第39話 水底の都と現実の境界

 偉そうな人が乗っている、目的の小舟の近くまで来ました。

 その小舟には女性と、男性が2人か3人乗っていました。立派な船とは言い難い小舟でした。


 平家はいつもなら重要な武将は大きな唐船とうせんに乗せていました。けれど、壇ノ浦の時は唐船に雑兵を乗せ、力のある武将などを小舟に乗せたそうです。話を聞いた時、意味がわかりませんでした。平家方としては、唐船に主だった人物がいると思い込んだ源氏の兵士が大量に乗り込んだところで、小舟に乗った力のある武将が取り囲むという作戦だったようです。


 ボクらに罠をしかけたかったのでしょう。さか櫓を言い出した梶原景時のようなおバカが平家方にいて、それを止める者がいなかったと思われます。誰か止めればよかったのに……。


 ボクが無茶をやるのは、ボクの仲間がすごかったからです。化け物です。魑魅魍魎です。天狗です。モンスターです。それくらい強いのです、ボクの仲間は。彼らにお願いをすれば、大抵のことはやってくれます。もちろん、お願いするだけではなく、ボクもそれなりの行動を取ります。そういう絆もなく、こういう作戦を取るのはダメです。


 その作戦の詳細を手土産に、源氏方に寝返ってくださった方がいらっしゃって、その作戦は源氏方にバレてしまいました。その話を聞き、小舟に乗っている人などをよく見れば、風体でなんとなくわかりました。小さくて貧弱な船なのに、他とは違う雰囲気を漂わせていらっしゃいました。


 それで、ボクはその小舟に乗り移りました。

 その小舟は、乗っている方々から雅なオーラが発せられていました。


 軽やかに飛び込んだのですが、勢いがわりとあったので小舟は大きく揺れました。


「ボクは源九郎義経です」

 直ぐに体勢を整え、丁寧に自己紹介をしました。言わないと気づかれないので。


「もう、この戦を終わりにしませんか?」と、優しく言おうとしました。

 言ったかもしれないのですが、相手はそれを態度で否定しました。もしくは、ボクの名前を聞いただけで、ボクの言葉は最後まで聞かずに突っ込んできたのかもしれません。


「うおおおお! おのれぇええええ~!!!」

 その男性は立ち上がり、弓を投げ捨て、鞘を外した抜き身の刀を振り上げました。


「え?」

 まさか、襲ってくるとは思いませんでした。襲ってこないと考える方がおかしいんですけどね。


 ボクもすぐに刀を抜こうとしましたが、ありませんでした。

 慣れってすごいですね。持っていないのに、身体だけは動きました。


(武器、どうして置いてきたんだ?)

 重いから、という理由で置いてきました。この時、それをものすごく後悔しました。


 こちらは丸腰、向こうは大量に武器を持っていました。しかもごっつい武器です。


(錆びるの覚悟で持ってくればよかった。薄緑じゃない、もう少し安いけど軽い刀。戻ってから手入れすればいい話だし、めんどうくさがらずに持ってきていればこんなことには……)

 そう思っても遅いです。でも、愛着のある刀を、持ってきたくはなかったのです。これ以上、大切な物を失いたくはありませんでした。


「憎き義経め! そこで待っておれ!!」

 そう言われましたが、動きたくても動けない状態でした。船が揺れるので足場が非常に悪かったのです。


 重そうな男が慌てたようにこちらに向かって来たので、小舟は大きく揺れ、そのせいでボクは体勢を崩し、よろけてその場に座り込みました。


(これ、揺らせばよくね?)

