノ浦の戦いでしたが、夢だったような、現実味がないような感じでした。




***




「昨日は大手柄でしたな」

 常陸坊海尊がそう言って、ボクの後ろから声をかけてきました。


 嗣信なら、きっともう少し違う言葉をかけてくれたでしょう。悪いヤツではないし、ボクのことを大切にしてくれますが、たまにものすごく間が悪いです。


 海尊はボクの仲間のひとりです。飄々としていて、物知りで、だからなのかちょっと偉そうに振る舞う男です。ホントに魑魅魍魎で、平泉でボクが死んだ後も生きていると言われています。


 室町時代や江戸時代にも、その存在がまことしやかにささやかれたとか……。そう言われても納得してしまう、うさん臭さがあります。もちろん信頼はしています。ボクよりも年上でしたが、何歳年上なのかわからなかったです。


「そんなことないよ」

 海尊の方は見ず、海を見たまま答えました。弁慶には「あれほど言ったのに、また危ないことをした」と大目玉を食らっていました。


「平家を倒したのですぞ。それをお喜びください」

 ボクがふさぎ込んでいたので、元気付けようとしてくれていたのはわかりました。頻繁にズレるけれど、いいヤツです。


「もっと、穏便な方法があったかもしれないのに、ボクにはできなかった」

 ボクみたいな若造が、いろいろ思い悩んでもどうにもならないことだったのかもしれません。


「こちらには大した被害はありませんでした」

 拗ねている子供をあやすように言われました。


「だが、安徳天皇はおかくれになり、天叢雲剣は見つけられなかった」

 壇ノ浦の戦いは源氏の勝利でしたが、目的はまったく果たせていませんでした。ボクはこのために動いていたと言っても過言ではありません。


 安徳天皇は清盛さまの奥方の二位の尼さまに抱きかかえられ、海の中でも離れないようにと帯で結わかれて海に入られました。ボクたちは間に合いませんでした。

 幼い帝は水底の都に行かれてしまわれました。


 さらに二位の尼さまは天叢雲剣を腰に差し、八尺瓊勾玉をわきにはさんでいたそうです。さすが、清盛さまの奥方さまです。


 生前に清盛さまが望んでいたように、兄上の首を清盛様の墓前にお供えすることはできませんでした。そんなことはボクが絶対に赦しません、冗談抜きで、マジで。考えたくもありません。また話がズレました。すみません。


 けれど、清盛さまは、そのようなことを望んだのでしょうか。

 もう少し達観したような感じがしていたので、『平家の安寧』を祈った程度だと思いますが。


 平家物語は人々が楽しむためのお話なので、そこにフィクションがあったのではないかと思います。ただの発熱で黒煙を上げるのは十分にフィクションでそこで話ができたのなら、人ではないモノになってます。


 それは置いておいて、物語上の清盛様の遺言は叶えられませんでしたが、二位の尼さまはボクら河内源氏が最も痛手を被る方法を取ってお亡くなりになりました。

 ある意味、二位の尼さまの勝ちです。


「大失態だ。兄上に何とお伝えすればいいのか……」

 それを思うと、胃が痛かったです。

 お祝いムードとは程遠い、失態の数々。


 壇ノ浦の戦いは、平家を滅ぼしたというだけで、安徳天皇も三種の神器も取り戻すことができませんでした。


 面目丸つぶれです。

 源氏が負けるという最悪な結果ではありませんでしたが、それよりはマシだったという程度です。


 兄上は天叢雲剣を持ってくるようにと言っていました。よりにもよって、その天叢雲剣が見つかりませんでした。天叢雲剣があれば、ボクは兄上に怒られずに会うことができると思っていました。


 朝廷にお返ししなければいけない天叢雲剣をどうして鎌倉に持って行ってしまうのだという話ですが……。ボクは言われたことをやってただけだから理由はわかりません。


 鎌倉に持って行っても、兄上に怒られたと思います。

 手紙の兄上は何をしてもボクを怒ってましたから。




***




 では、ボクが関わった三種の神器について、少しだけお話します。

 八尺瓊勾玉と八咫鏡は見つかりました。すぐに拾うことができたそうです。


「見たいよ、見せて~」と言ったら「駄目です!」と、ものすごく怒られたアレです。怒られたというよりも、かなり渋い顔をされました。でも、無言の圧力をかなり受けました。言った後に、言わなきゃよかったと思ってしまう程です。


 とにかく厳重に封印されていました。テレビなどで放送されていた剣璽等承継の儀の三種の神器です。あそこまで煌びやかな布で覆われてはいませんでしたが、戦場でできる可能な厳重さです。


 ボクもその近くにいたはずですが、見せてもらってません。どこにあるのかもわからない感じです。口にすると、周囲の空気が凍りました。


 口にしただけで言霊に怒られそうな雰囲気です。『怒られる』なんて可愛らしいモノではありません。想像を絶する、誰もが考えるはるか上から、とんでもなく大きな怒りを受ける感じです。


「どこにあるの?」と聞くと「すぐに京に持って行きますので」というものすごい警備でした。近寄りがたい何かがありました。三種の神器その物ではなく、それに関わる人が、空気が雰囲気が……。


 あまり関わりになりたくない何かです。不釣り合いな場所にいることを極端に拒むような何かがありました。

 ボクのような者が関わってはいけない宝物ほうもつです。


 恐らくですが、天皇陛下がお祭りするような場所になければいけないのではないでしょうか?


 三種の神器は直で本物を見ると、とんでもないことが起こるそうです。高天原から持ってこられた宝物だから、そういうこともありえるのかもしれません。

 ちなみに高天原は天皇陛下のご先祖様が住んでいらした天上の世界のようです。


 二位の尼さまは、その日本が誇る伝説のアイテムを『わきにはさんで』いらっしゃいました。さすがでございます。


 けれど、もっと大切な宝だったのは、腕に抱いた幼い帝だったのかもしれません。


「おばあちゃま、どこに行くの?」と尋ねる安徳天皇に

「皆が笑って過ごせる水底の都でございますよ」と答えます。


 平家物語には、幼い帝が怖がらないようにと、細心の注意を払っている様子が描かれています。信念を持たれた豪傑な尼さまが、安徳天皇を不安がらせないように微笑みかけ、大切になさっておられたのではないでしょうか。


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