 男は立っていて、ボクは座っていました。


(こうなればダメ元だ)

 他にできることもありませんでした。


 敵に背中を向ける形になってしまいますが、最後の悪あがきとばかりに小舟のヘリを両手でつかみ、思い切り揺さぶりました。これで死んだら笑い者もいいところです。


 死を覚悟しました。

 ちょっとやそっとでは揺れないので、タイミングを合わせて大きく揺らしました。


 揺らしながら、走馬灯のようにいろいろなことを考えていました。もしも自分が小舟に乗っていて、その小舟に敵の大将が飛び乗ってきたら、ボクなら100%殺ります。


(だから、弁慶たちはボクを止めてたんだ)と、いまさらながら思いました。『やってみないと分からない』がボクの信条ですが、やってみてわかった瞬間でした。


 後悔なんてものではありません。

 思い知った瞬間です。


 後ろを向いた鎧も着ていない丸腰の若造なんて、どんなに贅肉太りしたおじさんでも切れます。


 とてつもなくおバカなことを、ボクはしでかしていました。


(これ、すっごく怒られるヤツだ。生きて帰れればの話だけど……)

 せめてその前に、少しでも斬りにくい状態にしてやろうという、ただの嫌がらせで揺らしていました。




***




(そろそろバサっと来てもおかしくないんだけど……)

 いつまでたっても背中に痛みが走ることはありませんでした。あの振り上げられた刀で切られるものと思っていました。


 ボクは小舟のヘリを掴んで下を向いていたので、見えていたのは小舟の底でした。相手の様子はわかりませんでした。


(どうしたんだろう?)

 さすがに不審に思い、恐る恐る振り返りました。


「え?」

 思っていたのと違う景色が見えました。


 そこに男の姿はありませんでした。何人かいたはずの男たちの姿はなく、居たのは座っていた女性だけでした。男たちは皆、小舟に飛び込んできたボクを殺そうと立ち上がっていました。


「お、おのれ……、よくも……」

 美しい身なりの上品な女性が、敵意をむき出しにしてボクの方を見て、怒りで震えていました。ボクはすぐに男たちがいた辺りまで行き、小舟のヘリから身を乗り出し、海面を見ました。


 何かが落ちた後のような泡が見えました。

 でも、先ほどまでボクに向かって刀を振り上げていた男たちの姿を見つけることはできませんでした。


「落ちたのか?」

 身体を起こし、すべてを見ていたはずの女性に聞きました。けれど、その女性は答えてはくれませんでした。憎しみの眼差しをこちらにむけるだけでした。


(いないのだから、落ちたのだろう……)

 そう判断するしかありませんでした。



「殿! ご無事か?!」

 味方の船がこちらに向かって来ました。


(怒られるの、やだな……)と思いながら海を見ていると、信じられないものが目に入りました。

 小舟から、人が海へと落ちていくのです。


「え……?」

 何が起きたのかわかりませんでした。人が海に自分から落ちていきます。見ているうちに、味方の船が横付けしてきました。


「殿!」

 弁慶たちが手を伸ばしてくるので、ボクも元々いた船に戻りました。女性は他の者が移動させました。それを確認しながら、再び海を見ました。


(気のせいだろう。何かの見間違いかもしれない)

 そう思い、平家方の船をじっと見つめました。すると、戦うことに疲れたように、何も持たずに立ち上がる人影。

 神々に祈るように手を合わせ、少しの時間の後、海に飛び込みました。


(自分から落ちている?)

 ひとつの船での出来事ではありませんでした。


 周囲を見ると、いたるところにあったはずの平家方の船から人が落ちていました。もう人が乗っているようには見えない船もありました。


 信じられない光景でした。

 ザザン、ザザンという音が、ただの波の音なのか、人が落ちている音なのか、わかりませんでした。


 それまで戦っていた相手が、戦意を喪失して、自ら海へと消えて行きます。何が起こっているのか、理解が追いつきませんでした。

 壇ノ浦に、絶望が広がって行きました。


(なんでこんなことに?)

 命があれば、名誉を回復できるかもしれません。生きていて、死にもの狂いになって頑張れば、願いは叶うかもしれません。


 それが全否定されるような光景でした。


 誰かが指示をしたわけでもなく、

『味方が海に入って行くから自分も行く』そんな感じでした。


 こちらも戦いに次ぐ戦いでへとへとになっていて、頭がついていけませんでした。


「ご無事ですか!!」

 弁慶が大騒ぎをしています。


「大丈夫だよ」

 ボクは海上から目を離せませんでした。


「怪我は、どこにも怪我はございませんか!!」

「ないよ」

 ボクはどこにも怪我はしていませんでした。


「あれは、どういうことだ?」

 ボクは、海に落ちていく人たちを示しました。それまで慌てふためいていた弁慶が神妙な顔つきになりました。


「平家が負けを認めたのでしょう」

 厳めしい顔で言いました。


「負けを認めると、海に入るのか?」

 何を言っているのか、自分でもわかりませんでした。


「離せ!」という、女性の叫び声が聞こえました。先ほどの平家方の女性が、海に入ろうとしていました。


「止めさせろ!」

 そう言って、そちらに行きました。味方が女性を船のヘリから離し、飛び降りれないように押さえました。


「離せ! わらわも、わらわも行かせよ!」

 女性は死にもの狂いという様子で言っていました。けれど、品の良さが災いしたのか、海に入るまでにはなりませんでした。


「死んで何か変わるのですか?」

 目線を合わせるように座り、かしこまるとその女性に聞きました。


「このまま辱めを受けるくらいなら!」

 負けた側の女の人は、それが怖いのかもしれません。


「そのようなことはさせません」

 源氏は、鎌倉にいる兄上が治める河内源氏に、あってはいけないことです。


「おまえの言うことなど信じられるか!」

 怒りを露に女性は言いました。怒ることに慣れていないような怒り方でした。ふだん、声を荒げることもしていなかったのでしょう。


「少なくとも、ボクはしません。ボクは、あなたたちとは違います」

 いくら安全ですと言っても、聞いてもらえるとは思いませんでした。


「何を言っている?」

 美しいお姫様は、ビクっとしてボクを見ました。思ってもいないことを言われたようでした。


「知っていますよね? 自分たちが……、平家が何をしてきたか」

 ボクは淡々と言いました。


 言葉にすると、いろいろなものがこみ上げてきました。

 何を言えばいいのか、わからなくなりました。


「知らぬ。わらわが何をしたと言うのか?」

 驚いたような顔をして女性は言いました。


「知らなのですか? お姫様はいいですね」

 平家に生まれたというだけで、大切に育てられるのです。ボクとはえらい違いです。


「ボクは、あなたたちとは違います。あなたたちと同じことはしません」

 言ったところで、どうにもなりません。


「安徳天皇がどこにいるのか教えてください。あなたも含め、お助けします」

 その女性は首を振りました。


「いまならまだ間に合います。教えてください。源氏の総大将のボクが責任を持って京までお連れ致します」

 ボクは、降伏してきた人たちを、安全に京までお連れすることを約束しました。


 でも、女性はボクたちに何も言いませんでした。

 ボクは女性を信用できる人物に頼み、立ち上がりました。


「安徳天皇と三種の神器の捜索を急げ!」

 皆に向かって言いました。


「その行方を聞くために、生存者は救出しろ!」

 ボクは叫びました。


 皆もそのように行動してくれましたが、間に合いませんでした。




***




 ボクが生まれる前からあった源氏と平家の戦いは終わり、その瞬間をボクはみていました。ボクは戦で平家を攻めていたし、皆が亡くなるきっかけも作ってしまいました。


 でも、不思議な感じがしました。


 小さい頃からボクは平家の人たちから嫌なことばかりをされていて、彼らを観るのも嫌でした。彼らはボクをいじめるのは当たり前になっていて、あざ笑ったりはしていたけれど、敵意を向けられることはありませんでした。


「おのれ……、よくも……」などと言われたり、ボクの顔を見て切りかかって来るなんて思ってもみませんでした。


 彼らは武士と言われていますが、貴族のような生活をしていて、『やられたからやり返す』からは最も遠い人たちだと思っていました。


「おほほほほほ」と笑いながら贅を尽くす。誰が貧しかろうと、一所懸命に働いている人がいても、自分たちには関わりがないと思ってしまう人たちでした。


 敵意を向けられることの恐怖。

 源氏は平家と戦っていたのです。


 それは、当たり前のことだったのかもしれません。


 でも、平家の人たちの力は大きくて、ボクを襲ってきたり、自らの命を絶つことなど、想像もできませんでした。

 どうしてあんなことになってしまったのでしょうか?


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